#136 敵に勝ち、味方に勝つ
朝の一ツ森公園に、今年も色とりどりのガウン姿が集まってくる。都大路へのたった1枚の切符を手に入れるために、熱戦が繰り広げられる――全国女子高校駅伝の予選となる秋田県高校駅伝は、もうすぐスタートの時を迎えようとしていた。
『まもなく、女子のレースも号砲の時を迎えようとしています。全15校が都大路行きの切符を巡っての熱いレースを繰り広げるこの秋田県高校駅伝、実況は秋田ホームテレビのわたくし佐藤、解説には大曲国際情報高校のOGで、現在は大同自動車女子陸上部のキャプテンを務めます荻野好美さんにお越し頂いています』
「よろしくお願いします」
好美は頭を下げた。好美は、かつて都道府県対抗女子駅伝で春奈たちとレースを共にした仲だ。手元の資料を読み込んでいると、実況が訊ねる。
『荻野さん、今朝のエントリー発表を見て非常に驚いたのですが、今回秋田学院は2チーム――正式な記録の残るAチームのほか、オープン参加のBチームもエントリーしているということなんですよね』
好美は頷いて口を開く。
『今の秋田学院はそれだけ層の厚いチームですし、A、Bチームによる先頭争いが見られるんじゃないかと期待していますね』
『はい。秋田学院は13年連続で都大路に進出していますし、今大会についても優勝候補の筆頭ではあるのですが――』
実況がそう言うと、カメラはある中継所の様子を映し出す。
『秋田学院ですが、なんとAチームには日本女子陸上界のホープ、冴島春奈の名前がありません! 今回、冴島はオープン参加のBチーム、5区のランナーとしてエントリーされています。今年3月に難病であるもやもや病の手術を受けた冴島、まだ本調子ではないのか、今回のレースではオープン参加のBチーム、アンカーとして走ることとなります――』
スタートを中継所で待つ春奈の脳裏には、1週間前のミーティングの様子がよぎっていた。ひかるが、淡々とホワイトボードに名前を書いてゆく。1区から5区のメンバーを2列書き込むと、右側の列の上に赤いマーカーで大きく丸を囲み、OPと書いた。
「今回の県駅伝は、2チームエントリーする。右側に書いたメンバーはBチーム……オープン参加になる」
初めての試みに、部員たちは困惑の表情を浮かべた。春奈は、一番前の列に座り、ホワイトボードをじっと見つめている。
「制度として認められているものは、使ってみようってわけ。正式な記録ではないけど、今までだったら5人しか走れなかったところを倍の人数エントリーできる。それだけ、本選に向けた戦略もこちらとしては立てやすい」
ひかるは、表情を変えない。部員たちの困惑を悟ると、小さくため息をついた。
「今回はこの前のレースのタイムで2つに分けたけど、Bチームだからって悲観することはない。逆に、Aチームにいるからって本選で走れる確証はない。県駅伝は絶対に通過しないといけない。それぞれが自分の役割を知って、ベストを尽くしてほしい」
春奈は、空を見上げる。10月の秋田の朝は、うっすらと肌寒さすら感じる。一点の曇りもない青空にニッコリと笑みを浮かべた。
「よし……頑張ろう!」
テレビ中継には、出場チームのメンバーが映し出されている。
【秋田学院A】
1区 石橋 真輝 (1年)
2区 荒畑 沙佳 (2年)
3区 柿野 佑莉 (3年)
4区 松山穂乃香 (2年)
5区 高島 秋穂 (3年)
『先日の校内選考会で上位にランクインした、今一番調子の良い選手たちと秋田学院・梁川監督も胸を張っています。注目は1区の1年生・石橋。エース冴島を彷彿とさせるしなやかなフォームで、チームの次世代の中心選手と期待を受けています』
【秋田学院B】
1区 城 恵理子 (2年)
2区 牧野 怜名 (3年)
3区 三本木涼子 (3年)
4区 橋本 由理 (1年)
5区 冴島 春奈 (3年)
『エース冴島が5区、昨年の都大路で4区を走った同じ3年生の牧野が2区にエントリーされています。オープン参加ですが、梁川監督も期待を寄せる面々です』
スタートラインに並ぶ15校のうち、臙脂のユニフォームはよく目立つ。やや緊張した面持ちの真輝に対し、恵理子は余裕とも見える笑顔を浮かべた。
「城先輩……緊張しないんですか?」
真輝が訊ねると、恵理子はさも当たり前といった表情で即答する。
「えっ? 緊張してるよ?」
「えっ?」
真輝が唖然とすると、恵理子は不敵な笑みをこぼす。
「春奈先輩に言われたの。どうせ緊張するんだから、最後は緊張を楽しんだほうが勝ちだって」
「そっ、そうなんですね?」
真輝が「春奈」に反応すると、恵理子は真輝の背中をポンと叩いた。
「そう、でも春奈先輩の話は後。とにかくコハル、タイムはわたしの方が遅いけど今日は負けないよ」
「はっ……はい!」
ガウンを着込んだ初老のスターターが、スタートラインへ歩み寄る。
「10秒前」
せわしなく身体を動かしていたランナーたちが、すっと動きを止めて態勢に入った。一ツ森公園に、一瞬の静寂が訪れる。
「5秒前。On your mark」
真輝は、ちらとすぐ横の恵理子を見た。恵理子は真輝を気にする様子もなく、前方をじっと見つめている。
パァン!
