#135 自分の気持ち
「えーっと、横浜市、青葉区、い、い……市が尾町、っと」
ぎこちない手つきでカーナビを操作する。住所まで入力し終わりカーナビの音声案内が聞こえるとサイドブレーキを下ろし、ゆっくりとアクセルを踏みしめる。
ブウウウウウン!!
「あ、やっば」
シフトをニュートラルのまま変えるのを忘れ、エンジンが空転する。思わず舌をちろっと出して頭を掻いた。シフトをドライブに変えて、ゆっくりと車庫から愛車の顔を覗かせる。
「大丈夫? 電車で行ったほうがいいんじゃない?」
「平気だよ、そんなに飛ばしたりしないから。それに、横浜まで行くのは結構面倒だし。安全運転ってことで」
心配して覗き込む母をなだめるように、ニヤリと微笑んだ。
「それで、今日は誰とお出かけなの? 一美」
一美は照れくさそうにはにかむと、母に答えた。
「大事な友達だよ。困ってるみたいだから、ドライブしながら悩みでも聞こうかなって」
「ほーら春奈、先輩がそろそろ迎えに来るんじゃないの?」
わずかな休暇期間を使って、春奈は横浜の自宅へと帰省していた。一美との約束の時間まで、あと10分もない。だが、当の春奈は姿見を前にあれこれと服を着比べてはベッドに放り投げている。
「どうしよどうしよ、全然着る服が決まらないんだよ」
階下から昇ってきた琴美が、呆れたように春奈を見つめる。
「もう、お母さん決めてあげようか」
春奈は一瞬困ったような表情を浮かべたが、次の瞬間には首を縦に振っていた。女性ファッション誌の撮影もこなす琴美にコーディネートを任せたほうが安全だろう。とはいえ、その琴美もベッドを眺めて固まっている。
「お、お母さん、どれに……」
「ち、ちょっと待った! お母さんだって色々考えてるんだから!」
ピッ、ピッ……
「あ」
窓の外からクラクションが響く。道が空いていたのか、一美は想定よりも早く辿り着いたようだった。春奈は窓から顔だけを覗かせると、車を降りて待つ一美に頭を下げた。
「か、一美さん、ちょっと待っててくださいっ! まだ、服が決まってなくて!」
一美は思わず苦笑いすると、サングラスを外して春奈を見上げた。
「ははははっ、了解。ここで待ってるから、準備できたら出発ってことで」
真っ赤なミニクーパーは、横浜青葉インターから東名高速を北上している。
「これ、一美さんが買ったんですか?」
「そ、中古だけどね。オンボロだからいつまで走るか分からないけど、仕事のご褒美。クルマがあれば、ちょっと遠くのスタジオ行くのも楽だし。さすがに仕事は電車だけど、出かける時はラクだよ。もう走ることもないし……陸上やめてから、3キロ太っちゃってさ」
そう言って一美は苦笑いすると、脇腹をつまんでみせた。
「えっ、全然わかんないですよ! むしろ一美さんスタイルいいし……って、これから何処に?」
春奈が訊ねると、一美はカーナビの画面を指差す。
「春奈、東京ほとんど来たことないでしょ? 東京案内がてら、色々回ろうかなって。お昼はわたしがよく行くお店あるから、そこで食べようよ。で、その前に」
「その前に?」
「ちょっと、渋谷寄っていい? カレシが来るからさ。迎えに行かないとってことで」
「かっ、カレシ!?」
一美の運転するミニクーパーはほどなく渋谷に到着し、春奈たちは井の頭線の出口の近くで車を止め、一美のいう「カレシ」の到着を待っていた。すると、春奈は車に近づいてくる人影を見つけ、思わず声をあげた。
「かっ、一美さん、あっ、あれ!」
「お、来た来た、あれ、カレシカレシ」
一美がニヤリと笑う。その人影はミニクーパーの扉をノックすると、助手席に乗り込んで来た。春奈は、その顔によく見覚えがある。
「一美、お待たせ! 冴島さん、久しぶり! 元気だった?」
「あっ、カレシってそ、そ……天さん!?」
ミニクーパーは青山、六本木といった繁華街を通り抜け、東京タワーへと向かってゆく。
「だめだよ、一美。冴島さん、そういうの真に受けちゃうんだから。それより冴島さん、心配してたけど元気でよかった!」
「へへへ……」
春奈は、恥ずかしそうに頭を押さえた。井田天。本城との一件で、秋田学院を去った井田悠来の双子の姉で、東京の競合・八王子実業を卒業した後、強豪の同洋大学へ進学し、早くもエースとして活躍しているという。後部座席に移った春奈は、ふたりのことを不思議そうに見つめた。
「それにしても、おふたり……もともと知り合いだったんでしたっけ?」
春奈が訊ねると、一美と天は同時に首を横に振った。天が口を開く。
「悠来のことがあったから、前に都大路で会った時は直接話はしてなくて。でも、一美とはどうしても話をしなくちゃって思ってたから、愛花さんに紹介してもらったの」
「なるほど! 愛花先輩!」
同洋大学で天の1つ上の学年で、秋田学院の卒業生でもある佐藤愛花が仲を取り持って再び対面を果たし、お互いのことを話すうちに意気投合したという。一美は、天の方を一瞬向いて微笑んだ。
