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#34 大丈夫、大丈夫

【前回のあらすじ】

記録が伸び悩んでいることに気落ちした琥太郎だが、春奈は「諦めたらダメ」と琥太郎を涙ながらに叱咤激励する。琥太郎は高校入学前に本城と交わした会話を思い出して陸上を続けることを決意する。琥太郎を心配する怜名を見て、春奈は怜名の想いに気づくが、思わず怜名は赤面してしまった。

 春奈たちと同様に、秋穂も愛媛の実家へ帰省していた。


「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ…」

 できるだけいつものルーティーンを崩したくないと、早朝から家を出ると市街地から海沿いの工業地帯を抜けるランニングコースを走っていた。

「暑っつ…」

 海側に造船所を望む大きな橋の上で立ち止まると、サングラスを外して風景を眺めた。小学生の頃から走り慣れた道だ。夏の日差しが、海面に照り返しキラキラと輝く。ゆっくりと潮風を胸いっぱいに吸い込むと、再び秋穂は走り出した。

(やっぱり、地元はええなぁ…)

 心なしか、走る足取りも軽く、笑みをたたえているようにも見える。愛媛県西条市。市内には豊富な湧水が各所で見られることでも知られるいわゆる“水の都”だ。


 市内を走り終えると、秋穂は自宅の大きな門扉を開けた。庭では、母の春子が朝から掃除と水やりを行っている。

「あら秋穂ちゃん、おかえり」

「ただいまー、姉さん起きとる?」

「起きとるよ、今リビングでテレビ見ながら朝ごはん食べとると思うよ」


 姉の冬花は、母が言った通りリビングで朝食を食べている最中だった。

「あぁ、秋穂おかえり。支度終わったら出かけるけど、支度大丈夫?」

「大丈夫、何時頃出かける?」

「うーん、あと30分以内には」

「30分!?30分じゃ間に合わんよ…!」

「大丈夫大丈夫、お茶飲んで待っとるけん、支度しといてやー」


 人の言うことを聞いて、てきぱきと用事をすませる秋穂に対して、冬花は非常にマイペースな性格だ。シャワーを浴びるために、秋穂は慌てて浴室へ向かった。

(姉さん、大学行っても全然マイペースなの変わらんなぁ…)


 冬花はガレージにある自分の車に早々に乗り込み、秋穂を待っていた。

「ほらー秋穂、はよ行こわい」

「あぁ待って姉さん、荷物がまだ…」

 リュックに荷物をガサゴソと慌ただしく詰め込むと、秋穂は助手席に乗り込んだ。


「で、姉さん、今日どこ行きよんの?」

「んー、決めてない」

「えっ!あんまり遠いところは行けんよ、電車に間に合わんし」

「大丈夫大丈夫、お姉ちゃんに任せとかんかい」

(本当に大丈夫なんか…?)


 秋穂の心配などどこ吹く風とばかりに、車は高速のインターチェンジに向かって走り始めた。


 高島家は曾祖父の代から続く開業医の家系で、祖父は自宅の隣の敷地で80歳近い今でも現役の医師として働き、父は大阪にある医科大学の内科医として平日は単身赴任している。そんな父たちの姿を追うように、秋穂より4歳年上の冬花も地元の大学に入学し勉学に励んでいる。


「姉さん、本当にお医者さん目指しとんの、スゴイなぁ」

 助手席の秋穂が感心した様子で言うと、冬花はキョトンとした顔で答えた。

「そう?わたしは、頑張って走っとる秋穂こそすごいと思うんよ」

「いやぁー、わたしはまだまだやけん、先輩たちに全然かなわんよ…あと」

「あと?」

「同級生に、すごい子おるんよ」

「へぇー、どんな子?」

「日本新記録持っとる」

「んー、お姉ちゃんよく分からんけん、日本新記録持っとったら、どのぐらいすごいん?」

「うーん、オリンピック出れる子や思う」

「オリンピック!」

 スポーツに聡くない冬花も、さすがにオリンピックと聞いて驚いた様子だ。聴いていた音楽のボリュームを下げると、冬花は秋穂に聞いた。


「ほんで、秋穂はどこを目指して頑張っとんの?」

「んっ?」

 冬花は眼鏡を直すと、秋穂の方をちらと向いて再び聞いた。

「だから、秋穂は陸上を頑張っとんじゃろ?これからもずっと競技を続けようと思うなら、どこを目指しとんのかな思て」

「…うーん」


 冬花は人に関心がなさそうに見えて、たまにこうして本質を突くような質問をする。秋穂は、腕を組んでしばし考え込んだ。左手には、四国で最も高い石鎚山が見えている。再び冬花が口を開く。

