#147 栄冠は君に輝く
秋穂の脳裏には、ちょうど1年前の光景が何度も何度も繰り返されていた。大通りを折れ、あと少しで競技場へ入ろうかというその時、昨年桜島女子のアンカーを務めたまきながするりと抜け出し、秋穂を置き去りにしていった。
(……あの時の)
秋穂は、一瞬後方を振り向いた。すると、後ろから追うアグネスと目が合う。アグネスは、後方にこそ下がったものの先程とさほど表情は変わらないように見える。実況のアナウンサーは、秋田学院のここまでの戦歴を紹介し始める。
『秋田学院は第3回大会に初出場し、その時は43位という結果が残っています。当時の監督は、一昨年も監督代行を務めた現在の岩瀬勲雄校長でした。その翌年は出場を逃したものの、第5回大会に再び出場を果たすと26位。その後、第13回大会に過去最高の16位に入るとその後12位→8位と順位を上げ、昨年は準優勝という結果を残しました。今年はエースの冴島が戦線離脱する中、就任2年目の梁川ひかる監督がチームを鼓舞し、現在アンカーの3年生・高島秋穂が先頭を走っています。残すところわずかとなり、もうそろそろ西京極陸上競技場が見えてくるというところですが――』
「はぁっ、はあぁぁっ、はあっ」
「怜名、愛!」
競技場の手前で待ち構えるあかりと一美の元に、ガウン姿の怜名と愛が駆け寄ってきた。
「どうしたの、タクシー?」
「はい、途中までは来れたんですが、交通規制で途中から動かなくなって……せめてここで」
愛が、息も絶え絶えに答える。一美は、手元の携帯電話をしまうとつぶやいた。
「そろそろ高島ちゃん来るよ……マキレナ?」
「はい!」
「去年、高島ちゃんが捲られたのこの辺りだよね?」
怜名は、昨年の光景を思い出し険しい表情でつぶやいた。
「そう……だったと思います」
「だよね……せめてウチらは、高島ちゃんの背中を押そう。高島ちゃんなら、今度こそやってくれると思うんだ」
すると、遠くから聞こえる声援が大きくなる。
「来るよ!」
あかりが叫ぶ。すると、その歓声がどよめき、悲鳴のように変わり、周囲でやはりテレビ、ラジオを持つ観客の音が漏れ聞こえてくる。
『西京極陸上競技場を前に、東広島が再び秋田学院に迫ります! 東広島のアグネス・カリキ、その体力はまだ尽きてはいませんでした! 競技場まであと100メートルというところで、カリウキが先頭の秋田学院高島に迫っていきます!』
「秋穂ちゃん!!」
秋穂を待つ春奈は、思わず立ち上がって叫んだ。秋田学院の部員たちは、皆ビジョンをじっと見つめながら祈るように待っている。他方、対岸のスタンドにいるグリーンと赤のジャージ――東広島陣営は再び歓声に沸いている。間もなく、道を折れれば競技場は間もなくというところでふたりは並び、お互いに顔を合わせると前へと勢いを増す。
『さぁ、もう競技場はもうすぐ、残す所あと450メートルですが両校一歩も譲る様子はありません! カリウキが高島に並ぶ! 今、猛烈なスピードでトラックへ突き進んで行こうというところです――』
「「秋穂!!」」
待ち構えていた怜名とあかり、一美、愛が一斉に叫ぶと、秋穂は一瞬手を挙げて応えた。
「秋穂、あと400だからね! 全力で行こうね!!」
「ほーたん、絶対行けるよ! ファイト!」
ふたりの姿が競技場の中へ消えたのを確かめると、あかりは怜名たちの顔を見回して右手を挙げた。
「……行こう!」
オオオオオォォ!!!
