#58 激闘!プライドの激突
その背中は、春奈の瞳にもしっかりと映っていた。
(史織さんだ!)
視界に史織を捉えたその瞬間、ふと吹きすさぶ冷たい風の感覚が消えた。沿道の歓声も気にならなくなり、まだ先にいる史織の背中だけがはっきりと見えている。史織との間にいる埼玉のランナーのことも気にならない。気付けば、その差はもう僅かだ。ぐいと足を踏み出すと、一気にスピードを上げて埼玉をかわした。
春奈は、1月の都大路での出来事を思い出していた。
史織から受け取ったたすきを手に、走り終えたらそのまま倒れ込んでもいいという気持ちだけが先走った。もはや正しいフォームも忘れ、髪を振り乱すように目の前のランナーを一人ひとり捉えては抜いていった。そして、10数人を抜いたであろう頃に、レースの記憶が真っ白な光に包まれて消えていった。
そこから先は、次に病院のベッドで目覚めるまでの記憶が定かでない。あの時と、状況はひどく似ていた。雪こそ降っていないが、雨混じりの冷たい風が容赦なく吹き付ける。タスキを受け取った時点で、チームはいずれも大きなビハインドを負っていた。無我夢中で飛び出した春奈に、自然は容赦なく襲い掛かった。だが、今日は違う。あの時の失敗の悔しさを刻んで、心身両面のトレーニング、そしてレース前の綿密な準備を一つ一つのレースで心掛けてきた。それは、時に周囲に「心配し過ぎ」と笑われるほどに。だが、その一つ一つの準備こそが、レースに臨む不安定な気持ちを落ち着けてくれるのだということも学んだ。
史織の姿が、もうずいぶんと大きくなってきた。前回同じチームのメンバーとして戦った史織と、同じレースを走るのは初めてのことだ。タスキを凛花から受け取る直前、史織からかけられた言葉を春奈は思い出していた。
(いよいよだね。並んで走るのは難しそうだけど、同じ区間同じ条件で走るから、どのぐらいの記録になるか楽しみにしてる)
あれだけの大差があり、悪天候の中だ。まさか、史織は春奈が自分を捉えるほどの距離まで近づいてくるという想定はなかっただろう。それは、あの時点では春奈も同じだった。だが、実際に史織の背中はもう射程圏内といってよい距離まで迫っていた。
実況が、興奮した様子で叫ぶ。
『秋田の冴島ですが、5位の神奈川・佐野史織との差はもう10秒もありません!この佐野と冴島ですが、今年1月の都道府県対抗女子駅伝では同じ神奈川チームの一員として走りました。その時、佐野は見事2区の区間賞をマークしましたが、当時中学3年生だった冴島は低体温症に見舞われまして、期待通りの成績を残せない悔しいレースとなりました。レース前、冴島はあの時を振り返ってこう言っておりました。期待をされて舞い上がって、結果としてチームの皆さんに迷惑をかけた。本当に悔しかった。そう当時を振り返った冴島ですが、今日はあの時のキャプテン佐野に恩返しがしたいとも申しておりました。そしてそしてどうでしょう!その言葉通り、もう佐野との間は5秒まで縮まっています!なかなかスピードの上がらない佐野の後方から、秋田の冴島春奈が猛然と追い上げています!』
後方からの気配を感じたのか史織が振り返ると、秋田の赤と青のユニフォーム――それを身に纏った春奈の姿があった。その大きな瞳を見開くと、史織は再び前方を向き直りスピードを上げようと試みた。だが、前方からの強い風に押されてなかなかスピードが上がらない。
猛然と追い上げてきた春奈の目にも、史織の驚いた表情が目に入った。それは、まるで史織が余裕を失ったかのように春奈には見えた。いや、実際に余裕を失っているだろう。長丁場を悠然と走り切り、笑顔でタスキリレーを行った人のそれではない。自分自身が思うようにスピードを上げきれない歯がゆさと、気が付けば背後に春奈が迫っていたことの驚きが同居しているように見えた。
ふいに、春奈の口元に笑みがこぼれる。
(史織さん…来ましたよ!)
