#127 ホットライン
授業を終え3年C組の教室から戻ってきた春奈は、寮の入口にひかるが待ち構えているのを見て思わず二、三歩と後ずさった。すると、目があったことに気づいたひかるが、学校と寮の間の道を超えてずかずかと近づいてくる。
「春奈、さては何かを察したね?」
「えっ、あ、いやひかるさん、あのちょっと、どうしたんです……いたたたた!」
ひかるは半ば強引に春奈の手を引くと、もと来た道を再び校舎の方へと戻り始めた。手には、束になった書類を抱えている。
「……ひかるさん、ちなみにその、手に持ってるのって……何です?」
ひかるは春奈の目を見て、ニヤリと笑った。
「これ? 春奈、キミへのラブレター」
「らっ、ラブレター!? あたたた、そんな強く掴まないでください」
「あっ、ああ、すまない……いずれにせよ寮よりはこっちの方がいいだろう、行くよ」
「……??」
眼下には、宮益坂のにぎやかな街並みが広がる。明日行われる大学のオープンキャンパスに参加するために、みるほは渋谷のタワーマンションにある自宅へと戻ってきていた。キャリーケースを置いて、ベッドにごろりと転がるとみるほはため息をついた。
「ふう」
広い自宅には誰もいない。会社役員の父も、議員秘書の母も忙しく、何時頃帰ってくるのかすらわからない。エプロンを身につけると、冷蔵庫からいくつか材料を取り出した。夕食の支度を始めながら、みるほはテレビの電源をつける。すると、映し出された画面に思わずみるほは声を上げた。
「あっ!」
『人気アイドルユニット、ルナ=インフィニティが、今年12月28日に初の東京ドーム公演を行うことを発表しました。ルナ=インフィニティは、先日発売されたニューシングル「ETERNITY」のカップリング曲「SHINING STAR」が、陸上長距離の冴島春奈選手の応援ソングとして披露されたことが話題を呼び、発売8週目にして自身初のCDチャート1位に輝き、今注目を集めています――』
「うそ! まじ! まじ!? やった!」
相次ぐビッグニュースに、みるほは料理の手を止めてソファーへ座り、足をバタバタとさせて喜んだ。しばしソファーで転がった後、暮れゆく東京の空を見つめると感慨深げにつぶやく。
「そう考えると春奈ちゃんって、やっぱり奇跡を呼ぶ子だよね……」
「みるほちゃんは、もう進路決めたの?」
ジョグの途中、不意に春奈が問いかける。病み上がりとはいえ、春奈は相当なペースで飛ばしている。実戦から遠ざかって久しいみるほにとっては、ジョグであっても春奈相手となると本気で挑まざるを得ない。みるほは、荒い息で応える。
「はぁっ、決めたよ、はあっ、AO入試で、地元の大正学院受けようと思って、はあっ」
「そうか……」
みるほは、自宅から通える大学への進学に向けて準備を進めていた。
「部活ももうやらないから、家から通えるところがいいかなって。学力だけだとちょっと難しそうだけど、進路指導の先生と話してAOで入れるように対策してみたらって……春奈ちゃんは? どこのチームに行くか決めたの?」
どうやら、自分の答えは用意していなかったのか、みるほが訊ねると春奈は途端に気まずそうな顔をしてじーっと空を見上げた。しばらく無言が続いた後、春奈は絞り出すようにひと言だけつぶやいた。
「ど、どうするか、ひかるさんと相談してから、かな……」
「?」
「とりあえずキミの話を聞く前に、途中経過だけ説明するね。これ」
そう言うと、ひかるは小脇に束にして抱えていた書類をザザッと机の上に広げた。有名大学からはじまり、名だたる大企業のパンフレットも見える。その数は20を超える。
「こ、これは?」
春奈が困惑すると、ひかるは首を傾げた。
「さっきも言ったでしょ、キミへのラブレター。リハビリが続いてたから、お母さんとも連絡取りながら話だけは聞いてたんだけど、大学、実業団。これだけのチームが、春奈、キミに入部してほしいと秋田学院まで来てるんだ」
春奈の脳裏には、3年前、中学校の応接室で当時の秋田学院監督だった本城龍之介と相対したときのことを思い出していた。あの時も、全国の高校から数多の誘いが来ていた。だが、今は状況が違う。
「大学を選ぶなら、今年全日本女子で3連覇した名東も、その前に4連覇していた鹿鳴館からも誘いは来ている。実業団でも、強豪の満天屋もあれば、大清水さんのいるノワールからもお誘いは来てる。けど――」
「けど? あっ、あの、ひかるさん……」
春奈が慌ててひかるの話を遮ろうとすると、ひかるは腕を伸ばして春奈の口元で人差し指を立てる。
「!」
春奈が驚くと、ひかるはニヤリと笑みを浮かべた。
「大丈夫、わたしは去年の話を忘れたりしてないよ。それに、キミはついこの前、生死を分けるような大きな病気をして戻ってきたばっかりだ。きっと、キミも色々これからの進路を考えたはずだ。時間がかかってもいい。ゆっくりでいいから、考えを聞かせてくれないかな」
そういって、ひかるはじっと春奈の顔を見つめる。春奈は緊張してごくりと喉を鳴らした。
「ただいまー」
誰もいない部屋だと分かっていても、帰宅したら声を上げるのは自分なりのルーティーンだ。すっかり周囲も暗くなった頃に、ワンルームのアパートの灯りがともる。部屋の主は、梁川あかり。ひかるの妹で、異例ともいえる2年間女子陸上部のキャプテンを務めた実力者だ。今は、千葉・安房鴨川で、働きながらクラブチームで走るという二足のわらじともいえる生活を送っている。ジャージを脱いで部屋着に着替えると、着信ランプのついた携帯電話を開く。
――お疲れ様。多分、このあとうちの子から連絡が行くはず。申し訳ないけど、少し相談に乗ってあげてほしいんだ(^O^)
「……はいはい」
思わず、呆れたように苦笑いしながらつぶやく。何かにつけ、相談事はあかりに振ってくるのがメールの送信主――ひかるの常套手段だ。そう思いながらメールを繰っていると、画面が切り替わり緑色のライトが点滅する。
「090XXXXXXXX 冴島春奈」
さっと受話ボタンを押したあかりは、すぐに応える。
「姉さんから聞いてるよ。何かあった?」
<To be continued.>




