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#132 それぞれの道

「ハアッ、ハアッ、ハアッ、ハアッ」


 木々の生い茂るコースに、荒い息遣いが響く。しかしそれは、苦しみと言うよりも走る楽しみを噛み締めているようにも聞こえる。夏合宿を迎えた秋田学院女子陸上部は、2年ぶりに黒姫高原を訪れていた。20キロのロード走を終えた春奈は、ゴールを迎えるとその場に思わず倒れ込んでいた。だが、その顔はにこやかだ。


「春奈、久しぶりにこのスピードで走ってみてどうかな?」


 部員たちの後を、軽自動車で追いかけていたひかるがやって来た。倒れ込んだ春奈を心配して問いかけたが、その表情を見ると思わずひかるにも笑みが浮かぶ。ポニーテールの首筋に浮かんだ汗を拭うと、春奈は満足そうに頷いて答えた。


「ちょっと息が上がりましたけど……でも、久しぶりに走れて楽しいです」


 春奈は退院以降軽いジョグにとどめていたが、この合宿から初めて他の部員たちと同じ練習メニューに組み入れられていた。すぐに起き上がってクールダウンへ向かう春奈の背中を、ひかるは笑顔で見つめていた。




「えっと、面談……ですか?」


 春奈たちが問うと、ひかるは頷いた。食事を終えた部員たちは、いきなりのハードな練習の疲れも手伝ってか少し眠そうな表情を浮かべている。


「そう、こんな時間から申し訳ないけど。学校の中でやるより、リラックスした中で話をした方がお互いにいいかなって。今日は3年生から。ひとり10分ずつぐらいでやろうと思うから、あした以降面談やるグループは先にお風呂入っちゃってほしい。そろそろAO入試の願書提出も始まるから、今考えている進路を聞きたいかな」




 入浴へ向かった1年生、食堂でテレビを楽しんでいる2年生がおらず、部屋には春奈、秋穂、怜名の3人が残っていた。


「怜名、そういえば望海のセレクションの件どうなった?」


 秋穂が問うと、怜名はニヤリとして手を叩いた。


「この前、ひかるさんたちが国体のビデオ作ってくれたのを、望海の石川先生に送ったんだ。そしたら、ギリギリみたいだけどセレクション呼んでくれることになったんだ」


「おおっ!」


 春奈が目を丸くすると、怜名は少し照れてはにかんだ。


「ま、まぁまだ決まったわけじゃないから、第2志望の多摩川女子大と海南学院の対策もしなきゃだけど……それに……」


「それに?」


 春奈が訊ねると、怜名はまずい、という顔を一瞬浮かべて窓の方を向いた。


「あっ、みっ、宮司あいつさ、頼んでもいないのに望海のセレクション受けるらしいんだよね?! べっ、別にアイツのタイムじゃ受かるなんて思ってないけど、まぁ地元も一緒だし受けるだけなら別にいいかなって……って、てかそろそろひかるさんとの面談だから、わっ、わたしちょっと行ってくるね!?」


 ポカーンとする春奈と秋穂を横目に、何故か怜名は興奮した様子で部屋を出ていった。


「あっ怜名、のっ、ノート忘れてるよ……?」


 春奈が廊下に向かって叫ぶと、怜名はずかずかと戻って来て春奈からノートをふんだくった。


「忘れたの! わざと!」


 真っ赤な顔で戻ってきた怜名を、春奈は不思議そうな面持ちで見送った。


「わ、わざと……?」




「お?」


 上板橋の駅へ着くと、ポケットに入れていた携帯電話が鳴る。アルバイトの後2時間ほどのボイストレーニングを終えた一美は、ギターケースを重そうに担ぎ上げると携帯電話をパカッと開いた。


「春奈? ……どれどれ」


 ロータリーでバスを待つあいだ、ジージーという蝉の声が全身を包む。しばらく届いたメールをじっと眺めていたが、バスが到着し座席に腰掛けると、一美は大きくため息をついて苦笑いを浮かべた。


「困ったな……こんなんすぐに返信できないじゃん」




 ちょうどその頃、安房鴨川のアパートでは、同じ内容に答えようとしているあかりの姿があった。やはりあかりもすぐには返せない内容なのか、メールを書いては消し、書いては消しを繰り返している。


