表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
151/155

#146 ラストワンマイル

「はぁ、はぁ、ひぃ、はぁ、はぁ」


 岩瀬はドラフト会議で1位指名された石崎飛雄馬の仮契約に立ち会っていたが、契約が合意し、写真を撮り終えると球団への挨拶もそこそこにホテルの金屏風の間を出て、地下にある駐車場へ急ぐ。軽自動車のエンジンをかけると、急いでAMラジオを流し始めた。


『先頭の高島はまだ余裕の表情を浮かべています。そのすぐ後ろを仙台共和大高の窪坂、桜島女子の大迫の後方からは……カリウキがもうすぐやってきます! その差はもう数秒です! 東広島のカリウキが先頭集団をもう捉えようかというところ、沿道からは大きな声援が送られています――』


 岩瀬はスーツの上着を脱いでネクタイを緩めると、汗を拭った。ひかるに電話をしようと携帯電話を取り出したが、首を振るとハンドルを握った。


(様子が気になるが、とりあえずは寮に戻らねばな……高島くん!)




 乗り込んだタクシーは、沿道の観客の往来が多くなかなか進まない。挙げ句、これまでなんとかかろうじて電波を保っていた携帯電話のワンセグ放送も固まることが多くなった。じれったくなった恵理子は、思わず運転手に声を掛けた。


「すみません、ラジオで高校駅伝を……かけてくれませんか」


 運転手が周波数を合わせると、実況の興奮した様子が伝わってくる。


『――今カリウキが、中央分離帯側から先頭集団に並びます! 並んで……勢い良く抜き去る……いや、秋田学院の高島も付いて行きます! すぐ後ろをいく窪坂は厳しいか、ですが並走する桜島女子大迫もなんとか高島に追随します! これで、先頭は東広島、秋田学院、そして昨年の王者桜島女子の3校となりました!』


「「!!」」


 思わず、無言で顔を見合わせる。春奈と恵理子は、後ろの座席から覗き込むように自供の聞こえる先を見つめた。横断歩道を歩く人はいないが、目の前の信号がなかなか変わってくれず、春奈はじれったそうに唇を噛んだ。


「秋穂ちゃん、なんとかアグネスについていって……!?」


 そう呟いた瞬間、実況が再び叫んだ。


『これはものすごい叩き合いになります! 高島、再びカリウキの前に出ます! 初優勝を狙う秋田学院のアンカー高島秋穂、走りはアグレッシブそのものです! 後方から猛スピードで追ってきた東広島のアグネス・カリウキにそのペースは勝るとも劣りません。カリウキのペースそのままに、高島もさらにペースを上げて行きます!』


「秋穂ちゃん!?」


 春奈は、驚きの声を挙げるとともに思わずその両手を胸元にやった。心臓がバクバクと、勢いよく鳴っている。その手もじっとりと汗ばんでいるのがわかる。その心配を察したかのように、解説の史織も不安の声を漏らす。


『カリウキさん、かなりのペースで飛ばしているはずなので高島さんがこのペースに乗っていけるかが心配ですね……非公式ながら高島さんも3000メートル8分台の記録を持っているランナーではありますが、さすがにこのスピードは後半厳しいのではないでしょうか』


 史織の声に、恵理子と顔を見合わせると春奈は小さくため息を漏らした。


(秋穂ちゃん……無理はしないで、って言いたいけど……!)




(……アグネス、むちゃくちゃ速っ!!)


 並走する秋穂が、アグネスの驚異的なスピードとスタミナを感じているに違いない。横を走るアグネスは、秋穂の方を向くと一瞬ニヤリと笑みを浮かべて再びスピードを上げた。一歩一歩を踏みしめて走るというよりは、もともとのバネと筋肉からして全く違うもののようにすら感じた。


『先程の2キロの通過タイム、先頭の高島が6分24秒というところ、なんとカリウキは5分59秒という驚異的なスピードです! これは、先程3区の区間記録をマークした秋田学院・冴島とほぼ同等のハイペースで進んでいることとなります! しかし佐野さん、追いつかれてからの高島もこのカリウキのスピードに対応しているということになりますね?』


 アナウンサーが、史織の方を見やる。どうにか食い下がっていた桜島女子の沙帆も、徐々にふたりとの差が開き始める。史織が唸るように口を開いた。


『うーん、序盤のペースなので何とも言えませんが、かなりカリウキさんが飛ばしている中でのこの走りですから、高島さんもいいところまで粘ってくれるのではないでしょうか』


