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#149 待ち人の行方

 春奈たちが秋田学院を巣立ってから、すでに1年半の月日が経っていた。


 女子陸上部のメンバーは、陸上を辞めて進学、就職する者や大学や実業団で競技を続けるものなど様々で、10数名の卒業生がほぼ別々の進路を歩んでいた。しかし、競技を続ける者たちは、やはり駅伝の場で顔を合わせることもある。大学2年生のとある秋の日に、彼女たちは仙台へ集まっていた。それは勿論――それぞれのチームのタスキをつなぐ、駅伝を走るために他ならない。


「あっ、いた! おーい、怜名! それに、さーやも!」


 高校時代と同じ、臙脂色のジャージに身を包んだ涼子がにこやかに手を振る。その元へ、怜名と沙佳が駆け寄る。怜名は駆け寄ると、ぴょんと跳ねて涼子に飛びついた。


「涼子ー! 久しぶり!」


「わっ、相変わらず元気有り余ってんね、怜名!」


「そ、今日みんなに久しぶりに会えると思ったら、ウキウキしちゃって」


 水色のジャージ――望海大学の女子駅伝部に進んだ怜名は、鮮やかなそのジャージの袖をまくって沙佳を見上げる。沙佳は涼子と同じ臙脂色のジャージだが、また別のチームへと進んでいた。


「さーや、名東の練習はどう? 日本一のチームだから、色々大変じゃない?」


 涼子が訊ねると、沙佳ははにかんだ。今春秋田学院を卒業した沙佳は、4連覇を達成している名東大学へ進学していた。


「正直、中学、高校の時よりも厳しいですけど……皆さん、連覇に向けて必死なので、わたしも負けてらんないって感じです。あっ、他の皆さんも来ましたよ!」


「久しぶりー!! 元気だった!?」


「愛花先輩! それに天さん、真理も!」


 怜名が振り向く。濃紺のジャージは、男女ともに強豪として知られる同洋大学だ。4年生になった佐藤愛花の後から、天と真理が歩いてくる。


「すごいね、秋田学院OGが勢揃いじゃない」


 天が驚いたように目を見開いた。秋田学院のOGだけではない。かつて、高校時代に鎬を削ったライバルたちが再び集い、開会式前のこの集合場所はさながら同窓会のようだ。すると、真理が手元の紙を広げて首をかしげると、涼子に訊ねた。


「そういえば涼子、ほーたんは? ……メンバーにも入ってないから、怪我でもしたのかなって天さんたちと話してたんだ」


 真理が涼子の方を向くと、怜名たちも会話を止めて振り向く。涼子は、自分に視線が向いていることに気がつくとごく気まずそうに、ゆっくりと口を開いた。


「……い、いやー……あの、……実は、えっと……」




「そうか、皆によろしく伝えて。元気そうで良かったよ。学業の調子はどうだい?」


 電話口のひかるの声に、春奈は笑顔で頷いた。明日仙台に赴く前に、ふと思い出したようにひかるに電話すると、県高校駅伝を直前に控えた練習を終えたばかりだという。


「おかげさまで、勉強も楽しいです。バイトとインターンも掛け持ちで始めて、サークルは国際交流会に入ってます! へへへ……あっ、真輝ちゃんたちは元気ですか?」


 学生生活を謳歌している春奈の様子に、ひかるも思わず笑顔を浮かべる。


「コハルがすっかりエースの顔つきになってきたよ。あれからいい生徒たちが入ってきてくれるようになったし、春奈、キミたちのおかげだよ」


 春奈たちの活躍で初優勝を飾った秋田学院――その名を新たにした秋田学院大学秋田高校は、すっかり強豪校として認識されるようになっていた。昨年の全国高校駅伝でも優勝を飾ったひかるは、その特徴的な指導方法から「高校駅伝界の風雲児」と呼ばれ、取材を受ける機会も激増していた。しばらく春奈と談笑していたひかるだが、とある話題になると突然声を落として春奈に訊ねた。


