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#105 師走、雨の都大路

 昨年と同じ宿舎の大部屋で、部員たちは布団を並べて寝息を立てていた。朝4時。12月ともなれば、深まった夜はなかなか明けることはない。月の灯りだけが差し込む部屋で、布団の白い布地だけがうっすらと照らされている。


「うーん…」


 春奈はふと目を冷まして、両手を大きく伸ばすと立ち上がった。


「トイレ…」


 すぐ右隣に寝ている怜名は、もう春奈の布団の半分ほどにはみ出す程に寝相が悪い。左隣の秋穂は、以前なら大きな(いびき)をかいてひんしゅくを買っていたところだが、みるほに用意してもらっったテープを鼻に貼るようにして以来、同室の由佳が安眠できる程度には改善したようだ。トイレから戻ると、怜名が目を覚ましていた。


「おはよう…早いね」


「うん、当日だから…緊張っていうか、ちょっとワクワクして」


「…ワクワク?」


「うん!」


 春奈の口をついて出た言葉に思わず怜名は驚いて聞き返したが、春奈はさも当然のように笑顔を浮かべて頷いた。


「だって、あんな速い人たちと一緒に走れるんでしょ? どんなレースになるのかなって思うと、ワクワクしちゃうよ」


 目を輝かせて語る春奈に、怜名は思わず顔を引きつらせて苦笑いを浮かべた。


「わ、ワクワクかぁ…わたし、そんな余裕ないな…緊張で今から心臓バクバクしてるよ」


 春奈は申し訳無さそうに怜名の背中をさすると、窓の外の月を見上げて言った。


「またね、お父さんに会えたんだ」


「夢に出てきたの?」


 静かに春奈は頷いた。


「今回は…、ちゃんと言えたんだ。わたし頑張るねって、優勝するからねって」


「そしたら、お父さんは何て言ってた?」


 春奈は枕をぎゅっと抱きしめると、嬉しそうに表情をほころばせた。


「お父さん、頭なでてくれて。春奈はいい子だね、お父さんも見てるから、一生懸命頑張るんだよって…ほら」


 そう言って、春奈は枕元に畳んで置いてあった臙脂のユニフォームを見せた。昨年と同じ、お守りの中には家族3人で撮影した写真を入れてある。春奈はお守りを見つめたまま、ぽつりと呟いた。


「今日はお母さん、東京で仕事だから応援には来れないって。でも、お守りには家族みんなで撮った写真が入ってるから、心はひとつだって…お父さんも、お母さんも」


 怜名も、春奈の方を向いて笑顔を見せた。


「頑張ろうね、春奈! 緊張してるけど…春奈と一緒だもん、頑張ってみんなで優勝しようよ」


「うん!」




 競技場へ向かう直前、宿舎の前では一美の号令で部員たちが円陣を組む。輪の中にひかるが進み出ると、全員の表情を見渡して笑顔で頷いた。


「さぁ、いよいよ本番です。4月からわたしとキミたちが取り組んできたことを見せる日です。どんな結果になったとしても、今日のレースの結果がこの1年のすべて。みんな、悔いの無いように全力で走り切ろう! オーケー?」