 史織の言葉に、アナウンサーも頷く。


『先程も佐野さんが仰ったように、この高島、非公式記録ですが3000メートル8分57秒というタイムを持っています。レース前に秋田学院・梁川監督に話を伺いましたところ、梁川監督もこの高島に絶対的な信頼を寄せているとコメントしていました――』


 画面が、競技場で戦況を見つめるひかるを映し出す。ひかるは一瞬驚いたように目を見開くと苦笑いを浮かべたが、アナウンサーの言葉に同意するように大きく何度も頷いた。


『「秋田学院はことエースの冴島がクローズアップされがちですが、ウチには高島もいます。この3年間でストイックに鍛錬に励んだことで、どのレースに出ても恥ずかしくないだけのタイムを残せる選手になりました」というこの高島です……確かに佐野さん、カリウキのこの規格外のスピードにも顔色一つ変えていませんね?』


 実況は、秋穂の表情を大映しにした。秋穂はじんわり汗が滲んでいるものの、表情の変化なく着々とペースを刻んでいる。前方を一点に見据えると、秋穂は振り出す両腕に再度力を込めた。


(この子に勝って……絶対に優勝する!)




 怜名はようやく起き上がると、手元の水をぐいと飲み干し、愛とともにモニターを覗き込んだ。


「秋穂……!」


「ほーたん、かなりいいペースだよ。最後の1キロが心配だけど、今のところはアグネスと並走って感じかな」


 そう言うと、愛は怜名の分のバッグも担ぎ上げて声をかけた。


「そろそろ、うちらも競技場戻ろう……怜名っち」


「うん?」


 怜名が見ると、愛は紅潮した顔で握手を求めた。


「ナイスランだったよ、怜名っち……あたしは、結局まともに駅伝に出れたことなかったけど……怜名っちが追い上げてくれたから、今ほーたんはあの位置で走れてる。ありがとう……お疲れ様」


 視界が、おもわず涙でぼんやりとする。しかし、すぐにそれを拭うと、満面の笑みを浮かべて愛に応えた。


「うん、わたしこそありがとう! みんなの所に戻ろう!」




「「校長先生!」」


 息せき切って寮の多目的ホールに駆け込んできた岩瀬を見て、部員たちが思わず声を上げた。エミーは手招きすると、岩瀬のために空けたテレビの真ん前に座らせた。


「高島くんは……どうかね?」


エミーは、笑顔で画面を指差した。


「今3キロを過ぎましたが、東広島と同じペースで頑張っています! 桜島も後ろに下がったので、あとはどこまで粘れるかですが……」


 ピンポーン


 ちょうどいいところなのに、と言いたげにエミーは少し顔を歪めて走っていったが、来客の顔ぶれを見ると明るい声を上げた。


「あ、間に合った間に合った! ささ、上がって上がって!」


「すみません、お邪魔します」




「……間に合った!」


「春奈!」


 春奈がスタンドで駆け足でやって来ると、部員たちから歓声があがる。つい先程戻ってきたばかりの真輝、沙佳をねぎらうと、足早にひかるの元へと駆け寄った。


「ひかるさ……むぎゃっ!」


「よく頑張った!」


 そう言って、ひかるは春奈を抱き寄せるとポンポンと背中を二度叩いた。


「わたしの心配は杞憂だったよ……最後のレース、よく走りきったね。さぁ、キミが繋いだタスキが先頭を走っている。秋穂のことを精一杯応援しよう」


「……はい!」


 感極まった表情で頷くと、春奈は頭を下げた。みるほたちが待つ席へ戻ろうとすると、スタンドから琥太郎と洸陽、そしてソロモンたちが階段を下ってくる。春奈とハイタッチを交わすと、琥太郎がにこやかに語りかけた。


「いい走りだったな、冴島!」


「ありがとう……秋穂ちゃんは?」


 春奈が問うと、洸陽がビジョンを指差す。


「ええペースよ。高島ちゃんなら残り2キロ、このペースで行けるやろ……あとは、最後の詰めさえなんとかできれば」


「秋穂サン、イイ走リヨ。ワタシ、ドキドキ、メチャメチャドキドキスルネ」


 ソロモンの言葉に笑って頷くと、春奈は改めてビジョンの向こう側の秋穂を見つめる。秋穂は頬こそ紅潮しているが、足取りはしっかりとしている。春奈は、舞里奈に問いかけた。


