ちょろくないナディア
「マスターが借りてくれたのは、戯曲、ですか? よくわかりませんけどありがとうございます!」
慌てて落書きを消したナディアはヴァイオレットから勢いよく本を奪い取り、よくわからないのにお礼を言ってくれた。
席について本を読みだす。席順は適当だ。教室は小さいもので、教師の為の教示板のある教卓から見て、二人掛け机が右と左に一つずつあり、奥行き3席の合計12席だ。セリカが講義室奥側の一番前の席についたので、わざわざ狭く使うことはないのでヴァイオレットは扉側の2つ目の席についた。ナディアはその前だ。
特に示し合わせたわけではないけど、全員が前を向いていてすぐに授業を始められそうな雰囲気だったので、少しおかしく思いながらヴァイオレットは本を開いた。
戯曲をナディアに2冊ともとられたので、小説を読むことにする。
この国では古典に分類される小説だが、恋愛ものには変わらない。現代の小説に比べ、文語的で固いところがあるのだけど、その分雰囲気があって現在との違いがどこか遠い世界を思わせて引き込まれる。
内容は架空の国でハーレム宮を舞台にした恋愛短編集だ。医学の発展により成人までの生存率があがったことにより費用対効果が低いと判断され解体されることになるのだけど、その改変期において王と選ばれた寵妃や、その他の妃たちのそれぞれの話である。
過去にも似たような形式がこの国にもあり、王が特別愛した寵妃を正妻にするため、他の妃には目もくれずに宮を解体し、政略によって集められた妃にはそれぞれ希望をもとに婚姻させたりさせたと言う事実から発想を得られている。
実際のところ、政略とは言えこの小説のように他の妃たちが誰もお手つきされていなかったり、身分違いが過ぎる護衛や、要職の役人との間を王が取り持ったなどと言うことはないのだけど、そこはフィクションである。
フィクションなのは当然のことなのだけど、この書籍によって王族への好感度があがったことで国公認の本となっている。なのでヴァイオレットも概要は知っていたが、読むのは初めてだ。
特に異国から来た娘の下り、どことなくナディアを連想させてとてもぐっとくる。元々ヴァイオレット自身も所有する程度には恋愛小説も嗜むのだ。
強引な展開や都合のよすぎる展開もあるのだけど、少し突飛な物言いだったりがマッチしていて、異文化として十分に受け入れられる。
「……ふぅ」
そして全体のちょうど真ん中になる、異国の姫が護衛の騎士と結末を迎えたところで集中が切れ、肩がこったので静かに息をついて目を閉じて首を回し肩をまわし、それぞれ一周させて本に戻したところで目を開け、そう言えば喉も乾いたので鞄にいれたまま忘れていた飲み物でも飲もうと顔をあげた。
「!」
「……」
そして体ごとナディアが振り向いて、ヴァイオレットの机に頬杖をついていたことに、目が合ってから気が付いた。
驚きで思わず背筋をそらして距離をとるヴァイオレットに、ナディアは黙ったまま声に出さず小さく笑って上半身を揺らした。
「……」
ゆっくりと上半身を戻して、勢いで持ち上げていた本を置いて閉じた。そんなヴァイオレットをナディアは愛おしいものを見るような優しい笑みで見ていて、まるで学生時代に先輩に勉強を見てもらっているみたいなシチュエーションに、むやみとドキドキしてきてしまう。
実際にはそんな優しくて母性にあふれた先輩はいなかった。いや別に、同級生たちとは仲良く勉強会したりしていたし、後輩ともよくしていたけど、先輩はまぁ、年上すぎる後輩に距離をとっていたのは間違いない。入学可能とは言え、実際にはヴァイオレットの年齢から入ることは滅多にないので。
そんなわけで、年下の先輩のように見守っている風のナディアのポーズに、ヴァイオレットはついつい妄想してしまう。
こんな先輩がいたら、わざと間違えて勉強を教えてもらいにいきそうだ。間違ってるよ、とか優しく指導されたい。
「ますたー」
「! な、なに?」
その時は向かい合って座るより、隣り合うほうがいいな、などとしょうもないことを考えていると、さらに前かがみで顔を寄せて小さな囁くような声で呼ばれて、ヴァイオレットはハッとしながら慌てて応える。
咄嗟にヴァイオレットも顔を寄せたので、思いのほか顔が近い。頬にキスをしたりするときは当然もっと近いのだけど、視界の隅にセリカがいる状況で鼻先5センチと言うのは妙に気まずささえ感じる。
「なに、にやにやしてるんですか?」
「っ、それはその……」
「ふふっ。マスター、今きりがついて、ちょうどいいなら、よかったら今度は私も図書館の中案内してくださいよ」
囁き声でにんまりして、ナディアは立ち上がりながらそう普通の声でそう言った。断らせる気のない誘い方に、リードされている感があって先ほどの妄想もあってドキッとしてしまう。
だけど別に変なお願いではない。ヴァイオレットを見ていたと言うことは、持ってきたのは合わなかったのだろう。ならナディア自身に選んでもらうために、一度案内するのが一番だ。
「わかった。行こうか」