「たとえば、山なら四国には石鎚があるじゃろ。でも、日本で一番高い山は富士山があるし、そこから海外見たら、もっとあるよね。エベレスト、キリマンジャロ…」

 途方もない話に広がりそうだ。秋穂は、必死で冬花の話に耳を傾けている。

「さっき、秋穂がお姉ちゃんの事すごいって言うとったけど、お姉ちゃんから見たら秋穂もスゴい子やと思うよ」


 今度は秋穂が、キョトンとした顔で冬花を見る。

「医学の世界だって、世界に知れ渡るような名医もおる。逆もそうじゃろ。例えば、ウチのおじいちゃん。世界に名が知れるようなお医者じゃないけど、町のお医者としてみんなを助ける立場におるよね。それでええと思うんよ」

 秋穂は、分かったような、分からないような複雑な表情で冬花を見つめる。

「同級生にオリンピック出れるような子がおっても、それで秋穂がすごくないなんてことはないじゃろ?秋穂がお姉ちゃんと違う生き方を選ぶように、お姉ちゃんも秋穂とは違う生き方しとる。だから、自分がなりたい目標に向かって頑張っとればええと思う」

「自分がなりたい目標…目標かぁ…」

 秋穂は、車窓に広がる景色を眺めながら、しばらく考え込んだ。


「姉さん、ここ…」

「そう、松山。いつも大学で来とるけん、近い近い!」

 パーキングに車を停めた冬花は、こともなげに答えた。表通りに出ると、路面電車が目の前を走っている。

「何年振りに来たんじゃろ…っていうか、姉さん松山で何しよんの?」

「んふふ」

 秋穂の問いかけに、冬花は意味ありげに笑ってみせる。

「時間はそんなにたっぷりはないけん、早う買い物行こわい。お姉ちゃんが、秋穂にたくさん服買ってあげるけん」

「え…ふ、服??え、姉さん、お金は…」

「大丈夫大丈夫、おじいちゃんが秋穂にってお小遣いくれたんよ。あとは、お姉ちゃんのポケットマネーだけん、気にせんと選びぃよ」

 そういうと、冬花は自分の買い物のごとく、ウキウキでデパートへ入っていった。

「あ、ちょ、姉さん、ちょっと待っとって!ねえ、姉さん」


 結局、1時間半ほどの時間の中で冬花にデパートじゅうを連れまわされ、洋服、バッグ、化粧品の入った紙バッグをたんまりとぶら下げた挙句、豪勢なランチをたらふく食べさせられた秋穂は、ポッコリとした腹で、うつろな目をしながらパーキングへ戻ってきた。

「姉さん、やりすぎやけん、これ以上歩けんわ…」

「大丈夫大丈夫!秋穂だったら全然平気じゃろ?」

(どこが大丈夫大丈夫なん…)

 秋穂は、目的を達成してウキウキの冬花を横目にのそのそとパーキングを歩いていく。車の助手席に腰かけると、シートをぐっと後ろに倒して深い溜息をついた。

「姉さん、特急乗るの3時なんじゃけど、間に合うかな…?」

「大丈夫大丈夫、お姉ちゃんのドライビングテクニックで何とかするけん♪」

 そういってニヤリと笑みを浮かべる冬花の言葉に、秋穂はギョッとして固まってしまった。



 昼間のうちに春奈や怜名は寮へと戻ってきて、練習やら入浴やらを済ませ自分たちの部屋でストレッチを行っている。

「あれ?秋穂ちゃんもう戻ってきたんだっけ?」

「ううん、さっき夕ご飯の時もいなかったし、まだ帰ってきてないよ」

「そうか…愛媛、遠いもんね」

 すると、空けておいた廊下のドアから、ガラガラと何かを引く音が聞こえた。

「秋穂じゃない?」


 ふたりは、部屋から顔を出して階段の方を見た。すると、大きな荷物を抱えた秋穂がちょうど寮へ戻ってきたところだった。


「ただいま…はあー、クタクタじゃ…」

「うわぁ!…カワイイ…っていうか、めっちゃキレイじゃん!秋穂」

 思わず怜名が声を上げた。

「ほおぉ…!お嬢さまみたいだね」

 春奈も秋穂の姿を見て感嘆の声を漏らした。つばの広い大きなハットに、紺のノースリーブのワンピースに涼しげなサンダルを合わせたその姿は、普段のシンプルなトレーニングウェアからは想像できないほどの可憐な装いだ。ふたりに気づいた秋穂は、ハットを目深に被り視線を逸らした。


「は、恥ずかしいけん、こっち見んでええって!」

「えー、大学生みたいでめっちゃオシャレじゃん、秋穂!」

「姉さんに、服とか買ってもらってん…そな、着るタイミングないのに…」

「あ、お姉ちゃんいるんだ!秋穂ちゃん、愛媛の話聞かせてよ」

「こ、この格好じゃ落ち着かんから、き、着替えさせて…」

 そういうと、秋穂は自分の部屋にサッと引っ込んでしまった。


<To be continued.>

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― 新着の感想 ―
[良い点] 秋穂ちゃんですが、県民だと慣れ親しんでるせいか、伊予弁なのは言われるまで気付きませんでした。 [気になる点] (今造だ…) (桜三里だ…) (高島屋だ…) [一言] 「やけん、言うたやん…
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