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#42 スピード

【前回のあらすじ】

春奈が寮へ戻ると、不安のあまりベッドでひとり泣いている怜名を見つける。春奈はかつて自らの調整ミスで招いた失敗の話をし、怜名にベストを尽くして頑張ろうと激励する。一方で、あかりはアキレス腱の手術を受けて無事に成功するが、寮へと戻ってきたあかりは部員たちを前に悔しさをあらわにした。

 あかりは憔悴した様子で、3年生たちに付き添われ自室へと戻っていった。悠来が病院に入り浸っていたせいで会うこともままならなかった萌那香は、あかりの顔をみるなり崩れ落ちたと、春奈はのちに愛から聞いた。


 その日の夕方、選手たちは最終選考のためにトラックへと集まった。あかりも、その輪の後方に用意された椅子へと腰かけていた。

 本城に促され、あかりは松葉杖を頼りに立ち上がると硬い表情を崩さぬまま部員たちへ話を始めた。緊張しているのか痛みからか、下唇をぐっと噛んでこらえるような表情を見せた。


「お疲れ様です。ええっと…皆さん、こんな大事な時に、怪我でご心配とご迷惑をおかけして本当にすみません…チームを引っ張るキャプテンという立場と、いち選手としての立場、いずれにしても、大会出場のかかった大事な時期にしてはいけない怪我をしてしまったと思います…ごめんなさい」

 そう言うと、深々と頭を下げようとしたが、


「…イタタッ!」


 患部が痛んだのか、声を上げてすぐさま元の体制に戻った。見かねた本城があかりを呼んだ。

「無理するな。腰かけていいから、それで続けるように」

「はい…今の状態の私にできること…みんなの状態をチェックしながらアドバイスしたり、これまでのレースの経験などをみなさんに伝えていったり、一つでも二つでも、少しでもチームの役に立てるようにやっていきますので、申し訳ないですが…、本当に宜しくお願いします」

 あかりの話が終わると、部員たちから自然と拍手が起こった。萌那香が、最終選考についての説明を始めると、あかりはそばにいた沙織に何かを伝えた。その沙織が、春奈と秋穂の元へとやってくる。


「沙織先輩…お疲れ様です、どうしましたか?」

「あかりが、さえじと高島ちゃんに話があるみたい。ちょっと来てもらってもいい?」

「あっ、はい」


「キミたち、本当にごめん…プレッシャーかけちゃって」

 憔悴した表情を浮かべるあかりを見て、春奈は慌てて答えた。

「や、そんなとんでもないです!」

「そんなことより、手術すぐで安静にしてなくて大丈夫なんですか?」

 秋穂が訊ねると、あかりは首を横にゆっくり2回振った。

「あとはリハビリだから、ずっと休んでてもしょうがないんだ。そのほかの箇所…できるところの筋トレとか体幹のトレーニングは続けないと、足が元に戻っても身体がなまっちゃうしさ」

「あぁ、確かに…」

「そう。でさ、本城先生からも話あったと思うけど、わたしも、キミたち2人が重要な区間を走ることになると思ってる」

 そう言ってあかりが勝負師の目に戻ると、春奈は自然と背筋を伸ばした。


「特に、春奈。わたしが走る予定だった1区は、多分春奈が走ることになると思う」

「わたしが…梁川先輩の代わり…?」

 その言葉に、春奈が表情を硬くするのをあかりは見逃さなかった。

「秋穂、たのんだ」

 そう言いあかりが秋穂へアイコンタクトすると、秋穂はニヤリとうなずき、春奈の脇をコショコショとくすぐり始めた。

「キャ、コラ、秋穂ちゃん、こんな真面目な話の時に…ンヒャヒャハハハ…」

 春奈が悶絶すると、秋穂もスッと真面目な表情に戻ってつぶやいた。

「そないなとこだけん」

「んぇ?」


「あかり先輩が言うたこと聞いて、また緊張したじゃろ。いちいちドキドキせんで…どーんと構えんかい」

 秋穂にピシャリと指摘され、春奈は唇をへの字にゆがめた。

「はーい」

「ははは、むくれなくてもいいけど、本当にそういうこと大事だからね。冷静に冷静に」

 春奈の顔を見てあかりは笑ったが、すぐに真剣な表情に戻ると続けた。

「どのみち、チームが都大路に出れたとしてもわたしは間に合わないと思う。だから、みんなそうなんだけど、2人は今回のカギを握るところだから、わたしから直接お願いしたかったんだ」

「梁川先輩…」

「今回もそうだし、4月以降チームのカギを握るのは、一美とキミたちだからさ。一美ともよく話して、まずは県の駅伝に向けて準備よろしくね」

「はい!ありがとうございます」

 春奈は秋穂と声をそろえて、深く一礼した。


 スタートラインには、すでに今回の4人が並んでいた。普段の練習にはない、たった4人での決着に部員たちにもただならぬ緊張感が漂っている。

 いずれのメンバーも一言も発さずに、スタート前の準備を進めている。


 過去2年の都大路ではいずれもメンバーに選出され、昨年はアンカーのあかりにつなぐ4区で区間上位の成績を残した未穂。2年生の中では一美につぐスピードを誇り、ここ一番での勝負強さを誇る有希。短距離出身者でまだ長距離での実績は少ないが、秋穂につぐタイムを持つ佑莉。そして、4人の中では持ちタイムこそ最も遅いが、成長の目覚ましい怜名。4人が横一線になり、スタートの合図を待っている。


「じゃあ、そろそろ、始めましょうかね」

 本城の大きな声に、萌那香がスタートラインの横へ進み出る。

「じゃあ、4人とも準備いいかな。行くよ…位置について!」

 4人は一斉にスタートの体勢を取り、ストップウォッチに手を掛けた。


 パァン!


