#117 前を向かなきゃ
表参道は、大都会東京の中でも特に指折りの瀟洒な街並みとして知られている。国道246号線を外苑前方面に向かってしばらく歩くと、壁面にモニターを備えたガラス張りの大きなビルが現れる。アペックス・レコード――春奈やみるほがその活動に注目しているアイドルグループ、ルナ=インフィニティもこのアペックス・レコードの所属アーティストだ。ビルの高層階からは、東京のオフィスビル群を360度見渡すことができるほどだ。
ビルの大きな会議室には、ルナ=インフィニティの16人のメンバーが集められていた。すると、鮮やかなイエローのジャケットを羽織って後から会議室へ入ってきた男に、メンバーたちの視線が注がれる。MAD松戸。このアペックス・レコードの総帥であり、ルナ=インフィニティの生みの親でもある総合プロデューサーだ。自らを見つめるメンバーたちを一瞥するとノートパソコンを開き、MADはプロジェクターに何かの画像を映し出す。
「新曲です」
メンバーたちがゴクリと喉を鳴らす。
「7月からの全国ツアーに向けて、大規模なプロモーションを打つ。ツアーの成否は、この新曲にかかっている――新曲は、清涼飲料水のタイアップが決まった。キミたちが、並のアイドルのまま終わるか、スターダムにのし上がっていくかはこれからの数ヶ月で決まる」
MADは期待を込めながらも、厳しい言葉を並べた。手に持ったポインターを画面に向けると、画面にはメンバーのシルエットが次々と浮かび上がる。
「今から、新曲のフォーメーションを発表します。フォーメーションは前列から3-6-7。それぞれのポジションで、精一杯のパフォーマンスを見せてほしい」
MADの言葉に、メンバーは無言で頷く。部屋の後方に腰掛けたJULIAは、MADの言葉をじっと黙って聞いていた。フォーメーションは後列から順に発表されてゆく。つまり、一番最後まで名前を呼ばれなかったメンバーだけが、フォーメーションのセンターでパフォーマンスすることを許される。JULIAは視線を組んだ両手に落とすと、奥歯をぐっと噛み締めた。MADは、ノートパソコンの画面を覗き込む。
「では、名前を呼んでいくから、名前を呼ばれたメンバーは立ち上がってほしい。それでは……3列目10番、ANNA。16番、NOELLE」
一瞬の静寂の後、メンバーからどよめきが起きる。これまでフロントメンバーの常連だったふたりが、後列の両端へと下がることが決まったからだ。あまりのショックに泣き崩れるANNAたちと、それを慰めるメンバー、思わず悲鳴を漏らすメンバーたちの姿で会議室に緊張が走る。しかし、その中でJULIAだけが、ノートパソコンを弄るMADの姿を無言で見つめていた。
「じゃあ、春奈ちゃん、11時半にここで待ち合わせでいいかな?」
「エミーさん、ありがとうございます! 行ってきます……とっとっと!」
「だっ大丈夫?」
春奈はワンボックスカーから降りようとしてよろめき、思わずエミーが声をかける。まだ時折、足の震えが残るのか足取りが覚束ない。春奈は苦笑いを浮かべると、エミーに頭を下げた。
「す、すみません……ちょっと、行ってきますね」
手を振る春奈を残し、エミーは車を走らせた。バックミラーに映る春奈が、無理をして作った笑顔をすぐに引っ込めたのをエミーは見逃さなかった。
(まだ、無理してるなぁ……あんまり思いつめなければいいけど)
エミーの不安はある意味杞憂に終わった。春奈が落ち込む暇はなかった。病院のエントランスに入ると、秋田学院のジャージを纏った春奈にあちらこちらから声がかかる。
「あら、テレビで見るよりめごえ子だね! リハビリ、けっぱってけろ!」
「冴島選手、頑張ってください!」
老人から、小学生ぐらいと思しき子供までもが春奈の名前を呼ぶ。日本女子陸上界のホープは、自らが思っているよりも名の知れた存在だ。思わず照れて顔を赤く染めながら、春奈は笑みをこぼした。
(は、恥ずかしい……でも、こんなに応援してもらってるんだから、もっと頑張らないと!)
思わず職員が交通整理するほど、春奈の周りには人垣が出来ていた。ギャラリーに頭を下げると、春奈はリハビリセンターへと向かっていった。
「2列目7番、JULIA」
会議室に、感情の希薄な拍手が起こる。メンバーたちはこれまでとは全く異なるフォーメーションに驚き、ある者は涙し、またある者は悔しさをにじませた。それを知ってか知らずか、MADは淡々と発表を続ける。映し出された自分のポジションをまじまじと眺めながら、JULIAは少しだけ口元を歪めた。センターどころか、前作のシングルで掴んだフロントの座を1作品だけで手放すことになったJULIAは、内なる怒りを秘めているようにも見えた。
(……情けない……あれだけ多くのファンの人に、今度こそセンターを取るって……約束したのに……それに)
JULIAは、バッグから携帯電話を取り出すとメールの受信ボックスを繰った。数日前に届いたそのメールには、このように書かれていた。
――リハビリが始まったよ。
いつ終わるのか、また走れるようになるかは分からないけど、
みんなで優勝したいから、わたしはあきらめない。JULIAちゃんもファイトだよ!
JULIAは、深く溜息をついた。
(……冴島……春奈ちゃん。そうだよね……前を向かなきゃ)
「そっか、大変だったね」
寮へ戻る車中、病院での出来事を聞いたエミーは春奈を労ったが、当の春奈は笑顔だった。
「どうしたの?」
「なんか、嬉しくなっちゃいました。自分が思ってるより、みんながわたしのことを応援してくれていて、だからわたしもリハビリ頑張れる理由が出来たなって……前を向かなきゃって……思いました」
「偉い! 本当、春奈ちゃんは真面目な良い子だね。お姉さんも見習いたいぐらいだよ」
エミーが褒めると、春奈は恥ずかしそうに両手を振った。
「そんなそんな……わたし、そんな真面目じゃないです」
「ん? 何か不真面目なことしてるの?」
「去年ですけど、授業中お腹空きすぎて……購買で買ったチョコクロワッサン、授業中にこっそり食べちゃいました」
「あっ、そんなことするんだ!?……かわいいな、春奈ちゃん」
「??」
新曲のセンターは、今回もエースと呼ばれているMARIAが務めることになった。発表を終えた会議室からはメンバーが次々と出てくるが、JULIAだけは他のメンバーが退出しても、ブルーの背景が映し出されたプロジェクターをじっと見つめていた。
「どうした、JULIA……納得行かないことでも?」
MADが訊ねるも、JULIAは無言で首を振った。MADは困ったように腕時計に視線を落とすと、JULIAへ再び声を掛ける。
「そろそろ、俺も行かなきゃいけないんだが……何かあるのか? 少しなら聞くが」
一瞬JULIAは身を硬くしたが、意を決したようにMADのもとへずんずんと歩み寄ると、目を見つめたまま口を開いた。
「MADさん……お願いがあるんです」
<To be continued.>




