お酒
「そう言えば、ナディアってお酒は大丈夫なの? 飲んだことあるの?」
三日目の本日は、教会などで振る舞い酒がなされ、町全体が昨日よりさらに浮ついた雰囲気になる。その分警備が厳しくなっているが、庶民には関係がない。
お金に困っていないヴァイオレットだが、この日は教会に対抗するかのごとく、各酒処も試飲会をしていたりして、普段飲まないお酒に手を伸ばしやすくなるのもあり、やはり浮かれてしまう。
朝食を軽めにすませて家をでたところで、ふと疑問になって尋ねた。
ヴァイオレットの知る限り、アルコールに年齢制限はなかった。あくまで一気のとる量は少なめにしようね、くらいのもので、なんならアルコール以外は水しか飲み物のない地域すらあった。
実際、振る舞い酒の話をした時だって、別に大きな反応もなかった。だからナディアとお酒の話をしたことがないが、普通に飲めるものだと思い込んでいた。だがもちろん、個人差と言うものはある。飲めたとして好きではないと言うこともあるだろう。
もっと早くに聞いてみるべきだった、と内心少し焦ってきたヴァイオレットだが、そんなヴァイオレットには気づかず、ナディアはゆっくりと家の鍵を閉めて振り向いた。
「はい? お酒ですか、まぁ、普通ですね」
「普通。お酒飲んでるの見たことないけど、酔いやすかったりしない?」
「うーん、そんなに量をのんだことはありませんけど、酔いやすいってことはないと思います。特に飲みたいとも思いませんけど」
「ならいいけど、とりあえず様子を見ながら飲もうか」
「マスターこそ、家では飲みませんよね」
「飲まないってことはないんだけどね」
今までもそれほど頻繁に飲酒の習慣があるわけではない。外で飲むか、家で飲む時は買った分を全て消費するので、家にストックはしない。なので特に、その気にならなければ意図せず禁酒しているのも珍しくはない。
だけどナディアと出会ってからは確かに、ルロイと数回飲んだ以外は一切お酒を飲んでいない。
「まぁあれだよ、ナディアと出会ってからの私は、いつもナディアに酔っているみたいなものだからね」
「……? え、どういう意味ですか?」
この言い回しは一般的ではなかったようで、全然通じない。普通に聞きかえされた。羞恥心が湧き上がってくるが、こらえてそっと、ヴァイオレットはナディアの手を取って少しだけ顔を寄せてナディアの瞳を覗き込む。
「いつも、ナディアに夢中ってことさ」
「……はぁ、マスタぁ、もー、どうして家を出てから言うんですかぁ? もう、馬鹿」
ナディアは何故か一度背伸びをしてから、熱い息を吐いてうっとりしながら、ヴァイオレットの手を握り返して軽く振りながらそう文句を言った。何せ、昨日から外ではいちゃつかないと約束したところだから。律儀に守ってくれているのだろう。可愛い。
そんなナディアの反応に。よしよし、と満足して頷き、ヴァイオレットはにまにま笑いながら謝罪する。
「ごめんごめん、さ、家を出たら秘密の恋人だから、節度あるお付き合いでお祭りを楽しもうね」
「秘密の、って、ふふ。なんだか、そう言う言い方をすると、どきどきしてきちゃいますね」
自分にも言い聞かせるように改めてそう宣言するヴァイオレットに、ナディアははにかんだ。うーむ、可愛すぎる。我慢して、握っている手を強く握り合いながら、とりあえず出発する。
「まずは教会だね」
「はい。エールがいただけるんですよね」
「そうだよ、麦は教会が管理しているから、エールをつくれるのは教会だけだからね。飲んだことはある?」
「え? 普通にあるんですけど。故郷ではお酒はなにもつくってませんけど、確か隣の村でお祭りの時にみんな飲んでましたから。でも、あの村に教会はなかったような気もしますけど」
「あー、確か、教会から許可もらってつくってるはずだよ。エールに限らず、パンをつくるにも許可がいるから、各村に必ず許可を持っているひとがいるはずだよ」
不思議そうな顔をするナディアに、何とか知識を引き出して補足する。ヴァイオレットの生活には全く必要ない知識なので、遠い記憶だけど、そんな話を聞いたことがある。
「え!? パンを焼くのに許可ですか? え。私全然知りませんでした!」
「まあ、販売さえしなければうるさく言われないから、個人でパンを焼いたからってすぐ問題にはならないけどね」
「そ、そうなんですね。ビックリしました」
ナディアの素直に驚いたと言わんばかりのまん丸瞳と、ほっとしたような胸を押さえる動作になごみながら、段々小麦について思い出してきた。
「例えばナディアの故郷では小麦はつくってないよね?」
「そうですね、ないです。パンは日常的に食べないですし、農業とかしていても自分が好きなものをつくるのが多いですし、小麦は加工が必要で面倒ですしね。考えてみれば、小麦を触ったのはこの街に来てからですね」
「あー……うん、まぁ、小麦作っているところは小さな村でも村長が許可とってるから、一通り麦使っても大丈夫なんだよ」
小麦をつくってない=パンまで作っていないとは思わなかったので、少し驚いたけれど、言われてみればエルフに正しい食生活とかないのだ。現在ナディアがヴァイオレットと同じ食事で、ヴァイオレットの為にバランスの取れた食事を作ってくれて、一緒に甘味を楽しんでいるのですっかり意識の外に言っていたけれど、石や生肉だけかじって生活できる種族だった。
ヴァイオレットの説明に、ナディアはふんふんと興味深そうにうなずいてから、ふう、とどこか遠くを見るように息をついた。