『15校一斉にスタートしました! 大曲国際情報が一瞬飛び出しましたが、すぐ後ろから秋田学院のふたり――Aチームの1年生石橋真輝と、Bチームの2年生城恵理子がすぐさま追い抜いて行きます。1区のこの先には、秋田学院の校地のすぐ横を通る場所があり、学校関係者が大挙して応援に駆けつけることでも知られています。まずは秋田学院のA、B両チームが抜け出し、リードを奪っています』
真輝は、しきりに恵理子の様子を伺っている。
(城先輩、どのぐらいのペースで行くのかな……)
すると、恵理子の姿が視界からすっと消えた。
「!」
『今ここで、秋田学院Bの城が石橋のすぐ後ろに回り込みましたね』
『あぁー、風よけですね』
前方から向かい風が吹き付けてくるとみるや、恵理子はすぐに真輝の後ろへつけ、ぴったりとマークしている。真輝はチラリと振り向くと、露骨に嫌がるような表情を浮かべた。好美は、その様子を見て深く頷いた。
『石橋さんは小柄ですが、それでも並走するよりは風の抵抗を受けにくいと思います。城さんは持ちタイムだけでいえば石橋さんとは20秒近く差があるはずですが、うまく駆け引きしながら石橋さんについていけるといいんじゃないでしょうか』
ひかるは、ゴールの八橋陸上競技場でレースの様子をじっと追っていた。ぴったりとマンマークされて当惑する真輝をよそに、恵理子は表情ひとつ変えずに黙々と走っている。
(スピードはコハルだけど、レースの経験値でいえば恵理子もなかなかのもの……コハルが伸びないのも困るけど、ここで恵理子が粘れるならもしかしたら本選にも食い込んでくるかもね)
ふたりの前方には、臙脂のガウンを羽織り、旗を持った部員や学校関係者が待ち受けている。
「恵理子! コハル! 恵理子! コハル! 恵理子! コハル……」
恵理子はすっと手を挙げたが、真輝は視線を横にやる余裕はないと見え、そのまま過ぎ去ってゆく。恵理子は、その後ろ姿をじっと見つめながらタイミングを窺っていた。すると、コハルが左腕のアームカバーをしきりに気にしていることに気づいた。
(なるほど……そういうことなら、時計代わりに使わせてもらっちゃうよ)
「コハル! ラスト! ラストー!!」
沙佳が、声を張り上げる。残り1キロを切った時点でペースを上げ、なんとか恵理子を振り切ったように見えた真輝だったが、恵理子はそう遠くない所に見えている。沙佳は、右手を挙げると目を凝らした。
(次の佑莉先輩までに差を広げないと……!)
沙佳は、すぐ横を向いた。すると、恵理子を待つ怜名と目が合う。怜名は表情から沙佳の心の内を読み取ったのか、舌をちろっと出しておどけてみせた。
「そうはいかないって、さーや。怜名ちゃんだってこの1年、スピードにも磨きをかけてきたんだからね」
沙佳と怜名のベストタイムは、公認記録上さほど差がない。怜名は沙佳に負けじとその場で大きく飛び跳ねると、手を大きく叩いて叫ぶ。
「恵理子、おいで! ラスト! いい感じだよ!」
「怜名先輩!」
沙佳にタスキを渡し崩れ落ちる真輝のすぐ横で、恵理子から受け取ったタスキを高く掲げた。
『秋田学院Aから遅れること13秒、オープン参加の秋田学院Bも2番目でタスキリレー! チーム内最長身の2年生荒畑を、最も小柄な牧野が追っていきます!』
第4中継所で待ち構える春奈と秋穂は、吹き付ける北風に震えつつ、身を寄せ合うようにして中継所のモニターを眺めていた。
「寒いね……」
「寒いの……」
無心で発した言葉がシンクロし、思わず顔を見合わせて笑い合う。モニターの中では、先頭を走る長身の沙佳の後方から、小柄な怜名の姿が少しずつ大きくなってくるのがわかる。
「怜名!」
「ええんやない? さーやに負けとらんよ」
実況が、思わず叫ぶ。
『梁川監督が「小さな巨人」と評する牧野が、先頭の荒畑に迫ってきます! この夏は国体で決勝まで残り、優勝こそものの3,000メートル障害で入賞を果たしたタフガールです。スピードこそないが、気づいたらすぐ後ろに迫っているというその安定感を高く評価しています。一方の荒畑も今年はタイムを縮めています。ここは負けるわけにはいきません』
同じチーム同士が先頭を争うという光景は、なかなかお目にかかることができない。後方には他校の選手こそいるが、映像はずっと臙脂のユニフォームのふたりを映し続けている。すると、ポケットから着信音が鳴り、春奈は携帯電話を取り出した。
「もしもし涼子、おつかれ……」
春奈がそう言い終わる前に、隣の秋穂にも聞こえるほどの大きな声が聞こえる。
