#35 対決
【前回のあらすじ】
愛媛・西条にある実家へと帰ってきた秋穂は、姉の冬花とともに松山へと出かける。マイペースな冬花に振り回される秋穂だが「自分がなりたい目標に向かって頑張ればいい」という冬花の言葉に元気づけられる。しかし松山へと到着すると冬花は秋穂を連れ回し、秋穂は思わずクタクタになってしまう。
夏休み期間中の過酷な合宿も終わり、秋田に吹く風はすでにどこか涼しさを感じるようになっていた。標高1,000メートルを超える黒姫高原での合宿では、苦しそうな表情を浮かべる部員が続出する中、ただひとり春奈だけは涼しい顔で練習をこなしていた。
「春奈だけスイスイって感じで走るからさ、もうお手上げだったよ」
そう言って、真理がバンザイする仕草を見せた。
「デンバーにいたからね」
当時は競技経験はなかったとはいえ、標高千六百メートルを超えるデンバーで十余年を過ごした春奈には、ある意味慣れっこともいえる環境だったようだ。
春奈たちは、秋田県立中央公園陸上競技場のスタンドにいた。今日は、東北地区高等学校新人陸上競技大会がこの競技場で行われており、秋田学院からも男女1・2年生を中心としたメンバーがエントリーされている。
悠来がスタンドの後方から降りてきて、メンバーにホチキス止めの資料を配る。
「これ、今日エントリーされてる他校の選手の情報ね。チェックしくよろで」
この大会は、秋田県だけでなく東北6県の有力選手が一堂に会する。中には、ケニアなど海外からの留学生選手もエントリーされている。
チームのキャプテンは3年生のあかりだが、女子陸上部ではあかりの他に学年キャプテンという制度が定められている。1年生はしっかり者の愛が学年キャプテンに指名されているが、ここで2年生の学年キャプテンを務める濱崎一美が口を開いた。
「持ちタイムでいえば秋穂までは留学生の集団についていけるスピードがあるから、佑莉から後、10分未満のメンバーは、各校のエースと2番手をマークする感じになると思う…」
そういって、一美は資料を捲るとひとりの選手を指さした。
「悠来、この子だよね?めっちゃタイム伸ばしてるの」
「そう、その子。30秒ぐらい自己ベスト更新してるって、マジビックリなんですけど」
「拓洋大学弘前の、星川美月っていう2年生。去年までのベストは10分ちょうどなんだけど、今年に入って記録を9分20秒台まで縮めたって話があって、もし本当なら秋穂とか佑莉とタイム競うことになると思う。要注意だね。でさ、サエコ」
「あぁ、はっ、はい」
一美に急に呼ばれた春奈は、慌てて返事した。春奈のことを「サエコ」と呼ぶのは一美だけだからか、いつも呼ばれてから反応するまでに少し遅れてしまう。
「他の高校で一番早いのは、酒田国際のシラ・カマシっていう1年生。ベストだけみれば9分10秒だからサエコの方が速いけど、サエコ暑いのも寒いのも苦手だよね?だから、めっちゃ注意必要だね」
「そう…ですね」
春奈の脳裏に、冬の都大路でのアクシデントがよぎる。この夏も猛烈な熱気にキャップを被って対処するなどはしていたが、それでも熱中症で一度練習をリタイアしたことがある。タイムでは無敵だが、気温変化などの外的要因が一番の弱点ともいえた。
一美は手元の荷物をゴソゴソと探ると、春奈に何かを投げて渡した。
「これ、使っていいよ。今度自分に合ったものを探した方がいいけど、応急処置ってことで」
一美は、ストックで持っていたサングラスを春奈に貸したのだった。
「濱崎先輩、ありがとうございます!」
「どういたしまして。みんなもね!水分補給、熱中症対策。あと、足が攣るのクセになってる人も、対策しっかりとね」
そういうと、一美はトラックの方へ視線を移した。
「そろそろ、男子の5,000メートルかな。まずは応援ってことで」
うだるような暑さが残る中のレースにも関わらず、男子5,000メートルの決勝はハイスピード展開となり、各校のエース候補たちが抜きつ抜かれつの接戦となった。
最初にゴールしたのは、男子部2年生の神谷悠だった。
「神谷先輩、ナイスランでーす!」
女子部員たちが嬌声を上げる。男子部のエースは3年生の阿波野太希だが、悠も太希に負けないスピードを持ち、かつ甘いマスクでも知られる選手だ。
「悠、来年はやっぱりエースだろうね」
「もう、千代田大学と大正学院から、スカウト来たって言ってたよ…まじイケメンすぎる…」
さわやかな笑顔を浮かべながら、悠は会場の外へ向かう。2年生の女子部員たちは勝負そっちのけで悠の話で持ち切りだ。
そんな中、春奈と怜名はトラックから目を離さずにいた。琥太郎が出走しているのだ。
「14分40、41、42…」
手元のストップウォッチを手に、怜名が心配そうな表情を浮かべる。琥太郎は最終コーナーに入り、大きく口をあけながら歯を食いしばっている。
「いっけー!」
もはや、フォームもへったくれもあったものではない。それでも、髪を振り乱して最後の直線を声を上げながらゴールへと向かう。
「14分…57!」
ストップウォッチを止めた怜名が、明るい声で叫んだ。
「すごい!宮司くんめっちゃタイム縮めたじゃん!」
春奈はそう言うと、怜名とハイタッチして喜びを分かち合った。すると、スタンドを見上げた琥太郎とふと目があう。琥太郎は、二人に向かってサムズアップのポーズをしてみせた。
「ベストおめでとう!」
春奈の声に、琥太郎は頬を赤らめて照れくさそうな表情を浮かべた。
種目は進み、いよいよ女子3,000メートルの順番となった。
皆が淡々とウォーミングアップを進める中、みるほは一人落ち着かない様子でそわそわとしていた。みるほは、リハビリから実戦復帰して初めての実戦参加となる。秋田学院の臙脂のユニフォームを纏うのも初めてのことで、無理からぬことだった。
「みるほちゃん!」
落ち着かない様子に気づいた春奈が、みるほに駆け寄った。
「どうしよう、春奈ちゃん」
緊張が極限に達したのか、血色の悪い顔で手足もかすかにふるえている。すると、春奈はみるほの肩に手を置いて語りかけた。
「みるほちゃん、そういう時はこれだよ」
そういって春奈はすぅと息を吸い込むと、何かの曲を歌い始めた。
――誰にも 負けたくない
強く強く強く 抱きしめたい
早く早く早く キミのもとへ
辿りつきたい 誰よりも速く
高く高く高く 翼広げ
誰も誰も誰も 見たことのない
光輝く明日を 求め続ける まっすぐな気持ち
「あ…!」
春奈の歌を聴いたみるほの表情が、パッと明るくなる。
「『まっすぐな気持ち』ね」
ライブに連れて行ってもらったあの日以来、すっかりルナ=インフィニティのファンになった春奈が、元気づけようと彼女たちの曲をみるほに歌ってみせた。
「春奈ちゃん…元気出た!ありがとう!」
みるほは、満面の笑顔で春奈に答えた。
「うん、お互い頑張ろ!」
そう言って春奈はキャップを目深に被り、一美から借りたサングラスを手にした。
<To be continued.>




