#114 カムバック
『まもなく、盛岡です。山田線、花輪線、いわて銀河鉄道線はお乗り換えです。お降りのお客様は、お忘れ物のないようお支度ください。はやぶさ号・新函館北斗行きは1号車から10号車です。こまち号・秋田行きは11号車から17号車です。盛岡で切り離しとなりますので、お間違いのないようご乗車ください。盛岡を出ますと、はやぶさ号は二戸に停まります。こまち号は、田沢湖に停まります。Ladies and gentleman, we will soon make a brief stop at Morioka――』
新幹線の車内放送を聞きながら、春奈は車窓を無言で眺めていた。秋田新幹線が盛岡のホームへ滑り込むと、隣に座る琴美が肩を叩いた。
「?」
「春奈……本当に、無理をしちゃいけないよ」
「どうしたの? お母さん、大丈夫だって……」
春奈の言葉に、琴美は首を振った。
「アンタはそう言うと思ってた。でもね春奈、今回ばかりは本当に焦ったらダメ。手術をした身だからね……病棟の人たちのことを思い出して、地道に頑張ろうね」
脳裏に、病棟で出会った人々の顔がよぎる。病院のスタッフや、脳を患い治療とリハビリに励む春奈と同じ脳を患った患者たち。退院の日に、脳腫瘍を患い手術を受けた少女から受け取った1枚の絵を開くと、春奈は目を潤ませながらゆっくりと頷いた。
『はるなちゃん がんばれ!』
絵には、少女が描いた春奈の姿が描かれている。琴美も、絵を覗きこんでゆっくりと頷きながら春奈へ語りかけた。
「先生も看護師さんも、アンタが陸上をやっていることを知ってるって……アンタは病気を治す立場でもあるけれど、同じ立場の人たちの希望でもあるからね。焦らずに治して、みんなに走るところを見てもらわなきゃね」
「うん……」
エレベーターから春奈と琴美が降りてくるのが見えると、舞里奈が春奈に向かって大きく手を振る。
「あっ、エミーさん、春奈先輩来ました! 春奈せんぱーい!」
琴美が押す車椅子に座り、ゆっくりとやってくる春奈は控えめな笑みを浮かべた。人見知りの春奈は、舞里奈の横に立つエミーとは初対面だ。改札を通ると、春奈はエミーにおずおずと頭を下げた。
「初めまして……わざわざ迎えに来ていただいて……学院に来られたばかりでお忙しいのに、すみません」
エミーはカラカラと笑い声を上げると、春奈の肩を叩いた。
「そんなそんな、遠慮はナシよ。あたしも皆と生活を共にするんだから、細かいことは気にしない。お母さん、秋田複十字病院でいいんですよね? じゃあ、春奈ちゃん行こうか。マリーナ、荷物お願いね」
テキパキと指示をすると、エミーは春奈の車椅子を押して構内を歩き始めた。
「あっ、エミー……さん、すみません、なんか、あの」
慌てる春奈を、舞里奈は笑顔で見つめた。
「春奈先輩、そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。エミーさん、皆のために色々なことを助けて頂いて、この前来たばかりの1年生もみんなエミーさんのこと大好きですし」
春奈はきょとんとした顔でエミーを見上げた。車椅子を押しながら進むエミーは、春奈の視線に気づくとサムズアップしてニヤリと笑った。
「さぁ、春奈ちゃん行こう。揺れるとよくないから、安全運転で行くから安心してね」
夕方にさしかかろうとする頃、寮では、春奈の到着を待ちきれない真輝が落ち着かない様子で廊下を右往左往していた。
「真輝、もうちょっと落ち着けって」
「うーん……、でも、春奈先輩に会えると思うと落ち着いてられなくって」
お手製のスクラップブックを抱え、真輝は想い人を待ち焦がれるかの如き表情で答えた。英玲奈が窘めたが、真輝はそれでもご対面が間近と思うと興奮を抑えられない様子だった。通りかかった愛もまた、真輝の頭をポンと叩くと珍しく鋭い目線を向ける。
「コハル、さえじは退院したばっかりだから。これからも治療もリハビリもあるんだから、そんな浮かれて迎えるような時じゃないよ」
