#123 復活の第一歩
カーテンの隙間から、早朝の日差しがこぼれる。鮮やかなピンクのランニングウェアを身にまとうと、自然と笑みが浮かぶ。久しぶりに履くシューズの感触を確かめながら、春奈はゆっくりと立ち上がった。
「じゃあ春奈先輩、行きましょう」
英玲奈に促されると、春奈はにこやかにうなずいて寮の玄関を出る。リハビリ中とはいえ、タイムの計測などできる範囲のことはしたいと朝練習には参加していたが、いざ久しぶりに練習に参加するとなると少し勝手が違うのか、心臓がドキドキと音を立てるのが分かった。
「なんか、緊張しちゃう」
春奈の言葉に、英玲奈はびっくりした様子で応える。
「えっ、ホントっすか? 大丈夫すよ。みんな、春奈先輩が練習に戻れるのを楽しみにしてましたから……ほら」
日陰のピロティを抜けると、直射日光が目に入り思わず春奈は一瞬顔をそむけた。が、再び顔を上げると、思わず春奈は驚いて目を丸くした。
「えっ?」
トラックには、女子長距離――だけではなく、男子の長距離チームもいれば、短距離チーム、投擲などのフィールドチームのメンバー、それにエミーやパートの調理師のおばさんたちなど、陸上部のメンバーが全員春奈を待ち構えていた。
「せーの!」
ひかるが声を上げると、歓喜の声が上がる。
「「春奈、おかえりー!!」」
「わぁ……!」
思わず、春奈は顔を手で覆うと深々と頭を下げた。皆、春奈が練習に復帰できるこの時を待っていたのだ。鳴り止まない拍手と春奈を呼ぶ声に、涙を流しながら春奈は応える。
「……帰ってきました! ただいま!」
「よかったね、春奈! おかえり!」
怜名が涙声で春奈を出迎える。男子部の宮司琥太郎やキャプテンの相原洸陽、すっかりエースに成長した留学生のソロモン・キプチェンバも、笑顔で拍手を送っている。すると、ひかるが近づいていて肩を叩いた。
「ようやくだね。でも、これからがスタートだから、うまく行かないことがあっても焦ったり、無理をしないように。今日は、軽めのジョグからやっていこう。みるほがフォローしてくれるから、まずは身体を慣らすところから始めよう」
「はい!」
普段はチームジャージ姿のみるほも、今日はしっかりランニングウェアを着込んでいる。引退したとはいえ、元々は推薦で秋田学院へやってきた身だ。みるほはニッコリと笑うと、背伸びをして春奈とハイタッチした。
「春奈ちゃん、頑張ろうね! これから、少しずつ慣らしていこうよ」
「冴島さん! ……冴島さん! 起きなさい」
「はうあ!? ……すっ、すみません!」
教科担任の声に、はたと気がついて春奈は慌てて跳ね起きた。教室内に失笑が起こる。すぐ左隣の秋穂が小声で話しかける。
「スースー寝とったな……久しぶりに走って疲れたか?」
「多分……わたしとしたことが」
春奈は紅潮した顔を手で覆った。
「あんまり、無理せんとって。身体の具合は?」
秋穂の言葉に、春奈は手術した左の側頭部を押さえた。
「走り終わった後ちょっとズキズキしたけど……今はそんなに」
秋穂は安心したのか、小さく溜息をついた。
「ならよかった……なんにせよ、これからがスタートじゃね」
春奈は笑顔でうなずくと、席で小さく伸びをしてため息をついた。
春奈が練習に復帰して数日が経った。午後の練習にも参加しジョグを行っていた春奈だったが、顔をしかめて寮へと戻ってきた。
「大丈夫?」
これからトラックに向かおうとする怜名とすれ違うと、春奈は顔をしかめた。
「ちょっと今日は痛みが強くて……ひかるさんと相談して、今日は先にあがることにしたんだ」
「そっか……無理しないでね」
「うん。ありがと!」
そう言って春奈は寮へ戻ろうとした。その瞬間、怜名は春奈のことを呼び止めずにはいられなくなった。さっと振り向くと、その名を呼ぶ。
「どうしたの??」
不思議そうな顔をした春奈に、怜名は不安げに切り出した。
