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#50 青天の霹靂

【前回のあらすじ】

あかりは春奈に「悠来に嫌われたくなかった」と言いうなだれるが、それを見た春奈はあかりを励ます。その頃、会場に残った部員たちが怜名の噂をし始め、その様子を目にした菜緒は怒り心頭。そして、悠来を探していた萌那香たちに本城からの電話が入るが、それは悠来が東京へ帰ったと伝えるものだった。

 本城は、そこからしばらくしてから落胆を隠そうともせずに戻ってきた。

「…遅くなった」

 寮の玄関で待っていたあかりたちにそれだけ言うと、足早に寮長室へと消えていった。

「あの、悠来は…」

 バタン、という扉が閉まる音が聞こえて静寂がその場に広がる。あかりの声は本城には届かずに、寮の玄関ホールにあかりたちは立ち尽くしていた。

「悠来…」

 あかりが呟いたその声が、むなしく響いた。


 翌朝の全体練習は中止となり、部員たちは多目的ホールへと集められた。一睡もしていないのか、本城は昨日のままの服装で現れた。疲れを隠そうともせずに、本城は切り出した。


「昨日の話だが…井田はしばらく学校自体を休むことになった。親御さんから直接俺に連絡があり、しばらくそうしたい…ということだった。今のところ、時期は未定。そして、この話があったからするわけではないが…来年度に向けての部の体制自体も決めていかなくてはならない時期だ」

 本城がそう切り出すと、2、3年生の部員たちが一斉に顔を見合わせた。本城は咳払いをすると話をつづけた。

「ゴホン…!例年ならば全国高校駅伝が終わって、3年生部員の引退式を終えてから始めることだ。だが、今までの出来事を踏まえて、来年度に向けてはチームを根本的に変えていかなくてはならない、そう判断した」


 そういうと本城は、汚い字でホワイトボードに殴り書きを始めた。

「まず…、女子部にも、専属のコーチを配置することにする」

 その発表に、部員たちからは驚きの声が漏れた。これまで、秋田学院陸上部は総監督の本城が女子部の指導も兼任し、男子部は本城の後輩にあたる米澤就道よねざわなりみちという教員が指導を行っていた。ところが、米澤は指導にあたる一方、中学生のスカウティングなど本来本城が担っていた領域にも従事するようになり、本城も自然と男子部への指導のウェイトが高くなりつつあった。特に、怪我をして以降、生徒であるはずのあかりや萌那香が部員たちの指導を行う場面がみられるなど、「本城不在」の影響が出始めていたのだ。


 本城は、部員たちを見回すと一つため息をついてつづけた。

「本来であれば総監督である俺は男子、女子の境なく、万遍なくチームを見渡してそれぞれの目標に導くのが役割すなわちミッションだ…ところが、それぞれにやるべきこと、なすべきことが増えた結果ではあるが、現状の体制――男子部だけにコーチを配置する体制では不十分だと判断した。色々、今までの体制等、特に2、3年生は言いたいことはあるだろうが、チームがより前へ進んでいくためにこれから動き出そうと決めたことだ。…これまで不便を感じていた部分については、申し訳なかったといわせてほしい」


 そういって、本城が静かに頭を下げた。部員たちは、静かに本城を見つめている。本城はしばらく頭を下げたままだったが、しばらくあって顔を上げた。

「そして、これはおまえたちに直接関係する話だが…話は2点ある。来年度の学年キャプテンの選出を行わないといけない」


 本城は2年キャプテンの一美、1年キャプテンの愛の顔を見渡した。一美は本城を鋭く見つめているが、愛は本城と目があうとすぐに顔を背けた。

「濱崎たちは昨年の流れがあるからわかっていると思うが、1年生は上級生と俺の話し合いで瀧原に決めた経緯があるから、今回のやり方を説明する。方法は簡単だ。学年全員の話し合いで決めてもらう」


 1年生たちに緊張が走った。春奈は、横目でちらと愛を見た。愛はまだ顔を下に向けている。

「選考の基準はそれぞれだ。これまでも、同じやり方でやってきた。ある学年はタイムで決め、ある学年はリーダーシップで決めた。そこは、一切口を出さない。それぞれの学年が出した答えによって決めてほしい。期限は1週間後。瀧原から俺に報告してほしい」

 愛は、顔を少しだけ上げて無言でうなずいた。

「そしてもう1点だが…、マネージャーを増員しようと考えている」

 本城の言葉に、何名かの部員たちの表情がサッと変わった。


「通学生からも、通常の練習補助や用具手配などで毎年何人かずつ補助マネージャーは入部しているが、今回は卒業する進藤の後任の話だ。皆も知っての通り、進藤はこれまでとても広い範囲の仕事をこなしてくれた。井田の件に関わらず、すぐに誰かひとりで代わりが務まるものではない…」

 そういって本城は萌那香を見やった。萌那香は、恥ずかしそうに首をかしげた。

「マネージャーは、誰でも務まるものではない。すなわち、マネージャーとして、チームにどう貢献するかを自分で考えて動ける者でないと成立しない。ゆえに、マネージャーについては立候補制で決めたいと思う」

 本城は、再び部員の顔を見回した。


「次の1年生からは、マネージャーとして入部するメンバーも採用することになる。そういう意味でも、これまでの伝統を体得して、下の学年に背中を見せることのできるマネージャーが必要なんだ。こちらも、期限は1週間。希望者は、俺のところまで立候補してきてほしい」


