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ナディア視点 観劇2

「でしょ? それにちょっといい席でしょ?」


 囁くナディアにあわせて、ヴァイオレットも顔をよせて得意げにそう答える。その魅力的な笑顔をあまりに至近距離から見せられた衝撃に、内容が頭から抜け出しそうになるのを堪えてナディアは頷く。


「はい。すごい人ですし。劇って人気があるんで、あ、こういうのって、言ってすぐ買えるものなんですか?」


 昨日夕方に分かれてから、今日のデートの用意をしてくれたはずなのに用意ができるものなのだろうか。劇と聞いたときは何も思わなかったけど、これだけの人の入りの中で席が余っていたとは考えにくい。

 まだ時間に余裕があるはずなのに、下は人でいっぱいだ。その中でも個室みたいになっているこの席は、少なくとも下の並んでいるのよりいい席だろうから、先に埋まりそうにナディアには思われるのだけど。

 そう尋ねると、ヴァイオレットは少し困ったように微笑む。


「まあ、たまたまだよ。たまたま空いていたからね」


 その笑顔に、ピンと来た。これは当然偶々ではないだろう。では何か。つまりこれは前々から準備していてくれたに違いない! なんて心憎い演出だろう。さらっとしてしまうところに、ますます惚れてしまう。


「そんなことより、まだ時間はあるし、お茶でも飲みながら待とうか」

「はい」

「劇を見るのを初めてなら、ちょうどよかったかもね。今日のは有名なやつだからとっつきやすいし」

「え? 有名なお話しをするってことですか?」

「うん。劇の内容を全く知らないで見てももちろん楽しいけど、一つの物語すべてを劇にすると長くなりすぎる都合上、多少カットしたりして予備知識がないとちょっと唐突に感じることもあるからね。今日するのは花姫って話で」

「あ、知ってます!」

「うん、そうだね。有名だもんね。あと、ちょっとだけ、声おとそうか」

「あ、はい。すみません……」


 知っている物語の名前に思わず興奮してしまった。恥ずかしくなって右手で頬を押さえる。誤魔化すように自然と左手のヴァイオレットの手を握る力も強くなる。

 ヴァイオレットは、左手を伸ばしてぽんぽんとナディアの頭を撫でる。


「大丈夫だよ。そこまで大きな声じゃなかったし、何より見えないしね」

「で、でも、向かいの席の人、こっちみてます」

「え? ……ああ、大丈夫だよ、普通の人はこの暗さでこの距離だと、いるかどうかも見えないから」

「え。そうなんですか」


 そう言えば、自身では気が付いていなかったが、エルフはどうも夜目が丸耳族よりきくようだと言う会話をしたことがあるような?

 頭でわかっていても、ピンときていないので実感がなかったが、そう言われて見れば向こうと視線は合わないし、こちらを見ていると言ってもこちらの方、と言うくらいだ。そう言うことなら気にすることもないか。とナディアは気をとりなして右手を下ろしてヴァイオレットを向く。


「花姫、私好きです」


 エルフも同じ国内で同じ言語を使う以上、同じ文字を習うのだ。文字習得のための幼児向けの本のひとつが花姫だ。

 各地によって微妙にストーリーが違うようで、ヴァイオレットの家にそれらが集められた本があった時は興奮したものだ。幼い頃に読んだいくつかの物語の中で一番好きなのが花姫だった。

 お姫様がたまたま出会って仲良くなった隣国の王子様、だけど正式に結婚する前に、お姫様は悪いドラゴンに浚われてしまう。王子様が旅をしてドラゴンを退治してお姫様と結婚する。それが概要だ。

 それから大きくなって色んな恋物語を読んだりしたけど、一番心に残っている。それに憧れて、お姫様になりたくて、王子様に出会いたくて、ナディアはそうしてここにいるのだ。それをヴァイオレットとの記念すべきデートで、その話の劇を見るなんて! そんなの興奮するにきまっている。


 どきどきしてくるのを押さえて微笑むナディアに、ヴァイオレットは優しく微笑みながら頭から今度は髪をなでてくる。

 自然とナディアの右側におりてきた手、向かい合うように身を乗り出したヴァイオレットの体が、なんだか抱き合っているような錯覚をおこさせる。


「うん、私も好きだよ」

「!」


 わ、わかっている。今のは花姫が好きだと言う意味だ。と言うかそうでなくて、ナディアが好きと言う意味にしたって毎日言っているし言われている。だけどこうして暗い中至近距離で、前触れなく言われると、ドキッとしてしまうに決まっている。


「花姫は元々短い簡単な話だから、劇にしてもそんなにかからないんだけど、結構変更されたりして、色んな劇があるんだ」


 ときめきで身もだえそうなナディアに気づいていないのか、ヴァイオレットはそのまま劇の説明をする。

 今日の劇は小休止を挟みつつ、お昼過ぎまでやるようだ。劇初見のナディアにとっては結構長い気もするが、お茶菓子もあり、このゆったりした席なら快適そうだ。

 そうこうしているうちに、劇場がさらに暗くなる。一瞬真っ暗になり、すぐに舞台上が明かりで照らされる。

 幕がゆっくりとあがり目が明るさになれる。色んなものが舞台の上にはある。どこかの部屋の中のようだ。さらに強い明かりで照らされながら、人が舞台へ出てくる。


「わぁ」


 思わず声が出た。現れた人物は、いかにもなお姫様という豪華なドレスをきていた。まるで絵本から飛び出たような、綺麗な人だ。

 するとどこからともなく、音楽が流れてくる。あれ、と思うより早く、お姫様が口をひらく。


『ああぇ…毎日毎日ドレスを着て笑顔をつくって、こんなのもうたくさんだわ』

「ひぇっ」


 ぎょっとした。女の人の声がすぐ近くで聞こえたからだ。驚きで肩を揺らして驚くナディアに、ヴァイオレットがくすくすしながら体ごと寄せてくる。

 肩同士をぶつけた状態で顔をよせて、ヴァイオレットが魔法具で音が届いているのだと説明してくれる。なるほど確かに、この劇場中に声を届かせようとすれば、めちゃくちゃに声を張り上げないといけないだろう。そうなればこのいかにもお姫様の憂鬱そうな声の、ため息がでそうな雰囲気はなくなるだろう。


