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#37 経験の差

【前回のあらすじ】

レースのスタート直後、佑莉が転倒し動揺する春奈。すると、酒田国際高校の留学生・シラが集団から抜け出しレースを引っ張る。シラをかわしてスパートしようとする春奈だが、佑莉が途中棄権するのが目に入り再び動揺してしまう。その隙を見逃さなかったシラは、春奈の背後にピッタリと付き様子を窺う。

 先頭の春奈が1周を切った時点で、春奈のすぐ後ろにはシラが、さらにその後ろには秋穂がついて3人が列をなして走っているような状態だ。そこから少し離れ、続く集団の先頭には一美と星川美月、やや遅れて愛たち数人の姿がある。怜名は、さらにその後方を走っている2年生の近藤有希や夏海たちの集団に吸収されていた。


「ぐっ…はぁ…はぁ」

 先ほどのロングスパートが不発となり、春奈もさすがに息が上がり始めた。残るは、最後のコーナーを抜けた後の直線でのスパートしかない。

 苦しくなる呼吸をこらえるように、春奈は奥歯をぐっと噛みしめて前へと進む。対するシラは、先程より多少息遣いが荒くなったように聞こえるが、それでも余裕を残しているように感じられた。

 ふと、シラとは別の足音が徐々に大きくなる。その足音が気配に代わり、春奈が気配の方へ顔を向けると、秋穂がこちらをむいてウィンクをしてみせる。

「…最後、勝負な」

 公式の競技会で、初めて秋穂が春奈と並んだ瞬間だった。


 スタンドでは、先程まで男子部のミーティングを行っていた本城がレースの状況を眺めていた。横には悠来が座り、序盤から中盤のレースの状況を説明している。

「冴島ちゃん、あんまり調子よくないみたいです」

 悠来の言葉に、眉間に深いシワを寄せると本城はため息をついた。

「うーん…冴島は確かに速い選手ではあるが…うーむ…」

 しきりに唸った末、絞り出すように本城は一言口にした。

「…経験の差だな…つまり、エクスペリエンス」

 本城のいつもの口癖に、悠来は苦笑いを浮かべるしかなかった。


 最後のコーナーに差し掛かる。とうとう先頭は春奈、シラ、秋穂の3人が団子状態となった。スタンドからはそれぞれへの声援がこだまする。後方の集団はすでに大きく差が開いており、優勝の行方はこの3人に絞られた。

 コーナーに入ると三人がそれぞれの様子を見合っていたが、先に春奈がスパートを仕掛ける。

 が、シラと秋穂もそれに追随する。残りは100メートルを切っている。


 ウォォォォォオォオ!


 歓声がひときわ大きくなる。3人が競り合うようにコーナーを抜けた瞬間だった。

 限界と思われたスピードから、シラがさらに加速して抜け出す。すると、負けじと秋穂も髪を振り乱さんばかりの勢いで加速し、2人がゴールめがけて猛烈なスパートを始めた。

 すでに先にロングスパートを仕掛けていた春奈は、2人が最後の最後に残していた爆発的なスピードについていけずに、少しずつ差が開いていく。


「高島!高島!高島!」


 本城が立ち上がって大きな声援を送る。秋穂は初速ではほぼ同時に飛び出したが、シラの恐ろしいまでのスピードには勝てずに、頭2つ分ほどの差がついた。

 先にゴールテープを切ったのはシラ・カマシだった。


「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ…」

 シラのすぐ後にゴールした秋穂から遅れること3秒、春奈はゴールに飛び込むと、そのまま倒れ込み苦しそうな表情を見せた。


 秋穂が、春奈の元へ近づいてきた。

「春奈…」

 春奈は、息があがったままで言葉をうまく発せない。うっすら目を開けると、2、3回首を振ってうなずいたが呼吸はまだ荒い。しばらく無言が続き、ようやく春奈は口を開いた。

「…負けちゃった」

「春奈、自分どうしたん」

「…準備不足かな…全然、相手のこと考えられてなかった…最後に二人があんなに体力残してると思ってなかった…」

 そういって、春奈は右手で顔を覆った。

「…もっと、勝ったら喜べると思とった。なんか、消化不良じゃ」

「え…」

 秋穂の言葉に、春奈は言葉を失った。


「前に、梁川先輩と3人で走ったことあったじゃろ。あの時の春奈はもっと集中しとった…今日は、気持ちがどっか行っとったと思う」

「確かに…気温のこととか、相手のこととか、…あ、あと、佑莉ちゃんは」

 既に佑莉はジャージ姿に着替えて、部員が控えているスタンドへと戻っていた。左足に巻かれた包帯が痛々しい。

「カッキー、軽い捻挫言うとった…あ」

 そこまで言って、秋穂は顔を見上げた。傍には、いつの間にか本城が立っていた。


「高島、最後は残念だったが、この気候の中よく頑張ったな」

「ありがとうございます。…あそこまで行って負けたんが悔しいですけど…」

「あぁ、その気持ち忘れるなよ。ここぞの爆発力がお前の武器だからな」

 本城にスピードを誉められ、秋穂ははにかんだ。

 春奈は、下を向いて俯きながら話を聞いていた。すると、

「なんだ冴島、おい、そんなしけたツラして、ハハハ」

 いつもの口調で本城が言うと、無言のまま春奈は顔を上げた。数秒の沈黙の後、春奈は口を開いた。


「集中…できませんでした」

「集中?」


 先ほど秋穂と話した内容を話すと、本城は考え込んだ。

「いくら走りが速いとはいえ、経験値でいえば冴島、お前はまだまだ他の部員に比べたら不足している部分が多いと思う。それは、仕方のない部分もあるが、これから記録を伸ばすためにさらに実践していかにゃな。それと、メンタルつまり精神的な部分」

「メンタル?」

「あぁ。柿野が途中棄権したところで、冴島、動揺しただろう」

「あっ…はい…」

 本城には何も話していないはずが、佑莉の途中棄権を目の当たりにして動揺したことを瞬時に見抜かれて、春奈はドキリとした。

「精神的な部分も、身体同様に鍛えなきゃいかん。梁川と進藤との時間を作って、トレーニングの内容を考えてみるといい。別に今日の結果を責めたりはしない。だから、次の試合に向けて万全の準備をするようにな」

「わかりました…次は取り返します」

 春奈は、静かにうなずいた。


「あれ…シラ・カマシじゃろ?」

 秋穂が指さした方から、シラがふたりのもとへやってきた。シラは笑顔でふたりと握手を交わすと、バッと両手を広げてハグを求めた。

「うわぁ!…ははは、おめでとう!強かったね」

「そうそう、すごいスピードやった!優勝おめでとう」

 春奈と秋穂はふたりとも満面の笑みでハグに応じると、勝者を称えた。

 まだ日本語の習得が十分でないシラは、引率の教員からふたりの言葉を伝え聞くと、ニッコリと笑顔を見せた。

「アリガトウ、タノシカッタ」

 そういうと、シラは英語でこう続けた。

『あなたたちもすごい力を持っている選手。今度は都大路で絶対に会いましょう』

『そうだね、次はチーム同士でまたいい勝負しよう』

 春奈は英語で答えると再びシラとがっちりと握手を交わし、表彰台へ向かっていった。


<To be continued.>

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