#129 強さの証明
『高校生たちの夏の祭典ともいえる全国高等学校総合体育大会陸上競技大会――インターハイ。今年の大会は島根県のほか岡山県・広島県・山口県にまたがる中国地方の4県で開催されます。開会式はここ、八百万の神々が集うとされる島根県出雲市、浜山公園陸上競技場で行われます』
アナウンサーの淡々とした実況とは裏腹に、開会式に臨む高校生たちは皆暑そうに汗を拭っている。それもそのはずだ。電光掲示板に映し出された気温を見て、思わず秋穂は顔を歪めた。
「気温34度、湿度87パーセント……」
島根からさほど遠くない愛媛出身の秋穂も、ここ数年東北暮らしでムシムシとした夏の暑さから遠ざかっていたせいか顔を歪める。開会式の長い挨拶にうんざりとした様子の秋穂とは裏腹に、真輝は懸命に背伸びしながら他校の生徒たちを眺めている。
「コハル、どうしたの?」
沙佳が訊ねると、真輝はやや不服そうな表情を浮かべた。
「沙佳先輩、あの子です」
「……ああ!」
沙佳は真輝が指差した方を大きな瞳で見つめるとパチパチと瞬きをして、深く頷いた。視線の先には、紺のジャージに身を包んだ選手の姿がある。久遠レイ。大阪の強豪・浪華女子にことし入学した1年生で、この世代最速という評判だ。真輝は、眉間にしわを寄せてムッとした表情でつぶやいた。
「久遠さんに罪はないですけど……アレが悔しくて」
沙佳はその言葉に無言で頷いた。真輝が「アレ」と言ったのは、インターハイ直前に発売された月刊アスリート・マガジンの最新号のことだ。寮の多目的ホールで、アスリート・マガジンを手に固まっている真輝に声を掛けた時のことを沙佳は思い出していた。
「……!!」
沙佳が思わず身構えるほど、紙面を見る真輝は殺気立っている。おそるおそる沙佳が覗き込んだ紙面には、でかでかとこう書いてある。
『ポスト・冴島春奈は誰だ? ゴールデンルーキーを大特集! 久遠レイ (浪華女子)、細見未来 (京都鹿鳴館)、 石橋真輝(秋田学院)』
「コハ……!?」
沙佳が言い終わるその前に、真輝は雑誌を机に置くとイライラしながらつぶやいた。
「ああああああっ」
「ちょっ、コハ…!?」
慌てる沙佳をよそに、真輝は興奮した様子でじっと紙面を見つめている。やがて、記事をぶつぶつと低い声で読み始めた。
「ポスト冴島春奈として有力なのはやはり久遠だろう。細見や秋田学院の石橋らもいるが、タイムでは久遠が頭一つ抜けており、今後の活躍が期待される……あああああっ!」
真輝は頭を掻きむしり始めた。呆然と見つめていた沙佳は慌てて止めに入ったが、真輝は沙佳の姿も目に入っていないようで、アスリート・マガジンをじっと見つめたままつぶやいた。
「ポスト冴島先輩は絶対にわたし……他の子には渡さない……絶対に勝つ……!」
沙佳から真輝の様子を伝え聞いたひかるは、苦笑交じりにため息をついた。
「しょうがない……春奈が欠場していたから、今年は去年と比べて取材に来る数も全然少ない……それに、あの人たちは春奈の記録を中心に追ってるから、うちのチームがどうだとか、きちんと取材して書いてくれる人は少ないからね」
「そうですよね……わたしも、なんだか悔しいです」
ひかるは、話を聞いてしょげる沙佳の肩をポーンと叩いた。
「?」
「まぁ、へこんだってしょうがないから、ウチらはウチらでやってきたことを今日のレースにぶつけよう。秋田学院は春奈だけじゃないってことを見せつけよう。それに――」
ひかるが視線を隣に移すと、長距離とは違うセパレートタイプのユニフォームを着た部員たちが前へと進み出る。200m走を専門とする短距離チームの2年生・遠藤はるか。そして、走幅跳を専門とする投擲・跳躍チームの3年生・戸川瑠歌。地道な強化が実って、ふたりは部の歴史の中で初めてインターハイ進出を決めていた。
「さーや、そうだよ。長距離だけじゃなくて、わたしたちもいるって所を見せつけてくるよ」
「オッケー、確かに! はるか、応援してるから頑張って!」
春奈は、メンバーたちのウォーミングアップに付き添っていた。入念にアップを繰り返す秋穂の顔はほんのりと上気している。
「秋穂ちゃん、頑張ってね」
「おう! 春奈の分まで走るけん、応援しとってよ」
秋穂の言葉に、春奈はニコリと頷いた。すると、スタンドから大きな歓声があがるのが聞こえ、春奈たちは急いで場内へ向かった。電光掲示板を見上げて、春奈が声を上げる。
「あっ! 秋穂ちゃん、るかぴすごいよ!! 早く!」
春奈に促され慌ててやってきた秋穂も、思わずガッツポーズを掲げた。6メートル14。後にひとりを残して、瑠歌がトップに躍り出たのだ。ざわめく場内の中、春奈たちを見つけた瑠歌は、満面の笑みを浮かべて小さく拳を挙げた。
「やったね!」
残すはあと一人だ。気がつくと、春奈たちの後ろにはひかるがやって来ていた。秋穂にガウンを着せると、残るひとりに視線を向ける。最後の選手は右手を上げて行きます、と声を発すると、軽やかに助走を始める。一気に最高速度に達したその身体が勢いよく宙に舞うと、審判員がすっと旗を掲げた。
「……!!」
