ナディア視点 再会
「ナディア!」
「?」
名前を大きな声で呼ばれた。少し距離のあるような張り上げた声だ。だけどこんな街中でそんな風に呼ばれるなんて心当たりがない。それなりに暮らしていて、知り合いもできたけど、駆け寄ってくるほどの親しい知り合いはいないはずだ。
それにどことなく、聞き覚えのある声のような? と思いながらナディアは振り向いた。
「ナディア! やっぱりナディアだ!」
「え、せ、セリカ!?え、な、なんでここに?」
そこにいたのは、ナディアの親族だった。まさかこんなところにいるとは思ってもみない相手に、思わずそう率直に聞くと、セリカは嬉しそうだった表情から一変、眉尻を吊り上げた。
「なんでじゃないよ! 馬鹿みたいな書置き一つで家を出て、心配されないと思ってるの!?」
「う……ご、ごめん。あの、とりあえず、場所を変えない? ほら、ね? ここじゃゆっくり話せないし」
「……そうだね。今、どこで何してるの?」
「そ、それも説明するから、とりあえず、家に行こ? はい、こっちだから」
「家? まぁ、そういう事なら」
さすがに、追いかけてきてくれるなんて言うのは予想外だった。成人してすぐに故郷を出た人だっていたし、ほんの一年先駆けただけだ。だけどそう言われてしまえば、申し訳ない気持ちになるし、どう見てもセリカは薄汚れた旅装で疲れた顔をしている。
到着したばかりなのだろう。とにかく落ち着けて話して、休ませてあげたい。
ナディアはやや強引にセリカを押して誘導する。セリカも疲れているからか、素直に従ってくれた。
家につき、まずはセリカの外套を脱がせてはたき、なんか汚かったので、そのままお風呂に入ってもらうことにした。着替えも本人が持っていたのも微妙に汚れていたので、明日洗う分の洗い桶にいれておいて、ナディアの服を渡した。
出会った瞬間こそ、勢い込んでいたセリカだけど、家につくころにはもう気持ちの糸がきれたのか、素直に従ってくれた。
その間に食事も、と思ったのだけど、ナディアと同じヴァイオレットの魔力がこもった砂糖で、と言うのは抵抗がある。あれはナディアだけのものだ。
仕方ないので、お茶と魔石でお茶を濁すことにした。セリカの荷物にはいっていたものなので、ナディアの時のように空腹が過ぎるということはないだろうけど、気持ちの問題だ。
ついでに、つい、何となく、一つつまみ食いしてみる。
「……こんな味だっけ?」
前に普通に美味しく感じたものと同じ質のはずだけど、ヴァイオレットの魔力を毎日味わってしまった今となっては、味気なく感じられた。ヴァイオレットの魔力はどんなに少量でも、毎日でも全く色あせない美味しい味なのに。
「お待たせ」
「あ、セリカ。ううん。私の為に、ここまで来てくれたんでしょ? 何ていうか、ごめんね、ありがとう」
「うん、まぁ。とりあえず、話そうか」
「うん、座って、お茶でも飲んでよ」
「ありがとう。あ、この魔石もいいの?」
「うん、セリカの荷物にあったやつだから」
「……いや、まぁ、いいんだけどね」
ナディアはいつもの席に、そしてセリカはその向かいに座ってもらう。セリカはお茶を飲んで、ゆっくりと魔石を食べて、もう一度お茶を飲んで大きく息をついた。
「はぁ……まぁ、とにかく、無事でよかったよ。ここに来るまでもずっと探していたのに、全然ナディアの形跡がないから、どこかで迷ってないかとか、本当に心配だったんだから」
「う、ご、ごめんなさい。でも、その。一応、手紙は置いてきたし、言ってもほら、私、もう成人前だったから、そんなに心配しなくても」
言い訳をすると、セリカはさっきみたいに怒り出したりはしなかったけど、めちゃくちゃジト目になって
「……あのね、未成年で、しかも何の準備もしていない思い付きの旅立ち、しかもそれが日ごろから夢見がちで非常識で行動力だけはある馬鹿力のナディアなんだから、心配しないわけないでしょう?」
「そこまで言わなくても……」
昔からセリカは厳しかった。狩りだって何だって、ナディアの方がずっと上手にできる自信はある。完璧なお嫁さんになるために努力して、その点では絶対に負けない自負がある。
だけど今となって思うのは、確かに浅慮だった。周りを顧みずに行動したのは間違いない。
しょんぼりと肩を落とすナディアに、セリカはまた呆れたような息をついて、ジト目をやめて肩をすくめた。
「まぁね。力だけはあるナディアだから、まぁ、生きているだろうってことで、追いかけてきたのは私だけなんだけど」
「ほ、ほら、やっぱりセリカが心配性すぎ……」
「一応、私が保護者枠だからね」
「……」
保護者枠。一番年の近い親戚で、昔からの兄弟分として面倒を見てくれたのは事実だ。幼い頃に文字を教え本を読み聞かせてくれたのもセリカだ。
だけど今の言い方は、別の意図を感じられた。口をつぐんだナディアにセリカは続けて口を開く。
「と言うか、もう聞くけど、あの時、私がナディアの結婚候補だって聞いて勢いで家を出たんでしょ」
「え、な、なんで?」
「理想の王子様を探しに行きます、みたいな頭の悪すぎる置手紙だけだけど、あの時ナディアが突然思い立ったなんて、それしかないよね。あのさ、嫌ならそう言えばいいでしょ。なんでそう、突飛なことするの? 何か思いついたら相談しなさいって、いつも言ってたでしょ」
「そ、それはそうなんだけど。その、セリカが傷つくかなって」
