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#133 雷雨

 ドーン……


「ひいっ!!」


 思わず、怜名が後ずさる。蒸し暑いが晴天だった朝から一転して、どこからかもうもうと湧いてきたどす黒い雲に覆われ、激しい雷雨が降り注ぐ。女子陸上部の面々は、雨に打たれながら一ツ森公園の体育館の前に集まっていた。そこへ、レインコート姿のひかるがやって来る。合宿を終えたメンバーたちは、駅伝メンバーを選ぶためのこの部内選考レースに参加していた。


「みんな、今日は……分かってるね。あいにくこんな天気だけど、この1年間の成果を見せてもらう日だ。レースに臨むメンバーは、全力でよろしく。怪我や体調面で今日走れなかったメンバーも、選ばれたメンバーをサポートしていこう。それに、なにより」


 ひかるは、ゴクリとつばを飲み込むと改まって口を開いた。


「これからの駅伝シーズン、メンバーを選ぶ材料は今日のレースの結果だけ。もちろん、みんながここまでどれだけ努力してきたかはよく知ってる。だけど、目標を達成するためには――勝つためのメンバーを選ばないといけないからね」


 雨に打たれながら頷く部員たちの後ろで、傘をさしながら悔しそうに彼女たちを見つめる部員たちの姿もある。この数日の体調不良や、怪我の経過が思わしくなく涙をのんだ彼女たちは、ひかるの話が終わると拍手を送った。




 合宿最終日前夜、春奈たちはひかるの険しい表情に思わず息を飲んだ。ひかるの部屋には、春奈たち学年キャプテンと副キャプテン、そしてマネージャー陣が集められていた。


「今のままでは、都大路では勝てない」


 表情一つ変えずに、ひかるは口を開いた。厳しい言葉に、部屋の中に緊張が走る。ひかるは、春奈たちの顔を一人ひとり見渡すと小さくため息をついた。


「キミたちが努力をしていないなんて思ってはいない……ただ、正直な話、今の実力は期待通りのメンバーが期待以上に走ってようやく、桜島と対等に勝負できるかどうかだ。これを」


 ひかるはそういうと、ノートパソコンに映し出されたグラフを指さした。


「去年は、特に主力のメンバーに怪我や体調不良がなかった。それでも、ひとりひとりの少しの差が積み重なって桜島に負けた――」


 画面を見つめる春奈たちの表情が、いっそう厳しくなる。ひかるがマウスをクリックすると、別のグラフが現れる。


「桜島の特徴は、部員たちに差がないこと。たとえ、桜庭さくらたち主力が離脱しても、控えにいるメンバーでも普通に優勝争いできるだけのタイムに伸びてきている……」


 ひかるは、厳しい表情のまま春奈たちを見回す。


「誰が悪い、誰が遅いという話じゃない。今のわたしたちは、これから先、ひとりでも主力のメンバーが欠けたらそれだけで優勝争いができなくなる。それぐらい、桜島の壁は高いと思ってほしい」


「……」


 春奈は、何か言いたそうにひかるを見つめたが、下唇をぐっと噛んで鋭い視線を向けた。すると、ひかるとふと目が合う。


「春奈」


「……はい……」


「もう一回言うよ。わたしは、誰が悪い、誰が遅い――犯人を作りたいわけじゃない。これは、ひとりひとりが埋めていかないといけない差なんだ。それに、この場にどうしてキミたちを呼んだのかもよく考えてみてほしい」


「ひかるさん……?」


「青春は、今しかないんだ。わたしは、青春に全力を尽くさなかったから、今でも後悔することがあるよ……だからこそ」


 ひかるは手元のノートパソコンを閉じると、小さく笑みを浮かべた。


「わたしはキミたちに、青春のいい思い出を作ってあげたい……だから、チームを預かる者として、今を妥協するわけにはいかない。全員、ひとりひとりが都大路を走って、全国優勝をするつもりで選考に準備してきてほしい」




 春奈は、スタートラインのはるか先を見つめた。コースは雨に煙り、遠くを見通すことはできない。昨日の夜、みるほから部員全員に送られたメールの内容を思い出す。そのメールを見た瞬間、春奈の部屋に集まっていた愛や沙佳たちからどよめきが起こった。


「ねえ、さえじ、明日の選考レース6,000だって!?」


「すごいですね……これ、全員走りきれるのかな……」


一ツ森公園の起伏あるコースを2周して、上位の10人を駅伝メンバーとして選出するという。6キロは、全国女子高校駅伝の1区に相当する長い距離だ。春奈は、あごに手を当ててメールをまじまじと見るとつぶやいた。


「ひかるさんは、この距離をきちんと走りきれるメンバーじゃないと、都大路で勝つのは難しいって言ってるんだと思う……」




 春奈は、ひとつため息をついて続けた。


「わたしも負けたくはないけど、わたしが一生懸命走って、それでもわたしよりも速い人たちがいるなら、それでも全然いいと思う」


「さえじ?」


「前に区間賞を取ったとか、昔のタイムがいいとかはそんなに関係ないと思う。今強い人、今速い人がちゃんと走れたら、桜島に勝てると思うから……」


 そこまで言うと、春奈は一瞬言葉に詰まった。だが、すぐに両手で顔を仰ぐような仕草をすると、愛たちに笑顔を向けた。


「だから、明日の選考レースはみんなで全力で頑張ろう。優勝したいもん、みんなと……一緒に」




「それじゃあ、1組目行きまス! 準備お願いしまス!」


あおばが声を張り上げた。シャッフルされた3組、15人ほどのグループに分かれて3キロのコースを2周し、上位10人が駅伝メンバーに選ばれるが、実際に都大路を走れるのは5人しかいない。春奈はこの日、1組目のメンバーに選ばれていた。すっと立ち上がると、2組目を走る怜名、3組目の秋穂とそれぞれ目が合う。