『さぁ、全長21.0975キロのコースを走り終えようかという場面、決着はなんとなんと競技場内にまで持ち込まれました! 東広島が前に出ようとすると秋田学院が制し、高島がカリウキを離そうとするとカリウキが再び勢いを増します! 』
ひかるは場内に入ってくるふたりをじっと凝視していたが、ふと我に返ると部員に向かって叫んだ。
「秋穂に……声援を!」
「「秋穂! 秋穂! 秋穂! 秋穂!」」
ひかるの声が合図となり、部員や保護者たちの声が響き渡る。その声に秋穂は一瞬反応すると、振り出す拳に再び力を込めた。
『最初のコーナーもふたりは離れません! このまま最後の直線に至るまでこの状態が続くのか、それとも……!』
実況が叫ぶと、その瞬間アグネスが一気にスピードを上げる。
『さぁ、向こう正面に入るところで東広島……いや、秋田学院も一気にスピードを上げます! 高島は離れない! 離れないどころか一気にカリウキを抜き去ろうというところ、高島もラストスパート!!』
「秋穂ちゃーん!! ラスト200!!」
春奈は、出せる限りの大声で秋穂に叫んだ。スタンドに戻ってきた怜名たちも、カリウキを今まさに置き去りにしようとする秋穂に向かって腕を振り上げる。
「いけるいけるいけるよ! 秋穂! ファイト!!」
走る秋穂にも、その声はしっかりと届いていた。ゴールが見えていなければ、とっくに倒れ込んでしまいそうな勢いだ。だが、200メートルを切り、今このスピードを絶対に緩めるわけにはいかないと、秋穂は歯をぎりぎりと食いしばる。アグネスの気配が遠ざかるのを確信すると、その両手にさらに力が籠もる。
(あと、あのゴールまででいい……なんとか保て!)
ゴールラインの向こうには、春奈たちが待機している。春奈は、最終コーナーを曲がる秋穂に向かって大きく声を張り上げた。怜名や真輝、沙佳は、近づいてくる秋穂を固唾をのんでじっと見守っている。
「ラストーー!!」
その声に呼応するように、その身体がレーンに躍る。
『さぁ最後のコーナーを抜けて高島の姿が大きくなります! カリウキは今ようやくコーナーを抜けた! 高島がやって来る! 今、勝利を確信した高島に笑みがこぼれます――秋田学院、出場14回目で悲願の初優勝! アンカーの3年生・高島秋穂が、今タスキを握り締めてガッツポーズ!』
歓声が競技場を包むと、秋穂は改めて両の拳を天に向かって突き上げた。今ゴールしたばかりのコースに向かって深々と頭を下げ、タオルを持って駆け寄った舞里奈を抱きとめると、駆け寄ってくる春奈たちに向かって叫んだ。
「やった!!」
再び右手を突き上げた秋穂を、春奈たちが囲む。歓声は、やがて万雷の拍手に変わり、21.0975キロを走り終えたメンバーたちはゆっくりと頭を下げた。
「ひかるさん、やりました!」
ひかるは、やや遅れて拍手をしながらやってきた。メンバーたちが駆け寄ると、ひかるは堪えきれなくなったのか、嗚咽とともに涙をこぼし始めた。
「ひかるさん、ひかるさん! 泣いちゃだめですよ! 笑顔で行きましょう、笑顔!」
「す、すまない……キミたち……ありがとう……グスッ」
号泣する姉の姿に、あかりは思わず苦笑いを浮かべた。
「選手たちより先に泣くなんて……涙脆いんだから……」
すると、一美が横からいたずらっぽい笑みを浮かべて口を開く。
「そう言いますけど……あかりさん、ほら、ハンカチを」
「えっ……えっ? ……グスッ」
笑顔にあふれるメンバーたちが号泣する監督を慰める様子がビジョンにも映し出され、会場には温かい拍手と共に思わずもらい泣きする者もいる。
『見事初優勝を飾りました秋田学院ですが、弱冠27歳の若き指揮官・梁川ひかる監督は感涙に咽んでいます。実業団・グリーンホテルグループのコーチ補佐兼マネージャーから秋田学院に転じてわずか2年、綿密で情熱にあふれた指導で秋田学院を初の栄冠に導きました。佐野さん、佐野さんも冴島選手をはじめ秋田学院のメンバーはよくご存知かと思いますが、メンバーは一様に笑顔を浮かべていますね?』
話を振られた史織も、また涙を浮かべていた。
