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#18 因縁

【前回のあらすじ】

春奈、そしてあかりの本気を見せつけられ悔しがる秋穂。ふたりと秋穂との差はじりじりと開きつつあった。悔しさのあまり自分の頬を叩く秋穂。まだ諦められないという秋穂は、再びあかりとの差をつけて並走の体制に入った。しかし、先頭をゆく春奈は、ふたりとの差をすでに半周近くつけていた。

 トラックの周辺にはにわかに人が集まり始めた。


 部屋に春奈がいないのを不思議に思った怜名は、部室から外を見るとトラックに人影があるのに気づき、慌ててみるほたち数人を誘ってやって来た。

「どう、1年生、同級生がめっちゃ頑張ってるの見てく?」

 萌那香の言葉に、怜名はトラックに視線を移す。そこには、都大路での姿がにわかに信じられないほど、スピードに乗って飛ばす春奈の姿があった。

 怜名は、大きな声を上げそうになり慌てて手で口を塞いだ。

(すごい…!これが、本当の春奈ちゃんの走り…!)

 他の1年生も、春奈のスピードに圧倒され、一様に言葉を失う。3キロに至る頃には、春奈とあかり、秋穂の間には半周近い差がついていた。

 春奈は相変わらず、ほかのふたりの存在を忘れたかのようにゆうゆうと走っている。


 すると、戦況を見つめる萌那香の耳に、場に似つかわしくない嬌声が響いた。

「それでさ、うちのパパが用意してくれたチケットで、こないだのレッドパビリオンズのライブ最前で見に行ったんだけど、ぶっちゃけ曲もビミョーだし、私が選んだ方がぜってぇマシじゃない?とか思ったわけ。やっぱり…」

 萌那香は、厳しい表情で声の主を一喝する。


「悠来りん!自主練中なんだ。雑談は寮に戻ってやってくれるかな」

 声の主は、朝練の前に春奈に絡んできた2年生の井田悠来だった。悠来は何を怒られているのか分からないといった風情で萌那香に口答えする。

「えー、だって自主練なんですよ?言ってみれば、個人それぞれで任せられてる時間なわけじゃないですか。だから、別に何喋っててもいいと思うんですよー。ていうか、聞いてくださいよ。私のパパって芸能…」

「別に悠来りんの話は聞いてないんだけど。何しにきたの?」

 強い調子で話を遮った萌那香の顔を見ることなく、悠来はトラックに目を移す。

「お!やっぱりあかり先輩、速いっすね!さすが私とおんなじ東京出身だけあるなー。やっぱり速い先輩はちがうなー。あれ、あかり先輩についてってるの誰ですかぁ?大したことないと思いますけど、でもあかり先輩についていってるだけマシって感じですかねー。つか、もう一人、あれ今日私の足踏んだ1年じゃないっすか!マジ調子こいててムカつくんすよねー。つか、半周遅れてないっすか?やっぱり態度なってないヤツとか最悪っすよねー。あかり先輩マジもっとぶっちぎっちゃっていいとおも…」

 ちょうど目の前を春奈が通過したタイミング。萌那香は、悠来の言葉を遮るように大きな声で春奈に叫んだ。


「3キロ!2分59!」


 春奈は、右手を軽く挙げて萌那香に合図した。


「え、2分59とか萌那香先輩、タイム間違えちゃってるんじゃないっすか・・?1年がそんなラップ出すわけないっすよね?周回遅れですよ?つか、うちの高校であかり先輩より速いタイムで走るのなんているわけないじゃないっすか!先輩いくら自主練だからって、タイムいい加減に測るのとかよくないと思うんすよねー。てか、先輩疲れてるんですよ!計測私がやってあげるんで、先輩早く寮に戻って休み…」

 あかりと、それに続く秋穂がやってきた。ストップウォッチを見やり、萌那香がやや怒気を含んだ声で叫ぶ。


「3分09!3分12!」


 そして、ふたりが右手を挙げたのを確認すると、悠来に向き直って叫んだ。

「悠来りんと冴島さんに何があったのか知らないけどさ、見るなら黙って観る、そうでないならさっさと寮に戻ってくれないかな?ついでに言えば、冴島さんは周回じゃない。むしろあかりと高島さんより先に行ってる!よく見てみな。あの走りで誰が周回遅れだと思う?」