 朝のミーティングは当初の予定を大幅に超え、部員たちは慌ただしく朝の準備を終え、それぞれの教室へと向かっていった。もう、数分で朝のホームルームが始まろうとしている。

「…長かったね、ミーティング」

 春奈は1年D組の自分の座席に座ると、すぐ後ろの怜名に話しかけた。

「うん…」

 怜名は、廊下をジャージー姿で移動する隣のC組の生徒たちを眺めていた。

「まなちは、どうするのかな」

「え?」

 怜名の言葉を、春奈は思わず聞き返した。

「まなち、2年生も学年キャプテンやるのかなって」

「やると思うよ、…なんとなくだけど」

 春奈は、以前に高校駅伝のエントリーメンバーを決めた時の愛の言葉を思い出していた。

(だとしたら、おいも負げていられなあね)

 怜名の姿をみて触発されていた愛のことだ。自分からキャプテンを降りるようなことはしないだろう、となんとなく春奈は感じていた。と、その時、


「あっ、まなちだ」

 廊下側の扉から、愛が顔を出して春奈たちの方を見ている。左手に持った携帯電話を指さして、何かを伝えているようだ。

(メール、見ればいいの?)

 同じく春奈がジェスチャーで示すと、愛は首を2回縦に振った。メールを開くと、愛から1年生部員全体への連絡だった。

『1年生部員へ。今日の夕食後、わたしと明日香の部屋まで集合してください。学年キャプテンの件で相談があります』

 春奈は、怜名と顔を見合わせてうなずいた。


「じゃあ、次の英文を日本語に訳してもらおう。『His English is improving.』そしたら…、冴島」

「ええっ先生、冴島指してもできるの当たり前じゃないっすか!」

 琥太郎が思わず不服の声を上げた。春奈や怜名、琥太郎にとって本城は部の顧問でもあるが、担任でありかつ英語の担当教員でもある。1日の半分以上を本城と過ごしているといっても大げさではない。琥太郎の声を聞いて本城が答える。

「まあまあ、ここはきちんと英語ができる者にしっかりと訳してもらおうと思ってな…っておい、冴島?」

 指された春奈は、窓の外をボーッと眺めている。本城は困った様子でもう一度呼びかけた。

「冴島…聞いてるか」

 あわてて後ろの怜名がシャープペンで春奈の背中をツンツンと触ると、ようやく我に返ったのか、バタバタとしながら本城のほうへ向き直った。

「あっ、はい、えーと、えー…なんですか?」

 クラスに笑いが起きる。本城は大げさに崩れるポーズをとると、呆れた様子で春奈に話しかけた。

「何も聞いてなかったのか、お前。宿題のプリント追加な」

「えええええ!?」

 慌てる春奈の様子が笑いを誘う中、怜名は春奈の背中をじっと眺めていた。

(…春奈?)


 夕食を終えた夜7時すぎ、1年生部員は愛と明日香の部屋へと集まっていた。

「あー、これ暑いね、ごめんね」

 愛が苦笑いした。とはいえ、窓を開け放てるほどの気温でもない。蒸し蒸しとした部屋に、10数人の部員が固まるようにして集っている。眼鏡を着用している佑莉は、目の前が熱気で曇ってしまってよく見えない。全員集まったのを見計らって愛が切り出した。

「みんなに集まってもらったのは、今朝送ったメールのこともあるんだけど…、その前にひとつ、友紀からみんなに話があります」


 愛がそう言い終わる前に、友紀はすっと立ち上がって話し始めた。

「わたし、秋田学院を辞めることにしました」

『ええっ!』

 他の部員たちが声をあげるのをよそに、友紀は淡々と続ける。


「4月から寮に入って陸上をやってきたけど、この先やりたいことが他にもあって。こんな気持ちでつづけても仕方がないので、地元に戻って勉強はじめることにしました。短い間でしたけど、ありがとうございました。じゃあ、片付けがあるのでこれで終わります」

 一切の余白を挟まず、原稿を読み上げるかのように淡々と語った友紀は、話が終わるとずり下がった眼鏡を直し、そのまま出口のほうへ向かっていった。

「待って、ねえちょっと、友紀ちゃ…!」

 春奈が友紀を追おうとすると、友紀と同部屋のみるほが春奈の腕をつかんだ。みるほは首を横に数回振ると、悲しげな表情をして続けた。

「友紀ちゃん、もうずっと何か月も辞めたい辞めたいって言ってたんだ」

「ええっ…」

「もともと、通ってた中学が推薦枠のために無理やりに話を決めたみたいで、最初の頃からそこまで身が入ってなかったというか、あんまりみんなとも話をする感じでもなかったし…先週、お父さんお母さんが秋田に来て、話し合いしてたんだって」

「そうだったんだ…」

「地元の高校に転校して、ゲームクリエイターを目指すために勉強するって言ってた…」


 春奈は、友紀が去っていった扉の方を無言で見つめた。愛が再び話しはじめる。

「ごめんね、友紀の話があったばっかで、こんな話するのも悪いけど…」

 そういうと、覚悟を決めたのか、愛はごくりと喉を鳴らして唾を飲み込んで口を開いた。

「来年の学年キャプテンは、あたしじゃなくて誰かほかの人にお願いしようと思ってる」


 部屋の空気が、一瞬ピーンと張り詰めたような感覚をその場の誰もが覚えた。


<To be continued.>

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