「そういえば……春奈、秋穂のことは聞いてるかい?」


「えっ?」




「「や、辞めちゃったの!?」」


「しっ、しーっ!!」


 思わず怜名たちが大声をあげると、涼子は慌てて人差し指を立てる。秋穂は、つい先日に鹿鳴館大学を中退していたという。思わず、怜名は涼子に詰め寄った。


「だって、秋穂から何の連絡もなかったよ? 特に問題があるようには聞いてなかったのに……どうして!?」


「そうそう、だって去年の杜の都も1区区間賞だし、タイムだって順調だったのに……怪我したとか?」


 天も不思議そうに訊ねた。他のメンバーも、呆然として涼子の方を見つめている。涼子は困ったような表情を浮かべると、仕方ないといった様子で渋々口を開いた。


「監督さんから、しばらく黙ってろって言われてるんだけど……でも、まぁ、みんなだから……内緒にしててくれるなら」




「どうして、そんな急に……?」


「あの子、マラソンに挑戦したくなったんだって」


 ひかるがため息まじりにつぶやくと、春奈は心配そうに眉をひそめた。あかりや史織といった先輩ランナーたちがオリンピック代表候補に選ばれるのを眺めるうち、秋穂にはマラソンへの渇望が芽生え始めていた。


「あと2年、大学に通ってからでも遅くはないって言ったよ。それでも――初めてだよ。秋穂が、頑なに今じゃないとダメだって」


「……」


「もう、ご両親には話をしてあって。鹿鳴館を中退することで、ウチの学校とのコネクションが無くなると心配して、それであの子は電話を寄越してきたんだけど――」


 心配そうに語るひかるの声を遮るように、春奈が聞いた。


「それ、……いつの話ですか? 秋穂ちゃん、次どうするかとか決めてるんでしょうか…‥」


 ひかるは一瞬の沈黙の後、電話口で首を横に振ると言った。


「先週の話だよ。少なくとも、あの時点で身の振り方は決めてなかった……進路に困っているようなら、古瀬先生を紹介すると秋穂には言ったんだけど……大丈夫だと」


 窓の外を見つめる春奈の表情が、すっと暗くなった。




 間もなく11月を迎えようとしている杜の都は、秋風もひんやりとしている。宿泊先のホテルを抜けて、ウオーミングアップを終えた怜名は携帯電話を取り出した。着信ランプがピンク色に光っているのを確かめると、画面を繰って届いたメールを開く。


『いよいよ今日だね! あとで応援に行くから、区間賞目指してファイトだよ♪ 春奈』


(また、簡単に言ってくれちゃうんだから)


 思わず、苦笑いが漏れる。春奈とは夏休みや年末年始を利用して会ってはいるものの、この夏は春奈がインターンシップに応募していたため会えていなかった。


『了解! れなちゃんの勇姿、しっかりと目に焼き付けるんだぞ?』


 春奈にそうメールを返すと、再び受信トレイを開く。しかし、昨晩春奈から来た以外にはメールマガジンが届いているばかりだ。何通もメールを送った「待ち人」からの返事はない。


(秋穂……どうしちゃったの!?)




「……すーっ……」


 翌日、新幹線に乗り込んだ春奈は座席でうつらうつらと微睡んでいた。昨日もアルバイトを終えた後に深夜までゼミの課題に終われ、眠りに着いたのは日付が変わってからだった。すると、バッグに入れた携帯電話が鳴っているのに気づいて慌てて目を開く。


(誰から……あっ!)


 着信が入っていることに気づくと、慌てて席を立ってデッキへ急ぐ。携帯電話を開き、着信相手の名前を確かめるとすぐに受話ボタンを押した。


「ねえ秋穂ちゃん、急にどうしたの……」


「おう、春奈、今日仙台に行くんじゃろ?」


「えっ? そ、そうだけど、秋穂ちゃんは今どこ……」


 春奈がそう言い終わる前に、秋穂は半ば一方的に口を開いた。


「今、仙台におる。この後、駅伝見に行くんじゃろ? 後で会おう。着いたら駅で待ち合わせよう――待っとる」


 プツッ


 通話が半ば一方的に切れる。春奈はむくれたように少し頬を膨らませると、車窓から流れる風景を見つめた。


(秋穂ちゃん……これから、どうするの?) 