「うーん……」


 頭だけで整理するのが限界とみえ、あかりは手元のチラシの裏にペンを走らせる。しばし図やらメモ書きやらを列挙していたが、それもつまづいたのかチラシをクシャクシャと丸めると、部屋の隅にあるゴミ箱にポーンと投げ捨てた。


「姉さん、こればっかりは……わたしが決められることじゃないよ」




「で……春奈、進路もう決めとん?」


「……ぶっ!」


 怜名が部屋を出てしばらく続いた静寂を破った秋穂の質問に、春奈は飲んでいたお茶を思わず吹き出してしまった。


「やっ、まだわたしはゴホッ、ゴホッ……それよりあ、秋穂ちゃんは決まったの?」


 話をはぐらかそうとした春奈を冷たい視線で見つめながら、秋穂はゆっくり二度首を回した。


「決めた……ウチは鹿鳴館(ろくめいかん)にする」


 その表情に迷いはない。鹿鳴館大学といえば、大学女子駅伝界をリードする名門中の名門だ。ここ数年こそ愛知の名東大学に連覇を許しているものの、全日本大学女子駅伝4連覇の偉業を誇る名門の門を叩くことを決めたという。


「どうして、鹿鳴館に?」


 春奈に問われると、秋穂はフゥとため息をつく。


「今一番強い大学の中で勝ち抜くことも考えたけど、やっぱりチームで一番になるんを目指したい……それに」


 少し勿体ぶったように間を置くと、ニヤリと笑って言った。


「涼子も、一緒に行くんじゃ、鹿鳴館」


「そうなの!?」


 直々にスカウトがあった秋穂とは異なるが、涼子は大学のある京都でセレクションを受け、見事合格を勝ち取ったという。


「ひとりだけじゃったら不安じゃけど、涼子もおるからまずは安心かな……っていうか」


 秋穂はそう言うと、すっかり涼子の話で油断していた春奈に切り出す。


「春奈、どないしよん? 病気のこともあったけん……高校卒業しても、長距離続けよんの? 辞めよんの?」


 春奈がゴクリと喉を鳴らす音が、部屋に響く。


「そういえば、秋穂ちゃんと進路の話……してなかったね」


 春奈が言うと、秋穂はすっと鋭い目線を向け、春奈のすぐ前へと詰め寄る。春奈は一瞬焦ったような表情を浮かべると顔をそらした。怜名には相談することはあっても、秋穂に進路のことを打ち明けることは今までなかった。気まずさと、秋穂が見せた怒ったような表情に戸惑いを隠せず、恐る恐る口を開く。


「ご、ごめん、秋穂ちゃ…」


 すると、秋穂は春奈の手を無言で握り、ぐいと引き寄せる。


「……!」


 しばらく秋穂は険しい表情を崩さずにいたが、春奈の表情がこわばったのを見るとニヤリと表情を変えた。


「なーんてな」


「……もう!」


 安堵した表情を浮かべた春奈は、秋穂の手をパチンと叩いた。秋穂はいたずらっぽくひひ、と笑ったが、少し寂しそうにため息をついた。


「病気のことで忙しかったけん、分かっとったけど……相談してくれんのじゃろうか、とか」


 珍しく秋穂が浮かべた寂しげな顔に、春奈は慌てて手を振った。


「本当ごめん……秋穂ちゃんがどうとかじゃなくて……ホントに、どうしようかとか……今まで全然決められなかったから」


「そうか……」


 秋穂が言うと、春奈は窓から覗く黒姫山の夜景を見ながら大きくため息をついた。


「なんとなく、答えは出たんだけど……でも、本当にこれでいいのかなって」




 帰宅して夕食を済ませ、入浴を終えてからもメールのやりとりはゆっくりと続いていた。エアコンの効いた涼しい自室のベッドの上で、一美は携帯電話をずっと握りしめたままでいた。右上の電池の残量を示すアイコンが赤く点灯し、慌ててアダプタをつなぐ。時刻は、夜の0時を過ぎた。


(やばいやばい、明日バイト早番なのに)


 思わず大きくあくびをすると、一美は1通だけメールを返信して携帯電話を閉じた。


『春奈、合宿終わったら一回こっち戻ってくるんでしょ? また近くまで行くから、少し話しようか。先輩のおごりってことで』




<To be continued.>

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