佑莉の目の前に立っていたのは、校長の岩瀬、教頭の宇田川と生徒指導の立川の3人だった。数百名程度の公立高校ならともなく、数千人規模のマンモス私立校だ。普段、校長を間近で見ることのない佑莉は少し緊張した様子で頭を下げた。
「梁川先輩…ですか?」
「ああ、あと男子部の阿波野くんもな。ちょっと、部員全体に急ぎの話がある。寮生を全員食堂に集めるように伝えてもらえるかな」
岩瀬の表情に笑みはない。その表情で緊急性を悟ったのか、佑莉は頭を下げると、慌てて談話室へと向かっていった。岩瀬たちは、お互いうなずき合うと寮の中へと入ってゆく。佑莉から知らせを受けたあかりは、サッと表情を曇らせた。
「校長先生が…?」
春奈は、横に並ぶと史織の顔を覗き込んだ。いつか見た余裕のある表情ではなく、呼吸は大きく乱れ、口元が歪んでいる。それを見た春奈は視線を前に戻すと、一気に史織を抜くべくペースを再び上げた。すると、史織も春奈の真横にぴったりと付いて離れようとしない。とっくにペースは限界のはずだ。史織が絞り出すようにつぶやいた。
「さすがだね…ハアッ、でも、あっけなく後ろに下がると思わないでね…ハアッ」
「史織さん…」
その言葉に、握りしめた拳に力がこもる。どこにスタミナが残っているというのだろうか。とっくに苦しいペースに陥っているというのに、春奈が横についてから、史織は必死に食らいついてくる。まるで、春奈を待っていたと言わんばかりだ。春奈とて、楽なペースではない。ここまで、昨年の区間賞と同じ設定タイムを上回るペースで進んできた。まだ、距離は3キロ近く残っている。公式な大会では未経験の距離でもある。史織との対決に心が躍る一方で、さすがに自らの体力も気にかかる。
(そんなに長くは並走していられない…)
覚悟を決めたのか、春奈は一度史織をちらとみるとすぐに視線を戻し、スピードを上げた。すると、実況が戦況を見つめながらさらに大きな声で叫んだ。
『冴島、並走していた佐野を突き放しにかかります!その差が数メートルに開き始めます。すでに体力はいっぱいいっぱいの佐野、冴島との差がさらに開き…おっ!? おっ!? あっと!? …開きません!差は開きません!佐野の目は死んでいません!今スピードを上げた冴島にこれでもかと追いすがります!冴島は逃げますが、その差は再び縮まり並走の体勢となりました!秋田の冴島と神奈川の佐野は再び並走しています!その差はありません!横一列で走っています!』
横に並んだ史織の気配を感じ、春奈は慌てて首を横に向けた。史織もまた、春奈のことを見ている。眼光はきわめて鋭く、普段穏やかな史織からは想像もつかないような殺気に包まれている。その表情に、思わず春奈は史織との間を取った。
(史織さん…!?)
一瞬うろたえた春奈に気付いたのか、遅れるどころか史織は再び前に出る。奥歯にぎりぎりと力を込め、こめかみには血筋が浮かんでいる。顔は並走していてもわかるぐらい紅潮し、眉間に皺を寄せている。少し前の苦しそうな表情はどこへ行ったのか、まるで先程とは別人が自分の隣を並走しているようにすら思えた。
春奈は悟った。史織の闘争心に火をつけてしまったということを――。
「春奈…!」
画面を覗き込んでいた淳子が思わず声を漏らす。秋穂も、並走する史織の変化を感じ取り、絞り出すように口を開いた。
「佐野さん…春奈が来ると分かっとったんか…」
「佐野さんの10キロなんて慣れたもの…むしろ、これ以上佐野さんがこれ以上ペースを上げるようだと春奈はつらい…」
そういうと、淳子はビニール傘をよけて手を前に差し出した。先程よりも、雨足が徐々に強くなっている。春奈が気象条件の変化に弱いというのは、もはや周知の事実だ。淳子は、秋穂と顔を見合わせると眉をひそめた。
「春奈…!あと1.5だよ…なんとか粘って…!」
史織から目線を切ったその一瞬、春奈は思考を巡らせた。残り距離は縮まっているとはいえ、未体験の距離に自分でもオーバーペースということは自覚している。それに加えて、気象条件はすこぶる悪い。
(わからない…!これ以上ペースを上げたら…都大路のように…!)
