#119 全国への道
秋田県総体を明日に控えた寮の一室では、夜の8時を過ぎても春奈にひかる、そしてみるほ達マネージャー陣が膝を突き合わせてデータに目を通していた。春奈は疲れたのか、不意に伸びをするとひかるが様子に気づいたのか、声をかけた。
「ごめんね春奈、あまり遅くなると明日に響くから今日はここまでにしよう。これで、戦略は決まり。決勝の6枠、全部ウチから行けるように明日はわたしたちもベストを尽くそう。春奈、無理はしないようにだけど明日は頼むね」
「わかりました!」
当然のように、明日は走ることもままならない。それでも春奈は、久しぶりの実戦が近づいてきたことに喜びを隠せないようだった。みるほが訊ねる。
「春奈ちゃん、嬉しそうだね?」
「うん! わたしは走れなくても、みんながどんな走りするかなって楽しみだよ」
秋田学院からは、15人がエントリーする。1年生はもちろん、これまで大会に出場する機会のなかった上級生たちも出場するとあり、春奈はレースのことを早くも思い浮かべているようだった。
県総体は、秋田空港にほど近い秋田県立中央公園陸上競技場で行われる。初夏を思わせる強い日差しに、思わず春奈は苦笑いをこぼした。
「どうしたんですか?」
不思議そうに訊ねる舞里奈に、春奈は複雑な表情でボソリと告げる。
「いやあー……わたしが走らないと、こんなにキレイに晴れるんだって……」
「……」
舞里奈は黙って愛想笑いを浮かべるしかなかった。それぐらい、春奈の雨女ぶりは部内でも知れ渡っている。手術を受けて以来眩しさを感じやすくなったという春奈は、思わず額のサングラスをずり下げた。
「おーいさえじ、そろそろ円陣やるよー!」
愛に呼ばれ、少し速歩きで春奈がやって来る。15人の部員で組んだ円陣の中に、ひかる、マネージャー、そして春奈も混ざった。まだ大きな声を出すと頭に響いてしまう春奈は、側にいる秋穂の肩をポンポンと叩くと無言で頷いた。秋穂は一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐに理解したらしく頷くと声を上げた。
「さぁ、これからインターハイが始まります。今日の上位6人が東北大会へ、さらに東北で6人に残れば全国……そう簡単には行かんと思うけど、今のウチらならきっとできる。練習でやってきた成果を信じて、今日は全力で走りましょう!」
「「ハイっ!!」」
そこまで言うと、秋穂はきょときょとと円陣を見回して声を上げた。
「じゃあ、いつものやつ、今日は由佳にお願いしてもええ?」
「はい!」
2年生の佐々木由佳が元気よく答えた。2年生の学年キャプテンを務める由佳は、昨年は故障で満足に走れていなかったが、ようやく故障の癒えた今年は順調に自己ベストを更新し、県総体のメンバーに選ばれていた。由佳は白い歯を見せてニカッと笑うと、よく通る高い声を張り上げた。
「じゃあ、行きます! 全国目指して!」
「「全力疾走!」」
「絶対やりきる!」
「「精神力! 気力・脚力・団結力!」」
「ウチらは秋学!」
「「ナンバーワン!」」
「行くよ! ゴーーー……」
「「ファーイ!!」」
秋穂は笑みを浮かべると3つ手を叩き、春奈の肩に手を回した。
「じゃあ……行ってくる。応援頼むよ」
「おっけ! 頑張ってね!」
予選1組は、序盤から秋田学院の独壇場となった。終盤まで集団走を崩さず、一団となって走ってきた部員たちは、最後の1周の鐘がなるやスパートを仕掛けた。他校の選手は追随できずに徐々に差が開いてゆく。バックストレッチに入り、2年生の高橋凜花がスパートを掛けると、その後ろから由佳、そして3年生の瞳と三本木涼子、1年生の学年キャプテンを務める清水藍が追随する。
「いい感じですね!」
春奈が弾んだ声をあげると、ひかるも笑顔でうなずいた。
「いいね。今の所、練習のベスト以上の走りができてるんじゃないかな」
4人は、並走しながら最終コーナーへと入ってゆく。コーナーを抜けようかというタイミングで、凜花の身体が集団からスッと抜け出す。軽快なフォームの凜花が飛び出すと、そのまま先頭を保ちゴールラインを超えていった。
「凛花! いいね!」
思わずひかるが膝をポンと叩いた。入学直後から特に気を配り、マンツーマンに近い形で指導してきた凜花がトップでゴールしたことにひかるは満足げな表情を浮かべた。凜花に続く瞳、涼子たちもこれまでのベストを更新するタイムで、それぞれがお互いを讃えながらスタンドへと戻ってくる。春奈は大きく手をふると、やはり笑顔で凜花たちを見つめた。
(みんな、すごくいい走りしてる……! やっぱり、わたしも早く練習に戻れるようになりたい……!)
