髪飾り
「ふんふふーん」
夕食後、ナディアはとってもご機嫌に洗い物をしてくれている。その姿を見ていれば、いやでも目をひかれるのは頭頂部でしっかり結ばれてゆれる髪先だ。
そう、今日のナディアはポニーテールなのである。美しく長い髪をしているナディアは、作業中に結んでいること自体は珍しくない。だけど下の方で緩くまとめているだけで、また癖がつくからとすぐにとってしまう。
それはそれで、ゆらめく髪は光を反射していつだってうっとりするほど美しいし、頭を撫でてもほどけるなんて心配もないし、手触りもいいのでいい。
だけどたまにこうして違う髪形をみると、これはこれでいい。と言うかはっきり違う髪形なので、何だか不思議な気持ちにさえなってしまう。
たかが髪形だ。だけどそのたかが一つで、全く違う印象になって、新しい魅力的な美しさが見えてくる。
「お待たせしましたー」
「ご機嫌だね」
「ふふ、もちろんですよ。って、まだつけてないんですか?」
「ん……当日のお楽しみにした方が、楽しいんじゃないかな?」
「……」
「……」
「……つけようか」
「はい!」
いや本当、無言はずるいだろう。何も言わずにじっと見つめてくるとか、自分が可愛すぎるのをわかっててやっている。たちが悪い。何が駄目って、本当に可愛すぎてなんだかんだナディアの思う通りにしてもいいかなと普通に思ってしまうことだ。
不機嫌な顔に押し負けたとか、嫌われたくないからとか、そう言ったマイナスな了解ではなくて、ナディアがそこまで望むならしてあげようかな、とポジティブに考えてしまう。
だからこそ、たちが悪い。そう思いながら、ヴァイオレットは机に置いておいた小さな袋から、本日のお昼に購入した髪飾りを出す。
髪飾りはナディアとお揃いの花飾りのついたピン止めだった。
ナディアのはバレッタで、背面に白い小花がたくさんついた可愛い髪飾りでナディアにとても似合っている。そしてそれと同じような白い小花がたくさん連なっている。小さいとは言え、横並びに4つとその上下にもついて、7つもの白いレース細工の花が金属ピンにとめられている。
ナディアの方も同じようなレース細工だし、面が大きい分花だけではなく葉っぱ飾りまでされている。葉っぱの差異はあれど隅だけだし、同じクリエイターがつくったシリーズらしく、基本的にお揃いのデザインといって問題ない。
ないけど、ヴァイオレットが思っていたのよりは確実に派手すぎる。確かにナディアには似合っている。可憐な妖精そのものと言ってもいい。
だけどこれをヴァイオレットがつけるのか……。そもそも、髪のヴォリュームが違うのだ。長髪のナディアにピッタリの大きさが、ヴァイオレットの頭につくとかちょっと頭がお花畑ではないだろうか。
と脳内で反論してみるが、そもそも今更だ。だいたい昼間も多少抵抗してみたけど、先につけたナディアにめちゃくちゃ可愛い! それにしよう! と鼻息荒く言ったのはヴァイオレットに他ならない。
「マスターが気にいられたデザインですし、それになにより、マスターにもこれ絶対似合いますよ!」
などと言われたら、もう嫌とは言えなかった。お揃いにすることを何も考えていなかった。馬鹿すぎる。
確かにデザインもいいし、細工も丁寧でそれにしては値段もお手頃だった。掘り出し物と言ってもいい。
「……」
ピンを手にとって、ちらとナディアを見る。わくわく、と背景にでてきそうなくらい、瞳が期待で輝いている。
ええい! ここまで来て往生際が悪い! ヴァイオレットは意を決して、そっとピンを頭にさした。
「……ずれたりしてない?」
「大丈夫です。うん、やっぱりマスター、よくお似合いです」
さしてみると、思ったより羞恥心は薄かった。そのはずだ。つけてしまえば見えないのだから。購入時は鏡で見せられたので抵抗があったが、これならまぁ、ナディアが喜んできらきら目の表情を見られるのだから、わるくない。
「あ、自分では見えないですよね。私、鏡とりますね」
「いやいいよ、って行動が早い」
断るより先にナディアは立ち上がり廊下に出てしまい、すぐに玄関においているそこそこの大きさの靴箱上においている鏡を持って戻ってきた。
ナディアはニコニコ笑顔でヴァイオレットの前においてから隣に座る。
「すぐそこにありますもん。遠慮しなくていいんですよ」
「遠慮とかじゃなくてさぁ……恥ずかしいんだよ」
「ふふ、恥ずかしがるマスター、可愛いですよ」
え、わざとなの? わざと恥ずかしがらそうとしていた? その為にあえて少女趣味なものを選んでいた? いやいやそんなまさか。でも一応確認しておこう。
「な、ナディアさん? 本当に似合ってるんだよね? 信じてるよ?」
「え? なんですかその言い方。似合ってるに決まってるじゃないですか。疑っているんですか?」
ちょっとむっとされた。確かに今のはヴァイオレットが悪かった。そんなわけがない。だけど同時に、別の疑問が湧き上がる。ナディアのセンスがいいと言う根拠はないし、相手がヴァイオレットと言うことでその目が曇る可能性もあるのでは?
