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#143 独壇場

 春奈が快調にペースを上げれば上げるほど、競技場で見守るひかるの表情は険しくなり、額には汗すら浮かんでいる。ひかるは爪を噛むと、後ろ髪をバサバサと掻き上げた。


「……梁川先生」


 背後から声を掛けられ、ひかるは驚いたように振り向いた。そこには、桜島女子を率いる城之内の姿があった。城之内は、気まずそうに続ける。


「お忙しかところ、すみません。……冴島さんのことが気になって?」


「ええ、先生……申し訳ありません」


 ひかるは、深々と頭を下げた。背後のビジョンには、ひかるの心配をよそににこやかにペースを上げる春奈の姿が映っている。


「ご存知の通りで、事前のレースでは距離に対応できず……もし、春奈の身に何かあったらと思うと、気が気じゃなく」


 いつものよどみなく語る様子もなく、焦りを浮かべたひかるを見て城之内は首を傾げた。画面が先頭に切り替わると、実況の声が競技場に響く。


『先頭を走る桜島女子は、3年生の遠矢実都(とおやみくに)が3区を走ります。最初で最後の都大路ですが、この遠矢、今回のレースを最後に競技を引退するということです――』


 実況の言葉を受けるように、城之内が口を開いた。


「あの子は小学生の時に、左足の骨嚢腫(こつのうしゅ)に罹ったとです。幸い、悪性ではなかったので彼女自身はここまで競技を続けてきたとですが、ずっと再発の恐怖と戦って…‥再発すれば、歩行が困難になってしまうかもしれんと、一時は全力で走ることが難しい時期もあったっちゅうことです」


 ひかるは、ビジョンに映る実都を見た。実都もまた、春奈と同じように笑顔を浮かべている。


「競技をやめると決めて、実都は変わったとです。残されたレースはわずかしかなかとですが、せめて最後は全力で走りたいと、今日わたしに言うてきました。……梁川先生」


「城之内先生……」


 ひかるは、再び城之内の顔を見た。城之内はにこやかに微笑みかける。


「冴島さんのことが心配っちゅう気持ちは、痛いほどよう分かっとです。わたしも、同じ気持ちです。じゃっど、選手が覚悟を決めたんじゃったら、せめてレース中はそん背中を押すつもりで応援してやっとも、指導者の役目じゃらせんかと……私は思います」


 思わず、城之内の言葉に胸が熱くなり、ひかるはしばし俯くと絞り出すように言った。


「そうですよね……心配するがあまり、わたしはあの子たちの気持ちを考えられていなかったのかもしれません。先生、ありがとうございます。まだこの順位ですが……最後、御校とまた戦えるようにせめてあの子達の背中を後押ししたいと思います」


 ひかるの表情をみてホッとしたようにため息をつくと、城之内は頭を下げた。


「よかった、そいでこそ梁川先生ですよ。うちん子らももちろんじゃっど、秋田のみんながここから上がって来ることを私も信じていますよ」


 ひかるが振り向くと同時に、カメラは再び春奈に切り替わる。


『冴島、浪華女子の吉田を捉えて……、一気に抜きました! 先程の転倒が響いているのか、吉田のペースが極端に落ちています。前方に目を移しますと、山川学園、そのさらに前方には東広島の姿が見えます! 冴島、これで5人抜きです。一体どこまで記録を伸ばすでしょうか、佐野さん?』


 史織は、その足取りを見つめて大きく頷いた。


『先程から見ていますが、フォームもぶれていませんし、残り半分ほどですがこのままのペースで行くんじゃないでしょうか……このペースで行きますと』


 史織がアナウンサーの方を向くと、頷いて手元の資料を繰る。


『先程、入りの1キロは2分59秒という超ハイペースでしたので、このままのペースで行きますと9分を切ることになります! 従来の記録を30秒以上短縮する、とんでもない記録が誕生するかもしれません!』




「あっ、姉っぢゃ、春奈ちゃん来たよ!」


 背丈も格好もよく似た二人が、中間地点に待ち構えている。相浦翼(あいうらつばさ)と、その姉の(うてな)。揃って秋田学院OGのふたりは今も地元のタクシー会社・大同自動車の陸上部で走り続けているが、この日は休暇を取得して都大路へやってきていた。


「おお、いいペース、けっぱってらね! おーい!」


 年齢では被らないが、都道府県対抗女子駅伝で共にリレーした空も声をあげる。春奈が気づくと、ふたりは翼がしたためた横断幕を掲げた。


「春奈ちゃーん! 頑張ったら、うちでご馳走用意してるからね!」


(翼さん、空さん……了解ですっ!)


『今、秋田学院の関係者を見つけたのか、冴島笑顔で手を上げました! 中間地点、およそ4分27秒程度で冴島は通過しています! 非常に速いペースで秋田学院が前を追い上げています!』




「よっし!」


 怜名は、両手で拳を作った。やはり春奈が体調が気になってはいるものの、ここしばらく見ることの出来なかった快調なペースに好調を確信したのか、画面をキラキラとした目で見つめた。


「怜名先輩、ひかるさんから電話です!」


 恵理子から携帯電話を受け取ると、笑顔が浮かぶ。


「準備オッケーです!」


「了解。キミはこの4区を知り尽くしている。ほどよい順位でリレーしてほしいとは思ってない。目標はわかるね?」


「はい! 区間賞です!!」


 怜名が大きな声で応えると、周囲にいた他のチームが一斉に振り向く。恵理子も、思わずギョッとして怜名を見つめたが、怜名はお構いなしといった様子でひかるの話に笑顔で頷いている。