「どうしよう春奈、ほーたん、緊張するよ……!」
慌てて春奈がスピーカーホンに変えると、秋穂が訊ねた。
「何をそんなに緊張しとん?」
「だって駅伝メンバーで走るの初めてだからさ、もう足ガクガクしちゃって。どうしよう」
電話口から、緊張が抑えきれない様子が伝わる。秋穂は、呆れたように涼子に言う。
「ああ、もうやめんか、こっちまで緊張してしまう」
「だってさぁ」
なおも食い下がる涼子に、秋穂は一瞬ニヤリとして伝えた。
「そうしたら、手のひらに人って3回書いて飲んだらええ」
即座に春奈が秋穂の肩をパシッと叩く。ケラケラと笑う秋穂から携帯電話をふんだくると、春奈は涼子に言った。
「リラックスしていこうよ、涼子。オープン参加がAチームを抜かしたら、カッコいいでしょ? 区間賞行っちゃおうよ」
「えっ、マジ? 春奈、プレッシャーかけるのやめてよぉ」
「ううん、プレッシャーじゃなくて本気。佑莉ちゃんと区間賞争いするの楽しみにしてるから」
そう言うと、芝居がかった口調で締めくくる。
「『幸運を祈る』」
第3中継所には、沙佳と怜名が並ぶようにしてやって来た。怜名は一時10数秒あった差を抜き返したが、最後の数百メートルで沙佳が再び怜名に並んだのだった。
『秋田学院同士による熾烈な先頭争いが続いています!今、A・B両チームともタスキリレー!3番目を走る大曲国際情報はまだ中継所にはやって来ていません!秋田学院が実力の差を見せつけています』
涼子は、すぐ横を走る佑莉を見た。早くから春奈、秋穂に次ぐタイムを持ち、将来を嘱望されていた佑莉とは違い、選抜メンバーにも入れなかった涼子にとって、Bチームとはいえ佑莉と並んでレースを走っていることは数年前の自分に言ってもきっと信じないだろう――と思わず苦笑いが漏れる。
『秋田学院Bチームを走る3年生の三本木涼子は、これが3年生にして初の駅伝となります。非常に明るい性格の持ち主で、練習を盛り上げるムードメーカーだと梁川監督は評しています。地道にタイムを縮め、来年からは関西の大学への進学も決まっているこの三本木ですが……、荻野さん、柿野が伸びないのか、三本木が徐々に前に出ていますね?』
実況の問いに、好美は首を横に振った。
「確かに柿野さんがあまり伸びていないというのもあるかもしれませんが、三本木さんのペースがいいですね。非常にフォームが伸びやかで安定していますし、かなり横風がありますがそれを苦にしていない印象がありますね」
好美の言葉通り、涼子は安定したペースでピッチを刻んでいる。春奈たちはモニターを見て頷くと、すっくと立ち上がった。秋穂が問いかける。
「なあ、春奈」
「どうしたの?」
春奈が問い返すと、秋穂は嬉しそうにニヤリと笑った。
「まさか、都大路に行く前にこのふたりで対決できるなんてな」
「……本当だ!」
春奈の脳裏に、入学したことの練習の様子が浮かぶ。春奈にいきなり勝負を挑んできた秋穂のことを思い出し、春奈は思わずプッと吹き出した。
「何がおかしいんじゃ?」
「だって……、あの頃の秋穂ちゃん、すごいライバル意識むき出しだったなって」
秋穂も当時を振り返って恥ずかしくなったのか、顔を赤らめた。
「……変わったんよ。考え方が」
「?」
「本城先生が……言うとったじゃろ。ウチらはライバルでもあるし、仲間でもあるって。でも、やっぱり」
そういうと、秋穂はガウンを脱ぎ捨てて右手を差し出す。
「同じ目標に向かって走る仲間じゃけん、勝負もええけど……最後はみんなで喜びあいたいじゃろ?」
「……そうだね!」
春奈は、差し出されたその手を力強く握り返す。そのすぐ傍から、モニター越しに実況の叫び声が聞こえる。
『秋田学院B、残り1キロを過ぎてスパートしました! 3年生の三本木がAチームの柿野を突き放します! 待ち受ける4区の1年生橋本に有利な位置でタスキを渡したい! さらに、その先の最終5区ではエースの冴島が待ち受けています!』
「涼子、すごいすごい!」
思わず春奈は手を叩いた。そして、自らの出番ももう10分もないうちに訪れる。ガウンを脱ぐと、身体の感覚を確かめるようにその場で二度三度と飛び跳ねる。軽やかにウォーミングアップを始めると、実況の声が響いた。
『この第3中継所、トップでタスキをつないだのはオープン参加の秋田学院Bです! 3年生の三本木涼子、見事にAチームの柿野をかわし先頭でタスキリレー! 1年生の橋本由理が、この後5区で待ち構える冴島にこのままトップでタスキを渡せるでしょうか?』
<To be continued.>