「「ハイッ!!」」


「オッケー、良い返事だ! じゃあ一美、気合い入れてひとつ頼むね」


 そう言ってひかるは一美の方を向く。一美にとって、今日は現役ランナーとして最後のレースだ。ひかるの言葉に力強く頷くと、いつもより大きな声で叫んだ。


「今日はやっと、ひかるさんを都大路に連れてくることができました! 絶対に優勝して、ひかるさんのことを胴上げしましょう!!」


「「おおおおおぉ!!」」


 いつになく力のこもった一美の言葉に、部員たちのテンションも一気に高まる。


「それじゃあ、みんな声出していくよ! 力を合わせて!」


「「一致団結!」」


「絶対優勝!」


「「全国制覇!」」


「皆で出し切る!」


「「全速力! 努力・全力・団結力!!」」


「最後に勝つのは?」


「「わたし達!」」


「行くよ秋学! ゴー!」


「「ファーイ!!」」


 大きな拍手が起こる。ひかるも、満足そうに大きく手を叩いた。


「オッケー、それじゃ頑張って行きましょう!」


 部員たちは、それぞれ荷物を抱えてバスへと歩いていく。春奈も荷物を担ぎ上げたが、ふと空を見上げて手を差し出した。


「雨だ…うっ…」


「…どうしたの、さえじ? だいじょぶ?」


「あ、なんでもないなんでもない、大丈夫」


 こめかみの辺りを押さえた春奈を心配して愛が声を掛けたが、春奈は明るい表情を浮かべてただ首を振るだけだった。




「じゃあ、行ってきます! みんなも頑張ろうね!」


 後の中継点で控える沙佳、怜名、秋穂も笑顔で手を上げて応える。


「冴島先輩、中継点で待ってますね!」


「春奈、わたしも頑張るね!」


「春奈、お互いにファイトじゃ!」




 雨がしとしとと降り始めた西京極総合運動公園陸上競技場に、生中継のアナウンサーの実況が響く。


『各都道府県の大会を勝ち抜いてきた47チームが、今日この京都の地で相見えます。連覇を目指す昨年の優勝校・桜島女子に、王座奪還を虎視眈々と狙う仙台共和大高、そして3,000m・5,000m日本最速記録を誇るスピードクイーン・冴島春奈擁する秋田学院は悲願の初優勝を狙います。全国女子高校駅伝、まもなくスタートの時を迎えます――』


 場内に響く実況を聞きながら一美はガウンを脱いで菜緒に手渡すと、臙脂の鉢巻を額に結んだ。その周囲には、各校の1区を走るランナーが慌ただしくウォーミングアップを行っている。


「おハマ、いよいよやな」


「うん?」


 一美の気の抜けたような返事に、思わず菜緒は崩れ落ちる。


「うん? って…緊張せえへんの?」


 呆れたように訊く菜緒を、一美は不思議そうに見つめて言う。


「別に…もう今更緊張したって何も変わんないし、あとは自分が納得する走りができるかどうか…あとは、サエコ…ううん、春奈にいい位置で渡してあげたいってことで」


 そう言うと、一美は観客席を見上げた。臙脂のジャージの中にひとり、トラックを見つめるスーツ姿がある。ひかると目が合うと、右手でOKサインを作って見せた。ひかるが腕で大きく丸を作って返すと、一美はその場で二度大きく飛び跳ねた。


「じゃあ、行ってくるよ。ベストを尽くすってことで、よろしく」


 菜緒に声を掛けると、一美は右手をさっと掲げてスタートラインへと向かっていった。


「りょーかい! 悔いのないように走ってくるんやで!」




 スタートラインには、すでに選手たちがスタンバイしている。一美が並び終えると、すぐ隣の青いユニフォームがもじもじと動いた。桜島女子のユニフォーム姿――さくらが、一美に声をかけようかと迷っている。一美は躊躇せずに口を開いた。


「やあ、桜庭さん」


「あ…」


 意外にも、さくらは恥ずかしそうに俯いた。区間エントリーが発表されたのは数時間前で、春奈が1区にエントリーされると信じて疑わなかったさくらは、一美の名前を見て緊張を覚えたようだった。


「えっと、あの、その…」


 緊張を隠そうとしないさくらの背中を、一美はポンと叩いた。


「ごめんね、春奈じゃなくて。だけど、この後中継点には春奈がいるからさ。どっちが春奈と先に会えるか競争しようよ。どう?」


 その一言に、さくらの表情がパアッと明るくなった。


「あっ、…ハイ! 早よ、春奈と会おごたっじゃ!」


「フフ、まあ、いいレースにしよう。今日はよろしくってことで」


 そう言うと、一美はさくらの後ろからの視線に気がついた。ピンクと紺のユニフォームに身を包んだその選手は、しばし一美の方を睨むように見つめると視線を外した。その顔を、一美は明確に覚えている。


(…大貫…芽里)




 実況のアナウンサーが、声高らかに告げる。


『あと30秒でスタートを迎えます、ここ西京極総合運動公園陸上競技場。47校のランナーが色とりどりのユニフォームを身に纏い、5区間21.0975キロの戦いの幕が開こうとしております。解説は、城南大学陸上部監督の青山千恵子さんです』


 スタンドのひかるは、解説者の名前を聞いて驚いた表情を浮かべた。それもそのはず、千恵子が率いる城南大学陸上部はひかるが秋田学院を卒業して門を叩いたまさにそのチームだからだ。競技場のビジョンに映る千恵子を見ながら、ひかるは思わず頭を掻いた。


(千恵子さんか、参ったな…まるで授業参観じゃん)


 そんなひかるをよそに、スタートの瞬間は刻々と近づいている。10秒前のスターターの声を合図に、ランナーたちがスタートラインに立つ。一美は最後にスタンドを一瞥すると、前方をぐっと睨みつけた。


『On your mark...』


 ピストルを構えたスターターの右手が上がった。スタンドに陣取った各校の応援団からは大きな声援が選手たちに送られている。


 パァン!