「遠回りしたけど、お互い陸上に対しての思いとかは通じるところがあったし。それに、天のことを敵視してても何も生まれないって思ったから。今は、何でも相談できるいい友達だよ」
「そっか……よかったぁ……」
ふたりの仲を心配していた春奈は、安堵のためいきをついた。すると、天が思い出したようにポンと手を叩く。
「そういえば、冴島さんたちの代からも、同洋にひとり来るって聞いたけど?」
春奈は、天の言葉に笑顔で頷いた。
「そうなんです! 一美さん、真理、大学でも陸上続けることになって。この前同洋のセレクションに合格したんです!」
「えっ、そうなの!?」
面談を終え、進路を決めた真理は清々しい表情で春奈に頭を下げた。
「まだ、お母さんはすべて納得したわけじゃないみたいだけど。でも、お父さんがやりたいことをやればいいって背中を押してくれたんだ……さえじ、ありがとう。さえじのお陰で、やりきったと思えるところまで陸上を続けようって思えたんだ」
県会議員の父とその秘書の母、それぞれの思いの間で長く思い悩んでいた真理も、春奈の言葉がきっかけで自分を見つめ直したのだという。
「正直、一緒に同洋に入る子たちの中でタイムは最下位だし、最初は練習生みたいな立場だけど……同洋だったら優勝も目指せるかもしれないし、そんな強いチームの中で自分がどこまでやれるか……もう少しだけ頑張ってみようかなって」
「真理……よかったね!」
春奈がそう言って手を握ると、真理はふと思い出したように口を開いた。
「うん……あっ、そういえば」
「何?」
「春奈は、どうすることにしたのかな? 前に、教えてくれたよね。進路、どうするのかなって……」
「う゛っ……」
東京タワーからの絶景を満喫した春奈たちは、再び一美の運転で南青山へと向かい、一美がよく訪れるというレストランへとやって来ていた。春奈がこれまで受けたというスカウトの数々の話を聞き、一美と天も興味津々という表情でずっと頷いていたが、料理がそろそろ運ばれてこようかというタイミングで春奈が発したひと言に、ふたりは思わず同じタイミングで驚きの声をあげた。
「色々な話を聞いて、考えたんですけど……わたしとしては、……――かなって」
「「ええっ!?」」
思わず、春奈は身構えるような仕草を見せる。一美は、慌てて両手を振った。
「ああ、ごめんごめん、ビックリしただけ。春奈、それは……色々なところからのオファーを聞いて、それで決めたってことだよね?」
春奈は、無言で首を縦に振った。天も、腕を組んだまましばらく無言で春奈の話を聞いていたが、ゆっくり口を開いた。
「外野は、なんとでも言えるからね。冴島さんが決めたことなら、それを貫いたらいいとわたしも思う。どの道が正解かなんていざ行ってみないとわからないし、それに――」
天が一美を見ると、一美も頷く。
「誰かに決められた道なら、後でああすればよかったってきっと思うからね。春奈、それは誰かの希望で決めたことじゃないんでしょ? 自分の気持ちで決めたんだよね?」
春奈は、一美たちを見回した。
「色々話は聞いたんです。それに、自分だけの都合で決められることでもなくなっちゃったので……でも、結局最終的に決めるのは自分だし、やっぱり自分の気持ちに嘘をついてもいけないと……」
春奈は熱を帯びた言葉で伝えていたが、卓上にガパオライスが運ばれてくると、不意に腹から大きな音が鳴る。
ギュウゥゥゥ……
春奈は、バツが悪そうに頭を下げた。
「お、おいしそうなの見てお腹鳴っちゃいました……ま、まずは食べてもいいですかっ!?」
一美は目を丸くしていたが、天と顔を見合わせるとケラケラと笑い声を上げた。
「あはははは、春奈らしいね。ホッとしたよ。食べな食べな! この後、レインボーブリッジ通ってお台場連れてくからさ、そこから湾岸線で横浜に戻ろう。天、今日は時間あるでしょ? 送ってくからさ、最後まで付き合ってよ」
「いいよ、了解。わたしたちも食べよう、お腹空いちゃった」
「綺麗!」
初めて乗るというパレットタウンの大観覧車から眺める東京の夜景に、春奈は思わず歓声を上げた。
「帰国してから陸上のことばっかりだったから、東京もほとんど来たことなくて……一美さん、天さん、ありがとうございます」
一美は、静かに笑みを浮かべた。
「進路のことは色々大変だと思うよ。でも、わたしは元気な春奈が見れて嬉しかったかな」
そう言うと、一美もお台場の夜景に目を向ける。
「天は今も競技を続けてるけど、わたしはご覧のとおり。でも、それぞれ自分で決めた進路だからね。大変なことはあるけど、わたしは後悔はしてないよ。どの進路を選んでも、自分の気持ちに正直な選択をしたのなら、それでいいんじゃないかな」
天も頷いた。
「そうそう! だって、夢があるんでしょ? それに向かうために決断したのなら、わたしたちが何か言うことじゃないし。夢、絶対に叶えてほしいな」
一美たちの言葉に、春奈は笑顔で頷いた。大観覧車から見つめる東京の夜空には、無数の星が瞬いている。
<To be continued.>




