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#139 最終決戦

 バックストレートを走るふたりのスピードが、一気に増す。見守るひかるたちは無言で、じっとその人影が近づいてくるのを見守っている。最終コーナーに入ると、ふたりの間隔が少しずつ開き始めた。ひかるは、思わず立ち上がると叫んだ。


「春奈! ラスト100、ひねり出せ! まだ行ける! ゴー! ゴー!」


 その声が聞こえたか、ホームストレートに踏み込むと身体が跳ねるように前へ出る。ぐっと食いしばった歯の間からは、荒い息遣いが漏れ聞こえてくる。ゴールラインを超えると、その身体はふらふらとよろめくようにコースアウトした。


「9分25……うーん」


 ひかるは悩ましげに首をひねった。区間エントリーの書類を今夜中にまとめて提出しないと、締め切りには間に合わない。先にゴールしたのは春奈だが、後続の恵理子との差はわずか数秒ほどだ。恵理子のゴールを見届けた舞里奈が、ひかるのバインダーを心配そうに覗き込む。


「どうですか……?」


「まいったね」


 ひかるは短くつぶやくと、長い髪をわしわしとかきむしってため息をついた。


「なんとか調子が上がってくるのを期待してたけど……秒差か」


 手元の紙に書き込んだ春奈のタイムを、恨めしそうに凝視する。あと数時間でエントリーを固めなければいけない状況にも関わらず、ひかるは都大路を走る5人を決めきれずにいる。


「春奈先輩のこと……ですか?」


「あぁ……本当はスタメンの5人に入れたいところだけど」


 そう言って、手に持ったボールペンをくるくると回す。秋穂は5区、真輝は1区とすでに区間まで定めて本人にも伝えていたが、残る2区、3区、4区の欄はいまだ空白だ。ひかるは、ゆっくりと2区の欄に名前を書き入れる。


「本当は春奈を2区で入れたかったけど、今の状態だと佑莉に行ってもらうしかないかな……」


 『柿野佑莉』という名前を書き入れると、ため息をついて天を仰ぐ。


「問題はここからなんだ」


 舞里奈も、困惑した表情で手元のデータを見た。メモの欄外には、先日の選考レースで上位に入ったメンバーの名前が書かれている。


「本当なら3区に沙佳、4区に穂乃香……と思っていたけど、選考レース以降穂乃香のタイムが伸びてない。この調子だと本番にピーキングするのは難しいんじゃないかと思う」


 苦虫を噛み潰したような表情、というのはこういうことを言うのだろう。小首を傾げて、ひかるは穂乃香の名前に赤い横線を引く。


「今の状態だと……、4区は誰にしますか?」


 舞里奈は、顎に手をやった。残るは春奈に怜名、涼子、沙佳、由理そして恵理子だ。ひかるの眉間の皺がますます深くなってゆく。


「4区は……というか、この中だと持ちタイムが一番いい沙佳は何かあった時に行ってもらうことになるから補欠一番手だね。4区は、怜名がコースをしっかり覚えている。コンディションも悪くないし、今の状態なら怜名に行ってもらおうと思う。タイム順だと、涼子は3区、4区のメンバーになにかあったら出てもらうことになるだろうね」


 そう言って涼子たちの名前にも線を引くと、視線をトラックの方へやった。


「残るは3区だけど……春奈は今までのスピードを考えるならもちろんエントリーさせたいけど。結果が――」


 先程終わったばかりのトライアルの結果を何度も見返して、首を横に振る。


「今の結果だけ見るなら……なぁ……」




「なぬっ!?」


 職員室に響き渡るような声をあげ、スポーツ新聞を凝視する。桜島女子高校の職員室では、監督の城之内が血走った目で記事を追っている。


「『秋田学院・冴島、区間エントリー漏れ 全国女子高校駅伝』……間に合わんかったか……」


 城之内は新聞を折りたたむと、急ぎ足で部室へ向かう。新聞のエントリー表には、こう記されている。


【秋田学院】

1区 6.0キロ 石橋 真輝 (1年)

2区 4.0975キロ 柿野 佑莉 (3年)

3区 3.0キロ 城 恵理子 (2年)

4区 3.0キロ 牧野 怜名 (3年)