 普段、声を荒げることのない萌那香の怒声に少し怯んだのか、悠来は押し黙り、トラックに目線を移す。しばし春奈の走りを眺めていると思いきや、萌那香が全く予想だにしなかった回答が返ってきた。


「あれは、まぐれです!」

「ハァ!?」


「まぐれですよ。よくわからない1年生が、あかり先輩より先に走ってるわけないと思います!それか、ハンデついてたか、フライングしたか!」

「ハンデ?最初に横一線でスタートしてるけど?スタートも私が合図出したし、第一フライングなんてした日には、私が言わなくたってあかりが止めるでしょ」

 意味不明の反論に、首を捻りながら萌那香は応えた。しかし、悠来は執拗に食い下がる。

「でもそれって、証明できるのってあの3人と萌那香先輩だけですよね?私が見てないから、たとえそうだとしても私は認められないです」

「えぇ!?もう一体何言ってるの!?」

「まぁ、ぶっちゃけあかり先輩でも万全な状態のわたしには適わないと思いますけどね。だって私『井田姉妹』でマジ有名なんで!つか、そらだってこの前自己ベスト出して、ぶっちゃけ同年代にマジで敵なしって感じなんで!じゃ、私もう眠いんで、お先失礼しまーす♡」

 言いたい放題言い散らかして、悠来は連れていたふたりと一緒に寮へ戻っていった。

 萌那香は、掛けていた眼鏡をはずすと、顔を手でゴシゴシと拭くそぶりをして、ひとつ大きな溜息をついた。

(一体、誰に何を言いたくてここに来たんだか…)


 萌那香と悠来のやりとりにひやひやしていた怜名も、再びレースに視線を戻した。横では、みるほたちその他の1年生が春奈についてひそひそと話をしていたが、春奈が近づいてくると、誰からともなく声を上げ始めた。

「冴島さーん、すごい!頑張れー!」

「春奈ちゃん、やるやん!めっちゃ速い!」

「ファイトー!梁川先輩と高島さん、半周以上離れてるよ!」

 その声に、ペースを上げてから一心不乱に走り続けてきた春奈が一瞬我に返る。1年生たちの方を向き、右手でサムズアップのポーズをしてみせる。怜名が笑顔で叫んだ。

「春奈ちゃーん!カッコイイよ!頑張ってー!」

 その声に再び右手を振って応えると、しなやかなスピードで再びトラックの奥へ消えていく。


「ハアッー…ハアッ…ハアーッ…ハアアッ」

 秋穂は、未体験の距離とスピードに翻弄されていた。

 前半のオーバーペースが祟り、3.5キロを過ぎる頃には呼吸もフォームも乱れ、あかりとの距離も再び開き始めた。このままでは、それこそ春奈に周回遅れにされかねない状況だ。

(冴島春奈…あの子バケモンか…!?)

 超高校級のふたりを追うのに必死で、もはや何かを冷静に考えるだけの余裕と体力はない。目に見える目の前の道のりを、ひたすらに消化するしかない。口の中の水分が消えてしばらく経つ。

(こりゃ…いかん…けんど…)

 最初に勝負をふっかけたのは自分だ。秋穂はもはや、そのプライドだけで走っていた。

(負けたら…これで負けたらほかの1年に顔向けでけん…)

 その時、トラックの外に待っていた集団から声が飛んだ。声の主は怜名だった。

「高島さぁーん!頑張ってー!」

 その他の1年生も続く。

「高島さんファイトー!」

「いいよ!高島さん、頑張れがんばれ!」

 入学以来、ストイックに自分と向き合ってきたつもりだった。春奈に勝つことを目標にして、他の部員と馴れ合うことは無駄で、意味のないことだと思ってきた。会話もろくにかわしていないはずの部員たちから、声援を送られたのが嬉しいやら、恥ずかしいやら。苦しい呼吸のせいだけではない、気恥ずかしさも手伝って真っ赤な顔をして秋穂は軽く手を挙げた。視線は向けられなかった。余裕がないのはもちろんだが、

(今更…どんな顔すればええんか…)

 必死の走りの中なのに、秋穂は思わず両手で顔を覆ってしまった。

「高島さん…もしかしてお茶目?」

 怜名がボソッとつぶやくと、他の部員も笑顔でうなずいた。


 先頭の春奈は、残りあと1周というタイミングにさしかかろうとしていた。


<To be continued.>

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