ひじ掛けの有無
リンゴだけではなく、いくつかの果物を食べて、口の中も酔いもすっきりさせたところで、近いので家具屋を見に行くことにした。
といっても、お祭り中は本業を休んでいるところが多い。家具については、オーダーメイドも可能だが、既製品や中古品も少なくない。特にソファは人数別で大きさがある程度決まってくるので、比較的合わせやすい。
中古品には抵抗があるが、オーダーだと時間がかかり過ぎてしまうし、既製品の在庫があるかだけでも話を聞ければいいだろう。
既製品は職人が仕事のない時期に作る内職のようなものなので、いつでも豊富に数があるわけではない。既製品専門に集めて扱う家具屋は存在しないし、ましてソファは贅沢品になるので、在庫がない可能性もあるだろう。
「あれ、しまってるみたいですね」
「そうだね」
家具屋は商店街ではなく、工房と直結させているのが多く、工業地帯の一角にある。
お祭り期間中にこちらへ足を運んだことはなく、中心からはなれるほどに出店もなくなり、すでに1本前の通りから、あ、今日はやってないだろうなと察してはいたが、念のため目的通りに店まで来たが、普通にドアは閉まり、看板も仕舞われている。
「しょうがないか、腹ごなしの散歩だったと思って、お祭りに戻ろうか」
「そうですね、家具はまた、次の週末にでも来ればいいですしね」
仕方ないので踵を返した瞬間、ちょうど前方の建物から人が出てきてヴァイオレットと目が合った。
「お? ヴァイオレットさんじゃねぇか。こんな時期にこんなところでどうしたんだ?」
「こんにちは、アレックさん。ソファが欲しくなって、お店がやってないか見に来たんですよ」
「祭りだしな。売れねぇとか以前に、祭りを楽しみたいやつらもおおいから、示し合わせて職人連中はみんな休みにしているんだ。どうせ前後して、街の奴らは財布の紐を固くするしな」
出てきたのは、ヴァイオレットの顔なじみの職人だった。と言っても、仕事の都合上、顔なじみの職人は少なくないし、目的地の家具屋の職人も、馴染みまで行かなくても顔を合わせたことは何度かある。
だから驚くことはないが、ヴァイオレットがいることに向こうの方は驚いているようだ。
「ソファなぁ。と言うか、そっちの娘が、噂の嫁さんか」
「んん、まぁ、そうです」
仕事の都合上、現在の案件に関わっている相手には話している。その時点で多少照れくさくはあったけれど、いざナディアといるところを知り合いに見られるのは、何だか気恥ずかしい。それに、ナディアの目の前で嫁なんて言われると、喜んで言いふらしているようで、間違ってはいないけどそれも何だか落ち着かない気持ちになってくる。
そんな若干挙動不審に視線をそらすヴァイオレットに構わず、嬉しそうに表情を輝かせたナディアは、何故だかやる気満々の様子で、一歩前にでた。
「初めまして、ナディア・アリエフと申します。いつもマスターがお世話になっております」
「お、おお。こちらこそ。アレック・シルバーだ。と言うか、よく見りゃ、首輪つけてんだな。やっぱ、宮廷魔法使いともなれば、嫁にも首輪をつけないといけねぇんだな。大変だな」
近づいてみたことで、首元の首輪に気が付いたようだ。現状、全く隠していないのだけど、また変な風に誤解を受けている気がする。いっそ首輪を隠す方向に持って行くのもありだろうか、と思いながら、ヴァイオレットもナディアの隣に出て苦笑して誤魔化す。
「いや、そういう訳でもないんですけど、まぁ、色々ありまして。正式に結婚する時には外す予定なんですけど」
「そうかい。まぁ、また別の仕事で一緒になることもあるだろう。今後もよろしく頼むよ。ソファなら、いくつか知り合いのところに在庫があったはずだ。来週うちに来る予定だっただろ。それまでに聞いておいてやるよ。希望はあるか?」
「助かります。大きさ何ですけど」
だいたいの大きさの希望を伝える。メモを持ち歩いているようで、懐から出したメモにさらさらと記入してくれる。こういう几帳面なところが信頼できる。
「結構大きい奴が欲しいんだな。それで、ひじ掛けはどうだ? 最近はないのもあるが」
「それはいるかな。どう?」
「え? ひじ掛けはいらなくないですか?」
「え、そう?」
基本的にはあるものだと思っていたので、聞かれたことを疑問に思いながら念のためナディアを振り向いて確認すると、普通にきょとんとされた。
体ごと向いて尋ねると、ナディアは少しだけ小首を傾げながら答えてくれた。
「はい。一人かけでもそうなんですけど、ひじ掛けがあることで横向けになりにくいですし、その分窮屈に感じます」
「うーん、そう言われたらそうかもしれないけど、でも、横向けに寝転がった時、枕代わりになったりしない?」
今まで持っていなかったので、ソファに特にこだわりがあるわけではない。だけど何となく、ソファと言えばひじ掛けがあるイメージで、ある方が便利そうな気がしてしまう。
そんなヴァイオレットの疑問に、何故かナディアは少し不機嫌そうに唇を尖らせた。
「……そんなの、私がいつでも膝枕しますのに」
「ひじ掛けとかいらないよね。無しでお願いします」
「お、おう。んじゃ、あとは生地だな。基本は皮だが、最近は安い布製品も出てきてるんだが」
「えーと、皮の方が掃除しやすい?」
先ほどの例があるので、ナディアに向かって首を傾げながら聞いてみると、ナディアはおすまし顔で答える。
