#113 偶然はきっと必然
春奈は予想外の人物からの電話に、軽くパニックに陥った。
(わ、わ、わ、どうしよう、古瀬先生の電話、出なきゃ……!)
出ようとして受話ボタンを押そうとしたその時、携帯電話は留守電の応答へと切り替わった。すると、古瀬は何やらメッセージを残したらしく、「留守電1件」と画面に表示されている。春奈は、恐る恐る「再生」のボタンを押した。
『あぁ冴島くん、世界の古瀬だけども! 冴島くん、君ならこんな困難にくじけちゃいかん! 君ならできる! かつてオリンピックでマラソンを走った僕が言うんだから間違いない! 冴島くん! ネバーギブアップだ! 冴島……』
ピーッ
15秒間、いつもの古瀬節が響き渡り留守電は終わった。春奈は画面を眺めながら、思わず吹き出して苦笑いを浮かべた。
(は、はははっ、古瀬先生らしいな……ありがとうございます)
4月の後半になっても、春奈が座るはずの3年C組の座席は空いたままだ。同じクラスになった秋穂と愛は、すぐ左側の列の春奈が座るはずの空席を見てため息をついた。
「タッキー、春奈が秋田戻ってくるのいつって言っとったっけ?」
愛は手帳を広げた。
「予定では、来週の月曜日……だとすると、4月はまるまる休みってことになるね……クラスに来れるのはゴールデンウイーク明けだね」
愛につられるようにして、秋穂もひとつため息をつく。
「そうか……春奈のこと、どんな顔して迎えたらええんじゃろ」
自宅に戻ってからも、春奈の病院通いは続いていた。1日置きに病院のリハビリセンターを訪れては、歩行やエアロバイクなどを使って徐々に運動に慣れてゆくというプログラムが組まれていた。運動を再開するまでのトレーニングは、秋田に戻った後に改めて検討するという。焦る気持ちを抑えるように、春奈は手に持った杖を持て余しながらゆっくりと病院へと入っていった。
廊下を進んでゆくと、見舞いに訪れたのか、母親に連れられた春奈と同年代ぐらいの少女の姿が見える。ベレー帽を目深にかぶり、サングラスを掛けたその姿は病院にはいささか不釣り合いにも見えた。すると――
「あれ? ちょ、ちょっといいですか?」
その少女から不意に声を掛けられ、驚いた表情をして春奈は立ち止まった。
「ごめんママ、ちょっと先に帰っててくれる? お友達なんだ」
「?」
春奈が不思議そうな表情のままでいると、少女はサングラスを外して近づいてきた。
「ごめんごめん! ……冴島春奈ちゃんでしょ? わたし! JULIAです」
「ええっ!?」
秋田学院の校地からほど近い一ツ森公園のクロスカントリーコースを、跳ねるように走る3人の人影がある。ひときわ小柄な先頭の部員は、ゴール地点で待つ2年生の枯木舞里奈の姿を見つけると、大きく手を振って一気にゴールを駆け抜けた。牧野怜名。女子陸上部の中でもひときわ小柄な――本人曰く少し伸びたという149cmの背丈ながら、3,000m障害走に活路を見出し、都大路でも4区を走った伸び盛りの選手だ。
「はあっ、はあっ、はあっ! 怜名先輩、全然息も乱れてないですね……タフすぎます」
怜名からしばらく遅れてゴールした1年生の橋本由理が、思わず呆れたように呟く。しかし、由理を横目で見ながら怜名は言った。
「そんなことないよ。ゆりりの方が、多分入学した頃のわたしよりも速いと思うよ」
舞里奈からスポーツドリンクを受け取りごくごくと飲み干すと、夕焼け空を眺めながら怜名はつぶやく。
「タイムを伸ばしたいと思ったら、そこに向かって自然と身体が動くと思うよ」
「ええっ、本当ですか? ちょっと自信ないです……」
「目標がないと、山には登らないから。どこまで登りたいって目標を持って初めて、山を登ろうと思うんじゃないかな。わたしもそうだったし。きっと、ゆりりも変われると思うよ」