 スタート地点の仙台市陸上競技場には、色鮮やかな25校のユニフォームが集う。


『杜の都・仙台に、大学日本一を争う25チームが揃いました。全日本大学女子駅伝、号砲まであと10分を切りました。4連覇中の昨年の優勝校・名東大学が前人未到の5連覇に挑む中、それを阻止せんと伊予大学、鹿鳴館大学といった強豪も名乗りをあげています。そんな中、ノーシードから出場を決めた望海大学も初優勝に向けて戦力が非常に充実しており、さながら戦国駅伝といった様相を呈しております――』


 実況に呼応するように、カメラがスタートラインに立ち並んだ選手たちを映し出す。望海大学の1区ランナーとして走る穂乃香はきょときょとと左右を見回すと、見知った顔が手を振るのがわかり、ぱっと笑顔を浮かべた。


『この1区、注目選手は名東大学のマケナ・ムワンギ、そして日東大学の2年生桜庭さくら、鹿鳴館大学の森谷紘美らがいます。また、ノーシードからの復活を目指す紅学館女子大は4年生の住吉真衣。3年ぶりの出場となる秋田学院大は3年生の近藤有希、望海大は1年生の松山など、近年強豪校に成長した秋田学院出身の選手が非常に多い区間です。さぁ、大学女子ナンバーワンに輝くチームはどこか、注目して見ていきましょう――』


 黄色いガウンを羽織ったスターターが、高らかに叫ぶ。


「10秒前」


 選手たちの間に、緊張が走る。ゆっくりとスターターの右手が上がると、じり、という足音が聞こえる。


「On your mark」




 郡山を過ぎて10分ほど過ぎた頃だ。突然、流れるように見えていた車窓の風景がゆっくりと止まり始める。異変に気づいた春奈が顔を上げると、新幹線はキイイィィ、とけたたましいブレーキ音をたててその場に停まってしまった。


「……何?」


 春奈が車内を見回すと、やがてアナウンスが聞こえる。


『只今、走行中の車内にて異常な音を検知したため、この電車は車両点検のため一旦停止いたします。お客様におかれましては、ご迷惑をお掛けしますが今しばらくお待ち下さいませ』


(えっ……!? 間に合わない、どうしよう?)


 春奈は、慌てて携帯電話でワンセグの画面を開いた。すでにレースはスタートしており、1区も終盤に差し掛かろうかというところだ。慌てて、秋穂にメールを送る。


『どうしよう、新幹線停まっちゃった。。。』


 携帯を閉じてしばし待つが、新幹線が動き出す気配も、秋穂からのメールの返信もなく、春奈はじれったそうに唇を噛んだ。




『1区先頭でタスキを繋いでいったのは、女王・名東です! 1区のエース・ムワンギが今トップで中継所を通過していきました! 次いで、日東大の桜庭が2位、続いて大京文化大が3位でタスキリレー……4位には紅学館女子大の住吉真衣がやってきます!』


 中継所のモニターを見ながら、第5中継所で待つ怜名は心配そうに空を見上げた。春奈から聞いていた予定ではすでに仙台に到着しているはずだが、一向に中継所に春奈がやって来る気配はない。さらに、秋穂と連絡が取れない状況であることも不安に拍車を掛けた。


(春奈……秋穂……どうしちゃったんだろう……?)


「怜名っち!」


「怜名先輩!」


 怜名のもとに、真理と恵理子がやって来る。恵理子もまた、卒業後郷里の九州に戻り、九州商科大学の陸上部で駅伝を続けていた。水色、濃紺、白地に赤と、それぞれが別々のユニフォームに身を包んでいる。


「なんか、みんなユニフォームバラバラで変な感じ」


 怜名が言うと真理たちは笑ったが、すぐに真剣な顔に戻ると恵理子が聞いた。


「春奈先輩、まだ来てないんですか?」


「うん……予定では、そろそろ来るって聞いてたんだけど」


 すると、モニターにニュース速報が流れるのが見え、怜名は駆け寄ると目を見開いた。


『東北新幹線 異音検知の影響で遅延』


「あっ……これ……」


 怜名が表情を暗くすると、真理もため息をついた。


「さえじ、レース終わるまでに来れるかな……」




 ギィ……


 停車している時間は、とてつもなく長く感じられた。ようやく新幹線が動き出すと、腕時計に目をやった。当初の到着見込みの時間を過ぎてはいるが、これ以上の遅れがなければギリギリ観戦ができるかどうか、というタイミングだ。小さくため息をつくと、再び携帯電話が鳴る。メール着信のアイコンを押すと、秋穂からのメッセージが届いている。


『走れるか? 6区ならギリギリ間に合う。とにかく、新幹線改札で待ってる』


 春奈はため息をつくと、シートに身を沈めた。




『2区を終えて、依然トップは名東大学ですがこの3区、同洋大学のキプコリル、大京文化大学のヌデレバと留学生ランナーが控えています。勝負はまだまだ分かりません。この後、最長のエース区間5区にいい位置でタスキを渡すことができるのはどの大学でしょうか?』


