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#59 絶望、そして怒り

 岩瀬が通達を読み上げると、部屋は一瞬の静寂に包まれた後にどよめきが起きた。そのどよめきは、部員たちの様々な嘆きへと変わり始めた。

「おい、ウッソだろ!?」

「マジで!?」

「なんで…!?」

 その声をかき消すように、生徒指導の立川が一喝した。

「静かに!」

 再び部屋に静寂が戻る。岩瀬は、部員たちの顔を一人ひとり眺めまわすと、深いため息をついてさらに続ける。

「加えて、本校国際・スポーツ推進コース2年、女子陸上競技部所属の女子生徒1名も、併せて退学処分とする」

『ええええええぇ!?』

 今度は静寂を待たずに、部員たちの叫び声が一斉に挙がった。この場にいない2年生の女子生徒は、たった1人だ。名前を聞くまでもなく、部員たちは誰が退学処分となったのか見当がついているようだ。

 あかりは、萌那香と顔を見合わせた後、力のない声でボソッとつぶやいた。

「悠来だ…」

 怒りを露わにする者、ショックで涙を流す者、ただ呆然と岩瀬を見つめる者。皆、やり場のない感情に襲われ、異様な空気が談話室を包んでいる。

 あかりが、無言で手を挙げると淡々と声をあげた。

「校長先生。何が…あったんでしょうか?」

 岩瀬はややあって宇田川たちとうなずき合うと、口を開いた。


 春奈たちは福島を発ち、新幹線で乗り換えの仙台へと向かっていた。春奈は携帯電話の画面を眺めては、ニヤニヤと電話帳を繰っている。

「春奈、なにそんなニヤニヤしてんの?」

 淳子が呆れ気味に尋ねる。

「だって…天先輩、酒井さん、荻野さん、空先輩…、連絡先こんなゲットできるなんて♡」

 それはまるで、レアなトレーディングカードを手に入れた者のようなはしゃぎようだ。早速、一人一人にお礼のメッセージを送り始めていた。秋穂は疲れたのか、ヘッドホンをしたまま眠り込んでいるようだ。

 淳子は呆れ笑いを浮かべながら、座席に座ったまま大きく手を上に伸ばした。すると、

(ブーン…ブーン…ブーン)

「誰だろ…あかり?もしもし?…えっ?えっ?どゆこと??」

 電話の主はあかりのようだ。淳子の様子から、不穏な空気を感じ取った春奈の表情が曇る。秋穂も、目を覚ますとヘッドホンを首にかけて淳子の様子を見つめている。

 淳子は通話を終えると、首を傾げた。

「…なんでか教えてくれなかったんだけど、秋田着いたらマサヨさんが車で迎えに来るから、翼の家に向かってくれって…」

「えっ?」

「寮に…帰れないってことですか?」

 秋穂が聞くと、淳子は納得のいっていない表情で言った。

「そう。着替えとかは持ってきてくれるみたいだけど…何があったんだろう」

 春奈は秋穂と目が合うと、肩をすくめて両手を上げた。


 秋田駅に到着し、新幹線の改札を出るとすぐに私服姿の沙織と翼が待ち構えていた。

「おーい、みんな!早く早く!こっち来て!」

 降り立った3人は訝しげな表情で首をひねったが、沙織が大きなジェスチャーで手を振って走り始めると、お互いにうなずいて駅の構内を走り始めた。

「ねぇ、さお、何なの?何があったの?」

「説明は後!とにかく、マサヨさん待ってるから行くよ!」

温厚な沙織が焦って声を荒げるほど、緊迫した事態であることは想像がついた。駅を抜けてすぐのロータリーには、マサヨさんが待ち構えていた。

「ほら、荷物後ろに入れて!すぐに車出すよ!」

 5人がワゴン車に飛び込むように慌てて乗り込んだのを確認すると、マサヨさんはアクセルをいっぱいに踏み込んで、相当のスピードでロータリーを進み出る。

 ギュルルルルル!

 激しいハンドル捌きに、ワゴン車の中は5人が飛び出しそうな勢いだ。

「わた!あいたたた!マサヨさん!ス、スピードが!出すぎ…わたたた!」

「ちょっとばかり黙っときな!今急いでんだ!」

 揺れる車内でもみくちゃにされ、春奈はもはや半泣きになっている。駅から少し離れると、マサヨさんも冷静さを取り戻したのか落ち着いた運転へと戻った。

「それで…どうして翼の家へ?」

 淳子が誰とはなしに問うと、沙織が車内のテレビの音量を上げる。呆れ返った表情で、沙織がテレビを指さした。

「これだよ、これ」

 画面には、夜7時のニュースが映し出されている。キャスターがトップニュースを読み始めた。

『秋田県下随一のスポーツの強豪と知られる秋田市の私立秋田学院高校で、陸上部顧問の30代の男性教諭が、飲酒運転の末に衝突事故を起こしたとして書類送検されていたことがわかりました。またこの車には、同校の2年生の女子生徒も同乗しており、女子生徒が飲酒していた事実も判明しました。秋田学院はさきほど6時半から記者会見を開き、同教諭の懲戒解雇処分および、女子生徒の退学処分を発表しました。秋田学院前から中継です――』

