#23 焦燥
【前回のあらすじ】
ライブも中盤となり春奈お気に入りのJULIAがステージへと登場。MCでアイドルとしての苦悩を語るも、前向きに進もうとするJULIA。熱狂のままライブは終幕し興奮さめやらぬ春奈たちだが、携帯にはマネージャー萌那香からのメッセージが。選抜メンバー選出のテストの知らせが届き怜名は心中穏やかでない。
ライブの興奮さめやらぬ様子の春奈は、寮に帰って自主練習を終えたあとも、しばらくはツアーグッズを見てはライブを思い出していたようだが、疲れたとみえ、消灯後まもなく寝息を立て始めた。
怜名は、消灯後も机に向かい、練習を管理するためのノートを開いていた。まだ、秋田にやってきて半月ちょっとだが、中学時代からの習慣で目標に対しての練習、その結果、体重などの数値を細かく記録するのが日課になっている。ノートを閉じると、部屋の灯りを消して怜名はバルコニーへ出た。
(はぁ…緊張するけど…やってきたことを信じるしかないかな…)
そう頭の中で繰り返すと、トラックから誰かの足音が聞こえた。
タッタッタッタッタッタッ…タッタッタッタッ
そして、足音が止まると、結構な距離を走りこんだのか、息遣いが小さく聞こえてくる。
(こんな時間に…誰?)
そう思い他の部屋を見渡してみたが、電気のついている部屋はない。しばらく止まっていた足音は、呼吸の乱れが収まるのとほぼ同時に再び聞こえ始めた。その瞬間、ひとつだけついている照明に、その人影が身に着けている反射板が光った。
(あっ)
腕に、2本のラインが光って見える。あれは――
(…高島さんだ…この時間に?)
その正体が秋穂だとわかると、部屋着だった怜名はトレーニングウェアにすぐさま着替え、春奈を起こさないように静かに部屋を出て行った。
秋穂はイヤホンを耳にして走り込みを続けていたが、うっすらと人影が近づくのがわかると足を止め、イヤホンを外して小声で叫んだ。
「――誰かおんのか?」
人影―怜名は秋穂に近づいてくると、答えた。
「高島さんでしょ?」
お互いの顔がわかる程度の距離まで近づくと、怜名は言った。
「高島さん、どうしてこんな時間に練習してるの?」
「いや、アンタこそ、何しよん…」
基本的に人がこない時間だけに、驚いた様子で秋穂が答えた。
「寝れなくて…水曜日のこと考えると」
「選抜テストか…」
「前回の結果、瀧原さんに5秒差だったんだ」
瀧原とは、秋田学院の附属中学から高校に内部進学した瀧原愛のことで、現在選抜のA班に選ばれている4人の1年生の中では最も遅いタイムだが、A班入りを逃した怜名よりわずかに先着している。1年生は春奈を筆頭に秋穂が続き、京都から進学してきた柿野佑莉、そして愛までがA班に選ばれている。15人の枠に、3年生が7人、2年生が4人。決して楽なハードルではないことは、怜名も痛いほど理解していた。
「そう言うても、中学の時の記録じゃろ」
「まあ、そうだけど、まだ入学してから一緒に走ってないから、どのぐらいで来るのか…」
と、秋穂はくよくよする怜名の腕を取ると、スタートラインへと連れていく。
「わわわ、何、高島さん」
「秋穂でええ、って言よるじゃろ。走る前から何をくよくよしとんじゃ。心配なら、練習するしかないんじゃ。行くぞ」
そういうと、怜名を気にする様子もなく、秋穂は再び走り始めた。
「ちょっと待ってって!ねえ、秋穂…ちゃん」
まだ秋穂のペースを掴めていない怜名は、慌てて後を追った。
怜名がスピード強化を図ろうとしているのを知ってか知らずか、秋穂は飛ばし気味のペースで粛々と走っている。春奈がいるから2番手なだけであって、普通の学校ならスーパーエースもいいところだ。追いつこうとしてスピードを上げても、すぐに息があがってしまう。