 秋田学院改め、秋田学院大秋田高校の寮では、ひかるやエミーたちはもちろん、最上級生となった真輝たちがテレビを食い入るように見つめている。


「ねえあおちゃん、このあと学院出身の先輩たちって誰が走るんだっけ?」


 真輝が問うと、あおばが手元のパソコンでエントリーを調べている。


「このあと4区に涼子先輩と友萌香先輩、6区で真理先輩と怜名先輩が走るっテ! ほかにも、その上の先輩たちもいるみたいだけど……秋穂先輩、どうしたのかナ」


 あおばが首をひねる様子を、ひかるは腕組みしながら無言で見つめている。数日前の電話のやりとりを思い出し、ひかるははぁ、と大きなため息をついた。


(秋穂、本当に……キミのその選択には勝算があるのか?)




『間もなく仙台、仙台です。仙石線、仙山線、常磐線はお乗り換えです――』


 アナウンスが始まるとほぼ同時に立ち上がり、春奈はバッグを提げた。レースの様子もしかり、秋穂の様子も気にかかる。ドアの前に立つと、携帯を取り出してせわしくメールを打った。


『そろそろ着くよ』


 春奈は顔を上げた。仙台駅のホームに新幹線が滑り込み、扉が開くと同時に駆け出すと、すぐに息が上がり始めたのに気づき春奈は苦笑いした。


(身体鈍りすぎ……)


 ふと、腕時計に目をやる。すでに、第3中継所を通過する予定の時間は過ぎていた。慌てたようにホームを見回すが、初めて降り立つ駅ゆえどの階段を降りればよいのか、と春奈は戸惑った。思わず、顔が険しくなる。


「もう……急いでるのに!」




『3区で大幅な順位変動がありました。現在トップを走るのは、3区キプコリルで首位を奪還した同洋大学です! 同洋大学の4区・佐藤愛花を、2位の名東・荒畑と3位の鹿鳴館・三本木が追っていきます!』


 実況のその声に、思わず怜名たちがプッと吹き出す。


「すごいね! 1位2位3位、全部秋田学院じゃん」


 怜名が言うと、恵理子もうんうんと頷く。


「それに、6区だってわたしたち3人走りますもんね」


 真理は、シューズの紐を結び直すと感慨深げにつぶやいた。


「高校であの環境を経験できたのは……大きかったよね。ひかるさんに指導してもらったことも今活きてるし、さえじがいたから、どこまでやらなきゃいけないのかっていうのも分かったし」


 真理たちの会話を聞いていたかのように、実況が叫ぶ。


『なんといま先頭から3位までを走る同洋、名東、鹿鳴館ですが全て秋田学院出身のランナーたちです! 同洋は4年生の佐藤愛花、名東は1年生の荒畑沙佳、そして鹿鳴館は2年生の三本木涼子です。鹿鳴館は2年生エースの高島秋穂を欠く状況ですが、この三本木、大学入学以降で大幅にベストタイムを短縮した期待のランナーです! 全国高校駅伝3連覇を目指す秋田学院出身の選手たちが躍動しています』


 怜名は、「秋穂」の名前に反応すると小さくため息をついて、伸びた髪を結び直した。


(秋穂も春奈も……自分で抱え込まずに、もっと相談してくれたらいいのに)




「もっと……相談してくれたらよかったのに」


 仙台駅の改札口で待っていた秋穂を見つけて早々、問い詰めるように春奈は口を開いたが、秋穂はニヤリと笑みを浮かべると言った。


「それはお互い様じゃろ。人に相談しても、変えられん気持ちっちゅうもんもあるよ」


 そう言うと、秋穂は一枚の名刺を取り出した。鮮やかなオレンジ色の名刺には、企業のロゴマークと共に肩書が書いてある。


「『ロイヤルホーム株式会社 本社広報・宣伝部 PRグループ 第2チーム 高島秋穂』……?」


 不思議そうに名刺を凝視する春奈の荷物を持つと、秋穂は言った。


「とりあえず、細かい説明は後じゃ、時間がない。怜名たちの応援に行くんじゃろ? 今なら、タクシーでまだ間に合う。急ごう」 


 言い終わる前に、秋穂は春奈の手を引いてコンコースを走り始めた。



<To be continued.>

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