「そうだったんですね。なんていうか、マスターとお話ししてると、本当に私って、狭い世界にいたんだなーって時々思います」
「ん? まぁ、生活に必要ではない、身近にないものは、知ろうとしなければ知ることができないからね。ナディアだけじゃなくて、みんな、故郷をでれば多かれ少なかれそう思うよ。私も、生家を出た時はそうだったもん」
この世界に生まれて、父を看取ってから家をでて、それから色んな街を渡り歩いた。人里離れていて、たまに来る行商人と父の友人以外とはほぼ交流もなかった。色々と習ってはいても、人づてに聞くのと実際に見るのは大違いだ。それに文字として残されないことも沢山ある。
見るものすべてが目新しく、驚きの連続だった。それは悲しみを振り返る時間すらないほどだった。
「マスターもですか?」
「うん、もちろん。それどころか、最近までひどい勘違いをしてたことは、ナディアも知ってるでしょ?」
「勘違、あ、そ、そうでした。ふふ。ぁははは」
意外そうにするナディアに、苦笑しながら言うと、思い出したようで笑い出した。
確かに子供でも知っているような、子供のでき方すら知らなかったのだから、大人として恥ずかしくって笑ってしまうだろうけど、だけど実際に声に出して笑わなくてもいいのに。
ヴァイオレットは少し拗ねたような気持ちで、歩きながら軽く肩をぶつけて抗議する。
「ちょっとナディア、そこまで笑わなくてもいいでしょ?」
「す、すみません。ふふふ。でも、ふふ。悪い意味じゃないですよ? マスターが、可愛いなって思って」
「はいはい、可愛い可愛い。と、見えてきたね」
この街は、街と一口でいっても大きく、お祈りや墓地などとても一か所だけでは足りないので、教会は各地区に複数ある。一番大きなものは、大広場の近くにもありその分配布量も多いのだけど、どうしても外部からの人間がそこに集まることもあり、非常に混雑する。
なので街の東南側にある小規模の教会へ向かっていたのだけど、角を曲がって教会の屋根が見えたところで、教会の喧騒が二人の元まで届いた。
「ナディア、この辺りは比較的治安がいいとは言え、酔っ払いの集まりだからね。犯罪行為がなくても、普通にぶつかってきたりはあるから、私もできるだけナディアを守る気で入るけど、ナディアも気を付けてね」
「はい、わかりました。じゃあ、マスターのことは私が守りますね」
「うーん。まぁ、雰囲気になれるまではそのくらいの気概でいれば、間違いないか。よし、じゃあ、そういう事でいこう」
年下で外見的には華奢でか弱い小柄なナディアに守られる、と言うのはあまり歓迎できる展開ではないが、実際に弱いわけではないし、あくまでいつもよりは周りを注意しないといけない、と言うだけだ。
今日と言う日は、街全体で酔っ払いが多い分、そう言った隙だらけの者へむけてのスリが増えたり、酔っ払い同士の喧嘩があったりと、普段より治安が悪くなっている。
だが普通にしていれば特別狙われることもない。不注意での衝突や事故の発生確率があがっているので、それに気を付けるだけの話だ。
ナディアが気を付けて羽目を外さないようにすると言うなら、それ以上ケチをつけることもないだろう。
ヴァイオレットはナディアとけして離れないよう、きつく手を握りなおして教会へ入った。
この辺りは富裕層の住宅街なのもあって周辺の道路に出店は出せないので、教会の敷地内に3店ちょっとした飲食の出店があるだけだ。またいずれも教会の利益になるものであり、喜捨感覚の割高だ。そう言う事情もあって、今日のような日には他地区の人間があまり来ない教会でもある。
なのでお酒をもらう列に並んでいる人は多くないが、それなりに混んでいる。他の地区よりはかなり空いているのだが、普段はなかなか合わない人とも会ういいきっかけになるようで顔を出して歓談するような人が多いのだ。
この地区全体の人が集まるちょっとした集会みたいな感覚の人もいるだろう。そんなわけで、敷地内には多くの人がいる。
立食会のような人の流れをかいくぐり、配布酒の数人の列の最後尾に並ぶ。ナディアはきょろきょろと周りをみながら、こそこそとヴァイオレットに話しかける。
「何だか、思っていたのと少し雰囲気が違いますね」
「そう?」
「はい、何というか昨日まではかなり規模の大きい、さすが都会! って言う感じだったんですけど、これはなんだか、こう、近くの村の感じに似てますね」
「うーん、まぁ、そうかもね。ここはここの人たちだけで完結してる感じだから。最初に2人で飲むお酒だしね、多少落ち着いた方がいいかと思ってまずこっちに来たんだけど。次は中心の方に行くから、落差でびっくりしちゃうかもね」
普段に比べればずっと多くの人が集まり、住宅街の中になるのもあり周りが静かでその対比でこれは響き騒がしくは感じる。だけど初日の街の押し合いへし合うほどの街並みを見ていると、そんな印象になってしまうのも仕方ないだろう。
後ほどそちらにも行くつもりではあるけれど、まずは朝なのもあり、家から程々に近く大人しいところからにしたのだ。
「そうなんですね。でもそれだと、何だか、もったいない気もしてきました。最初のお酒なら、お家で飲んでもよかったですね」
「まぁ、機会がなかったからね。もしナディアも今日で、お酒を気にいれば、またゆっくり飲めばいいよ」
「はい、そうですね。ふふ、楽しみです」
「う、うん」
楽しみだと微笑んだナディアの、その笑みは妙に色っぽくて、ヴァイオレットは動揺を誤魔化しながら、順番が来たのでお酒を受け取った。