 4人のうち、スピードに自信を持つ有希と佑莉がスッと飛び出し、その後ろに未穂と怜名が続く。最初のコーナーをそのままの順番で抜けると、コーナーを抜けるところで佑莉が頭ひとつ抜け出した。他の3人は、その距離を保ったまままだ様子を見ているように見える。

 春奈は、両手を顔の前で組みながら状況を眺めている。

(怜名…どこで仕掛けるかな…)

 怜名は、まだ残る3人の最後方に位置取って状況を見つめている。

(次に、ゆりりんか近藤先輩が出たタイミングが勝負かな…)

 佑莉が一気に前に出ていかないことを考え、このタイミングで様子を見ることにした。


 春奈は、トラックの内側で秋穂と一緒にレースの行方をうかがっている。

「怜名、行けるかな」

「どうかな…多分、スタミナは平気やと思う。あとはどこで仕掛けるかと、スパートのスピードがどのぐらいまで行けるか」

「実際、スピード練習みててどう?」

 秋穂は少し考え込むと、首を少しかしげて言った。

「わからんな…カッキーと競り合いになったら難しいかもわからん。でも、未穂先輩と有希先輩やったら、もしかしたら抜けるかもしらん。たぶん、カッキーの調子しだいじゃの…」


 佑莉は、しきりにちら、ちらと横を向いて、有希の動向をうかがっていた。

(たぶん、このスピードなら未穂先輩は来ぉへん…有希先輩前に行かへんかったら勝てる)

 一方の有希も、自分よりベストタイムに勝る佑莉の動向が気になっていた。

(柿野さんに離されたら多分つらい…チャンスは1回。ラスト100までなんとかついていかないと)

 自然と二人は牽制しあう形となり、ペースは飛ばしているようであまり伸びていない。秋穂は、二人の様子にいち早く気づいた。


「ペース、上がっとらん」

「佑莉ちゃんと、近藤先輩二人でずっとチラチラ確認してるね」

「ほんで、後ろみてみい。怜名、未穂先輩のこと離しとるよ」

 怜名は、ペースを上げてこない未穂に焦れたのか、ペースを上げて前の二人から5秒ぐらいのところにつけている。佑莉たちはお互いの牽制に気を取られて後ろの怜名に気づいていない。

 秋穂は、あごに手をやるとうーんと唸った。

「これ、怜名、最後スパート行くかもしれんよ…今んとこ、カッキーも有希先輩も怜名のことに気づいとらん」

「たしかに」

「我慢じゃ。ひたすらガマンガマンガマン…勝負どころまで我慢ガマンな…」

 熱くなりやすい怜名の性格を知る秋穂は、怜名に念じるかの如くつぶやいた。


 中盤に差し掛かっても、相変わらず有希と佑莉の二人は牽制し合い、どちらかが少し前に出ようとするともう一方がすぐさま追いつき、それ以上のスパートをあきらめるという展開が続いていた。

「これ、二人とも、最後までロングスパートしないのかな」

「そこまでの持久力がある二人じゃなかろ。最後の直線やない?…あっ」


 秋穂は、思わず声を上げた。二人と、後方の未穂のちょうど中間ぐらいを走っていた怜名が、このタイミングでスピードを上げて前の二人へとじりじりと迫っていく。それを見た未穂も徐々にスピードを上げようとするが、怜名のスピードには追い付けない。そのうち、二人の数メートル後方に付けたかと思うと、一瞬グッとスピードをさらに上げて、一気に有希と佑莉の横に並んだ。

 気配を感じた二人が右横を向くと、怜名は右手をあげて二人へ声を掛けた。


「ハロー☆」

「あっ、牧野さん…!」

「…マキレナちゃん、いつの間に?…ハアッ」


 しばし牽制合戦に気を取られていた有希と佑莉は、一様に驚きの表情を見せた。

「油断してたんでしょ、ハアッ、わたしは来ないって、ハアッ」

「ハアッ、ハアッ、いやいや、そんなことは…あるなぁ」

 佑莉の毒ガス攻撃に怜名は苦笑いを浮かべたが、表情を引き締めると佑莉に言った。

「まだ、スパートしないんでしょ?しばらく一緒に行かせてよ」

 その言葉に、佑莉の表情が一瞬真顔に変わる。すると、怜名から目線を外し、一気にスピードを上げた。あっという間に数メートルの差が開く。

 今度は先頭に佑莉、その後ろに有希と怜名、さらに後方に未穂という並びになった。すると、有希が怜名の方を向いて、何やら佑莉の方を指さした。

(どうする?もう追いかけちゃう?)

 アイコンタクトを含め怜名に問うと、怜名は抑えるような仕草をした。

(まだです。もうちょっとこのまま行きましょう)

 有希も意味をほぼ理解したらしく、OKサインをして怜名にうなずいた。


<To be continued.>

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