 それからお姫様は侍女とお話しして、そうして街へと抜け出すことになった。変装してばれないように街へ出て、目新しい世界に目を輝かせるその姿。

 まるで本当に目の前で起こっていることのようだ。音楽だって、実際に街中でこんな風に流れているわけがないのに、それが当たり前のように馴染んでいて、お姫様の心を伝えてくるようだ。


 いつしかナディアは劇に夢中になっていた。

 ストーリーを知っているはずなのに、はらはらどきどきして、どうなるだろうと思ってしまう。正体を隠したまま男性と出会い、どうしようかと悩みながら、少しずつ進展していく姿に、いつしか自分を重ねてしまう。

 そしてついに打ち明けて、恋仲になる。将来の約束をしたところで、第一部終了だ。幕が閉じて、灯りがつく。


「っ、はーぁ、はあぁ……」


 そこでようやく、ナディアは長い息をついた。めちゃくちゃ集中していた。

 自分が熱中して入れ込んでいたことを自覚し、それからずっとヴァイオレットの手を力強く握りしめ、手汗までかいていたことに気が付いて慌てて手を離そうとした。


「どうしたの? ナディア」


 だけどヴァイオレットが離さない。ぐぐぐ。恥ずかしくなってきた。

 この劇はナディアは昔に見たのと全然違う。音が光が、言葉が雰囲気が、舞台の全てが世界をつくっていてのめりこまずにいられない。こんなに大きな劇場でたくさんの人が熱中するのも無理はない。

 だけどヴァイオレットのことを忘れるほどのめりこむなんて。自分でも信じられないし、こんなにじっとりするほど汗をかいて、手を繋いでいることを忘れるほどなんて。


「あの、手汗、かいて、すみません」

「え? そんなの気にしてたの? 全然いいよ。私も劇に集中してたから、私のかもだし。それに楽しんでくれているみたいで嬉しいよ」

「で、ですよね、劇、凄かったですよね」

「うん。凄く続きが気になるよね」

「はいっ」


 劇はそれだけでもちろん素晴らしい。だけど隣で見ていたヴァイオレットも同じように劇に感動していたと言うなら、それはもっと素晴らしいことだ。

 劇への楽しさだけでなく、共有できる喜びで胸が熱くなる。


「休憩、このまま待つ? 大丈夫?」

「大丈夫です。マスターはどこがよかったですか?」

「そうね、全体的にレベルが高いけど、やっぱりお姫様役の人の演技は凄かった、引き込まれるよね。初めての恋に葛藤してドキドキしてるのを見てると、こっちまで緊張しちゃうよね」

「はい。そう、そうなんです。本当、わかってるはずなのに、私もドキドキしちゃいました。あと王子様役も格好いいですよね。あの、恋人になったところ、手の甲にキスするところなんて、路地裏って言っても大胆で、劇だって言ってもドキドキしちゃいますよね」


 さすがに本当に口をつけてはいないと思うけど、それにしたって、見ているナディアがドキドキしてしまった。王子様は魔力とかはよくわからないが、それでも振る舞いなんかは堂々としていて、主役のお姫様に感情移入してしまうこともあってとても格好良く思ってしまう。その場面を思い出してもうっとりしてしまう。


「そう? 何だか妬けちゃうな」

「え」


 予想外の言葉に驚くナディアが回想から戻ってヴァイオレットを見ると、ヴァイオレットは悪戯っぽく微笑んですっと、ずっと繋いだままの手を軽く持ち上げて、何気なく軽く、ナディアの甲に唇を落とした。


「!!」

「劇に入り込むのはいいけど、ナディア姫の王子様は、私だけだから、なんてね」


 手がしびれた。実際にはそうではないが、そう錯覚するような衝撃だった。表面的に触れただけなので、実際には魔力が送られてきたわけでもないが、しかしキスと言うのはナディアにとってそれだけ特別な行為なのだ。

 なのに、それをこんなに軽く、しかも姫とか、王子様とか、そんなこと言って、劇に嫉妬みたいな、そんな、そんなの、そんなのめちゃくちゃ好きになってしまうに決まっている! あー!! 好き!! もうすでに空に届きそうなほど好きなのに超えてくるって何!? こわ!? 好きすぎて恐!!


「ま、ま、まま、ますたー」

「え、なに、大丈夫?」


 衝撃で思わず目を見開いたまま固まってしまうナディアに、ヴァイオレットは空いている手をナディアの前にかざして振りながら聞いてくる。

 心配してくれてる、やさしい、すき。


「しゅき、んんんっ」

「ああ、照れてるの? 可愛いね、私も大好きだよ」


 だいしゅき! って、あ、ああ!!

 会場が再び暗くなり、ナディアは休憩時間が終わってしまったことに気が付いて慌てるが、どうしようもない。心臓はばくばくして、ヴァイオレットから目が離せない。


「も、もー、マスターのばかぁ」

「えー? え、なんで今怒られてるの?」

「こんな、こんな状態じゃ、もう、マスターしか見れないじゃないですかっ、劇まだあるのにっ」

「えー……また何回だって連れてきてあげるよ。だから、今日は私だけ見てようよ」


 はい、好き。


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