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#5 ターニング・ポイント

【前回のあらすじ】

一日にして注目の的となった春奈の元には、大挙してマスコミが押し寄せる事態となった。取材が続く春奈に、ある日来客が訪れる。春奈を訪れたのは、秋田学院高校陸上部監督の本城龍之介。突然の訪問に戸惑う春奈に、本城は一度秋田学院を見学しに来てほしいと提案し、豪快に笑うのだった。

 本城に出会った数日後、土曜日の朝。春奈は、母の琴美とふたりで秋田空港に降り立っていた。春奈たちは急遽本城に招かれて、秋田学院の校内や施設を見学することになったのだった。




 秋田へ向かう機内で、春奈は本城と初めて会った先日の会話を思い出していた。


 「何か...心配事が?」


 西端に促されると、春奈は言いにくそうに切り出した。


「...私立に行けるお金はうちにはないと思うんです。去年、お父さんが死んじゃったから、今はお母さんの仕事のお金しかないし…」


 父の浩太郎亡き後、フリーカメラマンの琴美の収入しかないことを春奈は憂慮していた。プロとはいえ、琴美の仕事は不安定だ。春奈の表情が曇ったのを本城は見逃さなかった。


「その心配はない」


 本城は手元の資料を開いてみせた。ページには「S級特待生」の文字が大きく書かれている。


「勉学以外にも、部活動や社会貢献などで顕著な活躍があった生徒は、S級特待生として授業料免除、活動費免除でぜひ来てほしい。幸い冴島さん、あなたは勉強の成績も非常に優秀だと聞いている。家族のご事情は心配しなくて大丈夫だよ」


 「えっ...!?」


 春奈は大きな目を見開いて、西端に大げさに驚くしぐさをしてみせた。




 秋田の市街地はまだ風が冷たい。関東で過ごすのとは少し勝手が違う。空港から、秋田学院の校地まではしばらく距離がある。琴美に促され、春奈はタクシーに乗り込んだ。駅から離れるにつれ空が開け、自然が徐々に増えてくる。普段生活している横浜の自宅周辺は比較的郊外とはいえ、家宅の密集している地域だ。大きく広がる青空に、春奈は生まれてから十余年を過ごしたデンバーの風景を思い出していた。


「いい場所ね」


 琴美がつぶやき、春奈もそれに頷いてみせた。


「着いた!学校...大きい!」


 秋田学院の敷地に到着した春奈は感嘆の声を上げた。田園地帯に立つ近代的な校舎は遠くからでもよく目立ち、校舎の先にあるグラウンドも想像していた以上に広いものだった。春奈たちを見つけた生徒たちがこんにちは、と明るい声で挨拶してくる。


 「...こんにちは!」


 春奈は、すれ違う生徒たちに頭を下げた。心が躍るのか、軽やかな足取りで校内を進んでいく。琴美は校舎の様子などを眺めながら、春奈の姿を見つめていた。




 春奈たちが校舎の受付で待っていると、先日のスーツ姿とうって変わって、臙脂色のジャージに身を包んだ本城が現れた。


「よく来たね、いらっしゃい」


 本城は白い歯をのぞかせて大きな声で笑うと、春奈についてくるように促した。大きな青空の下のトラックはもちろん、学校に隣接するスポーツセンターにはトレーニングの施設が充実している。テレビで見るような本格的な施設に、春奈は思わずため息をもらした。


「なんか…プロの施設みたいだね...」


 本城はニヤリと笑うと、校舎の奥の方を指さした。


 「高校の敷地の奥――陸上部の寮が、トラックに併設されている。一緒に見ていくかい?今は練習中だから人はいないが、雰囲気だけでも掴んでもらえるといい」


 「うわぁ...!」


 見るもの全てに、思わず驚嘆の声が挙がる。寮内もトレーニング施設だけではなく食堂、浴室、部員の居室と、豪華、の一言では表せないほどだ。春奈は、羨望の眼差しで本城を見上げた。本城は照れくさそうに鼻を擦ると、誇らしげに語った。


 「秋田学院にはさまざまな部活動があるが、陸上部は非常に学校からの期待も厚い。他の部活動に比べても施設は充実している。安心して日々の活動に臨めるんじゃないかな」




 本城との面談を終え、春奈と琴美は秋田学院を後にした。春奈は、手にしたパンフレットを興味深そうに眺めている。琴美は、そんな春奈のことを柔らかな笑みをたたえて見つめていた。


 先に口を開いたのは、琴美だった。


「立派な学校だけど、春奈、あんたはどうしたい?」


「どうしたいって…お母さんは…?」


「お母さんは、あんたの好きな道を選んだらいいと思ってる。アメリカに渡ったのはお父さんの仕事があったからだし、日本に帰ってきたのは、お父さん亡くなったのもあったけど最終的には私の都合。親の都合であんたには迷惑をかけてきた。これからあんたは高校生になるでしょ。自分がなりたい方向を目指せるのか。夢がかなうのか。じっくり考えて、あんたが出した答えならお母さん何も言わない。それに」


「それに…?」


「みんなが平等に同じ能力を持ってるわけじゃない。お母さんは写真を撮る力があった。だから、カメラマンを目指した。だれかに声をかけてもらえることなんてなかなかないこと。自分が走ることを目指してみたい、と少しでも思うなら、秋田に行くのもいいんじゃない?」


「でも、お母さんが...」


「ストップ!」


 春奈が何か言いかけたところを、琴美は遮って続けた。


「進路は誰かの願いを叶えるもんじゃないんだよ。自分の可能性を信じてみたいと思ったら、お母さんのこと気にしないでチャレンジしたらいいと思うよ」


「でも…そうしたら…」


 なおも食い下がる春奈を見て、琴美は意地悪な笑顔を浮かべてその顔を覗き込んだ。


「んー?…さてはあんた、お母さんと離れて暮らすのが寂しいな?」


「...、だってぇ...」


 そこから先は言葉が続かなかった。みるみるうちに鼻の頭が赤くなり、目から涙がこぼれだす。


「お母さんと会えないの、嫌だぁ...」


「春奈...」


 突然、時代のヒロインのような扱いとなった自分自身と、普通の中学生だった自分のギャップに戸惑いつつも、仕事で忙しい琴美には迷惑をかけまいと、思いを口にすることを避けていたのだった。

 春奈は必死に何か話そうとするが、ただただ嗚咽となってこぼれるだけの時間がしばし過ぎていった。




 <To be continued.>

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