「ありがとうございます。セリカ、行ってくるからお願いね」
「はーい」
セリカは本から顔をあげないまま、珍しく間延びした声で返事をした。
セリカを置いてナディアと部屋をでる。そうして隣り合って歩き出してから、遅れてナディアが無手なことに気が付いた。
「あれ、ナディア、本は? もう読まないやつなら、先に返しておいた方が、後からかさばらなくて楽だよ」
「え、ああ。まぁ、そんなにたくさん借りませんから」
「まぁいいけど。じゃあとりあえず、館内図の前に行こうか」
さきほどのセリカが借りた分に比べれば、もう2、3冊借りたところでナディアも力持ちだし誤差のようなものだ。
「はい」
ナディアはヴァイオレットを見上げて素直にそう頷いた。その笑顔はどこか控えめで愛らしく、セリカが来てから久しぶりに二人きりだな、と今になって気が付いた。
と言っても、実際にはセリカが来て4日目、セリカが来た当日は朝はもちろん2人きりだったので、その午後から数えて丸三日と少々。全く久しぶりではない。
「ねぇ、ナディア」
「なんですか?」
「ちょっと、手を繋ごうか」
「え? ……ふふ、駄目です。外ですよ?」
「えぇっ?」
きょとんとしてから、笑顔で却下された。な、何故。まさかナディアに断られるとは想定しておらず、ヴァイオレットはびっくりしてしまった。
周囲を見回して確認する。すでに講義室のあるあたりから、本棚のある方へきているのでちらほら人がいるが、皆本を選んだり読んだりしていて誰も二人に注意を払ったりしていない。
「そ、そこをなんとか」
「だーめ」
むしろ満面の笑顔になったナディアなのに、連れない返答だ。なんてことだ。いつもはあんなにちょろい、もとい素直で可愛いスキンシップ大好きナディアが頑なに拒否するなんて。もしかして手が汚れている?
ヴァイオレットは自身の両手を確認して、なにもないので顔に寄せて匂いをチェックするが、何もない。
つまり普通に、外では駄目だと断られた? ……何故かとても悔しいので、強引にナディアの肩を掴んで後ろから押して案内図まで案内した。
さすがにそれは拒否らず、ナディアは苦笑するように、ふふっと忍び笑いをした。相変わらず声も可愛い。ずるいなぁ。
「こうなってるんだ。だから今から行くのは、この物語の棚かな」
館内図についたので手を離し、セリカにしたより丁寧に分類について説明して、言いながら物語エリアを指さした。
ナディアは、はー、こうしてみると広いーと感心してからにっこりヴァイオレットを見上げ、そしてヴァイオレットの手を持って指先を動かした。
「ありがとうございます。でも、ここに行きたいです」
「え、そこ哲学だよ? 間違ってない?」
「間違ってません」
馬鹿な。哲学なんてナディアと最も縁遠い学問だ。折角図書館に来たのだからと知識欲が生まれたのだとしたら、それは好ましいことだけど、哲学? さっき分類説明の際も、てつがく? はー、みたいに流されたのに。
とは言え、一番わからないからこそ、興味を持った可能性もある。ヴァイオレットはナディアと共に、一番奥の書架へ向かった。
「ここだよ」
「やっぱり奥だと、人が少ないですね」
「奥かはともかく、この辺りは授業で資料を探しに来る人は少ないからね。今はテスト期間とも離れているし、魔法書あたりは通年で熱心な子が結構多いんだけど」
学園で扱われる学問については等しく扱われているけど、もちろん学科によって生徒の熱心度、利用者傾向の違いは存在する。魔法に関わらない学問はどうしても不人気になりがちだ。哲学も熱心な生徒がいないわけではないだろうけど、少なくとも今はいないようだ。
というか、この辺りはテスト期間でも人をみかけたことがないのだけど。うちの学園は哲学の授業があるにはあるけど、テストは授業での配布資料だけで十分点数が取れるのが大きいだろう。
そんな事情はともかく、ナディアは本よりもなぜかきょろきょろと、本棚から顔を出して周りの通路を見てから、ヴァイオレットの背を押した。
通路から奥にすすむと、一番端であり壁際に柱がある関係上、他より少し狭く圧迫感がある。柱に本棚が被らないように本棚があつらえられているので、柱ごとに本棚のない空きスペースがあり、柱部分が少しくぼんだスペースになっていて柱にもたれて本を読めるのはちょっと楽だけど。
「反対側も通路になっているんですね」
どうしても距離が近くなる分、変わらない声量のナディアの囁き声が少し大きく聞こえる。吐息も聞こえるので、二人きりだと余計に意識してきてしまう。
ナディアの問いかけに、ヴァイオレットは視線をそらしながら頷く。
「そうだよ。空気の通り道が必要だからね。地下の移動式書架だと壁についているけど。その代わりしっかりした空調設備があるし」
「うーん、まぁ、ここでもいいですかね」
「ん?」
その妙な物言いに視線を本棚からナディアに戻すと、ナディアはにっこり微笑み、そっとヴァイオレットの左ひじを掴んでヴァイオレットを本棚の隙間に押し込むようにして、柱に背中をもたれさせた。




