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#148 クロスロード

 階下から、新聞配達のバイクの音が聞こえる。春奈は急いで寮の1階にある郵便受けへ急ぐと、(おもむ)ろに配達されたばかりのスポーツ新聞を広げる。1面の記事を凝視すると、天を仰いで大きなため息をついた。「中央スポーツ」の1面には、チームの優勝もそこそこに、春奈がレースを走る写真と共に大々的に見出しが並んでいる。




”秋田学院・冴島 電撃引退! 駅伝日本一が置き土産 競技継続せず大学進学へ”




「はああああぁぁぁ……あっちゃあ……」


 まだ誰も起きていない、静かなホールで春奈はうなだれた。だが、そうした見出しが新聞に並ぶのも無理はない。まだまだこれからと思われた日本記録保持者の突然の引退発表は、本人が思う以上にセンセーショナルに報じられていた。京都から戻った翌日、岩瀬の胴上げを撮影するために集まった報道陣の前で、ひかるが春奈の引退を報じると報道陣は色めき立った。


「さっ、冴島選手、引退の理由は何でしょうか!?」


「チームが日本一を飾り、まだまだこれからという時に……なぜ引退という選択を!?」


 ひかるは、慌てて報道陣を制するように手を広げた。春奈がいつぞやのように驚き、固まってしまうのではないかという配慮からの行動だったが、振り向いて春奈を見るとひかるは思わず目を丸くした。春奈は、落ち着いた表情でゆっくりと切り出した。


「今年の春に行った手術の影響で体調が万全には戻りきっていないので、母や先生、色々な方と相談の上決めました。道半ばで競技を断念までには葛藤もありましたが、競技を通じて多くの方々と出会い、様々な経験を積むことができたので後悔はありません――」


「高校卒業後は、どのような道に進むのでしょうか!?」


「今後、現役復帰といった選択肢もあるのでしょうか!?」


「今までお世話になった方々への言葉はありますでしょうかっ!? 冴島選手! 冴島選手――」


 ひかるは、春奈と質問攻めにしようとする報道陣の間にすっと立ちはだかった。


「冴島は本学の生徒です。これから授業がありますので、これにて失礼いたします。本日の夜にも、各社様に向けて本人からのメッセージをファックスでお送りしますので、取材はここまでとさせていただけますでしょうか――では」


 そこまで言うと、待ち構えていた男子部監督の小林らと申し合わせたかのように報道陣を敷地の外へと追いやると、速やかに校門を閉めて校舎の方へと去っていった。


「すみません、小林先生。せっかく同時優勝できたのに――」


 小林は、ひかるの言葉に苦笑した。


「仕方がないですよ。これも冴島が、それだけ注目度の高い選手だという証左です。男子部(ウチ)の奴らも、きちんと分かってます。冴島は、初優勝するには絶対欠かせない一人でしたから」


 男子部もエース・ソロモンや洸陽らの活躍で、実に3年ぶり3度目の優勝を奪還していた。アンカーでゴールテープを切った琥太郎はスポーツ新聞の扱いの小ささにややへそを曲げていたが、春奈の写真と並んで掲載されているとわかると鼻の下を伸ばしていたという。


(……なんか、騒ぎになっちゃってみんなに悪いな……)


「はあぁあぁぁぁ」


 新聞を広げたまま、再び春奈は大きくため息をついた。




 2月に入ると通常の授業は終わり、自由登校期間となる。春奈と同じように、全国から生徒の集う秋田学院は、一般入試で都心の大学を受験する生徒たちが帰省しすっかり教室はがらんとしていた。授業が終わり、寮へと戻る道すがら愛が訊ねる。


「さえじ、明邦じゃなくてもっと上目指せたんじゃない? それこそ、国立とか、千代田とか慶正とか」


 お世辞にも偏差値の高いとはいえない明邦(めいほう)大学一本で受験したことを、愛は不思議がった。すると、春奈はニヤリとして資料を見せた。


「実はね、これなんだ」


「えっ!?」


 資料には、でかでかと「給費生試験」の文字が踊る。明邦大学は、学費が最大で全額免除になる給費生試験の先駆けとして知られている。春奈は、この給費生試験に絞って受験勉強を進めていた。