都大路でのわずかな記憶が、悪夢のようにこみ上げる。どれだけ心身ともに鍛錬を重ねてきたとはいえ、土壇場のこういう時にそれは弱気の虫となって現れる。だが、答えは2つに1つだ。史織を追うか、自分のペースを守るか――。
再び史織を見やると、目が合った。
今度は史織が春奈の方を向いて、食いしばったままの口角をクイッと上げた。その不敵な笑みのまま前方に向き直ると、再びじりじりと距離を離し始めた。
首位争いを伝えていた実況が、再び史織と春奈の争いを伝え始める。
『7.5キロ地点での計測ですと、区間順位トップは千葉の酒井咲穂ですが、なんとそれに次ぐ2位に現在神奈川と5位を走る秋田の冴島春奈がつけています!酒井との差はわずかに5秒。冴島の次に現在2位を走る東京・井田が10秒差で続いている状況ですが…、解説の花屋さん。冴島春奈がとんでもないペースで進んでいます。いかがでしょう?』
解説の花屋が、恐れ入ったという表情で語る。
『いかがでしょうといいますか、いやはやとんでもない高校生じゃないですかね。かなり今はハイペースですが、序盤からペースを守ってここまで来ていますから、残りの区間に力を溜めていてもおかしくないでしょうね。素晴らしい走りだと思います』
実況は、一拍おいて再び春奈の様子を伝え始める。
『その冴島、まもなく残り1キロとなっても神奈川の佐野との並走が続いています。先程佐野が一度仕掛けましたが、冴島もそれにピッタリとついて離れずすでに2キロ以上競り合っているという状態です。5位の佐野ですが、直前にこんなことを言っておりました。9区で一番怖いのは冴島さんです。まだまだ粗削りなところはあるけれど、走るのを見るたびにレベルが一つ一つ上がっていっているのをヒシヒシと感じています。今日も、もし並走するようなことがあればどういう勝負になるかわからない。全力で迎え撃ちます――そう話しております。…さぁ、そして先頭はそろそろ信夫が丘陸上競技場へと戻ってくる頃でしょうか?』
競技場で春奈を待つ淳子たちの目にまず飛び込んできたのは宮城だった。高校生の平均走力が高く、大学・実業団も実力者揃いの宮城は、終始危なげないレース展開で2位以降を大きく引き離し、トップでゴールを飾った。
秋穂は、手元の携帯電話を気にしながらも、続くランナーが競技場内へ入ってくるのをじっと待ち構えていた。すると、入口の観衆から大きな歓声が上がり始める。
「…あっ!」
2位で競技場に入ってきたのは天の姿だったが、すぐその後ろからもう一人ランナーが迫ってくる。苦しい表情の天と対比するように、満面の笑みを浮かべながら軽い足取りで場内へと進んできたのは咲穂だった。3分の1ほどの差があるが、スピードでいえばもはや咲穂の方が圧倒的に有利だ。咲穂は、あっさりと天に追いつくと、振り向きもせずに抜き去っていった。残るは正面の直線だけだ。
「速い…!」
淳子が思わず声を漏らした。天もようやくゴールし、ここまで宮城、千葉、東京の順にフィニッシュを迎えている。淳子は秋穂に視線を戻すと訊ねた。
「春奈たちは?」
「…今、場内を映してるのでわからないですが、そろそろ群馬が…えっ!?」
中継は競技場すぐ手前の様子に切り替わると、その様子を見て秋穂が思わず大きな声をあげた。
『さぁ、4位の群馬もそろそろこの信夫が丘陸上競技場に戻ってこようという所ですが、その後ろすぐに神奈川と秋田が迫っています!先程からの強烈な順位争いはまだ終わっていません!それどころか前をいく群馬をもう捉えようという所です!最後のカーブを曲がり、ここで佐野と冴島が群馬を捉えて…一気に抜き去りました!おそらくこのままのペースで行きますと、4位は神奈川か秋田のどちらかということになりそうです。決着はとうとう競技場までもつれ込んだということになります!』
寮の談話室は、物々しい雰囲気に包まれた。男女合わせて100人近い部員が談話室に集められ、全員が起立した状態でいる。男子部キャプテンの阿波野太希とあかりが、男女それぞれの点呼を取ると生徒指導の立川へ人数を伝える。立川の合図で部員たちが腰を下ろすと、校長の岩瀬が生徒たちの前へと立った。
岩瀬は、厳しい表情を崩さない。生徒たちを眺めまわすと、重い口を開いた。
「陸上部の皆さん、いつも練習ご苦労様。今日は2点、君たちに大事な話をしなくてはならない。…しなくてよいのならこんな話はしたくないが…私がここにいるのは、この話をどうしても今伝える必要があるということだ」
グッドニュースでないことは、岩瀬の表情と声色から誰もが悟っていた。私語を交わす部員もなく、談話室は空調の音だけが響いている。
列の後方から岩瀬の話を聞いている怜名は、緊張からか胸に締め付けられるような痛みを覚え、両手でぐっと心臓のあたりを押さえている。愛は、一点を見つめてごくりと唾を飲み込んだ。
太希と並んで立っているあかりは、岩瀬の話を直立不動で聞いている。岩瀬がしばらく黙ると、あかりは首の後ろを掻く仕草をして顔を歪めた。
(一体…何があったっていうの…!?)
