#122 夢は大きく、上方修正
「はい、国際3C柳原です」
朝早い職員室に鳴り響く内線電話を、若い教員が即座に取る。柳原瑞穂。春奈たち国際・スポーツコース3年C組の担任だ。24歳とまだ若いが、春奈にとっては昨年から続いての担任で、心を許している存在のひとりだ。
「陸上部寮監の大関です、おはようございます。冴島さんなんですが、昨夜から頭痛が強く出てしまっているという申告がありまして、大事をとって本日はお休みさせますので――」
「あら……発熱していたり、その他の症状はありますか?」
「熱はなく、本人からその他の症状の申告はない状態です。術後の後遺症かと思いますので、今日は安静にさせるようにします」
そう柳原に伝えると、エミーは静かに電話を置いた。調理室に戻ると、スープとおにぎりを持って2階へと向かう。
「春奈ちゃん、朝ご飯スープとおにぎりにしてみたんだけど食べられるかな」
春奈が、ロフトベッドから顔を覗かせる。パジャマ姿のままの春奈は、青白い顔のまま無言でうなずくと、ゆらゆらとベッドから降りてきてソファーへ腰掛けた。
「エミーさん……ありがとうございます」
「まだ痛みは強いかな? ほかの症状はある?」
エミーが聞くと、春奈はうっすらと笑みを浮かべた。
「頭はまだ痛いですけど、ほかは大丈夫です。さっきまで食欲なかったんですけど……スープの匂いかいだら、お腹空いちゃいました……へへへ」
「ならよかった! 今日はゆっくり休んで、明日は授業出れるといいね」
「うーん……」
応接室に通されたスーツ姿の男が、書類を眺めながら首を捻る。男は、書類を広げると正面に座るひかるに言った。
「冴島さん、高島さんであれば、タイム的には申し分ないです。しかし、牧野さんの現時点での3,000mのベストは9分24。今回の基準は9分20切りなので、今のままだと、基準には到達していないということになります」
男はバツが悪そうに頬を掻いた。ひかるは、手元のノートパソコンを開いて男に示した。
「牧野は練習熱心で、高校入学後にタイムを30秒以上短縮しています。小柄な選手ですがスタミナがあり、タフなロードでも対応できるフィジカルの強さがあります。本人も望海大さんへの入学を強く希望しておりますので――石川先生」
石川、と呼ばれたその男は、望海大学の陸上部監督を務める石川苑生だった。春奈と秋穂目当てにやって来た石川は、想定していなかった怜名の入学希望の話を聞いて少し困惑気味といった表情を浮かべた。
「そうなんですが……今日は冴島さんと高島さんの件でお伺いしたので、牧野さんのことをあまり存じ上げておらず……全国クラスの実績のある選手であれば分かるのですが」
棘のある石川の言葉に、ひかるは目をキラリと光らせて口を開いた。
「なるほど。たとえば……石川先生。もし牧野が、全国で入賞すれば面倒を見ていただけるのですよね?」
「……はい?」
春奈は昼過ぎまでベッドに横たわっていたが、少しふらふらとしながら多目的ホールへとやって来た。昼食を食べ終わるとエミーとしばし談笑していたが、ふとエミーの発した質問に驚いたような表情を浮かべた。
「高校生活は楽しい?」
さっきまで楽しげに話していたエミーは、真剣な表情で春奈を見つめていた。少し考えた後、春奈はゆっくりと切り出した。
「楽しいです。……病気になったり、色々なことがありますけど、秋田学院に来てよかったと思いますし、陸上部にいて本当によかったって……今は思いますね」
そう話す春奈は、いつもの明るい表情を取り戻していた。
「そうか! なら、おばちゃん安心した。病気のこともそうだし、離れたところから来てるから、色々大変なこともあるよねと思ってたけど……やっぱり、春奈ちゃんは強いな。あたしにも、強い気持ちがあればよかったのにって思うことがあるよ」
「えっ?」
「春奈ちゃんは、夢は持ってる?」
エミーが放つ直球の質問に思わず、春奈は考え込んだ。思えば、入院している間に秋田学院へやって来ていたエミーと、ゆっくり話をするのはこれが初めてだったと春奈は気づいた。首を傾げながら、ゆっくりと春奈は言葉を紡ぐ。
「まだ、はっきりとしたことは言えないですけど、夢はあります」
春奈の答えに、エミーは白い歯を見せてニカーと笑った。
「素晴らしい! 高校3年生で夢が持ててるって、実はすごいことなんだと思うよ」
そう言うと、エミーは切ってあった野菜や果物をジューサーに無造作に詰め込んだ。
「あたしね、高校行ってないの。なんか、夢も目標もなくてつまんないなと思って、3日で辞めちゃったんだよね」
「そ、そうなんですか??」
「うん……そこから3年ぐらいバイトして、その後大検を取ってから大学に行って、栄養士の資格を取ったんだけど。だから、今からきちんと夢を持って、それに向かって頑張ろうとしてるのはスゴいことだと思うよ」
面映いのか、春奈はもじもじとするとふとエミーに答えた。
「はい……それでも今は、また走れるようになるのが目標なので、高校卒業した後のことは全然考えられなくて……」
「まぁ、確かにそうだよねぇ……っと!」
エミーはそこまで言うと、春奈の目の前に真っ黒なドロドロの何かを置いた。
「エ、エミーさん、これ、今日は何ですか!?」
すると、エミーはこともなげに答えた。
「今日は春奈ちゃんに元気出してもらうために頑張って作ったんだ、ゴクッと一気に行っちゃってね! エミーさん特製・ダークチェリーと黒ごまと、黒ショウガに黒豆に竹炭のブラックスムージー!! さ、ぐいぐいぐいぐい♪」
「え、エミーさん、あっ、あは、あははははは」
「ただいま帰りました……むぎゃっ!?」
授業を終え、寮へと戻ってきた怜名は突如ひかるに首根っこを掴まれると、そのまま会議室へと連れて行かれる。
「ひかるさん、な、何があったんですか!? いたたたたた!!」
「話は後! とにかく早く座って!」
ひかるは会議室の椅子に怜名を座らせると、ノートパソコンで秋田県総体の様子を映し出した。怜名は3,000m障害を1位で通過し、東北総体への進出を決めていた。
「この前のレース……これがどうしたんですか?」
キョトンとする怜名に、ひかるは訊ねた。
「怜名、この前、総体は目標どうするって話したっけ?」
「えっ、えーと……全国で入賞できるぐらいには頑張りたいって」
怜名が話し終わらないうちに、ひかるは怜名の目標シートを開くと、とある箇所に二重丸を描いて線を引き、何かを書き込むと言った。
「ごめん、独断で申し訳ないけど、目標を上方修正させてもらった。怜名、キミの目標は、3,000m障害で全国優勝。オーケー?」
「えっ、えっ、えええええ!?」
<To be continued.>