「私の意見でいいなら、布ですかね。どうせ布カバーをつくりますから、柄や色はどうでもいいんですけど、布の方が、もし本体まで汚れても、簡単に張り替えられますし」
「え、ソファなんて自分で張り替えられるの!?」
「表面はそうですね。したことあります」
「まぁ、土台はともかく張替はできるようにつくられてるからな。そういう事なら、布でいいだろ。皮だと加工が難しくなるからな。じゃあ、それで声かけておこう」
さらっと言われて驚愕するが、当の職人は苦笑しながらも相槌をうちながらメモを仕上げた。
「はい、ではそれでお願いします。お休みの日にすみませんでした。ありがとうございます」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
「いいってことさ。じゃあな」
立ち話でさらっと予定が終わった。アレックを見送り、二人はそのままお祭りの喧騒へも戻るために歩き出す。
「ちょうど会えてお願いできてよかったね」
「はい。これも日頃のマスターの行いのお陰ですね」
「はー、可愛い」
可愛すぎて思わず口から出てしまった。はっとするヴァイオレットに、ナディアも少し驚いたように目を丸くして、おっとりと微笑んだ。
「ふふふ。もう、マスターったら。ねぇ、マスター、次はどこに行きますか?」
「次はそうだね、出し物のあたり行こうか」
「出し物と言うと、あの、輪投げとかのあたりですね」
「そうそう。商店の雑貨屋とかが集まって共同でやってて色々あるんだよね」
「いいですね。でも初日は結構混雑していて、横目に見るだけでしたけど、大丈夫ですかね」
三日目はお酒が大人に流れるし、初日二日目で多くの子供がお金を使いすぎているので、比較的空いていると言ってもいいだろう。と言っても、街全体が混雑しているのは変わらないので、余裕で回れると言う訳ではないのだけど。
握りあった手がお互いの体に擦れるくらいの距離で歩き、目的の通りへ向かう。
「……あの、マスター、さっきのソファなんですけど」
「うん? なに、どうかした?」
そろそろ大通りに戻る、と言うところでおずおずと言ったようにナディアが声をかけてきた。その神妙な様子に、立ち止まって顔を覗き込む。
「いえ、大したことではないんですけど……ソファ、結局、全部が私の意見みたいになってしまって、何だか申し訳ないなって。マスターがお金だす、マスターのものなのに」
「何言ってるの、二人のものだよ。それに家の全部を管理してくれるのは、ナディアでしょ? ナディアがいるから安心して全力で働けるんだから。その管理してくれるナディアが扱いやすいようなものが一番だよ」
「……うぅ、マスターが優しくて、そこが大好きなんですけど、どんどん調子にのってしまいそうです。私が我儘とか、嫌なこと言ったらちゃんと注意してくださいよ?」
「可愛いね」
「もー! だからそう言うところですよぉ」
「だって可愛いんだもん。大丈夫。本当に不味かったら注意してるでしょ。昨日だって、機密の件ではちゃんと注意したでしょ」
「そうですけど。優しすぎるんですもん」
「ナディアにだけだよ」
昨日の続きか、ちょっぴりメンタルが不安的になってしまっているようだ。だけど今まで元気いっぱいだった溌剌とした可愛いナディアと、今のちょっぴりしょんぼりした不安げなナディアと、どちらも百点満点に可愛いとしかいいようがない。
それに実際、調子にのっていても可愛い、ではなくて、調子にのったところで、ヴァイオレット相手に強気にでるくらい大したことではない。生活や仕事、何か大きなことについて口出しをしたり、困らせたり何一つしていない。本当に可愛い我儘か、こっちの方がいいと思うから言ってくれるか、の二つしかない。
それだって、ちゃんと話し合えば分かり合えるのだ。そんなことで嫌になったり、嫌いになるわけがない。
「何か、不安なことがあるなら、家に帰ってお話ししようか?」
「そ、そういう事じゃないんです。ただ、何だか急に、マスターがどのくらい私のこと好きなのかとか、ふいに不安になってしまっただけで。マスターが大好きですし、マスターも私のこと大好きでいてくれることわかってます。でも、ちょっとしたすれ違いが起こらないとは、言えませんから」
「そうだね。誤解やすれ違いは、どうしたって起こるだろうね。それはどんなに気を付けたってしょうがないよ。でもその度に、納得するまで話し合えばいいんだよ」
気落ちしたように視線をおとしたナディアの頭に、空いている手をのせる。ナディアは顔をあげ、ヴァイオレットの瞳を見返した。安心させるため、そっと髪をなでながら言い聞かせるようにゆっくりと話しかける。
「もし、この先ナディアが不安になったら、いつでも言って。私はちょっと鈍いから、ナディアの異変に気が付けないこともあるかもしれないけど、ナディアが私に、大事な話があると言ってくれれば、他の何より優先するから。それだけは約束するよ」
「……じゃあ、逆に、マスターだって、おかしいなって思ったら、私に言ってくださいよ?」
「うん、もちろん、そうするよ」
「……はい。すみません、ふふ。お祭りの最中なのに」
「いいよ。時間はまだまだあるんだから。さぁ、行こう」
「はい!」
そうして今度こそ、目的地へ向かった。
輪投げや、玉入れ、コイン投げをしたり、子供用の玩具の笛を買ったり、子供に戻ったように遊んだ。
前に学生時代にしていたようなことで、だけどナディアと一緒だと楽しいだけじゃなくて、ずっと幸せに感じられた。