中学卒業を間近に控えた都大路で初めて出会い、秋田学院へ一緒にやって来た。同級生として、ルームメイトとして、笑い、泣き、怒り、かけがえのない時間を過ごしてきた。クラスや寮の部屋も離れると、本当はとても遠いところにいる存在のように思えてくることがあった。才能の塊を前にして、自分の実力を嫌でも思い知らされることも何度もあった。縮まらない差を少しでも埋めようと、タイムを伸ばしてきた。そんな時、目指す背中がトラックから消えた。
「ふぅー……っ」
ゆっくりと深呼吸した。もうそろそろ集合の時間だ。それでも、話をしたかった。あと半年もすれば、次の進路に向けての準備が始まる。その背中は、いつまでも近いようで遠い。ただ、せめて神経がひりつくようなレースの前に、言葉を交わしておきたかった。
「春奈」
「うん?」
怜名に声をかけられ、春奈は振り向いた。怜名は春奈のすぐ横にしゃがむと、小声で囁いた。
「ねえ春奈、明日の放課後時間ある?」
「うん、あるけど……どうしたの?」
「春奈と話したいんだ……最近、ゆっくり話せる時間なかったからさ」
「オッケー! あっ、もうレースの時間だよ? ……頑張ってきてね?」
春奈の言葉に、固い表情が融けるのが自分でも分かった。怜名は、春奈の手を取ってぎゅっと握りしめた。
「ありがと。怜名ちゃんの走り、ちゃんと見ておくんだぞ?」
「もちろん!」
予選2組は、800mから長距離へと戻ってきた佑莉が終始先頭でレースを引っ張る。すると、最終周にさしかかろうとするタイミングで、じっと佑莉の後ろでタイミングを窺っていた秋穂が脱兎の如く飛び出した。
「行った!」
ひかるの声に、春奈は表情を変えずに二度頷く。積極的な反面、駆け引きに弱い秋穂が冷静にスパートのタイミングをずっと図っていたことに驚いたのだ。すると、佑莉も離されまいと秋穂をすぐに追う。
「ブランクがあったけど、佑莉、なかなか強いね」
ひかるが感心したように言うと、春奈は首を横に振った。
「佑莉ちゃん、スピードはありましたけど前はここまで粘れなかったと思います。最近ずっと距離を走ることを重視してたので、その練習の成果かなと……それにしてもいいですね」
春奈の言葉が聞こえたのか、佑莉は秋穂に並ぶと何事か秋穂に話しかけた。お互いにニヤリとすると、最終コーナーを出て直線で一気にスピードを上げる。
「さぁ、行けっ!」
ひかるの声と同時に、スタンドからも歓声が上がる。秋穂は、佑莉を一瞥するとぐいとペースを上げ、一気に佑莉を引き離す。手を広げてゴールすると、スタンドからはさらに大きな歓声が響いた。
(やったね!)
笑顔で手を振ると、秋穂もまた笑みを浮かべて拳を突き上げた。ひかるは、腕組みをしながら満足そうに部員たちを見つめた。他校の監督たちは、圧倒的な記録を見せた秋田学院のタイムの記された電光掲示板を呆然と見つめている。
(春奈がいないからってナメてもらっちゃ困るね……この子たちは、もう秋田を勝って満足するような意識で走ってない。春奈が走れなくても、秋田学院は強いっていうところを見せつけてあげるよ)
<To be continued.>




