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根回し

「旅行ねぇ、まぁ、いいけどよ。お前、そんなに溺愛するタイプだったんだな」

「溺愛? まぁ、年がはなれてるから、甘やかしてあげたくはなるけどね」

「いや自覚なさすぎだろ」


 上司に話を通すのは簡単だ。基本的に宮廷魔法使いは研究さえ認められれば、具体的な進行がなくても考査も通るし、通らなくてもそれまでの功績によって数回は許される。ヴァイオレットなら一年、すなわち2回分くらいは通らなくても首にはならない。

 だがじゃあ無視していいかと言うとそんなことはない。何も言わずに無視すれば、普通に評価に影響がでる。だがちゃんと話を通してお願いすれば、ヴァイオレットくらいの経歴があれば考査用論文を郵送で行い、また多少の遅れを考慮してもらうことは可能だ。

 なのでとりあえず今研究している内容はそのまま人に引き継いでもらい、他の新規研究をしてその分の論文をあげることで代替としてもらうことにするとして、まずその話を上司に持って行く前に、誰に引き継がせるかを考えないといけない。


 部下も弟子もいないヴァイオレットに、引き継がせられる相手は数えるほどしかいない。なのでルロイの元で助手をしていて、ヴァイオレットがかつて指導員をした一人にお願いできないかと思い、ルロイに話を通しにきたのだ。


「とにかく、誰かお願いしたいんだけど。誰か、独立したがってる人とかいない?」


 ルロイの助手はいずれも勤続5年以上のベテランたちだ。その下の研究員はともかく、助手は全員性格も知っていて真面目だし、誰にでも引き継げる安心感がある。

 なのでこの際、ルロイの研究室は新たな研究に手を付けられないのだから、新規開拓したがっている助手がいればと思ったのだ。普通は助手は自分の研究をもてないが、ルロイの助手だけは宮廷魔法使いの地位から降格したのではない人がやっている。それだけ精密さ、機密保持が求められているのだ。


 だが、ルロイははっ、と呆れたように息をつきながら、ヴァイオレットが引継ぎ準備用にまとめた今の自分の研研究書類を机に置いた。


「うちにはいないっての。そう調整されてるんだから。だが、まぁ、ここまで形になっているなら、振り先は大丈夫だろ。それこそ春にでるなら、新人に振ってみたらどうだ?」

「え、できるかな? そうはいっても、まだ材料と触媒のどちらも試行錯誤中だし」

「絞り込みまでしてるし、監督役するくらいだろ。むしろベテラン直属の職人と顔合わせできるってんで、2、3年目でもやりたがるやつもいるだろ」

「そう言われると、あんまり変な人は紹介できないよねぇ」


 確かに、その発想はなかった。だがそうとなればまた選定基準も変わってくる。安心して任せたいと思っていたが、ルロイが新人でも大丈夫だと言うなら、まぁ最悪帰ってからフォローしてもいいのだから、相手は誰でも大丈夫なのだろう。

 なら後輩で、今手が空いている人にお願いできないか聞いてみるのも手だろう。さすがにまるきり新人にとはならないが、初めて新人の指導を受け持つ人にもちょうどいいかもしれない。


 そういう事なら、全体の進捗をわかっている上司にそのまま話してみてもいいだろう。一応、比較的上司に気に入られているルロイにもどう思う? と聞いてみたらいいんじゃね、と言われた。


「そんな長期休暇取る例も少ないが、事情が事情だし、研究に遅れがないなら普通にOKでるだろ。アーネストさんはあれで話が分かる人だぞ」


 それはルロイの功績が大きすぎるだけだ。とは思うが、とにかくこの調子なら大丈夫そうだ。あくまで一度相談してみて、と言うことなので、駄目そうならすぐに前言撤回すればいいだろう。









「ふむ、なるほど。そこそこ進んでるな。これなら春には引き継いでもいいだろう。引継ぎ先は私が世話してもいい」

「あ、ありがとうございます」

「が、その代わり次の研究テーマも決めさせてもらうぞ」

「よ、よろしくお願いします」


 研究テーマはある程度国策にのっとったものがあり、それが割り振られるのだけど、向き不向きもあり好きにやらせた方が成果の出る変わり者の多い職場なので、テーマを拒否することはできる。その全体をみて、最低限必要な研究をさせるのが上司の仕事でもある。

 ヴァイオレットも色々と個人的に研究したいことはあるのだけど、いくつもありすぎて、これぞ! 今はこれしか考えられない! と言うこだわりがないので、割と便利に必要枠埋めに使われていたりする。

 そしてそれを今後も続けることで、今回配慮してもらえると言うことのようだ。今までも割と受け入れてきた甲斐があったと言うものだ。


「テーマは追って告げるが、難度の高いものになることは覚悟しておけ」

「わ、わかりました」


 あえて難度の高い、と言う前振りをされると少し怖いが、まぁ大丈夫だろう。

 とにかく、これでまず一つ目の懸念はなくなった。あとはできるだけ研究をすすめて、職人にも話を通しておけば、長期旅行も可能だ。

 それはさすがに今日ではない。一応先日顔を合わせた時に、旅行に行くかも知れないとは伝えておいた。なので来週訪問する際でいいだろう。


 とにかく、胸をなでおろす。

 これで仕事に関してはいいだろう。後はそれ以外だ。仕事が問題ないとは言え、じゃあ後は何の憂いもないかと言えばそうではない。 その間誰かを雇って、定期的に家の管理をしてもらう必要もある。離れているとは言え、住宅街に住んでいるのだから、不審に思われても対外的に問題だ。周りにも一応一言言っておかないといけない。