「春奈! ベストを尽くそうね!」


「分かった! 行ってくるね!」


「頑張れ!」


「うん!」


 スタートラインには、真輝が待ち構えていた。


「冴島先輩……!」


「うん、どうした?」


そこまで言うと、真輝は途端に涙ぐみはじめ、鼻の頭が真っ赤に染まる。


「冴島せんぱぁい……一緒に走れるようになって…グシュ、わたし、嬉しいでしゅ……頑張りましょうね……グシュ」


「わっ、ま、真輝ちゃん、泣くのはまだ早いよ! が、頑張ろうね!」


 そう言って話を終わらせようとした春奈だったが、ふと思い出したように再び真輝を呼ぶ。


「真輝ちゃん!」


「ど、どうしました?」


 春奈は、不敵にニヤリと笑みを浮かべた。


「『これは、練習じゃない。普通にレース。だから、手加減なしで。遠慮していたら、チームが強くならない。一切の遠慮は無用。全力でよろしく』――以上!」


「はっ、はい!」


 すると、傍でその言葉を聞いていた涼子が即座に反応する。


「おっ、懐かしい! あかり先輩の言葉だよね」


「正解! 涼子も、本気でよろしくね」


「もっちのろんろん! 了解!」




「それじゃア、スタート20秒前でス!」


 独特の緊張感が、スタートラインを包む。待ち構えている春奈たちだけではなく、見守る怜名や秋穂たちも、じっとその様子を見守っている。


「10秒前!」


 春奈は、ピンクのプラクティスシャツの胸元に手をやると大きく息を吸い込んだ。あおばが、ピストルを高く掲げるのが見える。


「5秒前、行きまス! On your mark!」 


 雨音にまじり、部員たちが体勢を整える足音が聞こえる。


 パァン!


 15人ほどの部員が、一斉に飛び出す。その中から、真輝とともに春奈が身体ひとつ抜け出し、他の部員たちをじりじりと引き離してゆく。


「始まりましたね……」


 体調不良からレースを回避せざるをえなかった英玲奈が、ひかるに問いかける。小さくなってゆく背中を見ながら、ひかるはゆっくりと大きく息を吐いた。


「そうだね……どういう展開になるのかは全く想像がつかないな……まずは、春奈がこの6キロを無事に走りきれるのかが心配かな……」


英玲奈は、心配そうに深く頷いた。


「そうッスね……今朝話した限りでは、特に体調には問題なさそうでしたが……」




 夏場で気温は高いとはいえ、雨に打たれながらのレースは病み上がりの春奈には過酷に思えた。先頭を走る真輝と並走しながら進んでいると、不意に後方から声がかかる。


「春奈先輩、お先です! コハル、ペース上がってないよ!」


「ほの!」


 いたずらっぽい笑みを浮かべながら、真輝よりもさらに小柄な穂乃香がふたりを抜き去る。2年生にして初の駅伝メンバー入りを狙う穂乃香は、ゆっくりとしたペースに焦れたのか1キロ手前でふたりをかわしていった。


(そうは……させないからね!)


 真輝と頷き合うと、穂乃香の背中をすぐに捉える。3人になった先頭集団は、穂乃香をペースメーカーにするようにして徐々にペースを上げてゆく。進む先には、ストップウォッチを構えた長身の舞里奈が待ち構えている。




『1キロ、3分17です』


「うーん……先頭は?」


『3人が固まっていますが、引っ張っているのは穂乃香です! その横に春奈先輩とコハルちゃんがついていて、後方からは恵理子と凜花、真理先輩たちが追ってきています――』


 舞里奈からの電話に、思わずひかるの表情が険しくなる。3,000メートル走で8分台のベストタイムを持つ春奈にしては、守りのペースと言われても仕方がない。ひかるは通話を終えると、すぐさまみるほの電話番号を探す。


「あぁ、みるほお疲れ様。もう少しで春奈たちが来ると思うから、ちょっとお願いがある」




 なにより春奈本人が、上がりきらないペースを嫌というほど自覚していた。


(ちょっと、重いな……)


 合宿で距離を積んで、負荷を掛けてきたつもりだった。だが、病み上がり間もない時期に加え、この荒天だ。不利な条件が揃っているが、後れを取るわけにはいかない。春奈は、左右をキョロキョロと見回した。すぐ左右を走るふたりは、まだペースをあげる気配は見られない。


「ねえ、ほの、真輝ちゃん!」


「はっ、はい!」


「遠慮はいらないって言ったでしょ?」


「遠慮してないですっ……!」


 前方には、2キロ地点で待つみるほが見えてくる。春奈は、みるほに向かって叫んだ。


「みるほちゃん、どう!?」


「2キロ、6分27! この1キロ3分10だけど、もっと上げていこ!」


 春奈は頷くと、穂乃香と真輝に叫ぶ。


「まだ、遠慮してるよね? 遠慮してるの、わたしわかるんだ。『遠慮してたらチームが強くならない』って……先輩にも言われたんだ」


 そこまで言うと、春奈は再び前を向いて叫んだ。


「もう一回言うよ、遠慮は無用。全力で走ろう。ハイッ!!」


 春奈は、両手を大きくパンパンと叩くとスピードを上げてゆく。



<To be continued.>

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