「うーん……じゃあ、わたし、怜名先輩みたいになりたいです!」
「えっ、わたし!? わたしよりもっと速い子、たくさんいるよ?」
自分の名前が出るとは思っていなかった怜名は、思わず慌てた。しかし、由理は真剣な表情で言い切った。
「同部屋の瞳先輩が、教えてくれたんです。怜名先輩ほど目標をどうやってクリアしていくかを真剣に考えて、それを実行できる人はいないって。普段、怜名先輩が練習の後にどんなことを記録しているかとかを見て、怜名先輩は本当にすごいって」
昨年クラスが一緒だった中尾瞳からの推薦と聞いて、思わず怜名は照れて頬を染めた。しかし、すぐに真剣な表情に戻ると由理の方を向いてきっぱりと言い切った。
「大丈夫。ゆりりは、きっと伸びていくよ。だから、目標を決めて、一緒にチームが優勝するために頑張って行こう?」
怜名の言葉に、厳しい顔つきだった由理にもパッと明るさが戻る。怜名の手をぎゅっと握ると、由理は目を輝かせた。
「怜名先輩、ありがとうございます! わたし……これから頑張っていきます!」
春奈の手を取って待合室へやって来ると、JULIAと名乗るその少女は春奈のすぐ横へ座った。みるほの影響で、熱心に春奈がその動向を追いかけているアイドルユニット・LUNA∞ (ルナ=インフィニティ)。その一員で、春奈が「推し」として公言しているのが、いま目の前にいるJULIAその人だった。春奈は、状況が全くつかめずにいた。
「どっ、どうして、JULIAちゃんがこんなところに……?」
「お祖父ちゃんがこの病院に入院していて、そのお見舞いで来てたの。それより春奈ちゃん、ニュース、見たよ……」
秋田で開かれた握手会で出会って以来、ファンレターのやり取りはあったものの、JULIAとは1年以上ぶりの再会だった。すると、JULIAは春奈の手を握りしめて目頭を拭った。
「春奈ちゃんがこんなことになってるなんて……春奈ちゃんがわたしのこと応援してくれてるって知って、それで春奈ちゃんにいいポジションで歌ってるところを見てもらおうと思って頑張ってきたから……ショックで」
「そんな……ありがとう」
春奈は、申し訳無さそうに手を振るとJULIAの腕をさすった。病状と入院の経緯を説明すると、JULIAは悲しそうな表情を浮かべている。
「今日出会えたのは、きっと偶然じゃない……春奈ちゃんが大変な病気と戦ってるなら……今度はわたしが春奈ちゃんに恩返ししないとだね」
「お、恩返しなんてそんな……」
JULIAは首を横に振った。
「ううん、わたしは春奈ちゃんに助けてもらったと思ってるから。今度のシングル、またフロントメンバーになれるように頑張るから、絶対見ててね」
春奈がうなずくと、JULIAはバッグから携帯電話を取り出した。
「ねぇ、春奈ちゃん、連絡先を交換してもいい?」
「えっ!? わたしは大丈夫っていうか嬉しいけど、JULIAちゃん……大丈夫?」
JULIAは、深く頷いた。
「春奈ちゃんは、わたしの特別な存在だから……病気のことも心配だから、お互いに連絡しながら頑張れたらいいなって」
「JULIAちゃん……ありがとう! うん、わたしも頑張るからJULIAちゃんも頑張ってね!」
退院後のリハビリ期間はあっという間に過ぎ、秋田へと再び旅立つ日がやって来た。琴美が運転する車に乗り込むと、春奈は窓を開けて心配そうに見つめる文美の手を握った。
「春奈ちゃん……おばあちゃんは心配だよ……また秋田で元気で過ごすんだよ……!」
「大丈夫だよ、おばあちゃん! 秋田には先生も友達もたくさん出来たから、みんながいるからきっと平気……行ってくるね」
春奈を乗せた車が羽田へと出発する中、文美はしばらく立ち尽くして祈るように両手を合わせていた。
<To be continued.>




