指しゃぶり
席を一度立ったことで、少し気持ちは落ち着いた。ナディアも多少落ち着いてくれたようだ。少なくとも、恥じらいのある表情に見える。
お茶を飲んで喉を潤してから、さて、とナディアに意味ありげな視線をやると、期待をこめてじっと見つめてきている。
その視線は熱い。熱視線と言ってもいいだろう。まるで視線でなめあげるようだ。
と言うか、改まって考えると今から手を舐められると考えると、やはり性的な行為な気がしてきた。先ほどは足よりよっぽどいいと安易に考えてOKを出したが、よく考えたらまず舐めると言うのはおかしいのでは? 少なくとも日常行為ではない。
「あの、ナディア」
「はいっ」
「ちなみに、やっぱり舐めるのはなしとかは……ないよね、はい」
むぅぅと唸りだしそうなくらい眉をよせてわかりやすく頬を膨らませて抗議されたので、すぐさま自分で却下した。
途端ににっこりほほ笑むナディア。非常にわかりやすいし、とても可愛い。
所詮、ヴァイオレットはナディアにこれ以上なく惚れているのだ。ドン引き性癖の十や二十あったところで、可愛い年下の少女の好奇心だと思えば最終的には受け入れてしまうのだ。
それを自覚したところで、ヴァイオレットは観念して手を出した。
「ありがとうございます、マスターのそう言う、約束を守る真摯なところ、好きですよ」
「ありがとう。素直に受け取っておくよ」
言う人によっては皮肉か? と聞きかえすところだけど、ナディアなのでそう返す。ナディアはニコニコしながらヴァイオレットの右手を両手で受け取る。嬉しそうに、誕生日プレゼントをもらう子供のような表情だ。
すこしはにかんで照れくさそうなところまで含めて完璧だ。
考えてみれば、ヴァイオレットが無理強いしたりしたのも、いずれの家族の為だ。それはわかっていたとして、ナディアにばかり強いるのは違うだろう。ナディアも楽しんで受け入れてくれるのが理想なのだ。
だからこれでいい。それに、こんなに可愛いナディアをみて、ああ、いずれ生まれてくる子供がもし大きくなれば、こんな顔でプレゼントを受け取ってくれるのだろうか、と考えれば何とも言えない幸福な気持ちになる。
それを思えば、多少の恥ずかしさがなんだ。今は二人きりなのだ。少しくらい恥ずかしくても、それがナディアの趣味だと言うなら、受け入れるべきだ。
そう自分に言い聞かせるヴァイオレットに構わず、ナディアは楽しそうにそっと、左手でヴァイオレットの手を持ったまま、右手の指先で手の甲を撫でだした。
普通にくすぐったくて、鼻から息が漏れる。そんなヴァイオレットの表情を、ちらりと上目遣いに確認してにんまり笑いながら、ナディアはさらに顔を寄せて頬ずりした。
「ふふ、ナディア、頬ずりも気にいったの?」
「はい。マスターのこと、顔全体で感じると、なんだか胸がぽかぽかします」
「そっか」
嬉しいと思うと同時に、さっきヴァイオレットの足に頬ずりした時も同じように思っていたのだとすると、とても微妙である。理屈は変わっていないはずだが、とにかく絵面が悪すぎる。今は手なのだから、気持ちを切り替えよう。
「ではそろそろ、失礼して、いただきます」
指先に顔を寄せ、小さく口をあけるナディア。可愛いけど、いただきます、はやめてほしかった。食べ物になったように感じるから。
そんな引き気味のヴァイオレットに気づかず、ナディアはまずぺろり、と舌先でヴァイオレットの人差し指をなめた。
人差し指はそれなりに使い込んでいて指先の皮はあつくてそれほど鋭敏と言うことはない。切ってしまって自分で舐めたこともあるし、指先が特別くすぐったく感じたりしない。
そのはずだけど、ヴァイオレットにとってやはりナディアは特別な存在だからだろうか。とても熱くて、ぞくぞくした。
「んー、はぁ、やっぱり、美味しいですぅ」
「ごめん、その、美味しいって表現やめてくれない?」
「あ、すみません、口で感じるとつい。普段料理で食べてるのもあって、つい」
えへへ、とわかりやすく誤魔化し笑いをしたナディア。わかっていても可愛いから許す。
「いいけど、次はやめてね」
「はい。言い方を変えますね」
「そうして」
「では、改めて」
ナディアは好物を前にして我慢できない子供のような、だけど蕩けそうに上気した妖艶な表情で、指先を口内に迎え入れた。
熱い。何にも触れていないのに、そう感じた。空気が熱い。外とは違う、熱気のある空気。それを詳細に感じ取る前に、すっと人差し指に舌があてられ、唇で挟まれ、ちょうど第一関節を歯が優しく固定する。
感覚が鋭敏になり過ぎている、とヴァイオレットは思った。まるで体中の感覚器官を右手人差し指に集めてしまったようだ。
「……っ」
歯の表面のギザギザしていること、舌のつぶつぶまで感じる。すぐに舌が指を下から包み込むように圧迫し、そして吸われる。
ぐっと、とても強い力に感じられた。実際には指の位置も、ナディアの頭も動いていないので、大した力ではないのだろう。せいぜいが上あごに押し付けられたくらいだ。