5区 5.0キロ 高島 秋穂 (3年)

---------------------------------------------------

補欠 荒畑 沙佳 (2年)

補欠 冴島 春奈 (3年)

補欠 三本木涼子 (3年)


(1区、2区には速い子がエントリーされておる……いくら病み上がりとはいえ、エースを3区や4区では使わんじゃろう……冴島さんの調子がよっぽど悪いのか……それとも)




 練馬にある私立・大泉女子高校でも、陸上部のメンバーに春奈の一件が伝えられると、顧問が声を一段と大きくして黒板に大きく「全国優勝」という文字を書いた。


「2位といっても、去年1区を走った濱崎さんの穴を埋められていない。そこに来て、冴島さんも決して調子が良くはない。これは、わたしたちにとってはチャンスよ。シルビア、芽里。あなたたちが本来の実力を出し切れば、桜島女子にも対抗するだけの力がある。2回目だから、というのは関係ないわ。2回目で全国優勝して、チームの実力を示しましょう」


 部室に集められた部員たちが沸き立つ。その後方で、3年生エースの大貫芽里(おおぬきめり)だけが黒板の文字を無言で見つめている。




 春奈の電話には、試合を通じて親交を深めた仲間たちからの電話やメールが相次いでいた。夕方を過ぎ、ようやくラッシュが落ち着くとロフトベッドにのぼり、トレーニングウェア姿のままへたりこんだ。


「先輩、大丈夫っすか?」


「ああ大丈夫大丈夫、心配しないで」


 不安そうな顔で見上げる英玲奈を、春奈は手を振って制した。トレーニング室に向かった英玲奈を見送ると、全身の力が抜けたようにベッドに倒れ込んだ。


「ふぅーっ」




「春奈! 春奈! そろそろご飯だよ!」


「……ふぁっ!?」


 跳ねるように飛び起きる。驚いて時計を見ると、短針はもうすぐ6時を示そうとしていた。ベッドの下からは、怜名と秋穂が心配そうに見つめている。


「あっ……ごめん、寝ちゃってた」


「まぁ心配せんでも平気よ。エレナがひかるさんに伝えてくれたけん、ゆっくり寝れたか?」


 無言で大きく頷くと、そのまま肩を落として呟いた。


「ごめん」


「……何が?」


 不思議そうに見つめる怜名を見て、春奈は申し訳無さそうに口を開いた。


「エントリー入れなくて……また迷惑掛けちゃったって」


「えっ??」


 怜名は秋穂と顔を見合わせて頷くと、ロフトベッドに上がりこんで春奈の顔を覗き込んだ。


「誰も迷惑だなんて思ってないよ、春奈」


「えっ?」


 秋穂もはしごに登って、春奈の方を向く。


「だって、エントリー外れたいうても、当日にエントリー変更で走るつもりでおるんじゃろ?」


「そうだよ。春奈らしくないよ、まだ日はあるんだから今からピークに持っていって、絶対一緒に走ろうよ」


「怜名……秋穂ちゃん……」


「ほうよ、変に落ち込まんでええ。しっかりせんかい、みんな、春奈と一緒に都大路に行くために頑張ってきとるんじゃけん」


「そうだよ、落ち込んでないで、早くご飯食べに行こうよ。もう、みんな支度できてるよ」


 そう言うと、怜名はロフトベッドを降りていこうとしたが、何かを思い出したように顔を出すと、小声でつぶやいた。


「春奈、一緒にがんばろ?」


 怜名のそのちょっとした気遣いが嬉しく、春奈は笑顔を浮かべた。


「……うん!」




 京都駅に降り立った春奈は、空を見上げて思わず頭を抱えた。


「あっちゃぁ……」


 嘆くのも無理はない。折からの寒冷前線のせいで、この時期に珍しく京都地方はみぞれ混じりの大雨に見舞われていた。寒さには慣れてきたはずの春奈も、吹き付ける風に思わずマフラーをずりあげる。コンコースで待つ春奈たちの目に、出場校一覧の書かれたボードが目に入ってくる。