「疑っていると言うと人聞きが悪いけど。でもよく考えたら、私が何をつけても似合ってると言いそうな気がしてきた」
「そんなことはありませんけど……いえ、確かにマスターは、格好良くて可愛くて素敵で無敵ですから、あらゆるものが似合う可能性を秘めているとは思いますけど……んん? あれ、もしかしてマスター、何でも似合うのでは?」
「真顔で言うのやめてくれない? 恥ずかしいから」
普通に気が付いたみたいに言われたけど、やっぱり目が曇っていたという結果でしかなかった。本当に似合っていたのだろうか。恐くなってきた。とは言え、実際、商品単品で見れば可愛いと言うのはヴァイオレットも同意するところだし、店員が全く似合わないものを押し付けるとも考えにくい。客観的に見て、全く似合わない、おかしい、と言うことはないと信じたい。
改めて鏡をのぞきこんでみる。サイドめにつけているので、正面からだと右側に白い花がちらっと見えるくらいだ。普通に良さそうに見える。
ヴァイオレットの髪色は暗色なので、白は映えていて爽やかな感じだ。首をふって髪飾りを正面から見る。こぶし大くらいの大きな面積で小ぶりの花が連なっていて、とても可愛い。なるほど。髪色とは合っているし、一つ一つが小さいからそこまで圧迫感もなく、ショートカットにもあっている。
が、正面を向く。自分の顔だ。見慣れた自分の顔。この50年慣れ親しんだ顔に、今の少女趣味の髪留めがついていると思うと、やっぱり恥ずかしい。
もはやこの感情は似合う似合わないではないかもしれない。
「……ふふ」
「ん? なに? やっぱり変とかないよね?」
「心配性ですねぇ。そうじゃなくて、まじまじと鏡を見てる真剣な顔とか、ちょっと恥じらっている感じが可愛くて、微笑ましかっただけです」
「……そ、そう」
嬉しく感じてしまったけど、微笑ましいって。どちらが年上なんだか。ナディアが相手では今更な気もするけれど。
まあ買ってしまったものは仕方ない。あきらめよう。客観的には似合っている。はずだ。知らない人から見ればヴァイオレットは年寄りには見えないのだから、単純な色合いなどだけを見れば似合っているのだから、いいはずだ。
ただヴァイオレットは、知り合いに見られたら恥ずかしいと言うだけなのだ。特に職場の連中とか。当日はその点に気を付けよう。
「ナディアが似合うっていうなら、いいか。お揃いだしね。ね、ナディアのをもっとよく見せてよ」
「はい。どうぞ」
ナディアはにっこり笑顔でヴァイオレットに背中を向けるように座りなおしてくれた。
ナディアのポニーテールをしている髪飾りは、ヴァイオレットと同じ小さなレース編みの白い花がたくさんついていていて、本体から下にも垂れ下がるように数本ついていて、髪と一緒に揺れて飾りあげている。とても可憐だ。
髪のヴォリュームが多いので、本体も合わせてそれなりの花の量だというのに、むしろ控えめに感じられる。
だけどそんな髪飾りに反して、髪型はポニーテールだ。半ばより上側についていて、くるりとナディアがまわったことで髪先は肩にかかりうなじを彩るようだ。とても健康的で、スポーティな印象を受ける。
とても可愛い。似合いすぎている。小花の一本が首筋にのこっているのもまた、なかなかどうして情緒がある。
「うん、とても似合っているよ。可愛いねぇ。すごく可愛い」