最初のカーブに差し掛かる時、コースの内側を取ろうとして史織と春奈がもつれ合うようになった。思わず、競技場の客席からどよめきが起こる。春奈も、もはや限界寸前といった表情を浮かべている。カーブに入ってからも、内側へ入ろうとする春奈を史織が手で制し、それまではアンカーを拍手で迎えていた観客たちも固唾をのんで推移を見守っている状況だ。
淳子と秋穂の目前を、春奈たちがすさまじいスピードで通り過ぎる。
「春奈!春奈!あと1周だよ!ファイト!」
「春奈、負けるな!あと少しだけん、頑張れ!」
会場に、テレビ中継の音が響き渡る。
『かつてこの東日本女子駅伝で、これほどまでにすさまじい順位争いがあったでしょうか?少なくとも私にはその記憶がございません。それだけ激しい、途轍もなく激しい順位争いだと申し上げておきましょう!先程は佐野がアドレナリン全開というような表情を浮かべておりましたが、今見ますと冴島も非常に闘志にあふれた表情をしているといえましょう。4位を争う神奈川の佐野史織と秋田の冴島春奈、双方譲らず最後のコーナーへと突き進んでいきます!』
2人とも、ラストスパートをかけるだけの体力はないように見えた。というよりも、どらちかが先行しようとすればすぐに一方が追いすがるという光景が幾度となく繰り返され、それでも決着がつかずに3キロ以上並走を続けてきたのだ。それは、この最後の最後でも同じように思われた。
最終コーナーを出るわずかに前で、史織が最後のスパートに入った。すかさず、春奈もそれに追随する。ゴールラインの直後に陣取った淳子は、両手を組んで祈るような形で2人のスパートを見つめている。
秋穂が、腹の底からの大きな声で春奈に叫んだ。
「春奈ぁー!!ラスト!ラスト!」
『さぁ、最後の直線はまるで短距離走のようなスピードで2人がゴールラインへと迫ってきます!佐野が先行したが冴島が追いついた!並んだ!並んで冴島が半身前に出る!冴島が前に出る!前に出た!残りはあと10メートル!冴島が一歩リード!一歩リードでそのまま逃げ切るか?逃げ切る!逃げ切りました!4位でゴールしたのは秋田の高校一年生冴島春奈、続いて神奈川の佐野史織が5位でゴール!差はわずかに体半分!一秒も差のない状態だと申し上げておきましょう!4位争いを制したのは秋田です!冴島春奈が逃げ切りました!』
ゴールラインを超えて、2人はほぼ同時に倒れ込んだ。春奈も史織も、起き上がることすら難しいほどの激しい争いだった。両チームのメンバーたちが2人それぞれに駆け寄る。
「春奈!」
淳子と秋穂が慌てて春奈に駆け寄る。意識はあるが、息があがってしまって会話にならない。ぐったりと、荒い息の収まらぬまま淳子たちに運ばれていった。史織はなんとか立ち上がったものの、やはりぐったりと崩れ落ち、神奈川チームのメンバーの肩を借りて引き上げていった。
「ハアッ、ハアッ、ハアッ、ハアッ…ゲホッゲホッ…ハアッ、ハアッ…」
春奈は差し出された水を飲もうと口に含むも、せき込んですべて吐き出してしまった。
「大丈夫!?少しずつでもいいから、ゆっくり飲みなよ」
今まで見たことのない様子に、淳子も心配そうに付き添っている。そこへ、先にゴールしている天が近づいてきた。
「冴島さん!…だ、大丈夫ですか?」
驚いた様子の天に、淳子は首を横に振ってみせた。
「さすがにあのペースだったから…結構無理したと思う。普段でもここまで倒れ込むことないし」
「ですよね…酒井さんと競って区間賞ですし、そりゃあ疲れますよね…」
「区間賞!?」
天が発したその言葉に、まず淳子が驚き、
「区間賞!?」
間髪入れずに秋穂が大きな声をあげ、
「くっ区間賞!?」
秋穂たちの背後から、春奈がガバッと起き上がってさらに大きな驚きの声をあげた。
「春奈!?」
「ハアッ、ハアッ、区間賞って、ホントですか、ハアッ…天さん」
