セリカの出立
「長くお世話になってしまって、すみません」
「全然いいよ。気にしないで」
「そうそう。もう少しくらいいてくれてもよかったのに」
「え? あ、ありがとう、ナディア。でも一年くらいで戻るって言っておいたから、帰らないと私の方が心配されちゃうからね。どうせならゆっくり、行きはできなかった観光しながら帰りたいし」
セリカが家に来て、2週間少々が経過した。明日にはセリカが故郷へ帰るために出発することになった。予定としてはわかっていたけど、明日、となると何だか寂しい気になる。
すっかりセリカとも仲良くなれた。本が好きで好奇心旺盛なので、色々これってどういうこと? と聞かれて教えてあげたりして、実に可愛い生徒っぷりだった。
初対面では中性的だと思っていたけれど、話していると幼げで可愛い感じになるので、少女っぽくなってナディアと並んでいるところも実に眼福だったし。
セリカがいると前ほどいちゃいちゃできない、と言う問題はあるけど、セリカがいる中こそこそいちゃいちゃする楽しみも、最初こそナディアにあおられてだけどヴァイオレットもそれがほどよい緊張感になってよかったし。
そんなわけでヴァイオレットとしてはいつまでいてもらっても全く支障はないのだけど、引き留めるわけにもいかない。
「もう準備はできているんだよね」
「はい。荷物もばっちりです」
「朝からだよね。お弁当作っておくね」
「いいの? 嬉しいな。ずっとナディアのご飯食べていたから、食事が癖になっちゃいそうだ」
一瞬首を傾げた。そう言えばエルフは食事らしい食事をしなくても平気だ。だからだろうが、食事は癖になるとかならない関係なく、毎食とるものと言う感覚からすれば違和感しかない回答だ。
すでに毎食一緒に食事をする習慣なので、改めて言われると、エルフって本当におかしな種族だ、と思わざるを得ない。
「あ、でも今出ると、思いっきり冬になってしまうけど、大丈夫なの?」
「はい? 大丈夫、ですけど、冬だと何かありましたっけ?」
「え、いや、冬だと、雪が降るし」
不思議そうに聞きかえされて、何故か狼狽しながら答えると、ナディアが気が付いたように軽く机を叩いた。
「あー、あれじゃない? 雪が降ると、馬車がでないから。と言うかセリカ、馬車で来たの?」
「あー、なるほど? いや、歩きだよ。その方が早いしね。でも確かに雪が積もるとちょっと歩きにくいですけど。まぁ、そんなに変わりませんよ」
「そうなんだ」
セリカはナディアをエルフの里の中でも強い変わり者扱いしていたけど、やはりエルフそのものがスペックが違う。エルフ内での違いはヴァイオレットからすれば些細に見える。
とりあえず、冬でも問題ないと言うならいいだろう。ここまでだって一人で旅をしてきた成人を過剰に心配するのも失礼と言うものだ。
「今夜は何か、セリカが一番気に入っている料理にするといいんじゃないかな?」
今日も休日ではあるのだけど、基本的にナディアが主にしているのでメニューの決定権はナディアにある。なので提案する形で言ってみる。
「そうですね。セリカ、何がいい?」
「うーん、そう言われると、どうしよっかな。あー、あれ好き。あの、ミルクのスープ」
セリカが腕を組んで真剣に考えながらそう言った。
「いいね。今日も寒いし、ちょうどいいんじゃないかな」
「そうですね。材料も問題ありません。じゃあそれと、他に何かメインになるようなものはない?」
「え、メイン? あぁ、そっか。えっと、お肉を使ってる料理ならなんでもいいんだよね? うーん、あ、鶏肉をあげてるやつ」
「唐揚げだね」
「そうです。揚げ料理って言うのは本当に、未体験だったので驚きました」
「油をいっぱい使うから、あんまり一般的ではないね。新しい手法だよ」
「そうなんですか、じゃあ、都会の最新の料理なんですね。ふふふ、帰ったら自慢しよ」
セリカも無事料理に馴染んでくれていたみたいでよかった。強制的に同じ食卓を囲んでいるから、あまり乗り気でないと言う可能性もあるのかな、とちらっと思ってたので、ここで確認できてよかった。
そうして、追加で買い出しに行ってから、ナディアの腕によりをかけた晩餐を味わい、最後の夜が更けていった。
○
翌日、朝早くから起き出した。
最後だと言うのにナディアがくるので、また寝不足になってしまった。許すまじ。いやまぁ、昨夜すでにお仕置きは済ませているので、許すしかないのだけど。
「朝早くに、すみません」
「いやいや、大丈夫だよ」
欠伸をしてしまったので、余計な気遣いをさせてしまった。申し訳ない。
家を出て、東門までやってきた。朝が早いので、出発するものはいても入ってくるものがいないのもあり、人通りは少ない。多少お別れのあいさつで時間をとったところで迷惑になることはない。
セリカはよくそれだけの荷物で、と言える鞄をひとつ背負っている。力はあるのだから、もっと大きな鞄でもいい気がするのだけど、殆どが衣類であとは魔石があればいいので、荷物は半年旅をすると思えないほど少ない。
「じゃあナディア、元気でね」
「セリカこそ、気を付けてね? 行きに何もなかったからって、帰りに無事とは限らないんだから、油断しないでね」
「そうだね。来年の今頃には、私たちがそっちに行っているはずだから、その時にはまた、元気な姿を見せてよ」
