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確証がほしい

 ヴァイオレットはナディアに膝枕をしてもらい、のんびりと頭をなでてもらいながら口を開く。


「ところでナディア」

「はい」

「どうして急に名前で呼ぶ気になったの? あ、もちろん大歓迎なんだけどね」


 帰ってきてから急に家で二人きり限定だけど名前で呼んでくれることになった。それは前からお願いしていたし、嬉しいのだけど、あまりに急な変化だ。

 このまま馴染んでしまう前に、聞いておこう。何か心変わりをするようなことがあったなら、できれば知りたい。そして次はヴァイオレットがナディアの背中を押す存在になりたい。


「んー……」

「さっき、セリカに耳打ちされたのがきっかけなのかな? 言いたくないならいいんだけど、ちょっと気になるからさ」

「別に、セリカが意味ありげにしただけで、隠すようなことではないんですけど……その、夜に言おうかと思ってました」

「夜? まぁ、また前と同じ時間に来てくれるならもちろん、いくらでも来てくれていいんだけど。今日はお休みだからいくらでも時間があるのに」


 隠すことではないと言う割に、ずいぶんもったいぶるものだ。ナディアの顔を見上げると、誤魔化すように空いている手で自身の前髪をいじっていて顔をあげているので表情は見えないけど、美しい首から顎のラインが見えて、なんとなく手を伸ばす。顎の下のくぼみをつん、とつつく。


「ひゃっ、もう、マスター。また変なところを触って、もー、変態ぃ」


 ナディアは不意打ちに驚いたようで、左手で慌ててヴァイオレットの右手を掴んでとめた。その表情が可愛くて、思わず笑ってしまう。


「ふふ。変態って。ナディアの体がどこもかしこも綺麗なのが悪いんじゃない。人のせいにしないでよねー」

「えぇー……まぁ、いいですけど。変態なマスター、じゃなかった。変態なヴァイオレットさんなので、今言いますね」


 言い直すにも、変態まで言い直さなくてもいいのでは? と思ったけど、教えてくれるみたいなので黙っておく。

 ナディアは体を折り曲げるように顔をよせて、その瞳の輝きが見える距離で囁く。


「セリカに言われたんです、ヴァイオレットさんみたいな、モテる人と一緒にいるのは大変だろうって」

「えぇ、何それ。評価してもらえるのは嬉しいけど、私普段モテないし、別にそれで苦労とかしてないでしょ?」

「まぁ確かに、今のところは、ヴァイオレットさんとのことに横やりを入れてくる人はいません」

「はいはい、今のところはね」


 ナディアにとっては魅力的に見えると言うのは嬉しいことなので、そう言う杞憂をしてしまうと言うのはもういいだろう。ヴァイオレットだって、ナディアが可愛すぎるのでいつ誰に目をつけられるか、心配になる時はある。


「はい。今のところは、です。ヴァイオレットさんが私の家族にも挨拶に来てくれるって言うの、単純に嬉しかったんですけど、気づいたんです。それってすごく危ないんじゃないかって」

「え?」

「だって、普通にしていても魅力的なヴァイオレットさんですけど、その魔力だけでも、すごくいいんですもん。魔力の見えるエルフの中に来てしまったら、きっと、横やりを入れてくる人しかいませんよ。そんなの、狼の群れに羊をいれるようなものです」

「いや、うーんとね。まぁ、魔力が強い自信はあるから、もしかしたらそれだけで、いい、と思うエルフさんがいるかもしれないけど、それはいいすぎでは?」


 めちゃくちゃ真顔で言っているけど、誰が羊か。魔力を重要視するエルフの伝統を否定するつもりはないし、その基準で言ってヴァイオレットが高評価なので、エルフ内に行けばモテモテになるのでは、と言う懸念はわかったし、それはなくはないかとも思う。

 どんな風に魔力を感じているか、それをどれだけ重要視しているのか、それをわかっているわけではないけど、要は力こそ全ての戦闘部族の中に、めちゃくちゃ筋骨隆々な人が行けばそれだけでモテるということだろう。理屈はわかる。わかるけど、羊て。


 呆れるヴァイオレットに、ナディアは顔をあげて、めっとヴァイオレットの額を抑えた。少し暖かい手があてられて、それがナディアの思いの熱のようだ。


「いいえ。ヴァイオレットさんに自覚がないのはわかりますけど、間違いありません。だから私は決めたんです。名前で呼ぼうってね」

「そうだったんだ。今までは恥ずかしがっていて、あんまり呼んでくれなかったから、ちょっとびっくりしたけど、そういう事なら納得、かな」

「はい。今までは、今の関係で十分だったから、名前で呼ばなくても幸せで、むしろ、一歩踏み出すのが恐いってところも、あったのかもしれません。でも、ちゃんと、誰が見ても私とヴァイオレットさんが特別で、はいる隙間がないってわかるようにしなきゃって、そう思って、まずは名前で呼ぶことにしたんです」


 わかる。だからヴァイオレットも、ナディアはまだ恥ずかしがって呼んでくれないとわかった上でからかっていたところがある。焦る必要はないと思っていたし、今までの関係だって十分すぎるくらいだった。