『今各校一斉にスタート致しました! 強豪校同士のせめぎ合いを制し、果たしてこの1区トップでたすきを渡すのはどの学校でしょうか? まずは47校が一団となって最初のコーナーを回りますが…まずは仙台共和大高の3年生・西田歩野(にしだほの)と、浪華女子の3年生・森谷紘美(もりたにひろみ)が先頭に立ち集団を引っ張っています!』


 最長区間であるこの1区は、留学生選手の起用は禁止されている。それゆえ、この区間には各チームのエース格の選手がエントリーされることが多い。一美は、飛び出した選手たちの次の集団の先頭を走っている。左右をちらちらと覗き見て、他の選手がペースを上げないことを確認するとぐいと飛び出した。


『競技場を出て一般道へと進むこのタイミングで、優勝候補の一角・秋田学院の濱崎一美が先頭の集団に迫ります! この濱崎は3年生でチームのキャプテンを務めます。昨年の都大路では5区アンカー区間を走り、4人を抜いて見事区間賞にも輝いた実力のある選手です。今先頭は西田、森谷そしてこの濱崎ですが、濱崎を追うように何人かの選手が次々と先頭集団に合流していきます!』




 スタンドでは、ひかるの他に彩夏、みるほ、舞里奈のマネージャー陣が競技場のビジョン越しに戦況を見つめている。みるほは、1区の1キロ地点に控える佑香との通話を終えると大きくため息をついた。


「あの人、一美先輩の真後ろにピッタリとくっついてますね…」


「相当ウチのことを意識してるよね…まあ、経緯が経緯だから仕方ないのかもしれないけど」


 そう言って、彩夏がビジョンを指差す。スタート前から、じっと一美を鋭い視線で睨みつけていたその選手は、今も一美をちらちらと見てはすぐ横を並走している。派手な色合いのピンクと紺のユニフォームは、都大路の街並みの中で際立って見える。


『今、先頭集団に初出場の東京・大泉女子の2年生、大貫芽里が近づいていきます。これで先頭集団は8校ほどになりました! この大泉女子ですが、昨年まで3年連続で出場していた八王子実業を下しての初出場です。また2区にはケニアからの留学生シルビア・ヌデレバが控えており、初出場ながら上位進出が期待されているチームです――』 




 「えっ!?」


 寮の多目的ホールに春奈たちの驚く声が響いた。出場校紹介のニュースを見終え、一美が発した言葉に2年生部員たちは目を見開いた。


「大泉女子の大貫芽里って子、さっきニュースで出てたでしょ。あの子だよ、入寮してすぐに悠来がいじめて、入学式の前に転校しちゃった子」


「もしかして…!?」


 春奈が不意に顔を上げて一美の方を向く。一美は頷いてゆっくりと口を開いた。


「去年、秋穂ひとり部屋だったでしょ。あれは最初からひとり部屋だったわけじゃなくて、本当は芽里と秋穂の二人部屋のはずだったんだ」


「じゃ、じゃあ、別に秋穂ちゃんのいびきがうるさいからじゃ…いだだだだ!」


 春奈が言い終わる前に、秋穂は春奈の首根っこを強く掴んだ。


「余計なこと言わんでええ…で、ハマ先輩、その大貫芽里って子とウチの学校、ちゃんと円満に和解…したんですかね?」


 一美は険しい表情のまま首を横に振った。


「わたしも詳しいことは聞いてないけど、悠来はあんな感じで自分が悪いなんて絶対に認めないから、向こうの両親が怒って裁判寸前まで行ったって…最後は、悠来のお父さんがお金で解決したみたいだけど」


 一美の言葉に、部員たちは一様に大きなため息をついた。画面でインタビューに答える芽里の姿を見ながら、一美も暗い表情で呟く。


「八王子実業にいる天が、悠来の双子のお姉ちゃんだって当然芽里も知ってただろうし、今度の都大路ではウチのことも敵視してくるだろうね…だけど、悠来ももういないし、ウチらが芽里に何かしてあげられるわけじゃない…」


