#24 スマイル
【前回のあらすじ】
怜名は選抜テストのことが気になり寝つけずにいた。すると、深夜のトラックから足音が。怜名が外へ出ると、足音の主は秋穂だった。1秒でもタイムを縮めたいという思いでふたりは深夜の自主練習に励むが、怜名は転倒して足を挫いてしまう。立ち上がれずにいると、寮母のマサヨさんに見つかってしまった。
怜名は、秋穂とマサヨさんの肩を借りるようにして、マサヨさんの部屋でもある寮長室へと入っていった。
「っていうかさ、こんな時間に抜け出してまで走るなんて、身体は休めなきゃダメだろうよ」
「はい、牧野さんがどうしても走りたいって言うんで…いたたたたた!」
軽口を叩く秋穂の頬を、怜名が渾身の力を込めてつねった。
「そういう、しょうもない冗談言うのやめてくれる」
「いたた…だからってつねらんでも…あ、いや、…ごめん」
ジトッとした目つきでにらみをきかせる怜名を怖がったか、珍しく秋穂が素直に謝った。
「ほら、ここに腰かけな」
マサヨさんに促され、怜名と秋穂はソファーへ座った。ひねったという右足を触られ、怜名は悲鳴を上げる。
「いだだだだ!」
「うーん…メチャクチャ腫れてるって訳じゃないから、軽い捻挫だろうけど、明日トレーナーさんにちゃんと見てもらった方がいい。とりあえず冷やしておくわ。で、喉渇いただろう、アンタたち。麦茶でも飲むか?」
マサヨさんがキッチンへ立ちふたりは部屋を見渡していたが、怜名があるものを指さして固まっている。
「ちょ…秋穂ちゃん、あれ、あれ!」
「ん?…うわぁ!」
「なんだいアンタたち、騒がしいね!」
「えと、マサヨさん、あのしゃ…写真、あれ…」
「ああ、あれはわたしだよ」
マサヨさんが「あれはわたし」といった写真には、750ccはあろうかというそれはそれはご立派なバイクと、その前に便所座りで木刀を掲げ、真赤な特攻服に身を包んだ金髪少女の姿があった。
「マサヨさん…あれはいつの…」
「おっと! それ以上はわたしもノー・コメンツさ。アンタたちぐらいって言っとくよ。若気の至りってやつだよ、あんまり触れなさんな」
滅多に入ることのない寮長室ににわかに興奮していたふたりは、すっかりおとなしくなった。
「ふぅん…やる気があるのはもちろん結構だけどさ、さっきも言ったように寝るのは必要な時間だからさ。それに、一応これ、規則違反でもある」
「…ごめんなさい!」
先ほどの特攻服の一件も手伝ってか、慌ててふたりは頭を下げた。
「ハハハ。そうは言っても、悪いことしてる訳ではないから、内緒にしておくわ。その代わり、夜は見通しも悪いんだ、あんまり無茶しないように。…ただ、そうは言っても、走りたいんだろう?」
マサヨさんにそう言われ、ふたりはじっとマサヨさんを見つめてうなずいた。
「さすがに深夜抜け出して走る子見たのは…2回目かな」
「えっ?前例あるんですか」
「そう。あかりだよ」
「梁川先輩!」
「あの子も、言い出したら聞かない子でね。千葉の中学校から入学したと思ったら、入学式終わって次の夜ぐらいからは走り始めてたぁね」
「さすが…先輩」
「真夜中の3時ぐらいだったかな。ドサッって物音が聞こえて、わたしが慌てて出てったら、あの子がトラックでゼエゼエ言いながらぶっ倒れてたんだ。あわててここに担ぎ込んでさ」
「えぇ…」
「でさ、あかりに聞いたわけよ。それは普段の練習の中じゃできないことなのかって。そしたら、言うわけさ、あかりが。…泣きながら」
「梁川先輩なんて言ってたんですか?」
「『今の私には1分1秒が大事なんです』ってね。『ほかの子よりも、もっともっと走りたいんです! 全員に勝つためにこれでも足りないんです』って、顔ベシャベシャにしながら言ってきたよ。さすがに止めたけど」
マサヨさんの話に、ふたりは神妙な表情で聞き入っている。
「そこからだよ。日中はストイックに自分を追い込んで、練習が終わったら勉強の傍ら資料室に入り浸って、トレーニング理論や栄養学の本を借りては読み込んで。それを続けて、今のあの子の立場がある」
マサヨさんは続けた。
「どんなに頑張ったって、ひとりひとりの人間には1日24時間しか与えられてないんだ。――これは全員に言ってることだけど、頑張ろうとして身体壊したら元も子もない。だから、食事、睡眠、身体のメンテナンス。それも含めて、限られた時間をどう使うかを考えていくんだね」
秋穂が口を開いた。
「春奈を――冴島を見て、マサヨさんどう思いますか?」
マサヨさんは一瞬驚いた表情をするも、すぐに苦笑いしながら答えた。
「せっかちだねえ、アンタ。わたしだって仙人じゃないんだから、ホイホイ答えられるわけじゃない」
「あ、すみません」
「春奈だろう?わたしもまだ大して話しちゃいないし、あかりのような努力型でもないけど、あの子は楽しんで走ってるよね。それがいい」
「楽しんで走る?」
「そう」
“楽しむ”というキーワードに面食らったような表情を浮かべて、怜名が聞いた。
「あかりは、強くなるために色々と考えながら必死にトレーニングと勉強しながら強くなった。春奈は、そこまで考えちゃいないよ。だけど、今は純粋に走るのが楽しい、速くなるのが楽しいっていう考えで、トレーニングもメンテナンスも勉強も、とんでもなく積極的に、前向き吸収してる。わたしも長いことここにいるけど、あんな子は初めてだね。そこが、あの子にだけあって、他の子にはないところ」
