機密について
「やった! 勝った!」
「やりましたね!」
ついに午前の最後の試合で、デビットが午後の本戦への出場を決めた。そこまで見ていると、最初はいい加減に選んだデビット選手にも思い入れができていて、勝利の判定にガッツポーズする程度になっていた。実に単純な二人だけど、その方が楽しめるのだからいいだろう。
この後はお昼休憩として、1時間半の空き時間になる。もちろん2人もお昼をとるつもりだ。ばっちり用意をしてきている。
鞄からお弁当を取り出す。小さなテーブルがついているので、バランスをとってうまく乗せる。少し離れたところ、入り口側の壁の隅にに、動かせる大きめのテーブルも置いてあるのだけど、面倒なのでこのままでいく。
「そう言えば、あーん。前に優勝した人とかも出ているんですか?」
「ん、ごくん。あーん。いや、一度でも優勝したら、歴代優勝者として記録されて、もう大会に出られないよ」
「あーん。そうなんですか。あ、マスター、ごめんなさい、次はこっちでしたね」
「ん。大丈夫だよ、どっちでも、ナディアが食べさせてくれて、美味しくない訳ないからね」
「えへへ、はい」
雑談しながらも、当然食事は食べさせ合う。もう慣れたもので、特に言わなくても相手が食べれるタイミングで口にいれていける。最初は一口ずつ一巡するのが恒例なので、間違ったとナディアが謝ったけど、そんなに厳密に決められているものでもないのだから、謝らなくてもいいのに。
でもそんな律儀なところも可愛い。ナディアは何をしていても可愛い。一度手を拭いて、照れたようにはにかむナディアの頭をなでなでする。
「……ひっでぇ面」
「!?」
二人きりの空間に、突如割り込む無粋な声に、ヴァイオレットは驚いて思わず立ち上がった。
「あ!」
「うわ、危ない危ない。ごめん、ありがとう、ナディア」
立ち上がった勢いで、椅子についているサイドテーブルからはみ出たお弁当にぶつかり、落ちかけたのをナディアが手を伸ばしてスーパーセーブしてくれた。慌ててヴァイオレットも手を添えて、元の位置に戻しながら謝罪した。
「いえ、大丈夫ですよ」
ナディアは自分がつくったお弁当にそんな粗雑な扱いをうけたにも関わらず、にこりと微笑んでくれた。まさに天使、と感動するヴァイオレット。しかしそんな天使から一転、ナディアは睨むように入り口、すなわち乱入者を見た。
「おいおい、なんだよ、その目は。いきなり声をかけたのは悪かったが、別にこっそり来たわけでもないし、そこまで驚かなくてもいいだろ」
「る、ルロイ。どうしてここに? 試合とか、興味あったっけ?」
「試合には興味ないが、お前がここにいるって聞いてな。まぁ、お邪魔だったみたいで、それは悪いが、お前、言ってもここは公共の場だぞ。いちゃつくにも限度があるだろ」
「っ……」
見られた。ナディアにデレデレしているところを、見られた。
別に悪いことをしたわけでもないし、ヴァイオレットがナディアに首ったけなのはもう伝わっている。前回、お礼を兼ねて一緒に飲んだ時にめちゃくちゃ惚気たし。だが、それと実際に見られるのは全く別だ。
めちゃくちゃに、恥ずかしい。いつもTPOをわきまえずにイチャイチャしているようなヴァイオレットだが、自分の中ではちゃんと線引きをしていたのだ。それは知り合いに見られているか否か、だ。
街中で手を繋いでいるくらいならいい。お店の奥で知らない人しかいない中、そっとあーんするくらいならいい。
だが、ルロイに、弟分に、あーん見られた。心にダメージが大きすぎる。
ヴァイオレットは羞恥で赤くなる顔を隠すため、何事もなかったかのように席についてルロイに背を向ける。そして一呼吸して喉の調子を整えてから、ゆっくりと発音する。
「以後、気を付けるよ。それで、何の用かな?」
「いや、大した用じゃないんだが」
「じゃあ今デート中なので遠慮してください」
「……え、なにお前、何でお前ちょっと偉そうなの? 俺、お前とヴァイオレットを出合わせた立役者だぞ?」
「確かにそうかもしれませんけど、でも、実際にルロイさんがいなかったとして、私とマスターは出会う運命だったので、大丈夫です」
「……お、おお、そうか」
ナディアがいちゃもんをつけて、ルロイがドン引きしている。その様子を背中で感じていると、少し冷静になれた。ヴァイオレットは深く呼吸をして気持ちを落ち着けてから、今度は自分がナディアに話しかける。
「ナディア、ごめんね、デート中なのに。ちょっとルロイと話してくるよ」
「……はい」
不満そうなナディアに、そっと頭を一撫でしてなだめ、手を離す。今までずっと固く握りしめていたその手を離すのはとても心細く感じられたけど、ルロイの前なのでそのまま我慢して立ち上がる。そしてルロイと共に部屋から出た。
「ごめんね、ルロイ。ちょっとナディアは気が高ぶっていたみたい」
「いや、まあ、あんな小娘に邪険にされたからって怒らねぇけどよ。お前、趣味悪いな」
「ちょっと気が強いのも、可愛いところなんだよ」
まだまだ若年のルロイにはわからないのだろう。ナディアはちょっぴり感情の起伏が激しくて、すぐ怒ったり笑ったりする。そこが素直なところであり、ナディアの心根の真摯さにもつながっているのだ。表面的なところしか見ていないルロイにはわからない、いやわからなくてもいい。