 そこまで言うと一美もまた、怒りとも呆れともつかぬ深いため息をついた。


「悠来…お願いだから、これ以上ウチらのことを邪魔しないでほしい…」




 アナウンサーが叫ぶ。


『2kmを過ぎ、集団はこれから西大路通へ入ります。長い上り坂が始まるこのタイミングで、大貫がペースを上げました! 初出場の大泉女子・大貫芽里、後続を突き放しにかかりますが追随する学校は現れるでしょうか?』


 一気にペースを押し上げる芽里を、一美は一瞬凝視した。上り坂は決して得意なコースではない。しかし、芽里はペースを緩めるどころかさらに勢いを増していくように見える。左を見ると、さくらもやはり飛び出した芽里を追うべきか迷っているように見えた。一美は、並走するさくらの背中をポンと叩いた。


「!?」


 驚くさくらに、一美はニヤリと笑みを浮かべて叫ぶ。


「さぁ、あの子のこと追うよ。あんたも、春奈に早く会いたいんでしょ?一緒に行こう。せっかく一緒に合宿した仲なんだし」


「はっ、はい!」


『今、秋田学院の濱崎が桜島女子の桜庭に何事か語りかけたでしょうか? 桜庭の背中を叩くと、お互いに言葉を交わしてペースを上げました! 今、先行する大泉女子の大貫を濱崎と桜庭が追いかけます!』




 「いったたたた…」


 春奈は、頭を押さえてしゃがみこんでしまった。ウォーミングアップの様子を見守っていた涼子が、慌てて駆け寄ってくる。


「さえじ、ホントに大丈夫?」


「大丈夫、大丈夫だから…多分、こんな天気だからだと思うけど…」


 春奈はそう言って立ち上がると再び裏通りを走り始めたが、無理やりに作ったような笑顔を浮かべていたことが涼子は気にかかった。




『先頭争いは5校に絞られました! 先行する仙台共和大、浪華女子に秋田学院、桜島女子そして大泉女子が加わり激しい先頭争いを繰り広げています! 青山さん、この5校の争いをどうご覧になりますか?』


 解説の青山は、眼鏡の奥の目を細めた。


『共和台と浪華は古豪とも呼べる2校ですし、桜島も去年の覇者ですからこの位置での争いというのは非常に納得なのですが、秋田学院と大泉女子がここまで非常にいい走りをしていると思います。残り1.5キロほどですが、区間賞争いもどの選手が制してもおかしくない、素晴らしいレースではないでしょうか』


 すると、青山にアナウンサーが問いかける。


『ところで、秋田学院を今年から率いる梁川ひかる監督ですが、城南大学時代に青山さんが直接指導された選手だとお聞きしておりますが、どのような監督でしょう?』


 競技場内にやり取りが流れると、ひかるは思わずビジョンから顔を背けた。青山は非常に辛口な指導で知られている。何を言われるか聞けたものではないとそわそわするひかるを、彩夏たちが不思議そうに見つめている。青山は早口でひかるについて語り始めた。


『正直選手としては大成しなかった子でしたけど、指導者になってからは細かい指導を徹底していて、それがチームの成績にも反映されているんじゃないでしょうかね。学生時代から、あまり人の言うことを聞かない気の強いお子さんでしたけどね』


(ちょっとは静かにしてよ…!!)


 思わず恥ずかしさ、憤り、様々な感情がこみ上げてふるふると震えるひかるに、彩夏が恐る恐る声をかける。


「ひかるさん! 今、5人とも一気にペースを上げましたよ! ひかるさん!」

 

「…んんっ!?」




 ペースを上げたのは、仙台共和大高の歩野だった。歩野に追随するように、他の4人がスピードを上げてじりじりと迫る。一美は、歩道側に位置取りを変えると他校の選手たちの表情を窺った。先程まで一美を気にしていた芽里は、すでに歩野にターゲットを変えたようだった。さくらも当初のふわふわとした表情が消え、歩野のすぐ後ろについている。じりじりと続く上り坂に、一美は足に徐々に重さを感じるようになっていた。だが、泣いても笑っても残された距離は1キロほどだ。コースには、残り1キロの看板を持った走路員が待っている。すると、その後ろには臙脂のジャージ姿が待ち受けている。


「一美ちゃん! あと1キロ頑張ろう! ファイト! いいペースだよ!」


 同じ3年生の美玲が、「あと1キロ」と書かれたボードを目一杯に掲げて待ち構えている。メンバー入りこそ叶わなかったものの、昨年の都大路以降めきめきと力をつけ、3区のメンバー選考でも控えメンバー入りまであと一歩のところまで記録を伸ばしていた。卒業後は一美と同じように競技を辞め、故郷の富山の短大へ通うという。一美は左手を大きく上げて合図すると、グッとペースを上げた。