 「秋田学院」という言葉に反応した春奈たちは、顔を見合わせて絶叫した。

「ええええええええええええ!?」

「く、クビ?これ…本城先生だよね?」

「静かにしな!ニュースが聞こえないじゃないか!」

 マサヨさんにたしなめられ、3人は一斉に口をつぐむ。見慣れた校門の前に、テレビ局の記者が立っている。その数は一人ではない。他局のアナウンサー、テレビクルーも含めて数十名はいようか。彼らのせいで、とても敷地内に入れる状態でないことがわかる。

 マサヨさんが、大きなため息をついた。

「こんなんじゃ、そのまま学校に戻ってきたら記者につかまる。特に春奈、あんたは名前も知れてるし、そんなことになったらとてもじゃないけど寮になんて入れないからね。校長先生から指示があって、翼の家に一時避難ってわけさ」

「相浦先輩…ありがとうございます」

「ううん、とんでもない…それにしても、試合のあとにこの騒ぎなんてね」

 そういう翼も、姉の空の応援で福島まで一家総出で出かけた後、先に秋田へ戻ってきていた。移動に次ぐ移動で、疲れを隠し切れない表情でため息をついた。


 春奈たちを乗せたワゴン車は、住宅地の一角にある比較的大きな一戸建ての前で停まった。翼が、春奈と秋穂に向かって言った。

「ここが、わたしん家。お母さんがご飯用意してるから、とりあえず食べない?…じゃあ、マサヨさん、気を付けて戻ってくださいね」

 翼の言葉に、マサヨさんはにやりと笑みを浮かべて言った。

「心配しなさんな!これでも寮母20ウン年やってるんだ、敷地の裏からでも戻るよ。それより翼、急なことで申し訳ないね。お父さん、お母さんにもよろしく伝えておいて」

「わかりました!ウチは大丈夫です。両親はチームのみんなの事大好きなんで」

 そういうと、翼は手でOKサインを作ってみせた。マサヨさんの運転するワゴン車は、来た道を戻っていった。それとほぼ同時に、翼の両親が玄関に顔を出した。

 翼の母の操は、春奈たちの荷物を手に取ると呼びかけた。

「ほら、みんなまずはご苦労さんだったね。疲れだべから、早ぐ家の中さおいでよ」

 春奈は、ようやく少し安堵した表情を浮かべると翼の家の中へと入っていった。


 記者会見が終わってすでに30分以上経っているにも関わらず、敷地の外のマスコミ陣営が去っていく様子はない。9時、10時、11時と続く各局のニュース番組ごとに、アナウンサーや記者が断続的に中継を行っている。岩瀬の指示で寮の居室にはカーテンを敷き、最小限の照明で過ごすよう厳命されている。3年生たちはあかりの部屋に集まり、2年生は個々の部屋に閉じこもっている。1年生はそれぞれが思い思いの時間を過ごしていた。

 怜名は、春奈のいない居室で一人ロフトベッドに横たわり、身を案じる家族や地元の友人とメールで連絡を取り合っていた。しばらくやりとりが続いた後、着信のない時間がしばらく続いた。怜名は天井を見上げて大きくため息をついた。

「わたしたち…どうなっちゃうのかな」

 そうつぶやくと、部屋の扉をノックする音が聞こえた。怜名が扉を開けると、

「おつかれ…大丈夫?」

 1人で過ごしている怜名を案じて、愛と佑莉が部屋へとやってきた。


 春奈たちは、翼の家の台所で夕食の卓を囲みながら報道を眺めていた。いや、席に着くや否や、食べ盛りの春奈と秋穂は操が用意してくれたご馳走をテレビそっちのけでがっつき始めた。これまで多くの部員を招いてきた操も、2人の食欲に驚きを隠せない様子だ。

「あいー、しったげよぐ食うね!お鍋、熱いがら気どこつげるんだよー」

「はい、お母さんの料理、ホントに美味しいです…熱っつ!」

 猫舌の春奈は、がっつきすぎる余り舌をやけどしたようだ。翼が苦笑いで諭す。

「春奈ちゃん、そんな急いで食べなくても、おかわりいっぱいあるから平気だよ…えっ!?」

「お母さん、ご飯お代わりお願いします!」

 秋穂も春奈に負けじと、空になったご飯茶碗を操に差し出す。その様子を見ていた沙織が、淳子に少し心配そうな様子で訪ねる。

「あんなに食べちゃって、2人とも大丈夫かな?」

「今日は平気じゃない?っていうか、2人ともかなり飛ばしたから、今日のうちにある程度回復しておかないと明日以降大変…」

 そこまで言うと、淳子はハッとした表情をして絶句する。沙織は、その絶句の意味を瞬間的に悟った。淳子の表情をのぞき込むと、沙織も苦悶の表情を浮かべた。

「明日から…わたしたち…」

 テレビでは、夜9時のニュースが本城の件を伝えている。

『秋田学院の陸上部は来月行われる全国高校駅伝に男女とも出場を決めていますが、今回の事件を受けて学校側は出場の可否判断を全国高等学校体育連盟に委ねる旨を表明しました。来週行われる連盟の理事会の場で協議され、出場辞退の有無が決定するということです。それでは次のニュースです――』

