#26 ボーダーライン
【前回のあらすじ】
悠来が選抜テストに参加していないことを知った怜名は首をかしげるが、レースに集中しようと気持ちを切り替える。やがて、春奈と怜名たちの番がやってきた。緊張する怜名に、秋穂はリラックスのために笑わせようと試みる。レースが始まり序盤からハイペースで飛ばす春奈に対し、怜名は様子見のようだ。
佑莉は予想に反して、中盤になってもじりじりとペースを速めている。おそらく、自己記録を更新するペースだろう。怜名は迷い始めた。
(このまま、もうちょっと粘っていくか、ペースこのあたりで落とすか…)
すると、先頭を順調に走っている春奈とちょうど目が合った。春奈は、怜名を見ると右手をグルグルと回し、前方を指さした。
怜名は、一瞬考えた。
(これは…)
春奈はおそらく、行ける限りは行け、と言いたいのだろう。とはいえ、だ。怜名は心の中で春奈にツッコミを入れる。
(あのね、春奈、わたしと春奈じゃエンジン違いすぎますから…!)
一瞬、テンションに任せて佑莉を追うことも考えたが、冷静になるべく間を置いた。依然としてペースを緩めない佑莉からやや離れて、本来のペースに戻す。佑莉が徐々に遠ざかる。が、怜名とて進んでいないわけではない。
残りは3周を切った。この距離で8秒分過去の自分を抜かなければならない。佑莉ばかりに気を取られていて、春奈の存在を半ば忘れかけていた怜名は、ふと我に返り心臓がギュッと音を立てたような気がした。春奈がはるか前方を走っていたのだ。
(…春奈、速すぎるから!本当に周回遅れになっちゃうって!)
それでも、春奈のペースに気を取られてはいけないのだ。怜名は一瞬目を閉じた。ここからは自分のベストのペースを刻むことを考える。
秋穂は、怜名の走りをじっと見つめている。
(焦ったらあかんぞ…我慢我慢…)
春奈はベストに近いタイムで、他のメンバーを文字通り置き去りにしてゴールした。佑莉ももうそろそろ最終コーナーを回ろうかというところまでたどりついている。後ろには、礼香と田鍋明日香の姿が見えるが、2人とは半周ほど差がついている。ひたすら孤独なレースだ。秋穂との会話がなければ、春奈と佑莉の記録に焦ってオーバーペースになり、記録を落としていただろう。そろそろ最後のコーナーに差し掛かる。
ふと、コースの外にいる秋穂と目が合った。秋穂はサムズアップした右手をゴールに向ける。
(オッケー!)
呼応するように怜奈も右手でOKサインを作ると、一つ深呼吸した。
(それじゃあ、わたしもスパート…行きます!)
足の蹴り上げが力強さを増し、腕の振りも大きくなった。コーナーを抜けたタイミングで歯をグッと食いしばると、あとは直線だ。身体ごと飛び込んでしまえばいい。
小柄な体が軽やかにゴールラインを超えると、勢い余って転んでしまった。
「…あ…あいたたた…つつっ…」
顔を上げると、萌那香がこちらを見て、指で「5」「0」と合図した。
9分50秒。
初めて10分を切った喜びと、狙い通りの走りに思わず笑みがこぼれた。
秋穂が近づいてくる。
「やったなぁ、ナイスランやった!」
白い歯を見せて、2人でグータッチしてみせた。
トラックの中央に部員たちが集まり、本城が結果を読み上げる。
「それでは、来月からのA班メンバーを発表する。色々思うところはあるだろうが、これが今の自分たちの結果だ。結果は素直に受け止めること。そして、A班に選出された者には、拍手を送ること。いいか?」
「はい!」
生徒全員の返事が響く。萌那香が集計した用紙を広げ、発表を行っていく。
「では、発表を行うので呼ばれた生徒は起立して、前に並んでください。3年――梁川、川野、佐藤、住吉、薄井、苑田、相浦」
3年にして初めてA班に選ばれた相浦翼が、両手を挙げて喜びを爆発させる。同じく選ばれた愛花や真衣たちの祝福を受け、翼はうれし涙を流している。
「続いて2年。濱崎、近藤、加藤」
翼のうれし涙とは対照的に、大きくタイムを落とした芳野菜緒、そしてあと数秒で惜しくも選を外れた田口佑香の2人は悔し涙にくれている。初めてA班に選ばれた加藤夏海も、複雑な表情で2人を見つめている。
「そして、1年。冴島、高島、柿野、牧野、瀧原。以上です」
(やった…!)
表情こそ変えないが、怜名は心の中でひそかにガッツポーズをしてみせた。瀧原愛も、わずかにタイムを落としたもののA班のメンバーに選ばれた。愛が怜名のもとへ駆け寄る。
「牧野さん、おめでとう!わたしもなんとか残れたよ。これからよろしくね!」
「ありがとう!こちらこそこれからよろしくね」
他のメンバーもお互いを祝福していると、本城が再び話を始めた。
「今日はあと一点報告がある。2年の井田だが――、足のケガが思わしくないとのことで、現役を退くことになった」
「…えっ?」
「悠来先輩…?」
「…ん?足?」
本城の横で悠来は顔を背けていて表情が読み取れないが、周囲の生徒からはザワザワと声が上がる。
「静かに!それで、井田の今後だが、進藤のマネージャー業務を分担して行うことになる。つまり、専任のマネージャーとしては進藤に次いで2人目となる」
「…んんん?どういうこと?」
「いや、よくわかんない」
春奈たちも、突然の発表に頭に疑問符が浮かんでいる。
「ていうか、ひとつ言っていい?」
「どうしたの?」
「この前、ライブ行ったじゃん、文化会館に。あの時、アーケードで私服でぶらぶらしてる悠来先輩見たんだよね。ていうか、その時普通に歩いてたよ」
「ウソ!どういうことなんだろうね」
「うん。まぁいいよ、触れないでおこう」
「おい、ザワザワとうるさい!とにかく、井田がこれからも陸上部に尽力してくれるという決断は我々にも喜ばしいことだ。井田、これからも引き続きよろしく」
「…よろしくお願いします…」
悠来が頭を下げると、本城が大きく拍手をする仕草を見せた。が、続く拍手はまばらだ。
「拍手はどうした?」
本城に半ば無理やり促され、拍手が起こる。怜名がボソッとつぶやいた。
(多分、みんな同じこと思ってると思う…)
解散し寮へ戻る途中、春奈は怜名に尋ねた。
「そういえば、気になってたんだけど、怜名、いつ秋穂ちゃんとあんなに仲良くなってたの?」
それを聞いて怜名は、頬をプーッと膨らませて不服そうに答えた。
「ちっとも仲良くないよ!人が真面目に話してるのにふざけたりさ…」
「誰がふざけてるってぇ?」
怜名が振り向くと、ジトッとした目で秋穂が睨んでいる。
「あ、な、た!いつもふざけっぱなしだよね、後ろから顔つねったりとか、ヒザカックンしてきたり」
「んんん!?顔はつねったかもしれんけどヒザカックンは知らん!濡れ衣じゃ!」
「大体疑わしいのは秋穂ちゃんでしょ」
「え、何言うとん!」
「あー、怒った!わたしに怒った!もう逃げるから!」
「ちょう、コラ待て!」
そういうと、秋穂は猛スピードで怜名を追いかけて行ってしまった。取り残された春奈は、呆然と立ち尽くしている。
(いや…十分仲いいよね…今の時点で…)
<To be continued.>




