観覧席
「……」
「ん? ナディア?」
反省しながら、人気のない廊下を競技場へ向かって改めて歩き出そうとして、手を繋いでいるナディアが立ち止まっているので振り向くと、不満そうに唇を尖らせていた。
「あの、怒ってる? 私が浮かれて、腕組もうとか言いだしたから」
「違いますー。なんでそうなるんですか、私が不満なのは、どうしてあの人に言われてすぐ腕組むのやめるってなるんですか。あんなの無視すればいいじゃないですか」
「えー、いや、まぁ、城勤めとして先輩だし、実年齢でも年上のご年配だし、言ってることも間違ってないしね」
自分から腕組みを提案しておいて、昨日の今日で勝手にやめるのだから不満に思うのも無理はないけれど、そこはほら、そう言う見方もあるとわかったのだから仕方ない。何とか理解してもらいたい。
なだめるように肩をよせて繋いだままの手をもちあげて、軽くナディアの体を叩く。ナディアは唇を尖らせたまま、つーんと顔を横に向けて視線だけちろりとヴァイオレットに向ける。
「……私がマスターの従者と言う立場なのに、いちゃいちゃしていたらマスターが変な目で見られることもあるってことですよね」
「うん、まぁ」
「でも街でも普通にデートしてましたし、大丈夫だったじゃないですか」
「基本的にはそうだけど、ごく一部には首輪労働者と言うシステムを批判する人もまだいるからね。そう言う人にとっては、ナディアは私に虐げられている、強制されているって見られてしまう可能性があるってことなんだ。私も考えが足りなかったよ、ごめんね?」
「じゃあっ」
謝罪するヴァイオレットに何かが逆鱗にふれたのか、ナディアは怒鳴るように勢いよくヴァイオレットに顔を向けて声をあげ、だけどそこでとまった。
口をあけて眉を逆立てた状態で、ほんの数秒かたまり、ゆっくりと眉尻がさがってしゅんとうつむいた。
「……う、うー。わ、私……ごめんなさい」
「え? 別にナディアが謝ることはないでしょ? 私が教えてなかったんだから」
「そうじゃなくて、首輪とか、私にとるとかとらないとか、そもそも、そう言う権利ないですし、でも、今、じゃあ、首輪をとるって、言いそうになって。私、マスターに借金している身なのに」
「ちょ、ちょっとナディアさん? 急にネガティブになるのやめよ? 借金とかじゃないから。普通に、契約した対等のお仕事関係で出会って、ごく自然にひかれあった婚約者だからね? ナディアと出会ったことを思えば、お金なんてどうでもいいんだよ。愛はお金にかえられないんだから。私は、今まで通りのいつものナディアが好きだから、そういう事は言わないで、ね?」
「……」
あ、ニヤニヤしだした。単純でとても可愛い。こういうところもとても好きだなぁ、と思いながら、ヴァイオレットは空いている手でよしよしとナディアの頭を撫でる。
「とりあえず、人目のあるところではちょっとだけ我慢して、その分二人きりの時は、今まで以上にいちゃいちゃすればいいでしょ? で、やっぱりその首輪は結婚するまでにはとる方向で。わかってくれるね?」
「……はい。わがまま言ってごめんなさい」
「何言ってるの、全然我儘じゃないでしょ。私が振り回したんだし。それに、もし我儘だとしても、好きな子といちゃいちゃしたいって言われるなんて、我儘じゃなくてむしろご褒美だよ。ありがとう、思ってくれてるのが伝わってきて、とても嬉しいよ」
「っ、マスター」
ナディアは瞳をうるませ、右手で口元を抑えて、周囲を見回してからそっとヴァイオレットの耳元に顔をよせ、内緒話をする体勢になる。ヴァイオレットもそれに頭ごと傾ける。
「ありがとうございます、私も大好きですっ」
耳がくすぐったいほどの距離でささやかれた。人にいちゃいちゃするのを見られないようにと言ったから、内緒話にしたのだろうけど、可愛すぎて心臓が蕩けてしまいそうだ。
ヴァイオレットは抱きしめたくなったけど、さすがに我慢して、微笑みで返した。
「ありがとう、じゃあ、そろそろ行こうか」
「はいっ」
○
何はともあれ、今日の予定に変更はない。ちょっとばかり立ち話をしたとは言え、まだまだ時間には余裕がある。ナディアとは主人と従者として適切な距離を保ち(保てていない)、目的地である特別観覧室の一つに入った。
宮廷魔法使い用の枠があり、その一つをもらったのだ。基本的に宮廷魔法使いはこの公開試合に興味がない、と言うか見たければ別に城内に入れるのだから、普段から申請すれば演習の見学くらいできるのだ。例年ミーハーな新人くらいしか希望者はいないのでぎりぎりの申請でも通ったのだ。申請期限を過ぎると、他の部署などに枠が移動するので本当にぎりぎりだったが、間に合ったのだから問題ない。
「ここですか。わぁ、なんだか、面白いですねぇ。劇場より広いです」
「まぁ、動く範囲が違うからね」
会場は円形の大きな大地の演習場を囲うように高い塀があり、その上にすり鉢状に席が積み重なっていき、どの席からでもまんべんなく見えるようになっている。