「取れるかわからないけど、ウチはそんなにお金ないからできるだけ学費は安いほうがいいし……それに明邦ならウチから歩いて通えるし、昼夜開講の学校だからインターンとかアルバイトしながらでも通えるから……その方がいいかなって」


「なるほどね……! さっすがさえじ、抜け目ないね」


「へへっ……あっ、お母さんから電話。もしもし?」


 傍で聞いている愛にも聞こえるほど、電話口の琴美は興奮した様子で電話をしてきているようだった。しばらく春奈は真剣な顔で聞いていたが、琴美が話し終えると表情がパァッと明るくなり、愛に向かってサムズアップをしてみせた。


「えっ……!? き、決まったの!? まじで!? おめでとう! ねぇ、ほーたん! さえじ、大学決まったって!」


「おおっ! よかったな、おめでとう!」


 驚く愛に、春奈は大きく頷いて満面の笑みを浮かべた。愛に呼ばれてやってきた秋穂も、吉報と知ると春奈とハイタッチを交わした。




 翌日に迫った卒業式のリハーサルを終えると、春奈はひとり、敷地の外れへと歩いてゆき、一本の木の下へとやってきた。ふと、上を見上げる。大きな一本の桜――そのつぼみは、暖かい気温の続くここ数日とはいえ、北国とあって開花するまでにはまだ時間がかかりそうだ、と春奈は思った。


「春奈!」


 振り向くと、怜名が小走りでやってくる。キョトンとした顔をしていると、怜名は背中に飛びつくようにぴょん、と跳ねた。


「わっわわ、怜名!」


 春奈が慌てると、怜名は桜の木を見上げた。


「やっぱり、ここに来てると思ったんだ」


 怜名は春奈の背を降りると、しみじみと思い出すように呟いた。


「ついこの前、ここで春奈のお母さんに一緒に写真撮ってもらったと思ったのに……なんか、あっという間だったね。3年間」


「……本当だね!」


 春奈は、芝生にぺたりと座り込んだ。


「色々なことがあったけど……わたし、やっぱり秋田学院来て良かった。みんなと出会えたし……みんなで、優勝もできたし……それに」


「それに?」


 すぐ隣にしゃがみこんだ怜名を見つめると、春奈は目一杯の笑顔を浮かべた。


「怜名と出会えて、良かった……」


「春奈……!」


 春奈は起き上がり、涙目になった怜名を抱きしめた。怜名の温もりを感じると、思わず鼻の奥がツン、とする。


「ひとりじゃ、絶対に無理だったと思う。怜名と一緒に練習頑張ったり、一緒に励まし合ったり……たまにケンカもしたけど」


「うん……」


「アメリカから戻ってきて、友達もいなかったから、秋田で頑張れるか自信なんてなかった……でも、怜名がいつも一緒にいてくれたから、ここまで頑張れたんだと思う」


 そう言って怜名を見つめる笑顔は涙まじりで、少し悲しげだった。怜名も口を開く。


「どうして、時間って過ぎていっちゃうんだろうね……ずっと、このままだったらいいのに」


 ふたりは、静かに涙をこぼした。すると、


「秋穂、先客がいたようだよ」


「お? あれ、ここで何しとん?」


 思わず、声のする方に顔を向ける。春奈は驚いて声をあげた。


「秋穂ちゃん! ひかるさん!?」




「そうか、キミたちも知ってたんだね。学院でも有名な話だよ。この桜は、強い運を持っているって――この桜の下で誓った絆は、ずっと途切れることなく続く――とね」


「「へえぇ!」」


 初めて知ったという秋穂は、しげしげと大きく枝を広げる桜を眺めてため息をついた。


「立派な桜じゃの……3年間、全然知りませんでした」


 ひかるは、秋穂の言葉を聞いて無言で大きく頷いていたが、急にふっと振り向くと、手を伸ばして春奈たち3人を抱き寄せた。


「わわっ!」


 小柄な怜名は、ひかると秋穂に挟まれて隠れてしまいそうだ。3人が驚いていると、ひかるは笑顔で続ける。


「この学校でキミたちとわたしが出会ったのも何かの縁だ……わたしは、教育者としてはまだまだ未熟もいいところだよ。ただ、キミたちと同じ、この学院の卒業生として、同じ時を過ごせたことを嬉しく思う」