『さぁ、残り1キロを過ぎて各チームペースが上がってきます! ここで、1位集団の後方につけていた秋田学院のキャプテン濱崎もスパートをかけました! 濱崎は今日のこのレースが現役最後、卒業後は競技を引退することを明らかにしています。今日の意気込みを聞きますと、ウチのチームは2区に日本一のランナーがいる。その冴島に絶対に1位でたすきを渡したい、と笑顔で語ってくれたこの濱崎です。濱崎が西田と並び、一気に追い抜いて行きました! 残すは700メートル、トップに立ったのは秋田学院の濱崎です!』


 春奈はガウンを脱いで涼子に渡すと、トレードマークの白いキャップを被った。


「さえじ、頑張っておいで」


「ありがと! 涼子、絶対トップで沙佳ちゃんに渡してくるから」


雨は依然としてしとしとと降り続いている。意を決したように表情を引き締めると、春奈はリレーゾーンのすぐ横に陣取った。後は一美がやってくるのを待つだけだ。


(濱崎先輩…、待ってますね!)


 スパートした一美を、ひかるは顔の前で両手を組んで見守っていた。ひかるの脳裏には、数ヶ月前の面談の光景が蘇っていた。競技を高校で辞めて、自分の夢の実現へ向かうこと。高校での生活に悔いはないが、最後に優勝して終わりたいときっぱりと言い切った一美の凛とした表情が、ひかるの心に刻まれていた。


(一美…キミは、あかりと春奈の間に挟まれ、同級生の板挟みになり、誰よりも苦労してきた…わたしも、もちろんいい結果をキミたちに見せてあげたい…でも、たとえどんな結果でも、今日のこのレースは今後のキミにゆるぎない勇気と力を与えてくれるはずだ…)


 ひかるが静かにビジョンを見つめていると、不意に舞里奈が叫んだ。


「大泉女子と、さくらさんが飛び出しました!」


 中継点前最後の上りを終え、中継点までの平坦な直線となったところで芽里とさくらがお互いにスパートを仕掛ける。一足遅れて歩野と紘美、そして一美も後を追うが、猛然とスピードを上げる芽里とさくらとの差はなかなか縮まらない。一美の顔が苦悶の表情に変わる。


(一美…なんとかあと300、この位置で堪えてほしい…!)


『残すはあと250メートル、30数秒の間にこの1区の決着がつくでしょう! 飛び出した桜庭と大貫のすぐ横を、再び西田が追い抜き2メートル、3メートルと差を広げていきます!先頭から西田、桜庭、大貫、森谷そして濱崎の順に中継点へと迫っている!リレーゾーンでは、すでに先頭の仙台共和大高の2区を走るガドゥニ・ワンジラが待ち受けています!』




 春奈の横には、合宿で共に走ったニャンブラの姿があった。春奈はニャンブラと頷き合うと、一美がやってくる方を見つめた。先頭の歩野がリレーしてすぐ、さくらとニャンブラがリレーを行ってゆく。


「春奈!!」


 さくらが、いつもの笑顔でこちらを見た。春奈も右手の拳を突き上げると、再び後方を見た。芽里を浪華女子の紘美が追い上げてリレーした数十メートル後に、鬼気迫る表情で一美がやって来る。春奈は大きな声を上げた。


「ラストー!!」


「春奈!」


 その声に、春奈は思わずビックリして目を見開く。一美に面と向かって「春奈」と呼ばれたのは初めてだった。一美は小さく手を合わせると、たすきをピンと張ってこちらへと向かってくる。


「ありがとうございました! 行って来ます!」


 膝から崩れ落ちた一美に、春奈は右手でたすきを掲げて合図をするとスピードを上げ、中継点を去っていった。冷たい雨に打たれながら、一美は大きな声で春奈の背中に叫ぶ。


「春奈、ファイトー!!」


 アナウンサーは、興奮した様子で叫んだ。


『さぁ、秋田学院は1区の濱崎が5位でエースの冴島春奈にたすきを繋ぎました!2回目の都大路、今度は超スピード区間に挑む冴島です!トップの仙台共和大高からはわずか12秒、トップを奪うことはできるでしょうか?』




<To be continued.>

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