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#33 逃げ

【前回のあらすじ】

実家に帰るも母の説得に耳を貸さない琥太郎だったが、春奈がやって来たと聞き部屋を飛び出してくる。頑なに口を閉ざす琥太郎に、春奈は涙を流しながら理由を尋ねる。すると、琥太郎はタイムを理由に陸上部を辞めると言い出した。一方、怜名は琥太郎に対して必要以上にイライラしている自分に気づく。

「5,000メートルの今の俺のベスト、15分22秒。女子部にもあるけど、A班で選抜のメンバーに入るには最低でも15分以内のタイムが必要なんだ。冴島には悪いけど、男子の中でもそんなタイムしかないのに、さらに女子の冴島にも負けるなんて…」

「そんなの、1年の今諦めたらダメだよ!頑張ればいつか選抜にはい…」


「入れない」

 春奈の励ましを遮るように、大きな声で琥太郎が断言した。


「…なんでそんなこと分かるの?」

「分かるんだ。去年、一昨年と都大路で勝って、男子部は全国から入部希望者が殺到してる。今年のセレクションで、俺はギリギリ入部できた…っていうことは、当然俺は1年の中でもタイム下のほう。来年ももっといいタイムの1年が入ってくる。そんな中でどう戦えばいいのか…」

 琥太郎は、うなだれると再び大きな溜息をついた。


 しばらく自販機の前でしゃがみこんでいた怜名は、3人分のペットボトルを買って校庭へと戻ってきたが、春奈と琥太郎の様子を見て足を止めた。

「春奈…?」

 春奈が顔を真っ赤にして、涙を流しながら琥太郎に何かを訴えている。

(春奈が…どうして泣いてるんだろう?)

 不思議に思い、ふたりに歩み寄ろうとした次の瞬間春奈が叫んだ。


「逃げちゃダメだよ!」


「ウワっ…!」

 まさか春奈に怒鳴られるとは思わず、琥太郎はびっくりしてのけぞる仕草を見せた。怜名も、春奈が声を荒げたことに驚いて身を固くした。校庭で遊んでいた子供たちも、ただならぬ事態と察したのか、2人を遠巻きに見ながらそそくさと学校を後にし始めた。


「話聞いてれば、逃げてるだけじゃん!なんでやる前からできないっていうの!秋田学院に入れたのも、何もしないで入ったわけじゃないでしょ!?自信がなかったら、自信つくだけの練習すればいいじゃん!…なんで今からできないなんて言うの!?」

 涙は収まったが、顔は上気して真っ赤になり、握りしめた拳がぶるぶると震えている。


 春奈に圧倒されながら、琥太郎はなんとか口を開く。

「…だ、だからって練習したら絶対タイム伸びるなんて保証は…」

「保証なんてない!でも、練習しなかったら絶対タイムなんて伸びないよ!なんで、そうやってやめる理由探すの!?辞めたいだけなの!?」

「べ、別にそういうわけじゃ…」


 穏やかな春奈が声を荒げて叱咤する様子に、怜名は唖然として口をポカンと開けている。春奈は、自分の様子に気づくと、2、3回深呼吸をして話を続けた。

「怜名が練習あんなに頑張って、選抜入ったの見たでしょ?怜名だって、中学の時のベストからどれだけタイム縮めたか…」

「牧野…あれ…そういえば、牧野は?」

「あっ…ねぇ、怜名もちょっと!」

 春奈は、少し離れた場所で様子を見ていた怜名を呼んだ。


 話を春奈から聞いた怜名は、再び頬を膨らませて琥太郎を睨みつけた。


「はぁ…小さい時から近所にいるから、もうちょっとわたしの事見てるのかと思ってたけど、何一つ気にしてなかったってことね」

「はっ…何ムスーッとしてんだよ」

「だってさ」


 怜名は琥太郎の前に進むと、顔を見上げて琥太郎に話はじめた。

「本城先生がうちの中学に話に来て、帰ったあとにわたしとアンタで話したこと覚えてないの?」

「何を…あっ」


 ――本城と初めて面会した日は、秋雨の降り続く肌寒い日だったことを怜名は覚えていた。

「今日この場ですぐに結論がほしいとは言わない。高校生で親元を離れて、遠い秋田に来ることについても親御さんのご意見もあるでしょう。それでも僕は君たちに会いにきた。その理由はわかるかな?」

「…何ですか?」

テンションに圧倒されながら、怜名は本城に訊ねた。

「君たちは練習から、本気で臨んでいる。たとえ今、力が足りなくても、その姿勢を忘れなければ、いつか結果が必ず出る。水元先生も君たちふたりの成長に太鼓判をもらっている。僕はそう信じて話をしている」

