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#16 手加減なしで

【前回のあらすじ】

春奈と怜名は、東京からやって来た同級生でアイドルオタクのみるほの部屋を訪れる。みるほは、自らが推すアイドルグループLUNA∞のライブへ一緒に行こうと春奈たちを誘った。部屋に戻った春奈は、怜名から悠来に関する悪い噂を聞く。春奈は、危害が及ぶことを恐れて怯える怜名を必ず守ると約束した。

 あかりは、準備万端といった風情で軽めのストレッチをしながらスタートラインへ向かう。


「じゃ、萌那香、タイムよろしくね」

 あかりに呼ばれ、ストップウォッチを片手に現れたのは3年生の進藤萌那香しんどうもなかだ。萌那香はもともと選手として大会などにも参加していたが、膝の故障で選手としての一線を退き、チームのマネージャー的な役割をこなしている。

「わ、進藤先輩、わざわざすみません!」

 春奈が恐縮すると、萌那香は笑顔で返した。

「いいの。あかりとトライアルするチャンスなんてなかなかないと思うから、ふたりとも頑張ってね。じゃ、準備はいい?そろそろスタートするから」

「あ…」

「どうしたの?」

「ちなみに、これ、距離いくつですか?」

 春奈に問われると、あかりは意地悪な笑顔を浮かべた。

「えとね、5,000メートルで」

「えっ!」

 いくら新記録を5,000メートルで記録したとはいえ、女子中学生の練習メニューは基本的には3,000メートルだ。心の準備ができていない春奈が戸惑うと、あかりは意地悪な笑みを浮かべた。

「3,000なんて、すぐ終わっちゃうじゃん。せっかくのトライアルだから、長距離勝負がいいかなって!」

「いいですね!お願いします!…ほら、アンタ、何ボーッとしとん!」

「ハハ…わかりました」

 ノリノリのあかりと秋穂に囲まれ、春奈は苦笑いを浮かべた。


 あかりの両脇を、春奈と秋穂が挟むスタートライン。あかりがつぶやく。

「これは、練習じゃないからね。普通にレース。だから、手加減なしで!」

「はっ、はい!」

「了解です!春奈、アンタも手加減なしじゃけえ」

「えっ、そんなこと言ったって、いきなり先輩とか秋穂ちゃんとか…」

「ゴチャゴチャ言わないの!じゃ、萌那香、よろしくね」


 萌那香が、ストップウォッチを持った右手を掲げる。一瞬、その場の時間が止まる。

「位置について!…用意…」

 ピッ!


 短いホイッスルの合図に、3人が同時にスタートラインを飛び出す。早くも、長いストライドを武器にあかりが頭一つ飛び出すのを、春奈と秋穂がすぐさま後を追う。最初のコーナーの内側をあかりが奪おうとするところに、秋穂が体ごと飛び込む。もつれあいになりそうなところを、秋穂がいち早く体勢を戻して先行する。驚いた春奈は、ふたりの後ろへ下がってしまった。

「アンタ、ビビっとんか?」

 秋穂が挑発するように、後ろを向いて春奈に叫ぶ。

「そんなこと…!」

 先行したふたりを慌てて追いながら、春奈は反論した。が、先輩やチームメイトを押しのけてまで前に行くだけの勇気が出ない。直線に戻ると、3人は再び並ぶ形になった。が、目の前にはまたもやカーブが迫る。今度は、先ほどより数歩前のタイミングで前に出ていたあかりがグイグイと加速する。春奈が先行したあかりを追おうと、秋穂と同じタイミングでコーナーに入っていくが、秋穂の素早い身のこなしにかわされてしまった。

 1周目を終えて、あかりの後ろには数秒遅れて秋穂が、さらにそのすぐ後ろには春奈がふたりを追う展開となった。


「ねえ!」

 急にあかりが後ろを向き、春奈に向かって叫んだ。

「遠慮はいらないって言ったよね!」

「遠慮してないです!」

「嘘!記録持ってる人が、わたしのペース抜けないはずないでしょ」

「だって!」

「だっても何もないでしょ!本城先生に言われたこと忘れたの?」

「えっ…」


(全国高校駅伝で優勝するために、全員が切磋琢磨して努力を重ねるのが部活ってもんだ。だから、今並んでいる君たち全員、仲間でもあるがライバルだ)