爪のすぐ下の部分が、ナディアの上あごのへこみ、波打った様子を伝えてくる。こんなにも、人間の口内は複雑なのか。飲食の際には気にしたことがなかったので、つるっとしたようなイメージを勝手に持っていた。だけど細かく感じ取れば、どこをとっても平坦ではない。
「ぁ……あぁ」
無意識に声が漏れる。今まで感じたことのない感覚。
感触だけではない。それだけでも十分に興奮するけれど、そうではない。魔力を吸われているのだとわかる。指先からだって出せなくはないが、意識的に行ってのことだ。無意識に皮膚呼吸と共にわずかに大気に放出される分しかないはずで、それを吸われたって大した量ではないはずだ。
だけど明らかに、吸われている、と感じた。通常なら皮膚呼吸分なんて少量過ぎて感知できない。だからそれ以上に、ナディアが指に吸い付くことで引き出しているのだ。
自分の意識にないところで、魔力を引き出される。それは例えば環境下において無意識に反応することはあれど、特定の意思をもってされる経験はない。異次元の感覚だ。
魔力だと頭ではわかっていても、普通ではない大事な何かを引き出されているような、そんな風に思われてしまう。
「んふぅ、んん、はあ、ますたぁ、だいじょうぶですか? いたくないですか?」
ヴァイオレットの様子を見て、ナディアはいったん口を離してそんな気遣う言葉を口にしてくれる。だけどその声は、明らかにいつもと違って蕩けていた。
甘くて柔らかくて、口に入れたら甘さでしびれそうなほどの可愛い声で、聞いていると脳までしびれてしまうそうで、理性まで溶けていくのを感じる。
「痛くはないよ。大丈夫。ただ」
「ただ?」
「何て言うのか、わからない。ただ、違和感? え、これもしかして、気持ちいいの、かな?」
何だか頭がぼーっとしてくる。非現実的な光景と感覚に、夢なのではないか、とそんな馬鹿げた疑問が出てくる程度には現実味がない。
魔力は便利な物だ。だけどそれだけではなく、生命の根幹にかかわるものだ。だから愛するもの同士の魔力のやりとりに快楽を伴う。それはナディアから聞いた話とも合わせて事実なのだろう。
だけどそれはてっきり、口内に限るものだと思っていた。だからナディアこの状況でナディアが美味しい、気持ちいいと感じるのは想定内だ。だけどまさか、ヴァイオレット側も感じるなんて。
ただ舐められただけならそうではなかった。だが愛し合う人となら、他の人とは何とも思わないことでも気持ちいいと感じるなら、吸われただけで指先でも心地よいと感じるのが普通なのだろうか。
これが、肉体ではなく魔力のやり取りのみによる快楽なのだろうか。慣れない未知の感覚だからか、快楽と言う自覚は薄い。だけど他に言いようのない体感だ。
「……ふふっ、もう、ますたぁはほんとに、かわいいなぁ」
「んっ」
曖昧な表現で困ったような表情になってしまう、全く空気を読んでないと言われても仕方ない返答をするヴァイオレットに対して、ナディアはあくまで優しくて、まるで年上が戸惑う少女をリードするように微笑んでまたヴァイオレットの指に吸い付いた。
「マスターの、美味し、あ、うん、えへへ。マスターの魔力、とっても、気持ちいいです」
「っ、ナディア」
「んん!? あえっ!?」
「ぐっ!? ……な、ナディア? 大丈夫?」
指先をまだ口に入れたまま、時折舌先をヴァイオレットの指にぶつけながらそう上目遣いに言われて、ヴァイオレットはたまらなくなった。もっとナディアを感じたくて、もっと感じてもらいたくて、考えるより先に魔力を送っていた。
その瞬間、目いっぱい噛みつかれた。魔力を送るどころか息さえとまる。一瞬、指が切り落とされたかと思った。瞬間的に全身を震わせるほど驚いてから、ナディアが両手で力いっぱいヴァイオレットの手をつかんだまま目を閉じて固まっているので、恐る恐る聞いてみる。
「っ、だ、だいじょうぶです……、ん!? ま、マスター! ごめんなさい!」
「え? ああ、大丈夫だよ」
口を開けて手を離し、ヴァイオレットの指をだして答えながら右手を頭にあてて落ち着こうとするナディアは、目の前のヴァイオレットの指を見てはっとしたように謝罪した。
言われてから自身の指に意識をやり、血が出ていることに気が付いた。あれだけ痛かったのだ。当然だろう。しかしめちゃくちゃ痛いと思ったわりに軽症だ。くっきりと噛み跡がついてその形にそって血がにじんでいる。血が噴き出るほどでもない。ぽた、ぽた、と落ちてしまうほどには血が出ているが、範囲が大きいからだろう。
ナディアはおろおろとしながら両手をお皿のようにあわせて血を受け止めている。涙目になっているが、そんなに恐縮しなくてもいいだろう。今のは完全にヴァイオレットが悪かった。
「むしろごめんね、魔力を流し過ぎたみたい」
無意識とは言え、いつもより多い量、と言うことはない。手に流していたのと同程度だ。だけどより繊細で、直接魔力を感知する口内なのだ。初めはもっともっと少量にするべきところを、未知の快感でくらくらしてそこまで頭が回らなかった。いや、これは言い訳に過ぎない。