「はーい……でも……」
思わず真輝は口をへの字に曲げた。すると、階下からみるほの声が響く。
「秋穂ちゃん、まなち! 春奈ちゃん、戻ってきたよ! 準備よろしくね!」
「戻ってきた! ……ほら1年、ボーッとしてないでさえじの事迎えに行くよ!」
ワゴン車から降りた春奈を、琴美と舞里奈が抱えるようにして車椅子へ乗せる。普段のポニーテールと違い、下ろしたままの長い髪が強い風になびく。春奈のために急ごしらえで出来た木製のスロープをゆっくりと車椅子が進んでくると、その姿が視界に入った部員たちは一様に息を飲んだ。春奈は、どこか不安げな表情を浮かべながら寮の中へと入ってくる。
「……」
出迎える部員たちは、何も言葉をかけることができずにその場で固まっていた。春奈が車椅子を降りて杖を手にすると、ハッとしたように慌てて秋穂や愛、沙佳たちが駆け寄る。
「お帰り、だ、大丈夫!? 無理したらアカンって!」
「さえじ、ほら、荷物持つよ! 大丈夫? フラフラしない?」
「ただいま……大丈夫……」
検査を終えてようやく戻ってきた春奈は、青白い顔で小さくつぶやいた。ぐらつくこともある足を気にしながら、ゆっくりと多目的ホールへと進んでゆく。さっきまでワクワクした様子で春奈を待っていた真輝は、初めて目にした憧れの先輩が車椅子姿だったことに驚いたのか、手にしていたスクラップブックをバサリ、と落としてしまった。
「真輝、ほら、しっかりしろって! 真輝!」
「春奈先輩……」
真輝は、その場にしゃがみ込んでしまった。一部始終を見守っていたひかるは、琴美が車椅子を片付けて中へ入ってくるのを見つけると、慌てて頭を下げた。
「申し訳ありません、春奈のお母さん……事前に生徒には春奈が戻ってきたら各々どうするか伝えていたのですが……わたしの周知徹底不足で」
琴美は、恐縮したように手を振った。
「いえいえ、色々と準備していただいて本当に助かります……生活自体はあまり不安視はしていないですけど、なにぶん難しい病気なので、本人の心が折れてしまわないかとそこが心配で」
「……ええ……」
春奈は、2階の自室ではなく寮長室――エミーの暮らす居室の一角に置かれたベッドに腰掛けると、深くため息をついた。秋穂たち3年生部員が春奈を囲むように立つと、春奈は部員たちを見上げて頭を下げた。
「みんなごめんね……大事な時に、1ヶ月も休んじゃって」
秋穂は首を小さく横に振った。
「大変じゃったね……それより、まずは自分のリハビリを頑張ったほうがええ。下級生のことはウチと愛もいるし、気にせんとゆっくりやろう。それに、同じ場所におったら、練習は一緒にやらんでも見ることはできるけん」
「そうだよ、さえじ。まずは自分のことに専念しよう。それより、手術が無事に終わってよかったよ」
愛の言葉に春奈は少しだけ笑みを浮かべたが、側頭部にできたひとすじの手術痕を見せるとその場にいた部員たちは言葉を失った。口元を押さえて絶句する秋穂たちを見て、春奈はため息をついた。
「練習を再開できるのは、順調に行っても7月ぐらいから……体調に何かあればリハビリも休まなきゃいけないから、本当に都大路に間に合うのかが不安で……」
再び春奈はため息をつくと、不安げに漏らした。
「わたし、こんな状態で、キャプテンって言ってもいいのかな……」
春奈が言い終わるかどうかのところで、愛が口を開いた。
「さえじじゃなきゃダメなんだよ……身体が悪くたって、今練習ができなくたって、あたしたちのキャプテンはさえじだから……あたしたちはさえじのことを全力で支える……だから、さえじと一緒に都大路に行って、今度こそ全国優勝しなきゃだから」
秋穂も愛の言葉に何度もうなずくと、春奈の肩をポンと叩いた。すると、怜名が寮長室へ戻ってきて春奈へ呼びかけた。
「春奈、ひかるさんとお母さんの話が終わったみたいだから、多目的ホール来れるかな? ひかるさんの話と、1年生との顔合わせがあるって」
<To be continued.>