 食事に夢中だった春奈と秋穂も箸を止め、茫然とテレビの画面を見つめている。


 「あんまり広めるなって言われてるけど、A班に入ってるゆりりんとれなっちにはとりあえず伝えておこうと思って…」

愛は、あかりから聞いたという事件の顛末について口を開いた。

「先生が事故起こしたのは、あの日…都大路の出場が決まった日」

「ってことは、悠来先輩が出てっちゃった時ってこと?」

「そう。あの時先生、悠来先輩のこと追っかけて出てったじゃん。あの時、車乗ってたんだって…」

 佑莉が、驚いた表情を浮かべて愛に聞く。

「あの時乾杯で…先生、ビール飲んではった…」

「うん。あのあとすぐ車に乗って、悠来先輩のこと探しに行ったって。で…しばらく車で走って、萌那香先輩に電話がかかってきたんだって。悠来先輩が東京に飛行機で戻ったって…でも、戻ってなんかなかった」

「…えっ、ちょっと待って!そういうこと?」

 何かに感づいたのか、思わず怜名が声を上げた。

「そういうこと。ちょっと走ったら、すぐに悠来先輩のこと見つけて、そのまま車に乗せたみたい。それで、近くのコンビニでビール買って、二人で飲んだ」

「…はぁ?2人で飲んだってどういうことなん?」

 佑莉がイライラした様子で、愛に聞く。愛も、険しい表情で吐き捨てるように言った。

「だから、ずっとそうだったんだよ。ずっと、2人で飲むような関係だったってことだよ」

 話を聞いていた怜名の顔がみるみる紅潮し、肩がわなわなと震え始める。

「なにそれ?…最悪。変態じゃん。ただの」

 怜名の言葉に、愛が深くうなずくと続ける。

「で、先生帰ってきたじゃん。めっちゃ夜遅く。もう、あの時に事故起こしてたんだって。衝突事故」

「えええぇ…?」

 佑莉と怜名が、呆れたような声を上げる。

「車同士でぶつかったってこと?」

「ううん、物損事故っていって、人ん家の駐車場か何かに突っ込んで、壁を壊したとかそういうのだったらしいけど。当然そこで警察呼ぶじゃん?で、飲酒運転で捕まったんだけど、それをしばらく学校に黙ってた、って」

 もう、怜奈も佑莉も口を開かない。哀れみにも似た表情で、ただうなずいている。

「物損事故だから、普通なら示談って話し合いで決めるらしいんだけど、あの先生バカ正直だから、練習が忙しいとかなんとかいって、連絡しないでいたら学校に直接連絡が入って事件が発覚した…って言ってた」

 発覚までの顛末を興奮気味に早口で説明し終えた愛は、大きくため息をついて吐き捨てた。

「バカみたい」

 佑莉も長い髪をほどくと、右手でかき上げてやはりため息をついた。

「ウチらが真面目に練習しとる時に、顧問が部員連れ込んでイチャコラしとったってことやろ?…付きおうてられへん」

 そう言って、子供がいやいやするように、大きく何度もかぶりを振った。怜名は、カーテンで覆われた窓を眺めてつぶやいた。

「春奈、秋穂…気落ちしてなければいいんだけど…」


「グガーッッ…」

「すう…」

秋穂が大きないびきをかいているすぐ横で、春奈もすでに眠りについている。2人は風呂に入った後、翼の兄の部屋を借りてしばらくは話し込んでいたようだが、春奈がまるで電源が切れたように眠り込んだのを見て、秋穂もすぐに眠りについてしまったようだ。

 そのすぐ隣の翼の部屋に翼、淳子、沙織が集まり、あかりとスピーカーフォンにして通話している。

「ごめんね淳子、疲れたでしょ…1年生の2人は?」

「さっき沙織が見にいってくれて、もう寝たみたいだよ。相当疲れてるね。それより…」

「…」

「どうなるんだろう、わたしたち…」

 そう言うと、淳子はガックリと肩を落とした。

「…淳子、さお、ばーさ…わたしたちは、とにかく平常心で日々を過ごそう。まだ、結論が出たわけじゃないし。わたしたちが揺らいだら、下級生も揺らいじゃうからさ。ただ…」

 スピーカーフォンの向こうから聞こえるあかりの声が、少しずつゆっくりになり、最後は消え入るように細くなった。

「どうしたの?…あかり」

「…」

「何かあるの?あかり。聞くよ?」

 沙織が呼びかけると、電話の向こうからさらに小さな声であかりがつぶやいた。

「…泣いていいかな…今夜だけ」

「いいよ…悔しいよね、あかり。わたしたちも同じだよ」

「ありがとう…ごめんね」

 そういって電話を切ったあかりの声は、すでに涙まじりだった。常夜灯だけがほの暗く灯る部屋で、あかりのすすり泣きが響いていた。


<To be continued.>

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