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#47 ダサい

【前回のあらすじ】

佑莉から教えてもらったというスタートダッシュを見事に決めた春奈は得意満面の笑みを浮かべた。一方、第4中継点に控える一美の元には同じ2年生たちが集まる。メンバーに入れずに気落ちする菜緒たち。有希があかりから聞いた諦めない気持ちについての話をすると、部員たちは明るい表情を浮かべた。

 4区スタートから500メートルの地点には、2年生の飛田彩夏が待ち構えていた。彩夏は、中継所にそのまま待機していた菜緒からの電話を受けると、近づいてくる一美に向かって大声で叫んだ。


「一美、22秒!行けるよ行けるよ!」


 彩夏の声に手を挙げて応えると、一美はスッとスピードを上げた。ゴールの目標タイムは2位と1分差。秋穂がある程度差をつける想定だとしても、現状のタイム差を広げておく必要がある。しかし、今回は先頭を走っている。ロードレースで先頭を走った経験のない一美には、眼前に追う者のいない初めての展開だ。


(どうする…?)


 ふと、一美の脳裏に練習中の光景がよぎった。合宿で訪れた黒姫高原でも、一美は先頭集団を常に走ってはいたが、単独走に及ぶことはなかった。経験のない光景に、一美は迷いが生じるのがわかった。後ろのランナーはまだ後方だ。しかも、悪いことに先程の彩夏から、次の伝令の部員まではしばらく間がある。迷った末に、一美はさらにペースを少し上げた。

(とりあえず、逃げないと…)

 経験したことのない緊張感に、胃のあたりがキリキリとする思いがした。


 春奈は、第1中継所で待機していた愛花と共にゴールの八橋陸上競技場へとやって来た。

「さえじ、おつかれー!いい走りだったらしいじゃん」

 スタンドでは、すでに出場機会のなかった愛たちが待ち構えていた。

「ありがとう、今どんな感じ?」

「いまは4区の一美先輩が走ってて、2位と22秒差だって」

「よっし!」

 愛から状況を聞いて、春奈は両手でガッツポーズを作った。すると、愛が近づいてきて、春奈の顔をまじまじと見つめている。

「えっ、なになにまなち、近い、近すぎるから!ふーっ、ふーっ」

 愛のこれでもかという距離の近さに、いつも春奈は顔を真っ赤にして照れてしまう。

「やっぱさえじ、ショートにしてもカワイイねぇ!」

「え、そんなことまなち、いやほんと近すぎて、ふーっ、ふーっ!まなち!」


 興奮する春奈をおちょくるように至近距離で見まわす愛だったが、携帯電話に着信があったのか、すぐに春奈から離れて携帯電話を手に取った。

「はい、瀧原です。…えっ?はい。はい…」

 途端に表情を険しくした愛に、春奈は訊ねた。


「どうしたの?」

「一美先輩、脇腹押さえてるって…ペース落ちて、後ろとの差がもう10秒ないみたい」

「えっ…大丈夫かな…」

「どうだろう…2位にいるのが大曲国際情報で、その後ろすぐに秋田鳳桜も来てるって」

「濱崎先輩…」


 南下するコースへと代わり、秋田運河の方向から冷たい風が吹き付け始めてしばらくすると、一美は右の脇腹を押さえて顔をしかめるようになった。同時に、ペースが下がり、少しふらつくような様子を見せている。

 沿道に待機していた夏海が、不安そうな表情で一美へと声をかける。

「後ろ来てるけど慌てないで!落ち着いていこう!」

 一美は、左手で合図を送るのがやっとだ。じんじんとした痛みが、やがて胃のあたりにもやってくる。

(痛い…なんとか最後までもって)


 スッと振り向くと、大曲国際情報のランナーはもう数秒のところまで来ていた。先程はまだ差のあった秋田鳳桜のランナーも並走している。一美は、歩道側に寄ると少しペースを落とし、背の高い大曲国際情報のランナーの横へピッタリとつけた。

(なんとかこれで…ここで持ちこたえればアンカーで離せる)

 頬に冷や汗が流れる。一美は手袋でそれを拭うと、歯を食いしばって再び前を向いた。


 中継所で一美を待ち構える秋穂は、念入りにストレッチを行っていた。一美の状況は、ついさっき受けた電話で聞いていた。傍らでは怜名が秋穂を見守っている。

「秋穂、緊張しちゃダメだよ」

「何を言いよんの、ウチがそんな緊張するわけ…」

「右足の靴下、左足に重ね履きしてるのそれわざと?」

「あ」

 怜名の冷静な指摘に、秋穂は苦笑いするしかなかった。

「や…ボケとった…完全に」

 そういって頭を掻くと、怜名がいきなり秋穂の頬をつかんだ。

「いた、いったたたた、いたた、何しよんじゃ」


「秋穂!」

 怜名は、つぶらな瞳で秋穂の事をじっと見つめた。

「焦っちゃダメだからね。冷静にね、最後の最後にスパートだよ」

「言われんでも、わかっとるよ」

「ふふーん。れなちゃんのアドバイスを邪険にしたら許さないんだから」

 そういうと、怜名は秋穂の脇腹をコショコショとくすぐり始めた。

「あは、あはははは、こら、止めんかい、ははは」

 口元を小さくプーッと膨らませて、怜名は再び秋穂を見つめた。

「大丈夫。秋穂いつもどおり走れれば勝つから、トップで戻ってきてね」

「…かしこまり!」

 そういうと秋穂は、怜名の手を握ってにこりと笑みを浮かべた。


 一美の姿が中継所に見える頃には、先頭は大曲国際情報のランナーへと変わっていた。すぐ横を走る秋田鳳桜の2人から数秒遅れながらも、なんとか集団を保っている。

 一美に向けて、普段はあまり大きな声を上げない秋穂が叫んだ。腕を前後に動かして、一美に奮起を促しているようにも見える。

「一美先輩、ラスト50ファイトです!」

 一足先に、大曲国際情報がタスキを渡しそれに秋田鳳桜が続く。5秒差で一美がリレーゾーンへと飛び込んでくる。タスキを渡した一美は、険しい表情を崩さぬままわずかに口を動かして、秋穂を見た。