「はい。わかりました。ちゃんと、ヴァイオレットがいい人だって説明しておきますから、安心してください」
「ありがとう。すごく助かるよ」
お願いはしていないのに、セリカからそう言ってくれるとは。めちゃくちゃにありがたい。セリカとのあのやり取りを、里の人数分するとなるとちょっと手間が過ぎる。もちろん必要なら手間を惜しむ気はないが、家族にはともかく、里のみんな家族だからって、全員はちょっと大変だろうから。
笑顔でお礼を言うと、セリカは微笑んでから、何故か肩をすくめた。
「……ふふ、それにしても、ナディア、大変だね」
「え、なにが?」
ナディアの方は特にこれから切羽詰まった予定はないのだけど、何が大変なのだろう。ヴァイオレットはもちろん、ナディアもわからなかったようで首をかしげた。
セリカは悪戯っぽく笑うと、ヴァイオレットに意味ありげに視線をやってからナディアにそっと顔を寄せて耳打ちした。
その仕草は幼い姉妹がたわむれているようで、初対面の時のように嫉妬したりはせず、純粋に微笑ましいと思えた。セリカと親しくなれたからだろう。ナディアはいいと言ってくれたけど、家族にいちいち嫉妬していると、お互いにやりにくいだろうからよかった。
「――でしょ?」
「! た、確かに……!」
何か知らないけど、驚くようなことを言われたようだ。ナディアはわかりやすく目を見開いて驚愕し、ぐるっと首を回してヴァイオレットを見た。その動きはちょっと恐いが、それはともかく、何だろう。
ナディアが大変なことについて耳打ちしたはずなのに、ヴァイオレットを見るなんて。
「え、なに、何か私に関係ある話?」
「い、いえ、大丈夫です」
「ふふっ、そうですね。じゃあ、そろそろ行きますね」
セリカは荷物を担ぎなおし、そう仕切りなおした。そろそろだろう。あまり引き留めると、日が暮れる前に目的地につけなくなってしまう。エルフだって、夜より昼間が歩きやすいだろう。
「うん。それじゃあ、本当に気を付けてね」
「はい。お世話になり、ありがとうございました」
「まぁ、またね。みんなにもよろしく」
「はいはい。まあ、ナディアの場合は、怒られるくらいは覚悟しておいてよ」
「う……うん、まぁそれはね」
「ふふ。まぁ多少の口添えはしてあげるよ。じゃあ二人とも、お幸せに」
軽く手を振り、セリカは気負うことなくあっさりと門をくぐった。こうしてセリカは帰って行った。
二人で家に帰ると、当たり前だけど二人きりで、嬉しいような、少し寂しいような気になった。たった一人、騒がしいような子でもないのに、一人の人間の存在感と言うのは大きいものだ。
「マス、えと、ヴぁ、ヴァイオレットさん」
「え!? あ、え、と、なに?」
靴を脱ぎながら感傷にひたっていると、突然名前を呼ばれて、必要以上にびびってしまった。そんなヴァイオレットに、何故か緊張した顔をしていたナディアだったけど、くすりと笑った。
「ふふ、この間は名前を呼べって言っていたのに、なにをびっくりしているんですか?」
「い、いや。だって、その時は渋ってたのに、急に呼ぶから」
思わず崩れた姿勢を正して、靴を片付けてから照れ笑いで誤魔化すヴァイオレットに、先に靴を片付けて内履きに履き替えたナディアは振り向いて少しだけ瞳を揺らしている。
「そうですけど……だ、駄目ですか?」
「まさか。嬉しいよ」
その不安げな姿にヴァイオレットは力強さを意識して答えた。いつまでも驚いていられない。ナディアから勇気を出して歩み寄ってくれたのだ。ましてヴァイオレットから望んだのだから、しっかりと受け止めなければ。
「ありがとう。これから名前で呼んでくれるんだね」
「は、はい。あ、もちろん、外ではまた、マスターと呼びますね」
「そうだね。それは正式に立場を変えられるまではそうしてもらえると助かるよ」
「はい。ですけど、二人の時は、その、ヴィオレットさん、と呼びますね」
ナディアはそう、まだ恥ずかしそうにはにかみながら言った。可愛い。ちょっと気恥ずかしくなって、目を合わせてどちらともなく笑って誤魔化した。
そして手洗いをすませ、いったん部屋着に着替え、どちらが言うでもなく居間でちょうど顔を合わせたので、お茶だけ入れてソファに並んで座った。
「ヴァイオレットさんはまた眠られるかと思いました。大丈夫ですか?」
「大丈夫だけど、でも、寝不足なのってナディアが……まぁ、いいけど」
どっちが悪い、と言うものでもないだろう。それにこれからは、もう寝不足になることはないのだから。
「セリカ、行っちゃったし、寂しくなるね」
「んー、いえ、まあそう思わなくもないですけど。でも、ヴァイオレットさんと思う存分イチャイチャできるわけですし、やっぱり二人の方がいいです」
「え、いやまぁ、そういう気持ちもないではないけどさ」
でもナディアの家族なのに、シビアすぎない? もちろんヴァイオレットだって、寂しい気持ちだけじゃなくて、前向きのそう言う気持ちもあるけども。行ってすぐの今で言いきっちゃうね。
「でも、ヴァイオレットさんが寂しいなら、私が慰めてあげますよ」
「あ、ありがとう」
「膝枕しましょうか? 今度こそ、普通に寝ます?」
「うーん、お言葉に甘えようかな」
そう言われると、眠気はあると言えばある。寝転がっていれば、その内眠くなるだろう。ヴァイオレットはナディアの膝に頭を置いた。