 仕事は専門の仲介屋であるギルドに回すのが一般的だが、しかし機密とまでいかなくても貴重品も数多い。信頼のおける人物にお願いしたいこと、また毎日お願いするほどの内容ではなくこれを専門職にしてもらうほどの仕事量ではないことを考慮して、すでに生活に余裕がある人がついでにするくらいがいい。

 となると、知り合いを経由して頼むのがいいだろう。友人をあたってみよう。


 と考えながらヴァイオレットは城をあとにした。









「ただいまー」

「おかえりなさい、マスター。今日はいつもより早く帰れたんですね。夕食は、もう少しだけ待っててくださいね」

「ありがとう、焦らなくて大丈夫だよ。私のことはいいから、続きをして」

「はい。わかりました」


 家に帰り声をかけると、すかさずナディアが顔をだして迎えてくれる。それだけで今日の疲れが吹き飛ぶようだ。最初の頃は大したことない時まで荷物持ちまでしてくれようとしていたけど、時間が不規則なのもあってやめてもらっている。

 わざわざ玄関口まで来てもらうのも本当は申し訳ない。だけどそれは、嬉しすぎて、もういいよとは言えないでいる。だから今もナディアは、どこに居ても靴を脱いでいる間に玄関まできて声をかけてくれる。それが本当に嬉しくて、それだけで幸せな気持ちに浸れる。


 なので今日も今日とていい気分になったヴァイオレットは、部屋に荷物をおいて、手洗いをしてから台所に行く。いつもより早く帰ってきたので、ナディアはまだ始めたばかりのようで下ごしらえをしてくれているところだった。

 その後姿の、なんて可愛いことか。何度も見ていても、見るたびににやけてしまう。シンプルな給仕服にエプロンドレス。後ろから見ると、エプロンの結んだ紐の先が揺れているのだけど、それがいつでも似合っている。


 つい先日、ナディアに手をなめられることを犠牲にして、髪形を変えてもらえることになってから今日で3日目だ。二日目の昨日は二つにわけた三つ編みだった。毛先をいつまでも揉んでいたくなるし、すごく清楚で可愛かった。

 今日はサイドが三つ編みになっていてそれが後頭部でまとめられている。全体的にはロングヘアのままなのだけど、その一か所のヘアアレンジで全く印象が変わってくる。凄く女の子っぽくて可愛い。


 今までは意識しなかったけど、この三つ編みの形がナディアにはめちゃくちゃ似合っている。昨日のシンプルな三つ編みもとてもよかった。長いので全体的には細く見える三つ編みがすっきりして清潔感のある綺麗さを引き立てていた。


「ナディアは本当、三つ編みが似合うよね。今のその髪形も可愛いし」

「ふふ、マスター。朝も褒めてくださったのに、そんなに気にいったんですか?」

「言ったけど、本当に可愛いから、言いたくなったんだよ」

「もー、そんなに褒められたら、手元狂っちゃいますよ」

「え、あ、ごめんごめん。黙って待つよ」

「黙らなくてもいいですけど、ふふ。もう少しですからね」

「うん」


 ナディアの母親みたいな物言いに、おかしくなって、だけど当たり前みたいな自然な言い方はどこか懐かしくて、胸の奥が熱くなった。

 母の姿はもう思い出せないけれど。でもこれから、ナディアは家族になり、いずれは母になってくれるんだと思うと、悲しみとか寂しさとは無縁の、ただの喜びで胸が満たされる。


 ぼんやりとナディアに見とれて、そしていつかの未来を夢想していると、すぐにいい匂いがしてきて、食事ができあがった。


「お待たせしました、マスター」

「ううん、待ってないよ。手際がいいね」

「ふふ、まあそれほどでもありますけど。さ、夕食にしましょうか」

「うん、ありがとう」


 ナディアと並んで食事をとる。食事をとりながら、色々なことを話すのが毎日のことだ。それはナディアの一日だったりもするけど、今日はヴァイオレットが来年の旅行の為に仕事の都合をある程度つけてきたことを報告した。


「あ、そっか、1年以上家を空けるなら、誰かに見てもらわないといけないんですね」

「そうだね。不用心だし、空気の入れ替えとかしておいてもらわないと、家自体が傷むみたいだね」

「盲点でした。正直、知らない人に家に入られるのはあんまりいい気持ちはしませんけど、しょうがないですね」

「うん、だから一応、学生時代の友人とか声かけて見て、本人は無理だけど知り合いとか親戚に確認してくれるってことになったから、返事待ちだよ」

「うーん、まぁ、全然知らない人よりはマシですね」

「だね」


 大したことない普通の会話だけど、ナディアが当たり前のようにこの家を自分の家として感じてくれているのが何となく嬉しい。

 そんなささやかな幸福も、全部ナディアのお陰で感じているのだと思うと、彼女の存在が愛おしいなと感じられて、ヴァイオレットは脈絡なくナディアの頭を撫でた。

 ナディアは首を傾げてから、嬉しそうに手にすり寄ってきた。可愛い。


 いちゃいちゃしながらも、冷めないうちに夕食は食べた。

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