手汗
「じゃあ、次は私の番ですね」
「うん、それはいいけど、今日するんだ」
「はい!」
ナディアの首へのキスは、真っ赤になると同時にお風呂に入る時間になったので終了した。お互いの入浴後、いつものようにナディアが部屋に来てくれて少しだけお話しする夜、ナディアはそう元気に返事した。
「うーん、それはもちろん、いいんだけど。夜だし、さすがに汗かいてないからさ」
「あ、そう言えばそうですね」
暦の上ではすっかり秋である。まだ日中は残暑の残る日もあるが、少なくとも夜は涼しく窓を閉めているくらいだ。
「そう言えばって、そう言えばだけど、ナディアって基本的に気温関係ないんだよね? じゃああんまり汗かいてない? かいてた気もするんだけど」
「なしではないですね。流れるほど汗をかくことは滅多にありませんけど、汗をかく機能は普通にありますし、緊張による手汗とかはマスターたちと同じくらい出てると思います」
「あ、そっか、手汗かいてるね」
思い出してみれば、ナディアと手を繋いだ時に手汗を感じた記憶もなくはない。その時は自身もかいていたりして気にすることはなかったけれど。
そもそも触れた時にべたついて汗を感じたとしても、ナディアの汗かどうか咄嗟にわかるほど、ナディアが汗だくな記憶はないので無理もないけれど、思い返してナディアも発汗機能があることに納得した。
しかしそんなヴァイオレットに、ナディアはちょっと嫌そうに口の端をさげた。
「……あの、あんまり汗かいてるとか言われたくないです」
「え? 汗なめたいとか言ってる人のセリフ?」
「マスターの汗は話が別です」
「別じゃないけど。まあとにかく、先に汗をかく必要があるから、ちょっと待ってね」
「はい。いいですけど、今のままで汗かけます?」
「手を繋いでおけば、まあ、可能かな」
「ん、いいですね。じゃあ、楽しみに待ちながら、ゆっくりしましょうか」
涼しいけれど、人間同士が手を繋げば温度はあがるし、相手がナディアならなおさらだ。ヴァイオレットの提案に、ナディアはにこっと笑って嬉しそうにヴァイオレットの手を取った。
自然なその仕草と、握られた手の感触、そしてなにより積極的にせめてくる楽しそうなその笑顔に、思わずドキドキしてきてしまう。
「な、何だか、どきどきしちゃうなぁ」
「ふふ、可愛いです」
笑って冗談チックに誤魔化そうとするヴァイオレットに、ナディアは笑みを深めてぎゅっと握る力を強くして、ずずいと隣り合って座っていた距離を寄せて0にした。
思わず引きそうになってしまうのを、左手を後ろ手について耐えた。
「な、ナディア、何だかぐいぐい来るね」
「む、なんですか、その言い方。駄目なんですか?」
「あ、いや、駄目じゃないよ、もちろん。ただ、いつもと違って、ドキドキしちゃうなって」
「……ふふ。マスター、私、積極的で格好いいマスターも好きですし、意地悪なマスターも好きですけど、そうやってちょっと恐がってるみたいなマスターも、好きですよ」
「……私も、可愛く反応してすぐ嫌がる振りするのに本当はノリノリな可愛いナディアも、こうして積極的になるナディアも好きだよ」
受け身状態も、こう言った攻め状態も、どちらのナディアも好きだ。それは本当だ。だけど、怖がっているの好きとか言われるのはちょっとどうだろうとは思うけど。
そして好きなのだけど、ちょっと躊躇ってしまうのはやっぱりナディアが肉食系過ぎるからだと思う。ぐいぐいどころ、結構ガンガンきているよね。
「ん? あんまり変わってない気もします。と言うか、あんまり積極的とか言われると、微妙な気持ちになるんでやめてもらっていいですか?」
「え、そうなの?」
ナディアは顔を寄せるのをやめて、普通に肩がぶつかる距離のまま、とんとんと繋いだ手でヴァイオレットの太ももを叩きながら頬を膨らませる。
「だって、お姫様が積極的なのってあんまりない気がします」
「それはそうかもだけど、でも実際、なめるのはキスより攻めてるよね?」
「マスターのせいじゃないじゃないですか。マスターが魅力的すぎるから」
「あ、そう言う理由なんだ。私がナディアの色んなところにキスするからかと思った」
ヴァイオレットが積極的になり過ぎて、ナディアの感覚が麻痺したのだと思っていた。もちろんそれはヴァイオレットの責任だし、それはそれとして好きだけど。
だけどヴァイオレットのほっとしたような感想に、ナディアは繋いでる手を持ち上げて、反対の右手でヴァイオレットの手をさらに包み込むように握って、頭をヴァイオレットに傾けた。
「……それは、その通りではありますけど、でも、それを言って、今更キス控えてもらいたくないので」
肩にナディアの頭が当たった状態なので、表情は見えない。恥ずかしいから隠して、その上で本音を言ってくれた。そのいじましさに、微笑ましくて笑ってしまう。
「ふふ、ナディアは可愛いね」
「……はい、マスターにとって、そう思ってもらえたら、嬉しいです」
「はは、なにそれ。本当、ナディアは私にとって世界一可愛いお姫様だよ。ね、顔を見せてよ」