「ないから。まぁ、嫌ってことはなかったけどね。べつに。ナディアの面倒を散々見てきたし。でも私だって別に、ナディアが大好きなわけじゃないんだから、なんか勝手に気をつかわれても。むしろ好きでもないのにフラれたみたいで逆に嫌なんだけど」
「……ごめんなさい」
言われて見たら、そうだった。その会話を聞いて、いてもたってもいられなかったけど、もう決定で覆せないと思い込んでいたけど、せめてセリカに相談してみてからでもよかったのだろう。
もちろん、今となってはそのおかげでヴァイオレットと出会えたので、後悔はしていない。だけど心配をかけたのは事実だし、もう少しくらいはやり方があったかな、と思わないでもないのだ。
ナディアも少しは成長するのだ。そんな殊勝なナディアの態度に、セリカは満足げに頷く。
「うん、反省したならよろしい。それで、今どういう状況なの? こんな立派な家に住んでるなんて」
「えっと、一口では説明しにくいから、順番に説明するね」
「それでお願い」
ナディアは正直にすべてを説明することにした。
砂漠のくだりでセリカは一度めちゃくちゃ眉を逆立てて指先でとんとんとんとんとん! と机をたたいて苛立ちをあらわにしたけれど、言葉をとめたナディアに動きをとめて続きを促したので、戦々恐々としながら続けた。
そして万引きのくだりでものすごい形相になっていたので、もう怖くなってナディアは目を閉じて説明した。
「わかった。もうそのくらいで十分だから、目を開けて」
そしてヴァイオレットの登場から段々興がのってきて、徐々に惚気だした。本人は自覚なく、後半そこまで言う必要があるのだろうか、と言うほど主観的な惚気こみで説明し、先日結婚の約束をして、来年には故郷まで来てくれる、と言う話をしたところでついにセリカが声をあげた。
言われるまま目を開けると、セリカは肘をついて頭をかかえるようにしていた。
「どうしたの? セリカ? 頭痛いの?」
「いや、何というか、私の教育がまずかったのかな、と反省していたところ」
「どういうこと?」
「……そもそも砂漠を行くとか、準備不足どころじゃないとか、そのあたりのツッコみはもう、済んだことだからおいておくとして、半年くらい目を離した間に、婚約してるってどういうことなの。あんまり話がうまくいきすぎて、怪しいっていうか、本当に大丈夫なの?」
「? 確かにちょっと展開が早いけど。私とマスターは運命の赤い糸でつながっているから、まぁ、そういうこともあるよ」
大丈夫なの? と聞かれても意味がわからない。大丈夫か大丈夫じゃないかと言うなら、ヴァイオレットが素敵すぎて、心臓の方が大変で大丈夫ではないけれど。
でもそれは早すぎるからとかそういう事ではない。なんならすぐに結婚したいけど、まだまだできないから残念なくらいだ。話しがうまい、と言うのもよくわからない。
そう首を傾げるナディアに、セリカは手をおろして両肘をついて前かがみになった状態でため息をついた。
「いや、例えばだけど、私たちエルフって珍しいわけだし、それでこう、万引きまではナディアの意思だとして、最初からナディアを手に入れる為に仕組まれていたとか、考えないの?」
「え? だから私も最初は勘違いして、お嫁さん候補だと紹介されたつもりが、実は違ったんだって」
「その違ったって言うのが嘘の可能性は?」
「マスターが嘘を言う意味がないし、万が一そうだったとして、それで何も変わらないよ。私は最初からそのつもりだと思って、マスターのことを好きになったんだし」
「うーん。まぁ、ナディアが好きだって言うなら、それは確かに、私が口を挟むことではないんだけど。でもこう、ナディアを手に入れる為に、猫を被っているとか」
「ふふ、もう、何言ってるの? もしそうだとしたら、嬉しいのに」
「え?」
突然笑い出したナディアに、セリカはきょとんとした。セリカにとって見たことのないナディアの表情に、その笑い方に、目を瞬かせた。
そんなセリカの様子に、ナディアはよりおかしくなってしまう。
セリカはナディアより年上で、いつも前にいた、口うるさくも頼りになる甘えられる兄弟だった。だけど考えてみれば、セリカだって、まだ50年も生きていない。ヴァイオレットより年下で、ナディアと10歳しか変わらないのだ。
そしてナディアの許嫁になるだけあって、恋人だっていなかった。そしてそれからナディアを心配してくれていたと言うなら、まだセリカは恋を知らないのだ。だからそんな風に思うのだろう。
「だってマスターが私を好きで、好かれるためにいい格好しているってことで、それの何が悪いの? むしろすごく可愛い。それに私だって、マスターによく思われたいし、理想であれるように私なりにずっと努力しているつもりだよ。そんなの、当たり前のことなのに」
「そ、そう言われたら、そうなのかな? いやでも、そうじゃなくて、こう、全部嘘で、結婚したら本性を出すみたいな?」
「セリカ、怒るよ」
言いたいことはわかる。むしろ、申し訳なくすら思う。ナディアのせいで、ナディアの世話をしてばかりいたせいで、恋に思いを馳せることがなかったのだろう。
だけど、そうだと言っても、ヴァイオレットがそんな悪人のように言われて、黙っておくことはできない。ナディアの為を思って言ってくれているのはわかるので、あまり強い言葉を使いたくはない。だけど、それ以上言ってほしくない。
端的に言ったけれど、そんなナディアの言葉の固さから怒気に気づいたのだろう。セリカははっとしたように一度眉をあげ、視線を一度そらした。