「春奈のこと、信じて待ってます。わたしは、秋穂にできるだけいい位置でタスキを渡してあげるのが役割ですから」


 弾む声に、ひかるもうなずくと笑顔を見せた。


「わかった、ザッツ・オール(了解)。幸運を祈ってるよ」


「はい!」


 電話を切って顔を上げると、はじめて周囲からの鋭い視線に気づく。しかし、表情を引き締めると頬を二度叩いた。


「春奈……待ってるよ!」




「タッキー?」


「ん?」


 呼ぶ声に愛が振り向くと、秋穂が珍しく真顔でつぶやく。


「緊張してきた」


「ええええっ!? ほーたん、緊張とかするタイプじゃないでしょ!?」


「仕方ないじゃろ、緊張するものは緊張するんじゃ……おっ!?」


 中継所のテントに近づいていくと、愛とモニターをかじりつくように凝視した。


「ほーたん、これ、さえじ8分台もあるんじゃない?」


「そうじゃの、思ったよりも調子が良さそうじゃね! ……どのぐらい詰めてる?」


 先頭の実都が2キロ地点を通過したのを確認すると、手元の時計と交互に見比べてタイムを図る。臙脂色のユニフォームが2キロ地点のラインを通過したのを確認すると、同時に声をあげた。


「「35秒!」」


 愛は、手にしたプリントに何やら書き込み始める。


「さっき、さーやとリレーした時に1分差だったんだからこのままだったら22〜3秒で来るはず……前にいる学校で、れなっちゃんより速いのは桜島の是永さんぐらい。だとすると……」


 秋穂は、ニヤリとして愛を見つめる。


「後ろから留学生がどのぐらい来るんかわからんけど、少なくとも20秒以内で来てくれるなら……」


 そう言うと、受け取った臙脂色の鉢巻を結ぶ。


「絶対に行ってみせる、トップまで」




 昭二は、やおら車椅子から立ち上がるとよろよろと体勢を崩した。


「お父さん、無理したらアカンよ!」


 緑が窘めるが、昭二は車椅子に差していた杖を手に取ると、ガードレールにもたれるように立ちボソッと呟いた。


「せっかく、孫を見に来とんねん。春奈ちゃんが気づかんかったらしゃあないやろ。なあ、琴美さん」


「はっ、はい!」


 浩太郎と結婚して以来、昭二から名前で呼ばれたのははじめてだったか、琴美は思わず驚いた様子で答えた。手元の携帯電話で見ていた中継を切ると、昭二たちに声を掛ける。


「お義父さん、お義姉さん、春奈がそろそろ来ます!」




 実況が、興奮した様子で叫ぶ。


『残り1キロを切り、冴島が山川学園の小林を射程圏内に捉えます! 先程から小林の背中が徐々に大きくなってきています。冴島、2キロを過ぎてもペースが全く落ちません!さらにこの先には東広島の村上がおりますが、中継所までに村上をも捉えることができるでしょうか? そして、佐野さん』


『はい、このペースだと8分台も狙えそうですね?』


『仰る通り、2キロの冴島の通過は5分57秒です! このままのペースで行きますと、8分台も夢ではありません。秋田学院の誇る大エース、冴島春奈が空前絶後の記録に挑もうと知ています!』




(しまった……! はぁっ、はあっ、はあっ)


 表情には出すまいと必死に堪えているが、序盤からのハイペースが少しずつ身体に響いてくる。足取りが重くなるのを感じた。しかし、


(あと1キロ、絶対にペースを落とすわけには……!)


 悪いイメージを振り払うように、首を横に振る。走り始めてから出会った人々の顔が脳裏をよぎる。




「「春奈……!」」


 競技場で見守るマサヨさんも、沿道で走りを見届けて急ぎ競技場に向かうあかり、一美も、寮で見守るエミーたちも、みな祈るような表情で春奈を見つめている。しかし、大写しになったその姿を見るや、あかりの表情が曇った。


「ちょっときつくなったか……?」


「あっ……、春奈!」


 一美も、眉をひそめた。事実、先を行く山川学園との差が縮まっていないことに気づき、春奈の表情も厳しくなってゆくのがわかる。春奈は、思わず一瞬目をぐっと瞑った。


(あと少し……あと少しだけ!)




「春奈ぁーー!!」


「春奈ちゃん! 頑張れ! 春奈ちゃん!」


「春奈ちゃん、あと少しよ! 頑張って!」




 沿道から聞こえてきた声に、驚いて春奈が振り向く。


『冴島、沿道を振り向きました! 沿道にはお母さんと、ご親族でしょうか? 声援を送る姿を見つけると、ハッとしたような表情で大きくにこやかに頷きました!』


(お母さん! おじいちゃん、おばさんも!)


 再び前を見ると、両手を大きく広げて、二度三度と開いたり閉じたりを繰り返す。その光景を見つめていた者たち全てが、確信を持ったように頷く。


(残り、あと少しだけ―――全力で動け! わたしの身体!!)


『秋田学院の冴島、ここでラストスパートを仕掛けます! 前を行く山川学園に一気に追いつき、今抜いていきました! 冴島春奈、エースの意地で残り500メートル、前をゆく学校との差を縮めていきます! ここから先の第4中継所まで、秋田学院の冴島春奈の独壇場が始まります!』




<To be continued.>

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