ナディアはただでさえあれほど可愛いのだから、心まで可憐でキュートで天使なことはヴァイオレットだけが知っていればいいのだ。
そう内心で悦に入るヴァイオレットに、ルロイはドン引きした様子を隠さずに呆れたため息をついた。
「だから、その顔、家でしろって。まじで、職場でする顔じゃねぇって。酷い顔だぞ」
「ぐ。そ、そんなひどい顔してる?」
「初孫抱いてるジジイみたいな顔だぞ」
「ちょ、さすがにひどくない? 私まだぴちぴちだよ」
「ぴ、ぴちぴちって、おまっ、わ、笑わせんなっ。くっ、くはははっ! ぴ、ぴちぴちっ! ぶふふっ」
爆笑された。自分で言ったことだが、腹が立つのでお腹を押さえて九の字になっていて目の前に来たルロイの頭を一発叩いておいた。
「ははっ、はー、殺す気かよ、てめぇ。国の損害だぞ」
「勝手に笑っただけでしょ。とにかく、ナディアが失礼な態度をとったのは悪かったし、代わって謝りはするけど、ナディアが可愛いのは事実なの。で、何の用?」
「ああ、お前の家の管理な、ルイズがしてもいいってよ」
「え、ほんとに? それはめちゃめちゃ助かるけど、まだ子供小さいのにいいの?」
「だからだろ、子連れで自分のペースで働ける楽な職場じゃねぇか。毎日じゃねぇし」
ルイズは結婚してから専業主婦だったのだ。それなのに急に子供を連れて働く必要があるようになるはずもない。ヴァイオレットのために気を使ってくれているのだろう。ありがたく、頼らせてもらうことにする。
「ありがとう、助かるよ」
「おう。詳しい条件は今度でいいぜ。あと、引き継ぎの件も決まったから、アーネストさんに週明けにでも話聞きに行けよ。次回の課題も決まったらしいしな」
「あ、ありがとう。わざわざ言いに来てくれて」
「おう。ま、アーネストさんと話していてお前がこの席申請してるってわかったから、昼食とるついでに来たんだが、あの空間にははいれねぇしな。余所行くわ」
「あー、うん、ごめんね。また、今度お礼するよ」
「おう、そうしろ。じゃあな」
「ありがとう、週明けにはついでに顔だすよ」
ルロイを見送り、角を曲がったところで部屋に戻ろうとして、ナディアが覗いていた。とてもジト目だ。でも別に後ろめたいことはない。仕事関連でもあるし、ナディアのための伝言でもあるのだから、普通に扉を開ける。
「……」
前に立っていたナディアはそのままじっとヴァイオレットを不満げに見ている。
「ごめんね、待たせて。さ、早く昼食食べようか」
「……はい」
「なに、なんで不機嫌なの? 内容聞いていたならわかるでしょ? 来年、ナディアのところに行けるようになるための準備の話だったんだよ?」
「そうですけど……大したことない話なら、室内で話してくれたらいいじゃないですか」
どうやら、手を離したのはお話しするのも仕方ないけど、わざわざナディアを置いて部屋からでて、ルロイと二人になったのが気に入らないようだ。
ナディアをなだめるように腰に手を回して、さっきと同じように席につくよう誘導する。そして座らせて、自身も隣の席につき、手を繋いだ状態になってから、まぁまぁとなだめる。
「そうだけど、もしかしたしたら、仕事に関わる機密だったかもしれないでしょ? 普段、仕事をする私を支えてくれているナディアに感謝しているけど、だからって、仕事の全部を教えることはできないんだ。それはわかってほしいな」
「そ……それは、私だってわかってますもん」
ぷぅ、と頬を膨らませた。ナディアもわかってはいるけど、デート中だったのに邪魔されたとか、結果として内容は別に聞いても問題なかったし、最初に大した話じゃないと言っていたのに部屋を出た、と言うのが引っかかっているのだろう。
確かにヴァイオレットが少し慎重すぎたかもしれないけど、ルロイは普段首輪労働者の扱いに慣れているだけに、首輪をつけているナディアの前では機密をもらすのに何の抵抗もない可能性もあるのだ。なにせ首輪があれば、秘密だ、と一言命じれば守れるのだから。
だけどヴァイオレットはナディアには極力そうしたくない。だから念のためにそうしたのだ。むしろ、こっそり聞き耳をたてているナディアに、もう少し自重してほしい。ナディアにとってはヴァイオレットもルロイも知っているから、深く考えずにそうしたのだろうけど。
改めて、ヴァイオレットの仕事は重要な機密を扱うこともあるので、ナディアの為にもそう言ったことは今後しないでほしいと、詳しく説明してお願いした。万が一、二人きりだとして、そんなおかしなことは絶対にない。だから仕事に関してだけは、詳細を秘密にしたとして、疑ってほしくない。
「ナディア、私が愛しているのは、ナディアだけだよ。信じて」
「……はい、マスター。私こそ、すみません。お仕事なのに、わがまま言って」
ヴァイオレットの説明にしょんぼりして反省したナディアだけど、今日はお祭りなのだから、暗い顔は似合わない。ヴァイオレットはナディアに顔をよせて、耳に軽くキスをして慰め、赤くなるナディアに、至近距離のまま微笑む。
「いいんだよ、ナディア。嫉妬してくれるほど思われていることは、とっても嬉しいからね。さ、お昼にしよ」
「はいっ」
そしてお昼をたべ、試合を全力で楽しんだ。




