二日目
お祭り二日目の今日は、朝10時から始まる公開試合を見に行く。
と言っても、時間の概念はあっても各家庭に時計があるわけでもなく、定期的にならされる時報の鐘の音や太陽をみてのおおざっぱな感覚なので、きっちりとは始まらない。
こういった公式のイベントでは遅れてしまう人を基準にして、10時と言えば10時半ほどに始まるのが定例だ。
なので急ぐ必要はないのだけど、今日もナディアが完璧に用意してくれているので、いつもより遅く8時過ぎに目を覚ましたヴァイオレットだけど9時には行き支度ができてしまった。
ナディアは備え付けている部屋の時計を見て、そろそろかとそわそわしている。ナディアの地元では鐘もなく完全に日時計感覚だったはずだけど、その感覚が鋭く元々正確だったのか、はたまたザルだったからこそすぐ時計文化に馴染んだのかはわからないが、時間にはきっちりしている方だ。
ヴァイオレットは元の世界の感覚で、家の各部屋に時計を備え付けてそれを基準にしてはいるが、他の世間はルーズなのもありなれた今はすっかり遅め遅めで行動する習慣ができている。
なのでまだ早いよなぁ、とは思うのだけど、ナディアが楽しみなら仕方ない。早めに出て悪いこともないので、出発することにした。
「あれ? 今日は少し、静かな感じですね?」
家を出る時から腕を組んで、改めて朝一から味わうと気持ちいいと思っていると、大通りに出るところでナディアが首を傾げた。
店の並びなどは変わっていないが、昨日と同じような時間なのに明らかに人が減っているのは見てわかる。
だけどそれも当たり前の話なのだ。
まず一つ目に、昨日が初日であり、何より王族のご尊顔をこの距離でお目にかかれるなんてのは滅多にない貴重なイベントで、その人たちが道で場所をとりあい、待つ間も路上店を見て回るのでより騒がしくなる。
そして何より二つ目の理由として今日のメインイベントの試合がありその席は事前に予約されているが、立ち見と言う当日券があるので朝から並んでいるのだ。そして席をとっている人はその立ち見の人と同時だと混雑しすぎるので逆にゆっくりと行くのが恒例なので、自然と昨日の街並みより静かになっているのだ。
それでも外部からの客も多いので、日常よりはずっと賑わっているのだけど。
「そういう事だったんですね。私たちはこの時間に行って大丈夫なんですか?」
説明するとナディアは大きく首を縦にふって感心したように周りを見る。改めて見て見ると、街中は旅装や、すこしこの街とは雰囲気の違う服を着ている人が目につく印象だ。
「大丈夫だよ。一般席とは別のところだからね」
「そうなんですか?」
「うん。混ぜてしまうと混乱したり、警備上の問題もあるからね」
ヴァイオレット自体は普通に街を歩く一般人ではあるが、基本的に宮廷関係者に接触したい人間と一緒にするのは危険と言うこともあるし、貴族だって一般と並べると軋轢だけでなくテロの標的になる可能性だって考えられる。なので普通に分けられている。
人数比による競争率からいって、一般の人には申し訳ない気もするが、だからこそヴァイオレットが一般席をつかって一つでも少なくするわけにはいかないので、ここは堂々と関係者席を利用させてもらう。
「あれ、そっちから行くんですか?」
「いつもの正面はちょっとね、混んでるから、それを無視して行くと感じ悪いでしょ」
普段の仕事の際に使用する正面門は多人数が一度に通っても問題ないようセキュリティ等しっかりしているので、今回のようなイベントにも使用される。だがもちろん今日だって仕事の為に登城する者もいる。
目的が違うので列に並ばずに通れるべきだが、行列の横を素通りすると言うのは感情的にも、混雑対策としても難しいので、特別に関係者は別の門から出入りすることになっている。
その為、いつもよりしっかりと身分証の確認がされるが、それさえすれば列に並ばず、反感をかうこともなく正面門からは見えない門からスムーズに入れる。
「よくわかりませんけど、いつもと違う門から行くことはわかりました。と言っても、私は数えるほどしかないですし、中に入るのは実質二回目なので、ちょっと、緊張してきました」
短い間とは言え、逮捕され保護されている期間は中で滞在していたはずだけど、門を通って中に入ることだけで言えばこれが二回目になるのか。
そう考えると、ヴァイオレットは気合をいれたように眉尻をあげた顔になったナディアが可愛くて、微笑ましくも笑いながら、よしよしと軽く空いている手で頭を撫でる。
「大丈夫だよ、私がいるからね」
「マスター」
頼もしそうに見上げてくるナディアに、得意げにヴァイオレットは笑顔で応える。職場なので当たり前の話なのだけど、ちゃんと喜んでくれるナディアは天使だ。
とにかく、いつもと違う門へ向かう。中央門の行列を通り過ぎ、西側にある湖側から細い道を通り、食料等の納入が行われる業者用の門へとたどり着く。納入の為、裏通りではあるが太めの道に面していて、門自体も大きめで、即席で職員確認用受付も設置されており、ちゃんと入門用になっている。