「ほぉ…!」
競技を楽しむという発想のなかったふたりは、心底驚いた様子で顔を見合わせた。
「とにかくこんな時間だから、今日は部屋に戻ってさっさと寝な。怜名、アンタは明日朝イチで本城先生に怪我の報告して、トレーナーさんに見てもらいなよ」
「はい! ご面倒おかけしてすみませんでした! ありがとうございます」
「いいってことよ! じゃあ、お休み」
怜名は、秋穂に支えられながら寮長室を出た。
「楽しむ、かぁ…」
「考えたこともなかったわ…なるほどなぁ」
「ねぇ、またこれからもたまに自主練付き合ってもらってもいい?」
「ん? あぁ、別に、ええけど…よいしょ」
「なんでそんな気乗りしない感じなの! わたしが誘ってるんだからもっと喜べばいいじゃん」
「フフッ…アンタ、おもっしょい子じゃの」
「え、なんでよ…あ、ここまでで大丈夫。おやすみなさい」
「ああ、おやすみー」
選抜テストは、あっという間にやってきた。
テストは各学年がそれぞれ2組ずつに分かれて3,000メートル走を行い、全選手のうち上位15名までがA班――選抜チームのメンバーとして選出される。テストは2か月おきに行われ、熾烈な生存競争が繰り広げられる。
例によって、怜名は緊張でガチガチになっていた。そこへ、
「それじゃ笑顔が足りんけん、笑わな」
秋穂が後ろからスッと現れると、今度は怜名の頬をニュッと引っ張った。
「あのさ…わたしのほっぺたはオモチャじゃないんですけどっ!」
そういうと、秋穂の手に爪を立てた。
「いだだだだ! 何しよん! もう」
「余計なことするからでしょ! イーッだ!」
じゃれあうふたりを見て、春奈はポカーンとした表情を浮かべる。
「あのふたり…いつからあんなに仲良くなったんだろう」
「ふたりとも、元気でええねぇ」
「あ、佑莉ちゃん」
「春奈ちゃん、今日はよろしなぁ」
選抜チーム入りを争う柿野佑莉が、春奈の隣に腰掛けた。春奈は佑莉と同じ組、秋穂と怜名もそれぞれ同じ組でのテストとなる。
「3年生からだよね…」
「うん、タイムでいうたらやっぱり上級生が有利やなぁ…」
佑莉と話していると、本城が現れた。
「よっし、時間だ。これから、3→2→1年の順にテストを始める。まずは3年の前半組だ。スタートラインにつくように」
3年生の13人のうち、はじめの6人がスタートラインに立つ。あかりを筆頭に副キャプテンの薄井沙織や、選抜チーム常連の川野淳子、苑田未穂といったメンバーが並ぶ。錚々たる顔ぶれに、1年生は言葉を失いスタートの瞬間を見つめている。
萌那香がピストルを手に、スタートラインへついた。
「それでは3年生の前半から…位置について――」
パァン!
スタートの瞬間から、スピードに劣る2名を置き去りにその他の4人が飛び出した。あかりが一気にスパートするかに見えたが、淳子がピタリと横について並走の体勢を取る。と、そこへタイムでは他の3人にやや劣る沙織が一気に抜こうと、コーナーの出口付近でさらにスピードを上げる。
「薄井先輩、速い!」
沙織はA班に選ばれてはいるが、持ちタイムの10分01秒付近には複数の選手がひしめく。同学年だけではない。ボーダーライン上にいる怜名も、沙織はA班に入るためのライバルといえる。
しばらく秋穂とじゃれていた怜名も、春奈のそばに座る。
「沙織先輩…相当飛ばしてる」
自己ベストを狙おうかという沙織の勢いに、怜名は表情を硬くした。
フィニッシュラインを最初に跨いだのは、やはりあかりだった。少し間が空き、淳子が戻ってくる。そして――
「苑田先輩と薄井先輩が競り合ってる!」
冬の間の走り込みを積み重ね、沙織は着実にスピードを上げていたのだ。年明けのタイミングでは10秒以上の差があった未穂とほぼ並ぶ形で最終コーナーを周って、最後の直線へと入る。
未穂もラストスパートの体勢に入るが、一瞬先にスパートを仕掛けた沙織がぐっと抜け出すと、ゴールラインへ倒れこむように飛び込んだ。
「沙織、9分56! 未穂、9分57!」
自分たちのレースを待つ3年生から、大きな拍手が巻き起こる。
春奈は、沙織の姿を遠まきに見ながらつぶやいた。
「JUST DO IT…だね」
「なんだっけ?」
「“行動あるのみ”とか、“やるしかない”とか、そんな感じ」
「…そうだね…行動あるのみ」
怜名は、意味を噛みしめるように深々とうなずいた。
続いて、3年生の後半組がスタートする。こちらもA班常連の住吉真衣や、佐藤愛花といった面々がいる中、選抜入りを狙いたいメンバーが挑むという構図になっている。
都大路での都道府県対抗女子駅伝の際に、本城に紹介されて入学前から連絡を取っていたという愛花に、怜名が声援を送る。
「愛花先輩! ファイトです!」
愛花は怜名の方を向くと、ニッコリと手を挙げてスタートラインへ向かった。
その時だ。愛花のその向こう側に、何やら話し合いの人垣が見える。本城が大げさなジェスチャーをしながら、誰かに説明を試みているが相手は興奮しているのか、話を聞く様子がない。
視力のやや優れない怜名は、目を細めてその様子をうかがうとつぶやいた。
「…悠来先輩だ…」
<To be continued.>