「…ご…めん、高島ちゃん」

「大丈夫です!ありがとうございます!」

 タスキを持った右手を掲げて、秋穂は一美に合図すると前を追った。


 中継所を飛び出した秋穂は、すぐにペースを上げると5秒先行していた大曲国際情報と、秋田鳳桜のランナーに追いついた。大曲国際情報のすぐ後ろにつくと、3人の集団となり粛々とペースを刻んでいく。思ったよりも陽が出ていないことに気づくと、サングラスを額に上げた。

 コース最初の伝令として、沿道にはみるほが待ち構えていた。

「秋穂ちゃん、後ろからもう1校来てるよ!」

 その言葉に秋穂が振り向くと、4位の秋田西のランナーの姿が大きくなってきている。これまでは秋田学院が速いペースを作っていたが、トップが交代したことでペースが知らず知らずのうちに落ちていたのだ。秋田西は10秒ほどの距離まで詰めている。


(…どうりで、サッと追いつく訳じゃ)

 早い段階だが、秋穂は一瞬ペースを大きく上げた。一瞬にして間が空いたことで、秋田鳳桜のランナーは驚いた様子で秋穂の顔を見た。秋穂は5秒ほど離れたところで元のペースに戻したが、後続は今のところ来る気配がない。

(しばらく、これで行くか…)

 4区に続き、海風も相当に強い。秋穂は序盤で無理をしない選択をとった。


 ガウンを着ても、震えが止まらない。怜名が用意した温かいドリンクを飲んで、ようやく落ち着いたがチクチクとした腹の痛みは、レースが終わっても続いていた。

「はぁー…!」

 テントの奥に倒れ込んだ一美は、大きな溜息をついた。それは、レースの結果に対する悔しさと、腹の底から湧き上がるような強い痛みを我慢する2つの意味が混じっていた。

「クッソ…」

 腕で顔を隠すと、再び一美はため息を吐いた。そこへ、やってきた誰かが一美へ声をかける。


「結果、ダサいよね」

 悠来の姿がそこにはあった。

「…は?」

 一美は、倒れた体制のまま苛立った様子で悠来に問い返した。


「いくら2年生が頑張るっていったって、3年生の結果は超えられないし、1年生にはタイムいい子がどんどん出てくる。いつまで経っても、結果が出ないのは2年生だけ。もうちょっと恥ずかしく思った方がいいと思うけど」

 悠来の言葉に、一美は上体を起こした。

「同じ2年生のくせして、何言ってんの」

「わたしは、一美よりもタイム速かったし」

「昔の話でしょ。とっくに抜かしたけど」

「素質の差っていうのかな。タイムだけじゃ測れない考え方っていうか、わたしはあかり先輩とかにも教えてもらってるし、子供の頃からトレーニング続けてるし」

「意味わかんない話はやめて。何しにきたの」

「ひどくない?せっかく同級生で同部屋の一美を励ましにきたのに」

「励ましに来て一言目が『ダサい』なんだ。意味不明だね」


 1年生なら委縮して言葉が出なくなる悠来の言いがかりに屈するどころか、一つ一つに反論を続けている。


「なんていうかさ、自分がブレーキになってるのに、よく1年生にデカい口きこうと思うよね。あたしなら無理だわ」

「よく言うわ。文句は結果出してから言ってほしいんですけど」

「あたしが足悪くて競技できないの知っててそういうこと言うんだ!」

 一美の反論に逆上した悠来が、周囲に響き渡る大きな声で怒鳴り散らした。テントの外にいた怜名が、思わず肩をすくめて心配そうに2人のいる方向を見る。

「競技してようがしてまいが、自分のやることやれてるんならいいけど、そうでない人に文句言われてもね」


 一美はそういうと、とうてい部活動に臨む格好とは思えない毛皮の黒いコートにミニスカート、ブーツという朝のままのいで立ちの悠来を冷たい目で睨みつけた。

「あたし朝から設営とかして頑張ってるのに、ただ後からゆっくり来て走るだけの人にそんなこと言われたくない」

 悠来がさらに反論する。しかしそれも、一美は呆れたといわんばかりの表情で一蹴した。

「部活で設営するのにそんな恰好でよく動けたね?それに真っ青な顔で酒クサーイ煙草クサーイで円陣に遅刻して来られても一切信用できないよね。アンタ、足悪いのに夜な夜などこ行ってたの」

「黙れよ!」

 ついに沸点を超えたのか、悠来は手に持っていたペットボトルを地面にたたきつけると、捨て台詞を吐いてどこかへと去っていった。怜名が、おそるおそる一美の元へ近寄る。


「一美先輩…」

 心配する怜名をよそに、一美は平然とした表情で答える。

「ごめん、同期だからつい言いすぎちゃうんだよね…とはいえ、責任を果たしてない人に、わたしも何か言われる筋合いはないからさ…ていうか、ごめん」

「えっ?」

「途中で、脇腹がめっちゃ痛くなって…」

「大丈夫ですか、お腹」

「まだ痛むけどそれは平気…それより、高島ちゃんは」

 秋穂を案ずる一美に、怜名は明るい表情で答えた。

「さっき、また抜き返してトップに戻ったって友紀から連絡ありました」

「…よかった!」

 さっきまで強張っていた一美の表情に、ようやく明るさが戻った。


<To be continued.>

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