「舞里奈ちゃん……どうだろう? アグネス」


 舞里奈は確信めいた表情で、力強く頷く。


「大丈夫です。アグネスは、インターハイで勝った相手ですし――もちろん、油断はいけないと思いますが、秋穂先輩なら競り負けずに最後まで行ってくれると思います」




「有希先輩、みなさんも!」


「ごめんね、こんな状況だし、せっかくだから一緒に見せてもらおうと思って」


 やってきたのは、秋田学院大学の女子陸上部に進んだ3人――近藤有希(こんどうゆき)薄井沙織(うすいさおり)苑田未穂(そのだみほ)だった。岩瀬に頭を下げると、沙織たちも食い入るようにテレビを見つめる。


「秋穂、このペースで行けるならもしかして……」


「うん、今の秋穂なら残りの距離でも十分勝負できると思うよ」


 沙織と未穂が頷くと、有希も眼鏡をずりあげて大きく頷いた。


「苦しいは苦しいと思いますけど、この足取りはまだ余裕を残してそうですよね……距離は……」




 実況の声が、徐々に熱を帯びてくる。


『距離はもうすぐ残り1.5キロというところ……ラストワンマイルを過ぎ、ここからが勝負所となります! 先頭の秋田学院高島、そして東広島アグネスいずれもまだ余裕すら感じさせる表情です! 昨年のレースは残り500メートルで桜島女子がスパートして2年連続の優勝を決めましたが……佐野さん、今年も最後までもつれそうでしょうか?』


 史織は首を振った。


『昨年のこともあるので、早めにどちらかが仕掛けるのではないかと思います。あとは平地ですから、どこかのタイミングでスパートをするんじゃないかと思いますが、残り1キロあたりがポイントになるような気がしますね』


 秋穂は、ちらりとアグネスの表情を見たがすぐに前を向き直る。


『今、高島が少しカリウキの表情を気にするような仕草を見せましたが――まだ仕掛けません。昨年は、西京極陸上競技場に入るまさにその手前で桜島女子に後れを取りました。おそらく、今年高島は相当にスパートのタイミングをいつにするかと見極めを行っているのではないでしょうか』


 思わず、秋穂は首を二度横に振った。すぐ横を走るアグネスの息遣いですら、沿道からの声援でかき消されるほどだ。息を大きく吸うと、腕を一瞬ぶらぶらと下げ再びアグネスを見る。


(……!)


 秋穂は、すぐにアグネスの様子に気がついた。また前を向き、再びアグネスを見やると、確信を得たように大きく頷いた。


「……、秋穂ちゃん!」


 思わず、春奈が叫ぶとそれとほぼ同時に競技場から大きな歓声があがる。画面の向こう側の秋穂が、じりじりとアグネスを離し始めたのがわかる。


『さぁ、残り1キロ手前というところで秋田学院の高島がスパートします! 悲願の初優勝に向かって、秋田学院のアンカー・3年生の高島秋穂がペースをあげます!一瞬の間があったか、カリウキは少しずつ離されています! さぁ、今年こそ優勝を狙う秋田学院、アンカーの高島秋穂がここでスパート!』


「高島先輩!」「秋穂先輩!」


 真輝や沙佳も、口々にその名前を呼ぶ。自信に満ちた表情で走る秋穂は、もう後方を振り返ることはしない。沿道に残り1キロの看板を認めると、秋穂は臙脂のジャージ姿を見つけて手を挙げた。


「秋穂、5秒差つけてる! あと少しだからファイト!」


 涼子の声に、口元にわずかに笑みがこぼれる。しかし、昨年も見た光景が近づくのが分かるとすぐに表情を引き締めた。


『先頭をゆく秋田学院、アンカー高島と東広島カリウキとの差はおよそ10秒ほどに開いていますがまだ油断はできません。残り800メートルを迎え、徐々に競技場が近づいているのが分かります。ここまで非常にハイペースで飛ばしてきた高島ですが、残りの距離を逃げ切り、見事チームを初優勝に導くことができるでしょうか?』


 スタンドから、散り散りに小さな悲鳴にも似た声があがる。ひかるは、サングラスをずりあげてじっと戦況を見つめている。春奈も、両手を胸の前で組むと画面の向こうの秋穂を祈るように見た。


(――秋穂ちゃん、あと少しだよ! あと少しで競技場だよ!)



<To be continued.>

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