 朝礼での本城の言葉が、春奈の脳裏に浮かぶ。あかりがさらに続けた。

「多分、キミ、私に遠慮してるのわかるんだ。でもさ、遠慮してたら、チームが強くならないんだよね」

 春奈は走りながら、あかりをじっと見つめて頷いた。

「私も、別に遠慮してほしいとか、勝たせてほしいとか1ミリも思ってないから。今朝のキミたちみて、二人と私がどんどん競えるようになれば、チームは全国で優勝できるって思ったから、このレース頼んだんだからさ」

 そして、息をすうっと吸うと、さらに大きな声で叫んだ。

「今この瞬間から、一切遠慮は無用!残り11周半、全力でよろしく!ハイッ!」

 そういうと、両手をパァンと叩き、合図のようにふたりを見やった。

 春奈は秋穂と顔を見合わせるとふたりで頷き合い、前のあかりを追うべくスピードを上げた。


 再びコーナーを出てきた時には、3人が並ぶように走っていた。春奈は、あれほどあかりに言われながらも、あかりと秋穂を抜き去って走ることにためらう気持ちがまだ拭えずにいた。

 突然、脳裏に母の琴美と交わした会話の記憶がよぎった。それは、秋田に行くことを決め、琴美に伝えた時の会話だった。


「子供の時、あんなに引っ込み思案だったあんたが、陸上競技を続ける気になるなんてね」

「うん?」

「覚えてない?」

「なんだっけ…」

「デンバーの頃、小学校の時には何をするにも現地の子たちに押し負けちゃって毎日泣いて帰ってきたり、劇でも最後まで手を挙げられなくて一番最後に残った役ばっかりやってた春奈が、競争のあることに夢中になるなんてね」

「うん…別に、今でも人前に出るとか、別に好きじゃないよ…でも」

「でも?」

「なんで自分がこんなに足速いとか、それは今でもよくわかんないけど、自分が頑張ってみんなが笑顔になるんだったら素敵だなって思ったんだ」

「なるほどねぇ」

「だから、人と競争するのが別に好きなわけじゃないけど、頑張った結果でみんなが笑顔になるなら、それは頑張ろう、って感じかな…」


 一連の会話を思い出して、横浜にいる琴美の笑顔を春奈は思い出していた。

(頑張ったら、お母さんが、笑顔になってくれるかな…)

 心の中で、前に行こうとする気持ちを押し留めようとする自分もいた。その気持ちを振り切るように、春奈はひときわ大きな声で叫んだ。


「それじゃあ…行きます!」


 両手の指先から、足先に至るすべてに張り巡らされた神経をフル稼働させて、自分の身体全体に念じた。


 ――「全力で前へ」と。


 並走していたあかりと秋穂には、春奈がグイッと勢いを増したように見えた。というより、何かに押されて、胸のあたりがグッと突き出されたようにも感じた。明らかに、それまでと走りが違うことは明白だった。思わず、並走していたふたりは顔を見合わせた。


「これが日本記録保持者のスピード…」

「ありえん速い…!」


 驚くあかりと秋穂を後目に、春奈はどんどんスピードを増す。あっという間に、10数メートルの差がついた。逆に、これまではペースを握っていたあかりの走りに戸惑いが見えた。


(あの子を追うか…ペースを守るか…)

 そう逡巡するうちに、秋穂がスピードを上げた。

「大丈夫!?」

 持ちタイムをおそらく大幅に超えるペースに、思わずあかりが問うと、

「同期に先行されて追わないわけにはいきません!」

 未体験のスピードに表情を少し歪めながら、そう言い残して秋穂は前へと出て行った。


<To be continued.>

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