「やっぱり…速いね…」
「ん?何?競っとんの?今」
「秋穂ちゃんに少しでも追いつければ…ちょっとスピードつくかな…って」
その言葉を聞いて秋穂は眉間にしわを寄せ、急ブレーキのようにキュッと止まった。
「え、どうしたの?」
「どうしたもこうしたもないよ、アンタ、そんな今日一晩でスピードついたら練習いらんじゃろ…」
あきれた顔で怜名を見つめると、肩をすくめた。
「へへへ…そう…だよね」
弱々しい表情を見せると、怜名はトラックにしゃがみこんでしまった。秋穂はくるっと身体を回転させると、向き合うようにしゃがんで怜名に聞いた。
「何を、そなぁに焦っとんの?」
困惑する秋穂に、怜名は眉をへの字にして懇願するように話しはじめた。
「追いつけないと、春奈と秋穂ちゃんがどんどん先に行っちゃうから…」
「えっ」
「A班に行けないのがこんなにつらいなんて、最初は全然思わなかった…ただ、練習するうちに、わたしどんどん取り残されていくような気がしてて…」
「…」
黙って聞いていた秋穂が、突然怜名の両肩にポンと手を置いた。怜名は、びっくりして大きな目を見開いて秋穂をみつめている。
「ウチも思う。…どうすれば春奈に追いつけるか…」
「秋穂ちゃん…」
「春奈は天才じゃ。うちらが普通の練習してても絶対に勝てんし、じゃあ、とにかくスピードだけ上げたら勝てるか?絶対勝てん」
「そうだよね」
「ウチらは努力するしかない…頭も身体もフル回転させて、少しでも記録を縮めたい…」
秋穂の普段見せたことのないような険しい表情に、怜名もゴクリと唾をのんだ。
「さ、走るぞ」
「…うん」
怜名がうなずくと、秋穂から意外な提案があった。
「どんぐらいのスピードなら、ウチに合わせられる?一瞬のダッシュぐらいじゃスピード練習にはならん。どこまでアンタが粘れるかやけん」
多少スピードを合わせてもらったとして、秋穂のスピードについていくのもやっとだろう。だが、怜名はうなずいて答えた。
「わかった。できる限りついてってみる」
とはいえ、秋穂の性格上最初から手を緩めて、ということはありえない。初っ端から普段と変わりないスピードで走る秋穂に、怜名はすぐに離されかけてしまった。
「ほら、ついて来るんじゃろ!まだまだ粘っとかんか!」
「…ぐっ、はあ、はあ…粘ってますって…!」
怜名はそう言って強がったが、明らかに表情は険しく、顔には汗が滴る。拳を握りなおすと、歯を食いしばりスピードを上げた。なんとか、秋穂の横についたが、これが限界のスピードだ。
「アンタ、普段そんなフォームやったか?」
「…もう、うるさい…!」
並走しているが、余裕がないとみえ、言葉遣いも粗くなる。
(…へぇ、こんな子じゃったんか…)
秋穂はニヤリとすると、さらにスピードを上げて怜名を引き離しにかかる。
「…あ、ちょっと…ねぇ~」
怜名は頬を膨らませて秋穂を追おうとするが、その瞬間、
「キャッ!」
足がもつれて、怜名は転倒してしまった。秋穂はあわてて足を止めて駆け寄る。
「ちょ…大丈夫?」
「いてててて…右足やったかも…」
「えっ」
様子を見たいが、暗い中ではそれもできそうにない。
「困ったな…ウチの部屋まで歩けるか?」
そう言って、秋穂が怜名に肩を貸そうとした瞬間だった。
寮の方から、2人に向けて光が差した。懐中電灯だろうか。眩しくて2人が顔を背けていると、懐中電灯の主から呆れたような声が聞こえた。
「あんたたちは…1年生か? こんな時間に何をやってんのさ…捻挫か? とりあえずわたしの部屋までおいで、応急手当してあげるから」
声の主は、寮母を務める樋村雅代――マサヨさんだった。
<To be continued.>