「ひかるさん……」


「キミたち、……少し前にわたしが言ったこと、覚えてるかい?」


 3人がキョトンとすると、ひかるは苦笑いしながら口を開いた。


「部内選考の時だったかな。わたしは、青春は今しかない――って言った。でも、それはわたしの間違いだったよ」


 ひかるは、桜の木を見上げた。ひかるの視線の先には、大ぶりなつぼみがついているのが見える。


「春が終われば、今度は夏が来る。それこそ、わたしの歳になったらもう青春じゃない。でも、青春の次には『朱夏』がやってくる」


 ひかるに抱き寄せられたまま、春奈たちは頷いて話を聞いている。


「旅立ちは、みんな様々だ。やりきったと思う人もいるだろうし、不完全燃焼だと思う人もいるだろう。でも、たとえいっとき奮わないことがあっても、いつか輝けるように努力を続けていれば――道はきっと開ける」


 そう言うと、ひかるは手を離して春奈たちを交互に見つめた。


「そう思えたのは、秋田学院に戻ってきてキミたちと出会ったからだよ。キミたちは卒業するが、わたしはまた新しい歴史を作るために頑張ろうと思う。だから……キミたちも、秋田学院の日々を忘れずに、輝くために頑張ってほしい――最後に」


 ひかるは、そう言うと春奈たちに手を差し出した。


「キミたちは、わたしの一生の自慢の宝物だよ。本当にありがとう」


 春奈、怜名、秋穂はひかるの手をぎゅっと握ると、輝く目でひかるを見つめた。


「ひかるさん……ありがとうございました!」




 卒業式が過ぎ、退寮の日はあっという間にやってきた。秋田に留まる愛や明日香は、次々と寮を去っていく部員たちを寂しそうに眺めていた。


「いざ退寮となると、あっという間だよね」


「ホントに! わたしなんて、すぐそこだから退寮した気にならないよ」


 ふたりはお互いに秋田学院大学に進むが、陸上を続けるのは明日香だけだ。大学の寮も敷地からすぐそばとあって、明日香は退屈そうに大きくあくびをした。


「今日は……そうか、春奈と秋穂が退寮なんだ」


 引越し業者の如く、愛はふところからボロボロになったスケジュールを取り出した。寮の前に止まったトラックの扉が閉まると、春奈がトラックに向かって頭を下げている。


「さえじ! ほーたんも……もう行っちゃうんだね」


 愛が呼び止めると、後ろから秋穂もキャリーケース片手にやって来る。春奈は、秋穂と顔を見合わせると寂しそうに微笑んだ。


「うん……寂しいけど……まなちも明日香も元気でね! 秋穂ちゃんは飛行機でわたしは新幹線だから、秋田駅までは一緒に行こうと思って」


「楽しかったよ、さえじ! ……ハタチになったら同窓会企画するから、秋田まで来るんだよ!」


 屈託のない愛の言葉に、春奈は秋穂と顔を見合わせて頷いた。すると、怜名がひかるやエミー、下級生たちを連れてやって来る。怜名が促すと、それぞれ2年生の学年キャプテン・由佳と、1年生の学年キャプテン・藍が声をあげる。


