#57 猛追
『冴島ですが、入りの1キロを3分10(とお)秒というペースで通過しまして、目標タイムをわずかに上回るタイムで進んでおります。第8中継所の通過タイムでいいますと先頭の宮城から4分15秒ですが、すでに先行していた山形と福島を抜いて8位に浮上しました!ここからおよそ150メートルほどのところに、先ほどまで秋田が位置していた5位集団がおりますが――、その5位集団にも何やら動きがあったようです』
5位集団を茨城、埼玉と形成していた神奈川の史織と、千葉の酒井咲穂がグッと飛び出し、あっという間に差を開けていく。というよりは、中継所でのリレー以降、咲穂がスピードを緩めることなく集団を先導し、そのスピードについていっているのが史織だけだった、というのが正しい。咲穂は日本インカレ5000メートルのチャンピオンで、学生駅伝でも高い注目を集めているランナーだ。並走する史織は咲穂の表情をチラと見やり、眉間にしわを寄せた。
(この子、余裕だな…)
一瞬止んでいた風がまた吹き始めたのを感じると、史織はすぐに咲穂の背後に回った。その時、急に咲穂が後ろを振り向いたかと思うと、史織に満面の笑みを向けて言い放った。
「風除けですか?ごめんなさい、使われる気はないのでー」
そう一言いい残すと、咲穂はグッとスピードを上げた。
(…しまった!)
史織は見透かされたという表情を浮かべたが、もう遅い。咲穂はすでに5メートル、10メートルと進んでいく。この序盤からのスピード勝負は史織にとって明らかに分が悪い。後方の茨城、埼玉に追ってくる様子はない。
一人旅を強いられた史織は首を大きく2度振り、額に上げていたサングラスを再びかけた。
その頃秋田学院の寮では、女子部員たちが談話室のモニターに群がっていた。怜名は、現地の速報とテレビの実況を交互に見やりながら心配そうな表情を浮かべている。
「あぁ、春奈、史織さん、それから悠来先輩のお姉さん、ええっと…」
「ま、マキレナちゃん、落ち着いて、まだ9区終わってへんから…!」
見知っているメンバーの出場の多い怜名は誰を注視すべきかわからなくなり、混乱し始めてしまったようだ。慌てて、佑莉が助け舟を出す。
「はぁ、ゆりりん、ありがと…ところでゆりりんの知ってる人って誰か出てるの?」
「さっき、東京で走っとった人もそうやし、地元の先輩が結構出とるよ?関西行く人が多いけど、関東とかウチみたいに東北の方に来る人もおるし、見とるとみんないろんなチームから出とっておもろいよねぇ」
中学から実業団の選手までが一堂に会するこの駅伝は、地元の先輩・後輩や、友人たちの活躍を見届ける場でもあるようだ。
「ちょっと、ウチ、トイレ行ってくるなぁ」
佑莉は席を立って、女子棟のほうへ向かおうとした。そこへ、スーツを着た教員と思しき姿が数名、玄関に立っているのが見えた。
佑莉は、ドアを開けにいくと一瞬ハッとした表情を見せた。
「ご苦労様、キャプテンの梁川さんはいるかな」
「あっ…」
春奈は、3キロを9分30秒で通過した。区間首位の咲穂が9分28秒でおなじく3キロを通過しているので、この二人が順位を徐々に上げているということになる。信夫が丘競技場に待機するアナウンサーが、春奈に関する情報を伝え始める。
『冴島のお母さんでありますフリーカメラマンの冴島琴美さんは、この3月に神奈川県横浜市で初の個展を開催することが決まったということで、その話を冴島本人に伝えたところ冴島が涙を流してよかったね、と大喜びしてくれたとこれまた喜び一杯の様子で教えてくれました。この個展では、娘である冴島本人をモデルにした写真も発表するということで、陸上ファンにとっても注目の写真展になりそうですね』
怜名は、琴美が入学式の日に撮影してくれた春奈との写真を大事に取ってある。桜の舞い散る中で二人が笑顔で映っているこの写真は、琴美の計らいでパネル版が怜名の実家へと贈られ、両親の営む鮮魚店では自慢の娘と日本陸上界注目の選手とのツーショットとしてちょっとした名物にもなっているという。
怜名は、入学式のことを思い出しつつ、再び視線をテレビに戻した。
『そろそろ冴島が5キロを通過します。5キロを通過…しました。5キロの通過タイムは15分47秒ということで、先ほどからキロ3分10秒ペースをほぼ忠実に守りながら、ヒタヒタと追い上げていることになります。前方には埼玉がおり、先ほどまではそのすぐ横を千葉が走っていましたが、この9区に入り千葉の酒井咲穂が猛チャージで先頭の宮城、つづく東京を追いかけています…あっ!バイクに切り替えます』
実況が、バイク中継中のアナウンサーに代わる。
『埼玉に続く6位を走行中の秋田・冴島春奈ですが、なんとこの埼玉の前方およそ50メートルほどでしょうか?神奈川の姿が見えるようになりました!神奈川のアンカーはキャプテンの佐野史織ですが、もうおそらく冴島の目にも佐野の背中が見えていることでしょう!秋田の冴島春奈、前方の4位神奈川もとらえようかという勢いで進んでいます!』
<To be continued.>