「ありがとうございます」
「ねぇ、うなじにキスしてもいいかな?」
ふと思いついて、でも敏感な個所だと困るのでストレートに聞いてみる。ナディアは少しだけ振り向いて横顔だけで呆れて見せる。
「え? またそんな変態的な……まぁ、私もあとでしていいなら、いいですけど」
やれやれ、とばかりにそう言われたけど、じゃあやったー、とはならない。その前に重要なことを確認しなければならない。
「……舐めないよね?」
「え? 舐めますけど」
「じゃあやめておくよ」
想定通りだった。指はいい。わかった。確かに直接触れるのは気持ちいい。夜、いい雰囲気になったらそれもいいだろう。頬はまぁ、本当に軽く一瞬だし、キスのついでくらいの感じなので、百歩譲ろう。
でもうなじを舐めるのはおかしい。もう妖怪だ。あかなめだ。あと普通にくすぐったそうだし、遠慮したい。
ヴァイオレットとしては当然の選択なのだけど、ナディアは半身ひねって体ごと振り向いて、見るからに驚愕!と目を見開いている。
「え、なんでですか! マスターらしくない。もっといつもみたいにがつがつきてくれていいんですよ?」
「いやー、首とか、昼間少し汗かいたしね?」
「全然いいですってば。気にしません」
「私は気にするんだよ」
「いいじゃないですかー、汗なんて。なにも脇をなめたいって言っているわけでも……あの、じゃああれですよ、代わりに脇でもいいですよ?」
「絶対にやめておくよ」
最近急激にギアをあげてきているけど、これ以上変態度あげるのやめようか。うん、ヴァイオレットは確かに直接キスができないので少しばかりの欲求不満をナディアを可愛がることで晴らしているけど、だけどそれはさすがにいけない。やりすぎだ。
明らかにじゃれ合いを通り越して、変態プレイの域にいっている。おかしい。ヴァイオレットとナディアは健全な恋人のはずだ。
「いいじゃないですか。汗ってどんな味か気になります」
「塩味だよ。自分のをなめて」
「マスターのはきっと甘くて美味しいですよ」
「そうだとしたら病気だよ」
「……マスター、冷たいです。私がこんなにお願いしているのに、どうしてもだめなんですか?」
ジト目になったナディアは、真剣な顔でそう言ってくる。いや、そんな正面から聞かれても。冷静になって引くしかない。
「逆に考えてほしいんだけど、ナディアは私が頼んだら汗をなめさせてもらえるの?」
「え? うーん……んー、まぁ、そりゃあ恥ずかしいですよ? でもマスターとは散々恥ずかしいことしてますし、恋人なんですから」
「この世界の感覚が謎すぎる」
今までの行為で恥ずかしいことに慣れてしまった、と言うのはわからなくもないけれど、だけどそもそも、ヴァイオレットの行為はそんなにいやらしかっただろうか。キス自体がいやらしくて恥ずかしいと思っていたとして、舐めるのはまた全然違う気がすると言うか、はっきり言ってキスと舐める行為には一線を画すと思うのだけど。
だけど少なくともナディアにとっては、ヴァイオレットのキスで羞恥になれたので開き直れる範囲になめる行為があるらしい。そしてもうその場所はどこでも変わらないらしい。足先にふざけてキスするのと脇をなめるのでは、全く次元の違う変態行為にしか思えないヴァイオレットとしては、真面目に感覚の違いが過ぎる。
今週から月木更新に戻ります。