「恥ずかしいから駄目です」
「なにそれ。今更じゃない?」
別に今までも散々お互い恥ずかしいことをしたし言ったし、真っ赤になった顔を見合わせてきた。
ヴァイオレットが包まれている右手を上下にふって促すと、ナディアはぐりぐりと頭を肩におしつけてきた。
「そ、それは普通にしてたらそうですけど、マスターが、ぐいぐいとか言うので、その、ちょっと、控えめな振りしようとしたので、その、なんだか、演技したのが、恥ずかしすぎて」
「えー、その顔めちゃくちゃ見たいんだけど」
「い、意地悪言わないでください」
「あれ、まだ控えめな演技してる? なんだかいつもより可愛いぞ?」
「してませんっ、ばかぁ」
「あ、そっか。ナディアはいつでも可愛いもんね、ごめんごめん」
「うー、もう、ちょっと、今は褒めてくれなくていいです。ちょっと、気持ちを落ち着けるので、待ってくださいってばぁ」
「はいはい、待ちますよ」
ぐいぐい肩を押してきて、体が斜めになってきたので終わらせて、空いている左手でナディアの頭を撫でる。
ナディアはおとなしくなり、ぎゅっと痛いくらい手をしばらく握って、にぎにぎと力を強めたり弱めたりして、ふーと大きく深呼吸しだした。
「ふー、すー」
ちょっとだけ、吐息も可愛いね、と言おうかと思ったけど自重する。本気だけど、多分今言ったらまた喜びつつも文句を言われるので。
しばらく呼吸をしてから、ナディアはゆっくりと頭をあげた。
「じゃあ、そろそろ、マスターの手、いいですか?」
そして気持ちを切り替えたのか、にっこりと微笑んでそう言った。
可愛いので許可する。ナディアが両手で握りこんでいたヴァイオレットの手を解放すると、空気に触れて涼しくて気持ちいいと感じるほどだった。
手のひらを上に向けると表面に見てわかるほどじっとりと汗ばんでいる。
それを確認してからナディアに視線をあげると、ナディアは今にも舌なめずりしそうな顔をしている。と言うか口元動いてつばを飲み込んでいる。
「あのさ、いいんだけど、でもこれナディアの方は汗ばんでないの? 混じってない?」
「ん? ……んー、大丈夫だと思います。それにもし混ざってても、まぁ、私のは魔力はいらないので」
「ナディアがいいならいいけど」
ナディアは自身の手のひらを確認してからそう言ったので、自分の手はそれほど汗ばんでいたわけではないようだ。実際手のひらをぴったりくっつけていたわけではなく、空気越しに温めたようなものだけど。
普通に手を繋ぐだけならヴァイオレットが手汗をかく段階でもナディアは汗をかかずにいると思って提案したのだけど、今のはナディアも結構照れたりしていたし、多少汗ばんでいた気がした。だから聞いたのだが、まぁ本人が気にしていないならいいだろう。
「じゃあ、どうぞ?」
「はい」
ナディアは嬉しそうに両手でヴァイオレットの手を左右からつかみ、眼前まで持ち上げて、うっとりと見つめる。そして一呼吸おいてから、もはや慣れたためらいのなさで、舌を伸ばした。
「……」
黙って見ていると、ナディアは一度視線をあげてはにかんでから、そのまま顔を伏せた。手のひらにもはやヴァイオレットも慣れたような生暖かく柔らかい感触で、舐められたことがわかる。
何とも言えないくすぐったさだ。前髪が降りて、表情は全く見えない。だけど、一度ゆっくり舐めてから、熱心に何度も繰り返し舐められたので、気にいったらしいことはわかる。
くすぐったい。手のひらの真ん中、くぼみ当たりのところを執拗になめられる。かと思えば、位置を変えてなめだした。
「くすぐったいよ、ナディア。そろそろいいでしょ?」
「ん、もうちょっと、いいですか?」
ちょっとだけ顔をあげて少しだけすするような音がしてから言われた。いやちょっと、汚いな。割とドン引きして左手で頭をかきながら目をそらす。
「いやー、でももうナディアの唾でべちゃべちゃじゃない?」
「いえ、場所を変えたらいけます! 塩味がきいててすごく美味しいんですよ」
「純粋に味覚で味わってるね」
段々慣れてきたので、いいかな、と言う気になってきたけれど、さすがに目の前で美味しそうに汗をなめられたら複雑な気持ちになる。餌付けしているような、あと本人普通に食欲なのでいやらしさ0のはずなのにえっちな気分になりそうなのも微妙な気分になる。
「ねぇナディア、ちなみにどんな味なの?」
「ん、そうですね。基本的に、肌から魔力が漏れている量は多くはないです。吸ったら別ですけど。汗はそれに比べたら比較的多いです。でも、気持ちいいってなるほどではないので、凄くちょうど良くて美味しいです。普段食事にもらう魔力よりは新鮮で多めで、なおかつ、柔らかい手のひらの感触もいいですし、ちょっと塩気があるのがアクセントになって、気持ちよくてずっと舐めていたくなります」
「なるほどね。ナディア、段々食レポがうまくなってきたね」
「そうですか? えへへ」
ナディアは嬉しそうに笑いながら、顔をあげないのでヴァイオレットのドン引きに気が付かないまま、塩気がなくなるまでなめた。