「春奈……、わたしたち、卒業しても会えるよね? 卒業したらもう会えなくなるってこと、ないよね?」
怜名は、今にも泣き出しそうだ。そんな怜名の顔を見て、春奈はいつものように笑顔で応える。
「何言ってるの、もちろんだよ! 会えるよ! だって、怜名はわたしの大事な友達だもん。ずっと変わらないよ」
怜名は涙をぐっと堪えると、笑顔で小指を差し出した。
「ありがと! じゃあ、怜名ちゃんとの約束だよ?」
春奈は、手を取って歌い出す。
「指切りげんまん、ウソついたら……エミーさんのケールスムージー、飲ーます!」
「エッ、エミーさんのスムージーはやだぁ! 絶対守るよ、約束だもん」
そう言って、ふたりで笑い合った。
「ああああっ!!」
全力でゴールラインに飛び込んだ恵理子が、そのままトラックに倒れ込む。全力疾走で走り切るレペティション走は、体力の限界に挑むようなものだ。恵理子に次いでゴールした3年生の矢田真理や、凜花たちも一様に荒い息遣いが止まらない。ようやく上体を起こした真理が、恵理子に向かって頭を下げた。
「ダメだー……恵理子も凜花も、強くなったね」
「えへへ、ホントですか? でも、春奈先輩が戻ってこられたんで、1秒でもタイム縮めないとメンバーに残れないですもんね」
凜花は複雑な表情を浮かべた。この日のレペティション走に参加していた部員たちは、昨年の駅伝メンバーの選抜試験であと一歩及ばず、メンバー入りを逃していた。唯一、補欠メンバーに選ばれた恵理子も本戦を走る機会には恵まれなかった。恵理子は空を見上げながら、何かを指折り数えている。
「どうしたの?」
真理が訊ねると、恵理子はため息をついた。
「去年走った秋穂先輩と怜名先輩、さーやはよほどアクシデントがなければ今年もメンバーに入ると思うんです。そうなると、残るはふたりと、補欠の3人を加えて5人。今の調子だけ見れば、コハルと佑莉先輩はここに入ってくる……そうなったら、残るは春奈先輩とふたりだけですから」
「確かに……」
凜花も、口を尖らせた。今や、秋田学院は強豪校といって差し支えないだけの実力を有するチームになっているのだ。その中で、たった2つしかないメンバーの座を巡って、部員同士でも争奪戦が繰り広げられることになる。恵理子は深く深呼吸をするとすっと立ち上がり、倒れ込んだままの真理たちに言った。
「続き、やりましょう」
「えっ!?」
凜花が止める間もなく、恵理子はスタートラインへつかつかと歩いてゆく。そのストイックな後ろ姿に、思わず真理は苦笑いを浮かべた。
(そういえば、恵理子もさえじの門下生だったっけ……あのストイックさ、本当さえじに似てきたね)
明くる日のトラックは、夕方になって部員たちが集まり始めた。ひかるがホイッスルを短く鳴らすと、部員たちはひかるを囲むように集合する。春奈はまだ本格的なメニュー参加はできないため、みるほたちと同じようにストップウォッチを手にしている。ひかるが、大きな声を張り上げる。
「今日は、久しぶりに3000mのタイムトライアルです。1年生が入ってそろそろ3ヶ月が経って、みんなもチームに慣れた頃だと思う。いま時点の実力をきちんと把握して、チームが全国優勝するために、これからどうしていくべきかを考えるきっかけにしてほしい」
「「はい!」」
部員たちが一斉に答える。すると、ひかるが春奈に拡声器を手渡した。春奈は、少し照れながら口を開いた。
「練習は試合のように、試合は練習のようにって言いますけど、今日は、本番で勝つ気持ちで臨んでほしいと思います。わたしも、絶対に都大路に間に合わせます。その時に、わたしがいなくても優勝できるぐらいになるのが理想だと思うので……頑張っていきましょう」
キャプテンの言葉に、自然と部員たちの背筋も伸びる。真輝は、春奈をじっと見つめていたが、舞里奈に呼ばれてその場を立った。
(わたしが、冴島先輩の代わりに……チームを引っ張れるような存在になる!)
<To be continued.>




