#32 涙の理由は
【前回のあらすじ】
1学期も終わり、春奈たちは帰省の準備を進めていた。すると、一緒に帰るはずだった琥太郎が先に行ってしまったとの情報が。春奈は怜名とともに帰京するが、翌朝携帯に怜名からの着信が入る。琥太郎が、実家の自室へ閉じこもってしまったのだという。春奈は、横浜の実家から一路小田原へ向かう。
しばしの間があり、大きな屋敷から琥太郎の母が顔を出した。
「ああ、怜名ちゃん、わざわざ来てもらって悪いねぇ」
「いえ…どうですか…琥太郎くんは」
「それがねぇ…ふさぎこんでる訳でもないけど、ご飯にも出てこないし、何かしてる様子でもないから、ふて寝でもしてるんじゃないかしらね」
というと、琥太郎の母は玄関に戻り、突如2階に向かって叫んだ。
「琥太郎!あんた、いつまでグズグズ部屋に籠ってんだい!牧野さんとこの怜名ちゃんが来てくれたんだ、下りてきたらどうなんだい」
母の剣幕に、琥太郎の部屋から何か叫ぶ声が聞こえる。
「○×※△☆§¶…!」
しばらく、琥太郎と母は何事かやりあっていたが、あきらめた様子で門へと戻ってきた。
「怜名ちゃん、ごめんねぇ、あの子、用はないからって言ってきかないんだ…」
「いえ…こっちも急に来てしまったので…」
と口では返したが、怜名は眉間にしわを寄せた。
(何よ!失礼しちゃう…)
と、怜名は琥太郎の母を呼んで何事か二言三言ささやいた。琥太郎の母は再び玄関へ戻っていく。春奈は首を傾げた。
「?」
次の瞬間、琥太郎の母は先ほどの数倍はあろうかという声で叫んだ。
「琥太郎!あんた、冴島さんって子があんたに会いに来てくれてるよ!!」
すると、
「冴島!?」
という声とともに、屋敷の奥から大きな音が聞こえる。
ドタドタドタドタ…ガン!ガン!バタンバタン!ドサッ…
大きな物音がしたかと思うと、琥太郎が階段から転げ落ちてきた。怜名はあきれ果てた顔で、春奈の方を向いてボソッとつぶやいた。
「大成功」
春奈は、目の前の光景に呆気にとられ、口をポカーンと空けたまま立ち尽くしている。
「冴島…こんな小田原の山奥まで来るとか、どうしたんだよ…てかおまえ私服とか珍しくねえ!?びっくりなんだけど」
琥太郎は春奈の登場に興奮したのか、頭もボサボサのまま玄関先に現れた。母と怜名には目もくれず、春奈から視線を離さずに見やっている。
「あっそ。心配して見にきたのに、わたしの事は無視ってアンタ本当に失礼な奴ね」
「そうだよ、琥太郎、怜名ちゃんがわざわざ友達連れて様子見に来てくれたんじゃないか」
「別に…ほっとけよ。余計なお世話だってーの」
「はあ!?」
意地を張る琥太郎にイラついたのか、怜名も声を荒げる。
「ちょ、ちょっと、宮司くんも怜名もやめなよ!」
たまらず、春奈は2人の間に入る。怜名は頬を膨らませ、琥太郎は怜名を睨みつけている。尋常ならざる雰囲気に緊張が走る。春奈は、オドオドしながらも、あえて強く琥太郎に問うた。
「宮司くん、なんか理由あるんでしょ。お母さんいるから話しにくいんだったら、近くに公園か何かあるなら、そこで話聞かせてよ」
「…。あんまり言いたくねぇんだけど…」
なおもふくれっ面の琥太郎に春奈も少々イラついたのか、琥太郎にひと言つぶやいた。
「なら、もう帰る」
春奈は頬を紅潮させて、琥太郎を見た。
「あ、いやいやいやいや話す!話すから!俺と、怜名が卒業した小学校あるから、そこの校庭でいいか?うちの自転車使っていいから行こうぜ」
「わかった。小学校、案内してくれる?」
春奈の様子に慌てる琥太郎を見て、怜名が春奈だけに聞こえるぐらいの声で言った。
「…ふーん。春奈の言うことなら聞くんだ。単純な男…」
怜名の一言に琥太郎は表情を硬くすると、黙って門の方へ歩き出した。
登山鉄道沿いの道を折れると、長い坂の向こうに小学校の敷地が見えてくる。ただでさえ蒸し暑い風と強い日射しのところへ、気まずい3人が自転車を押しながら歩いている。先程の不毛な言い争いのせいで、誰も目を合わせようとしない。春奈は、ハンカチタオルで汗を拭うとキャップをさらに目深に被り、琥太郎と怜名が歩く方向へついていく。
琥太郎が沈黙を嫌うように口を開いた。
「ここが、俺たちの小学校。あそこの日陰にベンチがあるから、そこ座ろう」
校庭には、地元の小学生たちがあちこち走り回る姿が見える。すると、怜名が一瞬立ち止まって春奈に話しかけた。
「ちょっとわたし、ジュース買ってくるから二人で先行っててくれる?」
そういうと、怜名は自転車を止めて、向かいの米屋の軒先にある自販機へと走っていった。
「ハァーーーーーーー…」
怜名は苛立ちを隠そうとせずに、長く強い溜息を吐いた。自販機に入れようとした100円玉を、指先ではじいてしまい道路へ転がる。再びフン、と短い溜息を吐いて拾うと、米屋のガラスに映った自分の顔をまじまじと見つめてつぶやいた。
「…なんで、こんなイライライライラしてるんだろ、わたし」
「なんで、横浜住んでる冴島が、いきなり小田原にいるんだよ」
「心配してるから。宮司くんのこと」
「何を心配すんだよ。俺のことなんて別に関係ねーだろ」
琥太郎は、なおも強がった。刺すような強い口調に、春奈は一瞬ハッとした表情をすると、みるみるうちに口元が歪み震え出す。
「同じチームの仲間が、何かに困ってるから聞いてあげたい、助けてあげたいと思って話を聞くの…そんなに変なこと?」
涙が頬を伝って、明るい水色のブラウスを濡らす。春奈は手で涙を拭うと、再び琥太郎の方を向いて聞いた。
「みんな、色んな所から秋田学院にきて、きつい練習だとか、嫌なことも我慢してるの知ってるから、励ましあって頑張っていこうと思うの、そんなにおかしい?」
琥太郎は、春奈に背を向けて立ち尽くしている。春奈は、何かを続けようとしたが、手で顔を覆うと嗚咽を漏らした。琥太郎はしばらく黙っていたが、意を決したように言葉を発した。
「冴島さ…」
「…」
「俺、冴島よりも5,000のタイム遅いんだ。だから、もう陸上やめようと思ってる」
そういうと、琥太郎はすぐ後ろにあるベンチにどかっと腰を下ろして溜息をついた。
「…どうして。なんでわたしよりタイム悪いからって辞めるなんて」
「冴島は気にしないかもしれないけど、俺には気になるんだよ…」
止まらない涙をぬぐいながら、春奈は真っ赤な目で琥太郎を見つめた。
「…」
「だから、理由なんて言いたくなかったんだ…」
琥太郎は、空を見上げて改めて大きな溜息をついた。
<To be continued.>