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北海道 釧路北国 6年ぶり4回目


青 森 山川学園 2年連続22回目

岩 手 一関東  2年ぶり6回目

宮 城 仙台共和大高 12年連続22回目

秋 田 秋田学院 13年連続14回目

山 形 酒田国際 2年ぶり4回目

福 島 日東大福島 10年ぶり3回目


茨 城 水戸学園 2年ぶり5回目

栃 木 宇都宮成隷女子 2年ぶり4回目

群 馬 日新学院 12年連続15回目

埼 玉 埼玉共栄 9年ぶり3回目

千 葉 成田商 2年連続7回目

東 京 大泉女子 2年連続2回目

神奈川 海南学院金沢 初出場


新 潟 新潟明倫 2年連続6回目

富 山 高岡東 2年連続7回目

石 川 能登星章 2年ぶり9回目

福 井 越前商 2年連続6回目

山 梨 甲府国際大附 10年ぶり3回目

長 野 望海大三高 2年ぶり11回目


岐 阜 関女子 6年連続8回目

静 岡 若葉学園掛川 初出場

愛 知 豊田第一 2年連続10回目

三 重 伊賀商業 2年ぶり4回目


滋 賀 大津東 5年連続11回目

京 都 京都鹿鳴館 12年連続15回目

大 阪 浪華女子 19年連続19回目

兵 庫 姫路女学館 15年連続17回目

奈 良 桜井学園 初出場

和歌山 和歌山早雲 初出場


鳥 取 鳥取中央 2年連続12回目

島 根 浜田学園 6年連続9回目

岡 山 楊明館 10年連続17回目

広 島 東広島 6年連続9回目

山 口 下関学園 3年連続11回目


徳 島 鳴門西 4年ぶり4回目

香 川 高松農芸 13年ぶり4回目

愛 媛 松山聖霊 4年ぶり6回目

高 知 室戸商 7年ぶり13回目


福 岡 筑紫野学院 2年連続14回目

佐 賀 鹿島女子 3年ぶり5回目

長 崎 諫早学園 4年ぶり8回目

熊 本 熊本横手 3年ぶり5回目

大 分 大分学院 5年連続9回目

宮 崎 日東大日南 2年連続6回目

鹿児島 桜島女子 14年連続14回目


沖 縄 牧志 2年連続3回目

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「『優勝候補の最有力は、3連覇を狙う桜島女子。女王奪還を狙う仙台共和大高と、スーパールーキー久遠の加入した浪華女子、エース・カリウキを擁する東広島も有力か。留学生最速のワリオのいる白鳥学園を下し、9年ぶりの都大路に戻ってきた埼玉共栄にも注目』――ノーマークだね」


 スポーツ新聞の下馬評に目を通したみるほが、悔しそうにつぶやく。その横には、松葉杖を手に、ギプス姿の佑莉の姿がある。


「ほんまごめんなぁ、みんな……なにも直前に折れんでも……」


「ううん、責任感じちゃだめだよ。佑莉ちゃんが悪いわけじゃないし」


 マスク姿で表情こそ読み取れないが、うつむいたその姿には無念さが滲む。一昨日の練習で足の甲に痛みを感じ、検査をしたところ疲労骨折が判明したという。春奈は、佑莉の背中をトントンと叩いて励ましたが、雨の降り続く空を見上げて聞こえないように小さくため息をついた。




「何を辛気クサいツラしてんだい! 泣いても笑っても明日が本番なんだ、ほら、スマイルスマイル!」


「マサヨさん!?」


 宴会場に響き渡る、お馴染みの声に思わず部員たちが振り返る。


「マサヨさん……、わざわざありがとうございます」


 ひかるが頭を下げると、マサヨさんはハスキーな声でケラケラと笑った。


「いいってことよ。仕事の休みが取れたからね、生で観んのも初めてだからさ。ほら、応援団も一緒に連れてきたよ!」


「わぁ!」


 面識のない1年生を除き、春奈たちも思わず歓声をあげた。マサヨさんが指差す先には、あかりと一美の他にも、秋田の実業団チーム・大同自動車で競技を続ける相浦翼(あいうらつばさ)や、一美の代のマネージャーだった飛田彩夏(とびたあやか)の姿もあった。