場内からは声にならない叫びがあがる。審判員が挙げたのは赤いフラッグ――その瞬間、瑠歌の優勝が決まると、会場に大きな拍手が響き渡る。ひかるは、瑠歌の方へ駆け寄ると瑠歌を抱きしめ、全身で喜びを表現した。
「おめでとう! ここまでよく頑張ったね!」
「ありがとうございます!! 嬉しい!!」
春奈たちも、瑠歌の元へ駆け寄る。日頃、別の競技で戦っているとはいえ、同じ部活の仲間だ。鮮やかな臙脂色のタオルを瑠歌の肩に掛けると、春奈は笑顔で握手を求めた。
「るかぴ、すごいよ! 頑張ったね!」
「ありがとう! あとは、長距離も入賞してウチらのこと、もっとアピールしようよ。ねっ、ほーたん」
瑠歌は、秋穂の方を向いてニヤリと笑う。それに呼応するように、秋穂は右手で拳を作ると瑠歌とグータッチを交わした。
「もちろん……注目されんままじゃったらつまらんけん、暴れな」
レイに先着して一泡吹かせてやろう、と意気込んでいたはずの真輝は、スタートラインに立つと思わず周囲を見渡して身を縮めた。予選は2組に分かれて行われるが、1組目の顔ぶれを見ても、過去にテレビ中継で見たことのあるような有力選手たちが名を連ねている。1組目には真輝がご執心のレイ以外にも桜島女子のエリザベス・キプラガトや山川学園のフローレンス・キルワら留学生たちのほか、前回の都大路を走った大泉女子の真保梨加ら実力者ばかりだ。周囲を見回して、真輝の表情は険しさを増した。すると、
「真輝ちゃん! 真輝ちゃん!!」
スタンドから聞こえる声に、真輝は振り向いた。スタンドでは、春奈が真輝を一点に見つめて、両肩をほぐすしぐさを繰り返している。何度かそれを繰り返したのち、春奈は右手の人差し指をすっと差し出した。
(冴島先輩……!)
真輝は、春奈の一挙手一投足をじっと見つめた。春奈が二度うなずくと、真輝は静かに両手を上げて、ゆっくりと大きな丸を作った。春奈は、スタートラインの方を向いた真輝の背中をじっと見つめながら両手を組んだ。
(伝わったかな、真輝ちゃん……! さっき言ったことさえ守れるなら、真輝ちゃんなら決勝に残れるから……!)
1組目は中盤までは拮抗した状態が続き集団がバラバラになることなく進んでいたが、残り1周を目前に留学生ふたりが飛び出した。ふたりに続く選手がいないと見るや、真輝は一気にスピードを上げた。
(誰が一緒に……?)
真輝が飛び出したのとほぼ同じタイミングで、レイが飛び出す。真輝の視線は一瞬レイの背中を追ったが、その横から別の人影が抜け出したことに気づき、真輝は即座にターゲットを変えた。大迫沙帆。桜島女子の新キャプテンで、昨年までの先輩部員たちに負けず劣らずの爆発力が持ち味の選手だ。沙帆の背中を追ううち、レイの姿が視界から徐々に下がってゆく。
「いい、いいよ、その調子! ……無理しないで!」
客席でひかるたちと戦況を見守る春奈は、真輝を凝視しながら静かにつぶやいた。バックストレートに入る頃、真輝は一瞬後ろを振り向いた。留学生ふたりに沙帆が続き、真輝とレイ、そして後ろからは梨加が迫る。しかし、その後ろとは数秒の差が開いている。コーナーを曲がりながらその差を確かめると、真輝は少しスピードを緩めた。梨加より体ふたつ分ほど遅れ、真輝は6位でゴールラインを超えた。
スタンドに戻ってきた真輝を、ひかると春奈は拍手で迎えた。春奈は、それでも不完全燃焼といった様子の真輝に訊ねる。
「久遠さんと全力勝負したかったかな?」
「はい……」
悔しそうに下唇を噛む真輝の肩を叩くと、春奈は笑顔を浮かべた。
「そうだよね、気持ちはわかる。でも、これはまだ予選だから。真輝ちゃんは6位に入って、決勝に進出できた。あそこで全力を使って、前の留学生を追うこともできたと思う。でも、本当の勝負は決勝だから。冷静に判断できて偉かったよ」
春奈にそういって頭を撫でられると、真輝はようやく笑顔を見せた。
「ありがとうございます……そうですね、決勝で……勝てるように頑張ります」
2組目の終盤まで秋穂と沙佳は先頭集団で粘っていたが、留学生がスパートすると堪えることができず、最終周に入り沙佳はずるずると後退していった。
(さーや……!)
秋穂は一瞬振り返ったが、すぐに前を向いて留学生を追ってゆく。2組目には留学生が3人、さらには桜庭さくらの姿もある。後ろからは、仙台共和大高のキャプテン小野寺由利子が迫る。沙佳を気遣う余裕は今はない。最終コーナーを回るタイミングで、ぐっと両手に力を込める。
「はあっ、はあっ、はあっ」
4着でゴールした秋穂は、荒い息が収まる前に沙佳へ駆け寄った。沙佳はがっくりとうなだれ、秋穂が近寄るとひと言だけ呟いて顔を拭った。
「すみません……」
秋穂は、沙佳の背中を少し強めにポンと叩くと、少し伸びた髪を結び直した。
「決勝進めんかったのはしょうがない。見といてよ。ウチが勝ってくる」
「高島先輩……」
そう言ってガウンを脱いだ秋穂は、いつにも増して鋭い視線をスタートラインに向けた。
「留学生もようけおるし、さくらもおる。そう簡単には勝たせてくれんと思うけど……秋田学院は強いって証明してくるけん」
トレードマークのブルーのシューズの紐を直すと、決意に満ちた目で言った。
「じゃあ、行ってくる」
<To be continued.>