お祭りと言うこともあって、普段よりは働く人も少ないのでこれで十分なのだろう。休日となっている者ははいれないが、ヴァイオレットのような研究職には休日の概念がないのでいつでも入れる。
「おはようございます、身分証、ああ、ヴァイオレットさん。身分証をお願いします」
通勤時間とずれているので空いている受付に近寄ると、声をかけながら手元の書類から顔をあげた受付員がヴァイオレットに気が付いた。
ヴァイオレットほどの勤務歴かつ登城率になると、よほどの新人でなければ大抵顔見知りになっている。特に宮廷魔法使いは自宅に籠って年に数回しか城に行かなかったりするものも多い中では頻繁に行っており、またそもそも出入り時間が大抵空き時間なので覚えられやすいのだ。
「おはようございます、今日も仕事なんですね。お疲れ様です」
「ええ、まぁ。身分証、お願いします」
「はい。ナディアも出して」
「は、はい!」
ナディアは腕を組むのをやめて、緊張しているのか固い表情でぎくしゃくと鞄から身分証をだして渡した。
相手は勤続30年の大ベテランで、受付員たちを統括する立場にあるのに、現役で現場に立ち続ける人だ。ヴァイオレットはここでしか会わないし、部署も違うので先輩後輩と言う強い力関係があるわけでもないが、しかし厳しい人ではあるし最初の頃に身分証を失くしてしこたま怒られたこともあり、苦手意識がある。なので特に口を挟まない。
「はい、確に、ん? ヴァイオレットさん、彼女は家族ではなく首輪労働者なのですね?」
「ん? そうですけど、身分証として問題はないですよね?」
「身分証としては問題はありませんけれど、今腕を組んでいましたよね? 首輪労働者にそう言ったことを強制するのは違法ですけど、大丈夫ですか?」
「え、いやいや、ちゃんと見てください。嫌がってないでしょう?」
慌てて否定するも、受付員はいつも通りのローテンションの無表情のまま、受け取った身分証を返して平然とヴァイオレットを見返す。
「嫌がってないとして、それが主人への媚売りと言う可能性もありますから。まあ、ヴァイオレットさんが、とは考えにくいですけど、騙されている可能性もあるわけですし、そもそも首輪労働者のままそう言う関係になるのはどうかと思います。受付としては問題ありませんけど」
かなり直球で失礼なことを言ってくれるけれど、ヴァイオレットのことを気遣って言ってくれているのはわかる。厳しい人ではあるが、こう言ったイベント等があり他の人が休みたがる日に率先して勤務する真面目な人なのだ。
なのでヴァイオレットも腹が立つこともなく、むしろ、首輪労働者は世間的に認められてきていると認識を変えて、本人も望んでいるので首輪をどうしようかと思っていたところに、城勤めのベテランの意見を聞けたのはちょうどいい機会だと言える。
「うーん、来年、彼女の故郷へ行って本気で結婚するつもりではいるのですけれど、手続き的にはどうなっているのでしょうか?」
「私は受付なので、そこは人事に確認してもらいたいのですけど、以前に貴族であった例ですと、結婚してからは書類上の身分は書き換わってましたね。首輪がついていたか、まではわかりませんけど、とりあえず、実際に結婚をされるまでは誤解がないようにされた方がいいですよ」
「上司にも報告はしていますので、そう言う手続きもしてもらっているはずなんですけど」
「アーネスト様ですね。なら手続きにも問題ないと思いますけど、ヴァイオレットさんはただの雇い主ではなく、名誉ある宮廷魔法使いなのですから、たった一人にでも誤解を受けないよう、人目のあるところでの立ち居振る舞いには注意いただきたいです」
「はい。忠告ありがとうございます」
「はい、それでは、折角の建国祭ですから、どうぞ、楽しんでください、もちろん、注意していただいた上でですけど」
「は、はい」
立ち去ろうとして、ナディアと再び腕を組もうとしたところで再度忠告されて、ヴァイオレットはぎこちなく愛想笑いを返しながら、ナディアの手をとって腕組みを阻止して、早足で城内へむかった。
「ふぅ……焦った。ものすごく普通に腕組もうとしてしまった」
さすがに、注意されたその場でと言うのはない。内容だっておかしなものではなく、あくまで人目のあるところではいちゃいちゃし過ぎるなと言うことだ。
世間の目が変わってきたとはいえ、首輪労働者なのに? と思う人がたった一人でもいれば、それが城で働く全員への疑念になることもあるのだから、正式になるまでは節度をもてと言うことはなんら不思議ではない。
言わんとすることは、ごく真面目な彼女にとっては普通のことで、とくにヴァイオレットを目の敵にしてと言うことでもない。
だから了承して、外では控えようと思ったのに当たり前に腕を組んでいちゃつこうとしたのだから、さすがにない。ナディアとくっつくのが当たり前すぎて感覚が麻痺しかけていた。