 でももう一歩踏み込んだわかりやすい関係になりたいと言うのも、すごくわかった。


「そっか。ありがとう、勇気を出してくれて。嬉しいよ」

「はい。頑張りますよ。だって、ヴァイオレットさんを手に入れる為ですから」

「手に入れられてしまったのか」

「はい。手に入れちゃいました」


 そう軽く言いながら、ナディアは微笑んで額の手をヴァイオレットの目にかぶせた。手の指の隙間から、ナディアが近づいてくるのが見える。


「ん」

「ん!?」


 キスされるのだろうとは思っていた。だけど、軽く触れるだけとはいえ、まさかの唇にされて思わず驚きで体がかたまった。

 唇をあわせる。それはヴァイオレットにとっては、ごく普通のキスだった。だけど今となっては、特別な行為だ。ずっと求めていたけど、我慢していた。


 ほんの一瞬だ。だけど、その触れた唇は、頬で感じるよりもずっと柔らかくて、熱くて、気持ちよかった。

 ナディアの顔が離れ、ゆっくりと目隠しの手がどけられる。ナディアは真っ赤になっていて、だけどじっとヴァイオレットを見下ろしている。

 ヴァイオレットはそっと、自分の唇に指先で触れてみた。ふにゃりとした手触り。キスをしたのだ、と自覚して、ヴァイオレットもめちゃくちゃに体が熱くなるのをとめられなかった。


「な、な、ナディア……」

「ヴァイオレットさんはもう、私の物です。だから、もう他の人を見ちゃダメですからね」

「う、うん。大丈夫……ナディアしか見えないよ」

「はい、知ってます。でも、わかってても、どうしても、確証が欲しいんです。ヴァイオレットさんが私のもので、私がヴァイオレットさんのものだって言う、誰が見ても明らかなものが」

「そうだね。私も欲しいよ」


 結婚指輪。それは実のところ、何度か二人でお店に足を運んだのだ。だけどどうにもピンと来なくて、一生ものなのでなかなか踏ん切りがつかず、式もまだだしと伸ばし伸ばしになっていたのだ。

 ヴァイオレットは反省し、何なら今日にでも買いに行こう、と言おうとして、またナディアの顔が寄ってきたので口を閉じた。


「本当ですか? 嬉しい。同じ気持ちだったんですね」

「うん、もちろんだよ」

「じゃあ、今日、夜、いいですか?」

「夜?」

「え? さ、さすがに、今からは、その、早すぎると思います」

「?」


 あれ、おかしい。話しがつながっていない。とヴァイオレットは気が付いた。夜なんて、宝石店は防犯上閉店が早いので、夕食後にはもう開いていないはずだ。

 それは前に話したのでナディアも知っているはずだ。なのに夜、しかも今からだと早すぎると、そんなに照れた顔で。


「ナディア、ちょっと確認したいんだけど、誰が見ても間違いない証拠って、指輪だよね?」

「え? ……あー、……エルフにとっては、あんまり意味ないと思います」


 ナディアはきょとんとして、顔をあげて何故か空を仰いで顎先しか見えない状態でそう言った。

 言われてみれば、エルフにモテる対策なのだから、そちらの伝統に合わせてわかりやすい証拠が必要なのだろう。うっかりしていた。


「そっか。耳飾りだっけ」

「そうなんですけど、そうじゃなくて……」


 ナディアは両手で頭を抱えるようにかいた。さっきまでの色っぽい雰囲気は0だ。どうしたのだろう。他に、二人の関係が間違いないものだと言う証? 指輪や耳飾りのような飾りではなく、でも見ただけでわかるもの? ずっと腕をくむ、とかではないだろう。ほしい、と言ったのだ。ならそれは行為ではなく、明確に形のあるものだろう。


「……あ」


 ひとつ、思いついた。思いついたけど、いやでもそれはさすがに。結婚を認めてもらう前には早すぎる。いや、少なくとも庶民では珍しくないのだけど。

 内心焦るヴァイオレットの漏らした声に、ナディアはゆっくり頭を抱えたまま頭をさげて目をあわせる。


「あ? もしかして、わかりました?」

「あー、その、もしかしてだけど、子供?」

「……はい」


 問いかけると、再度赤くなったナディアは手をおろして、しおらしく頷いた。可愛い。


「い、いやでも、結婚する許可をもらいにいくのに、先に子供とかはちょっと、順番が違うと思うんだけど」

「でも、この街では当たり前みたいですよ。相性が悪くて子供ができないより、確実だって」

「ど、どこから聞いたの」

「肉屋のアンジェさんからです」

「くっ」


 怒れない相手だった。だけど負けない。


「でも、エルフはそうではないんだよね? ならそれは止めた方がいいと思うな」

「確かにエルフではないですけど、それは子供ができにくいからで、出生率を増やすために許嫁制度があるくらいなので、子供がいて駄目ってことはないはずです」

「う、うーん」


 そう言われると、困るのだけど。確かに今の説明ならむしろ子供がいた方が歓迎されるとも考えられる。だけどナディアの証言だけでは偏りがある。

 それにあくまで推測だ。確実ではなく、場合によっては逆効果になり得ることを行うのは、人生において大事なことだからこそ後ろ向きになってしまうと言うものだ。


 だけど当然、そんなヴァイオレットの気のない返事に、ナディアはわかりやすく頬を膨らませた。


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