「ホントホント!いま、本部寄って集計見てきたところ。2位が3秒差で酒井さん、その次に15秒差で佐野さん。わたしは…後半タレちゃって全然…冴島さん、すごいよ。おめでとう!」
天から褒められて、ようやく表情に笑顔が戻った。呼吸が落ち着いたのか、スポーツドリンクを美味しそうに2口、3口と飲む。すると、春奈はスッと立ち上がって誰かを探すような仕草を見せた。
「ん?誰探してるの?」
「史織さんを…さっき、ゴールで一緒に倒れ込んだきりなので」
そういうと、春奈は手元のスポーツドリンクを2本持って、神奈川チームのテントを探しはじめた。
「史織さん!」
史織は、神奈川チームのテントでマッサージを受けていた。先程の怖いほどの鋭利な表情は消え、春奈がよく知っている柔和で落ち着いた顔に戻っていた。琴音に連れられてきた春奈が声を掛けると、マッサージを止めるように伝えてスッとその場に立った。次の瞬間、
ガバッ!
史織はすぐに春奈に近づくと、満面の笑みで春奈を抱きしめた。
「わっ、わっ、し、史織さん!」
「ホントすごかったよー、春奈ちゃん!区間賞おめでとう!」
史織は、春奈の頭を撫でるとやはり笑顔でたたえた。最初は驚いた表情を浮かべた春奈も、史織に抱きしめられ、頭を撫でられえるうちにみるみる目が潤み、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「史織さ…ん…うわあああああん…ありがとうございます…うわあああああ…」
「ちょ、ちょっ、どうしたの、春奈ちゃん!?」
「冴島ちゃん、大丈夫!?」
慌てて琴音や、春奈を知る美乃梨たちも駆け寄ってくる。春奈は、大きな声で泣きながら答えた。
「だって…史織さんが褒めてくれるなんて…うれしくて…うわあああん…」
「そうかそうか…!ホントよく頑張ったね…冴島ちゃ…グスッ」
思わず傍らの美乃梨たちも、もらい泣きして目頭を押さえている。春奈は続けた。
「都大路、あんな形ですごく皆さんにご迷惑かけたから…今年は絶対に恩返ししようと思って…ああああぁ」
喋れば喋るほど涙がとめどなくこぼれる。春奈を囲む皆が涙を流している。すると、春奈はまだ何か言いたそうに史織の顔を見つめた。
「どうしたの?」
春奈は一瞬これ以上泣くのを我慢しているように見えたが、史織が聞くと我慢できずに顔をくしゃくしゃにして再び大声で泣き始めた。
「あと…グスッ…走ってるとき…史織さん…怖かったあ…ああああああぁ!」
その言葉に、思わず周囲のメンバーが噴き出す。史織も驚いた様子で聞き返した。
「えっ!?わたし!?怖かった!?ホントに?えっ?えっ?」
春奈は号泣しながら、首を2、3回縦にブンブンと振って答える。もう、顔は涙と鼻水でベショベショだ。子供のような泣き方に、思わず美乃梨たちが慰めにかかる。
「あぁーよしよし、史織さん怖かったよね、冴島ちゃん、よしよし…」
「ちょっと美乃梨!わたしそんな怖くないって!ね、春奈ちゃん?」
史織は名誉挽回しようと春奈に聞くが、春奈は大きく首を横に振った。史織は崩れ落ち、周囲のメンバーはその様子に腹を抱えて笑い始めた。
「冴島ちゃん、わかったわかった、史織さんにいっぱい慰めてもらいな?よしよしよし…」
涙をぬぐう春奈を、神奈川チームの面々がやさしい笑顔で取り囲んでいた。
岩瀬は数十秒沈黙していたが、意を決したように腰かけていたソファーから体を起こして立ち上がった。そして、感情を込めることなく、手元に持った紙を読み上げ始めた。
「それでは…本校の当該教員について、本日の理事会において以下処分を下すことに決定したのでここに通達します。
本校英語科教員および、陸上競技部総監督…本城龍之介。上記の者を、本日付けで懲戒解雇処分とする」
<To be continued.>