『本当に……冴島選手の病気もあって、メンバーの皆さんは苦しい思いも度々したと思うんですよ。それでも、梁川監督がメンバーの皆を鼓舞して、冴島さんや高島さんといった選手たちが奮起してのこの結果だと思いますので……本当に……もう』
「やったー!! 校長先生、おめでとうございます!」
寮では、ゴールした瞬間にエミーが飛び上がって喜びを爆発させていた。その傍らでは、やはり感涙に咽ぶ岩瀬に、部員たちが駆け寄って祝福している。岩瀬は涙を拭うと、立ち上がって何度も頭を下げた。すると、懐の携帯電話が鳴った。
「もしもし……あぁ、マサヨさん……! やりましたよ…!」
電話口のマサヨさんは、メンバーたちを見つめながら感無量といった面持ちで口を開いた。
「あの子たちは本当によく頑張りましたよ、校長。20ン年寮長やらせてもらって、まさか優勝の瞬間を見せてもらえるとは……まぁ、この後男の子たちのレースもありますから、そちらも……いい結果になるように」
そこまで言うと、トラックにいる春奈たちが呼んでいることに気づく。
「マサヨさーん! マサヨさーーん!! やりました!!」
ガッツポーズを見せる春奈たちに、思わずそこまで堪えていた涙があふれる。
「やったじゃないか、アンタたち……最高だよ!」
「えっ、胴上げ!? いや、そんな恥ずかしい……」
「なぁに恥ずかしがってるんですか! 優勝したんだから、監督さん……ひかるさんを胴上げするのは決まってるじゃないですか!」
ここへ来て恥ずかしがるひかるの背中を、怜名がぐっと押す。
「そうですよ、ほら。行きましょう、あっち!」
春奈もひかるの背中を押す。他の部員たちもスタンドから下りてきたところで、秋穂や沙佳たちがひかるをぐいと担ぎ上げると、春奈も声に合わせてひかるを担いだ。
『今、初優勝を飾った秋田学院の梁川監督が宙に舞います! 1回、2回、3回と……照れる梁川監督を、部員たちが笑顔で胴上げしています。おっ、そして……今度はゴールテープを切った高島が……宙に舞っています!』
秋穂は5回宙に舞うと、はにかみながら春奈の方を向いた。
「じゃあ、次はキャプテン、いっちょ飛んどくか?」
春奈は申し訳無さそうに手を振った。
「気持ちは嬉しいんだけど、今年手術したばっかりだし、胴上げはちょっと怖いかな……それに、ちょっと恥ずかしい…」
春奈の言葉に一瞬秋穂は思案顔をしたが、ふと何かを思いついたように沙佳や舞里奈を呼ぶと、ひかるにも声を掛けた。
「どうした?」
「ひかるさん……ゴニョゴニョ」
「なるほどね! おーい、春奈、こっちにおいで!」
「えっ、何があるんですか……キャッ!?」
春奈は怪訝そうにひかるたちを見つめていたが、半ば強引に秋穂に連れて来られると、沙佳によっておもむろに担ぎ上げられた。
「うわっ、ちょっと、みんな、恥ずかしいよ! ねぇ、ちょっ!」
実況が、笑みとともにその様子を報せる。
『3区で7人抜きの区間記録を達成し、1区14位からの大逆転の立役者になりましたエースの冴島春奈も今……おっと、2区を走った荒畑たちに担ぎ上げられています! 冴島、非常に恥ずかしそうにしていますが場内からは割れんばかりの拍手が送られています――』
「春奈、ありがとう! 春奈がいたから、みんな頑張れたんだよ」
「冴島先輩……先輩と優勝できて、わたし本当に幸せです!」
「ほら、先輩恥ずかしがってないで手を振りましょう! わたしたち、優勝したんですから」
怜名、真輝、沙佳に代わる代わる声を掛けられたが、なおも春奈は恥ずかしそうに顔を覆っている。
「フフッ、春奈らしいっちゃ、春奈らしいわ」
秋穂も思わず笑う。関係者が集うスタンドの前に来ると、舞里奈が春奈の背中をポンポンと叩いた。春奈はようやく顔を上げると、拍手に応えるように手を挙げて叫んだ。
「みなさんのご声援のおかげで……優勝……できました! 本当に……ありがとうございました!」
再び、スタンドから万雷の拍手が起こる。
『今、47位の沖縄・牧志がゴール。全47校が無事、この都大路を走り終えました。今大会、初の栄冠に輝いたのは14回目の出場・秋田代表の秋田学院です。今、3区区間新記録を樹立した3年生エースの冴島春奈が、会場からの拍手に笑顔で応えています!』
<To be continued.>