「「せーの、冴島先輩・高島先輩! 今まで、本当にありがとうございました!」」


 由佳たちにアルバムと花を渡され、春奈と秋穂の目にも涙が光る。ひかるは、ふたりと握手を交わすと笑顔で口を開いた。


「春奈は、まず体調に気をつけて元気で過ごすように。秋穂は全国有数の厳しい学校だから苦労することも多いと思うけど、強い気持ちを持って頑張るんだよ」


「「はい!」」


 初めて卒業生を送り出すエミーは、嗚咽を我慢するように口を真一文字に結んでいる。春奈が手を握ると、エミーは春奈の背中をポンポンと叩いて堪えきれずに下を向いた。


「冴島先輩……!」


 真輝は、もう泣いていなかった。毅然とした表情で春奈を見つめ、強く手を握るときっぱりと言い切った。


「わたし、いつまでも冴島先輩の真似ばかりしていたらいけないと思いました。わたしは、わたしの――石橋真輝として、冴島先輩のように強くて、優しくて、立派なランナーになれるよう頑張ります!」


 春奈も、真輝の手を強く握り返した。


「真輝ちゃん……応援してるからね! 困ったことがあったら、何でも相談してきてね」


「はい!」




「それじゃ、そろそろバス来るから……行こか?」


「うん!」


 秋穂が促すと、春奈も笑顔でうなずく。ひかるや部員たちの方を向き直り一礼すると、部員たちから拍手が起こった。


「秋田学院での3年間は……決して楽しいだけの日々ではなかったですが、自分自身が成長するための貴重な、貴重なたくさんの経験をすることができました。どうか皆さんも、これからの生活の中で、自分の人生の糧になるものを見つけてくれたらと思います……本当に、ありがとうございました」


 秋穂が頭を下げるのを見て、春奈も口を開いた。


「本当にこの3年間、とっても楽しくて……何もなかったわたしが、これからどう生きるのか、何をするのか、それを見つけることができたのが秋田学院……それに、陸上部での日々でした」


 春奈は、3年間過ごした寮を見上げた。


「この寮で考え、経験し、学んだことを、これから活かせるように、目一杯頑張ろうと思います。どうか先生方、皆さんも、身体に気をつけて過ごしてください」


 そこまで言うと、春奈は目一杯息を吸い込み、大きな声で叫んだ。


「今まで……本当にありがとうございました!」


 再び頭を下げると、ふたりに大きな拍手が送られた。




 バスに乗り込んでから、秋田駅まではあっという間だった。新幹線で帰京する春奈は、空港行きのリムジンバスに乗り換える秋穂とここで別れることになっていた。


「春奈、怜名とあっさりバイバイ言うとったけど、あれで良かったんか?」


「うん! 怜名も明後日には小田原に帰るって言ってたから、入寮する前に何日か泊まりに行く約束してるんだ」


 それを聞くと、秋穂は寂しそうに笑みを浮かべた。


「あっという間じゃったけど……しばらくお別れじゃな」


「そうだね……なんか不思議な気分……ぐすっ」


「わっ、いや泣くな泣くな! 別にずっと会えん訳じゃないけん」


 目頭を熱くする春奈を見て、秋穂はわたわたと慌てる素振りを見せる。春奈はハンカチで目元を拭うと秋穂を見上げた。


「鹿鳴館、トレーニング厳しいっていうからちょっと心配だけど……頑張ってね! また、メールするからね」


「おう、春奈も……体調だけは無理せんと、学校頑張っとってよ」


 秋穂が差し出した手を握り、笑顔を浮かべる。


「うん! 秋穂ちゃん、わたし応援に行くから、絶対駅伝出てね!」


「わかった!」


 秋穂は、春奈の手を握ったまま大きく手を振ると白い歯を見せた。ふたりはそれぞれキャリーケースを手にすると、大きくもう片方の手を振った。


「またね!」


「元気でな!」


 ふたりは、それぞれ反対の方向へと歩きだした。それぞれのキャリーケースの音が遠ざかるのを感じると、お互いに振り返り、笑顔でまた手を振って歩き始めた。まだ寒さの残る秋田市内は、一点の曇りのない青空に包まれていた。



<To be continued.>

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