「久しぶり。大学組は来週富士山女子駅伝だから無理だったけど、みんなで応援に来たよ」


「あかり、サンキュ! みんなも来てくれてありがとう。応援よろしく頼むよ」


 一美たちも笑顔でうなずく。マサヨさんは、部員たちの顔を見回して声をあげた。


「校長が来れないのは残念だけどね。このユニフォームで走れる最後のレースだ。校長に優勝をプレゼントして、有終の美を飾らせてあげようじゃないか」




「こんな大事なレースに部長が不在とはなんとも申し訳ない……校長の職務として同席せざるを得なくてね……よろしく頼んだよ」


「ええ……承知しました」


 申し訳無さそうに頭を下げる岩瀬を、ひかるは静かに見つめた。ドラフト会議でプロ野球チーム・仙台三葉(みつば)ビートルズに1位指名された野球部のエース・飛雄馬の入団会見に同席することになり、京都へ赴くことができなくなったという。ひかるは、岩瀬に手渡された書類を見回した。そこには、白地にエメラルドグリーンで「秋田学院大学」と記されたユニフォームが描かれている。


「正式に理事会で決議が下ってね。来年の4月から、校名が『秋田学院大学秋田高校』に変更になるそうだ……それと同時に、部活動のユニフォームもCI(シーアイ)戦略」に沿って大学と同じデザインになるんだそうだ」


 見慣れないユニフォームに、ひかるはピンと来ない様子で首を傾げた。岩瀬は、窓の外を眺めながらぼそりと呟いた。


「わたしも来年の3月で定年だからね……色々と変わるものが多くて寂しいけれども、これも時代だ……」


 寂しそうに言うと、ひかるの目を見て岩瀬が続ける。


「学校名もユニフォームも変わる。だが、わたしやきみが培ってきたものは部活の歴史として残る。秋田学院としては最後のレースだが、ここで結果を残して後進に伝えていこうじゃないか」



 

 レース当日の朝は、昨日の本降りが嘘のように綺麗に晴れ渡り、青空に包まれていた。宿舎の前には、部員と教職員のほか、他のホテルに宿泊していた保護者たちも駆けつけていた。


「お母さん!」


 春奈は、琴美の姿を見つけて駆け寄る。琴美は春奈をぐっと抱き寄せると、背中をトントンと叩いて励ました。


「いよいよだね。泣いても笑っても今日が最後だから頑張るんだよ……また、お父さんも一緒に走ってくれるのかな」


 琴美に問われると、春奈は腰のあたりを二度叩いて笑顔を見せた。


「ここに縫いつけたよ。お父さんと一緒に頑張ってくるよ」


「オッケー、わかった。お母さん、中継所で待ってるから頑張ってくるんだよ」


 春奈は頷くと、ひかるを中心とした輪の中へと入っていった。




「直前に色々アクシデントもあったけど、今日走るメンバーは最終的にこの5人に決めました。みんなが一人ひとり力を尽くせば、絶対に優勝できる。気を抜かずに精一杯走ろう。1区、真輝。2区、沙佳。3区、春奈。4区、怜名、5区、秋穂」


 5人がひかるの横に進み出ると、部員や保護者たちから拍手が起こる。


「今日は、キミたちが打ち込んできた青春の日々の成果を見せる日だ。青春は、今しかないんだ! 走るメンバーも、そうでないメンバーもそれぞれに役割がある。全力を尽くそう――じゃあ、春奈。いつものやつ、今日はキャプテンに任せる。ひとつ頼むよ」


「はい!」


 春奈は部員たちで輪を作ると、目一杯の笑顔を浮かべて声を張り上げた。


「今日走るメンバーは、応援してくれるみなさんの顔を浮かべて1秒でも早く、1秒でも前へ。応援のメンバーは、走るメンバーがちょっとでもより力を発揮できるように声をあげて、チームの優勝のために頑張りましょう!」


「「はい!」」


 威勢のいい返事が帰ってくると、ゆっくりと深呼吸をして叫んだ。


「じゃあ、行きます! 思いはひとつ!」


「「全国制覇!!」」


「みんなで頑張る!」


「「全員駅伝!!」」


「力を出し切る!」


「「団結力! 努力・全力・全速力!!」」


「最後に勝つのは?」


「「わたしたち!」」


「行くよ、秋学(アキガク)! ゴーーー……!」


「「ファーーイト!!」」



<To be continued.>

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