 顧問の水元が、そこまで怜名と琥太郎を評価していたとは知らず、怜名は照れくさそうな表情を見せた。


本城が帰った後、ふたりは中学校の教室に居残っていた。

「牧野、俺らすごくね?私立からガチのスカウト来ちゃったぜ?」

「浮かれすぎ。秋田学院がどれだけスゴイところか知らないの?」

「知ってるよ!だからめっちゃうれしいって言ってんじゃん」

「それが浮かれすぎって言ってるの!全国から、10年に1人とか言われてる選手が集まる学校なのに、わたしたち行って通用すると思えないんだけど」

「通用するとかじゃなくて、絶対に通用するようになるんだよ」

「ハァ?」

「そんな学校から声をかけてもらったってことは、俺たち通用すると思われてるってことだろ?だから、3年間やったら、高校駅伝とかにも出れるようになるんだよ。牧野、俺くじけずに3年間やりきる。だから秋田学院行く」

「決めるのはっや…」

「牧野はどうすんだ?」

「そんなのすぐここで決められるわけないでしょ!親と相談するけど…でも、チャンスがあるなら挑戦してみたい…かも」

「そうだよ!挑戦するんだよ。だから、一緒に秋田行って、頑張ろうぜ」


 「っていう話、抜けちゃってるじゃん」

「…忘れてた」

「サイテー。あれだけ覚悟決めて行ったはずの人が、どうりですぐへこむわけだわ」

「…うっせぇ」

「それで、どうするつもり?っていうか、やめるって、本当に退学する気?」

『退学』というキーワードに、琥太郎の顔色が変わった。

「えっ、やめる?え、え、やめるって退学?え?」


慌てふためく琥太郎を冷たい目で見ながら、怜名が答える。

「アンタだって特待で入ったんだから、あれ、退部イコール退学だよ。それか、普通に学費納入すればいれるけど」

「エェ…それはイヤだな」

「えっちょっと待って!アンタ、どれだけバカなの?」

怜名が呆れた顔をして、慌てる琥太郎を睨む。その様子を見て、さっきまで泣いていた春奈はケラケラと笑い始めた。

「え、春奈、真面目な話してるんだからさ、笑わないでよ」

「だって、…ふたりとも仲いいなと思って」

「はい!?ねぇちょっと春奈、熱あるんじゃない?大丈夫?」

「冴島、やめろって、これのどこが仲がいい…イデデ!」

 怜名が、琥太郎の足をグリグリと踏みつけていた。

「アンタは黙ってなさいよ!」

 その様子を見て、春奈はさらに大きな声でケラケラと笑い始めた。


 「それで、宮司くん、これからも一緒に頑張るんだよね?」

 春奈は琥太郎の手を取って、大げさな握手のように手を振った。

「…あぁ…頑張る…でも、冴島に負けっぱなしなのもなんか悔しい…」

それを聞いて、春奈は琥太郎を見つめていたずらっぽく笑うとこういった。

「じゃあ、私に5,000メートルで勝ったら、泣き言聞いてあげる」

「え!?なんだその俺に不利な条件!」

「だってそのぐらいしないと、また宮司くんやめるって言いだすでしょ」

「あ…あぁ…わかった…わかりましたよ…冴島抜けばいいんだな…?」

 そう答える宮司の鼻の下は伸び、だらしない表情をしている。横で、怜名がまた頬を膨らませているのにも気づく様子がない。


(この…鈍感!)


 怜名は、琥太郎の後ろに回ると、ふたりに気づかれないようにベーッと舌を出した。


 時計の針は、すでに夕方6時を回っていた。

「冴島さん、あなたこれから市ヶ尾まで帰るんでしょ?乗り換えとか大変だろうから、もしよかったら車で駅まで送っていくけど、どうする?」

「えっ!そんな…忙しいのに申し訳ないです」

「いいのいいの!横浜は市場まで行くこともあるし、高速乗っちゃえばそんな時間かかんないから。こんな車でよければさ」

「ありがとうございます!あと…ごめんなさい…わざわざ送っていただいて」

「いいんだよ!まだ電車に慣れてないとこ、こんな遠くまで来てもらって悪かったわね」


 春奈たちは海老名のサービスエリアで一旦休憩のため下車すると、買ったメロンパンを片手にイートインスペースへ入っていった。


「ねぇ、怜名」

「ん…?ねぇ春奈、今日、あんなヤツのことで来させて本当にごめん」

「ううん!怜名が宮司くんのこと心配してるのわかったし」

「え?え?」

「あのさ、怜名…もしかして、宮司くんのこと好きなの?」

「えっ、ちょっと、何言ってるの春奈、やめてよもう」

 そう話す怜名は、顔は赤く、手はわなわなと震えている。

「ち、ちょっと暑いから、先にく、く、車に戻ってるね…」

「ん、あぁごめん、気のせいだよね、わたしの勘違い」

 そうその場をしのいだ春奈は、慌てて足早に車に戻る怜名を見てボソッとつぶやいた。


(…図星だ…)


<To be continued.>

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