万が一の際にも危険がないよう距離がとられ、さらにその上は個室になっている特別観覧室が連なっているような構造だ。個室ではない一般観覧席は席がずらりと並び知らない人とも肩を並べ、トイレにも行くにも気をつかうところもあるのだが、距離が近く、直接声などが聞こえると言うことで一部貴族にも人気があったりする。
上の特別観覧席でも音声が聞こえるよう、魔法具が使われているが、好きな人には直接と魔法具越しには大きな差があるらしい。
特別観覧席は安全のためにも個室状になっていて外から中の人がわからないよう、腰から下は全て壁で隠れ、上も屋根が斜めにかかるようになっている。部屋で言えば窓にあたる部分には窓ガラスはなく、空間的にはつながっている構造だが、席についていれば会場は見えるが、他の閲覧室等ともお互いに見えにくく音も聞こえにくくなっている。
「へー、こういう構造になってるんですねぇ」
ナディアは窓部分に近寄り、手をついて身を乗り出す。横にも見えにくいよう、窓よりさらに突き出すように壁が少しあるので、もし他のところから身を乗り出しても、上下左右を伺うこともできなくなっている。ただもちろん、円形状なのである程度離れると見えてしまうけれど。体さえ出さなければ反対からも見えにくくなっている。
「ナディア、危ないからほら、席について」
「席につくと見えにくくないですか?」
「一回座ってみて?」
「わかりました」
先に中央にある席についてから促すと、ナディアは振り向いて不信そうにしながらも素直に隣の席についた。
「あれ、思ったより、と言いますか、見やすいですね。下向きに見えていたのに、座ると自然に見えると言いますか」
「角度的な問題だね。そう言う風に計算されているんだから。さ、飲み物もあるし、ゆっくりしよう」
「はい。そうですね」
鞄から飲み物や軽食など用意していた物を取り出し、椅子に取り付けられているサイドテーブルに乗せていく。
「それにしても、結構大きい部屋ですよね」
「まぁ、他になくて」
この特別閲覧室は5人席だが、他に利用者はいない。その気になればもう少し椅子を増やせるくらいの余裕のある配置なので、申し訳なくなるくらいの広めのスペースを二人で占有していることになる。他にも利用希望者がいれば共同で使うこともあり、話が変わってくるのだけど、申請時にはヴァイオレットだけで使うと聞いたので、それから増えていない限りは誰も来ないだろう。
椅子は一つずつ独立し、座って話ができる程度の間隔で置かれている。真ん中の二つを隣り合うよう寄せて座ったので、より部屋は広く感じられる。
「多分、他に人はこないし、二人きりだよ」
「ん……もう、ふふ。マスターったら。さっき、あんな風に自分から言ったくせに、もう我慢できないんですか?」
二人きり、と言ったから、もっと寄り添いたいと思われたようで、ナディアは肘かけにおいているヴァイオレットの手を取り、自身の頬に当てながら意味深な笑みを浮かべる。
ヴァイオレットは、気兼ねせずゆっくりできる、くらいの気持ちで言ったのだけど、ナディアがその気なら断ることはない。先ほどのことがしこりとして残らないなら、ちょうどいいくらいだ。
話しにのって、ヴァイオレットはナディアの頬にあてられた手で、そっとその頬をなでて指先で耳たぶをふにふにする。
「そんな意地悪な言い方しないでよ。ナディアと公にいちゃいちゃするのは止めておこうってだけで、私の思いは何も変わってないんだから、いつだってナディアといちゃいちゃしたいと思ってるよ」
「ふふっ、意地悪だなんて。そんなことしてませーん。私はいつでも、マスターには素直です」
「そうだね、ナディアはいつでも、素直で可愛いよ」
「んふ、くすぐったいですよぉ」
そうしてじゃれていると、やがて時間がきた。笛の音が鳴り響き、注意を引かれて普通につないだ手を肘かけにおいて会場へと視線をやると、中心に立派な鎧をきた人がおり、その前にはいつの間にか軽装備の兵隊たちが整列している。
そうしてちょっぴり長く、建国祭を祝い日頃の成果を見せるこの大会の趣旨を説明し、今日の段取りを説明してから、整列している兵隊たちが日ごろの練習の説明と称して型などを披露してくれる。
それらは新人たちの中で素行が良く出来のいい、いわば見込みのある者たちが選ばれるので、これのお陰で新人たちの規律順守にも一役買っているらしい。
「へー、昨日の行進もそうでしたけど、これだけ揃っていると、何というか、凄いですよね」
「そうだね。練度の高さがうかがえるよね」
しかしそれにしても、ナディアは狩りが好きでも戦闘そのものに興味があったり習ったりしていたわけではないらしいが、それでも興味深そうにしている。
楽しんでいるならそれでいいのだけど、それにしても、何かに夢中になっているのを横から見ると言うのは、いいものだ。
劇の時は暗かったけれど、今ははっきりと見えるので、瞳のきらめきもわかるほどだ。わくわくした子供らしさもあり、微笑ましささえ感じる。




